ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
仮面観客たちの声が、舞台の天井へぶつかって反響していた。
命令を、命令を、命令を。
その単調な声は、拍手よりもずっと不気味だった。
ただの歓声じゃない。
期待でもない。
それは、王馬小吉という人間から言葉を搾り取るための圧力だった。
円形の舞台を囲む客席には、顔のない観客人形が隙間なく並び、白い仮面だけが一斉にこちらを向いている。
口なんてないはずなのに、声だけはあった。
目なんて描かれていないはずなのに、見られている感覚だけがあった。
王馬は巨大な王座の前に固定されていた。
足元には赤い絨毯が敷かれ、その絨毯は途中から黒い鎖へ変わり、玉座の脚と王馬の足首を絡め取っている。
手首から伸びる操り糸は、天井の暗がりへ消えていた。
首元にも、肩にも、背中にも、糸は何本も絡みつき、まるで王馬の身体そのものが舞台装置の一部にされているようだった。
その顔には、まだ割れかけの笑顔の仮面が貼りついている。
ひびの奥に見える目だけが、どうにか王馬本人のものだと分かる。
普段なら、こういう状況でもあいつはまず笑う。
嫌味を言う。
相手を茶化す。
そうやって、誰にも本当の温度を測らせない。
けれど今は、その仮面の下で息を整えることすら難しそうに見えた。
「さあ、総統様。君の言葉が本物なら、ちゃんと命令してみせてよ」
クラウンナイトメアの声が、王座の背後から響いた。
影と声だけだったその存在は、まだ完全には姿を見せていない。
それでも、舞台の照明も、観客人形の声も、仮面兵の動きも、全部がそいつの悪意に合わせて動いている。
この夢そのものが、クラウンナイトメアの手の中にあるようだった。
「にしし……観客の圧が強すぎない? こういうの、今どき流行らないよ?」
王馬は笑おうとした。
けれど、笑い声は途中でかすれた。
それでも誤魔化すように肩を竦める仕草だけは残っている。
その仕草が、逆に痛々しかった。
軽口というより、沈まないために必死で浮かべた木片みたいだった。
「誤魔化さないでよ。君は王様なんでしょ。総統なんでしょ」
「王馬に無理やり言わせても意味ないだろ!」
俺は舞台の中央から叫び返した。
ゼッツエクスドリームの装甲は、夢世界の中で現実の時よりも深く脈打っている。
胸の奥から背中へ、背中から腕と脚へ、金と緑の光が呼吸するみたいに走っていた。
けれど、王馬へ近づこうとすると、足元のスポットライトが質量を持って絡みついてくる。
光なのに重い。
舞台のルールが、俺の動きを観客席へ押し戻そうとしている。
「意味ならあるよ。命令が反転した瞬間、この子はまた思い知るんだ」
クラウンナイトメアの声は、楽しそうだった。
楽しそうだからこそ、底冷えするほど気味が悪かった。
「自分の言葉では、誰も動かせないってね」
王馬の顔に貼りついた仮面が、ぎしりと軋んだ。
笑顔の仮面のひびから、また別の仮面が覗く。
怒りでも、悲しみでも、恐怖でもない。
全部を混ぜて押し固めたような、判別できない表情だった。
「はいはい、じゃあ総統命令ね」
王馬は、わざと軽い声を出した。
それが精一杯の抵抗だと、見ているだけで分かった。
「全員、そこで大人しく止まれ」
一瞬、舞台の上の仮面兵たちが停止した。
槍を構えたまま、首を傾けたまま、紙でできたような薄い身体がぴたりと動きを止める。
客席の声も止んだ。
まるで、本当に王馬の命令が届いたように見えた。
けれど次の瞬間、仮面兵たちの身体が不自然に震えた。
がたがた、と木製の関節が鳴る。
仮面の奥から黒い紙吹雪が噴き出す。
止まったはずの足が、一斉に王馬の方へ向き直る。
「総統様へ、総統様へ、総統様へ」
無数の兵士が、同じ声で呟きながら進み始めた。
止まれという命令は、王馬へ向かって加速しろという意味へ反転していた。
「……ほらね」
王馬の声は、小さかった。
ひび割れた笑顔の仮面の下で、あいつはほんの少しだけ俯く。
「やっぱり、こうなるじゃん」
「王馬!」
俺はブレイカムゼッツァーを呼び出し、押し寄せる仮面兵の列へ斬り込んだ。
金と緑の光をまとった刃が、前列の兵士たちをまとめて斬り払う。
紙のような身体が裂け、黒と赤の紙吹雪になって舞台へ散る。
すかさず左手のプラズマブラスターを構え、奥の兵士を撃ち抜く。
弾けた光の中で仮面が割れ、胴体が崩れ、床へ落ちる前に無数の紙片へ変わった。
だが、拍手が鳴ると同時に、紙片はまた兵士の形へ戻った。
倒したはずの列が、何事もなかったように立ち上がる。
観客席からは、笑い声とも拍手ともつかない音が溢れ続けている。
「無駄だよ、ゼッツ。ここでは嘘が尽きない限り、兵隊も尽きないんだ」
「だったら、嘘の使い方を変えるだけだ」
「変えられると思ってるの? 嘘は嘘でしかないのに」
クラウンナイトメアの言葉と同時に、舞台の床が歪んだ。
トランプの模様が浮かび、サーカスの紋様が走り、足元の板がルーレットのように回転する。
俺の立ち位置をずらし、王馬との距離を引き離すための仕掛けだ。
単純な敵じゃない。
この夢世界そのものが、王馬の言葉を悪夢へ変換する装置になっている。
俺は力任せに進むのをやめた。
倒しても戻る兵士を斬り続けても、王馬へは届かない。
必要なのは、敵を減らすことじゃない。
このルールの根っこへ触ることだ。
「王馬、今のは違う!」
「違わないよ。命令して、反転されて、笑われて終わり。いつもの王馬小吉じゃん」
「違う。お前はまだ、本当に命令してない」
王馬が顔を上げた。
仮面のひびの隙間から、細い視線だけがこちらへ向けられる。
「……は?」
「軽口で逃げるための命令じゃなくて、お前が本当にどうしたいのかを言え」
「にしし……それ、すごい無茶振りだね」
「お前の言葉が全部嘘でも、その中に意思があるなら俺が拾う」
「またそれ? ほんと、しつこいなぁ」
「しつこいくらいじゃないと、お前は聞かないだろ」
王馬は黙った。
いつもならすぐに嫌味が飛んでくるはずなのに、今度は言葉が返ってこない。
仮面の一枚に、細いひびが入る。
それは小さな音だった。
けれど、この拍手と笑い声に満ちた舞台の中で、俺にはその音だけがやけにはっきり聞こえた。
「やめなよ、ゼッツ。この子に本音なんてないよ」
クラウンナイトメアの声が、急に低くなった。
その瞬間、舞台の左右にまた小さな劇場が開く。
王馬に似た人形たちが、無数に並んで現れる。
笑っている王馬。
誰かを騙す王馬。
信じられそうになった瞬間に酷い嘘を吐いて遠ざける王馬。
全部が、王馬を責めるために切り取られた断片だった。
「嘘つき、嘘つき、嘘つき」
王馬人形たちが、観客と同じ声で囁く。
その声は、王馬本人の声にも似ていた。
だからこそ、余計に悪質だった。
「総統なんて嘘。組織なんて嘘。仲間も作戦も、ぜんぶ嘘」
「そんな嘘つきの命令を、誰が本物だって認めるの?」
「俺だ」
言葉は、考えるより先に出ていた。
その瞬間、ゼッツエクスドリームの胸部が強く発光した。
金と緑の光が舞台の床へ広がり、仮面兵たちの足元に走る赤黒い紋様を押し返す。
ほんの一瞬、派手な舞台板の下から、現実の廊下の床のような灰色の質感が覗いた。
夢と現実の境界が、わずかに重なる。
クラウンナイトメアの支配する舞台が、また揺れた。
「……また舞台を揺らしたね」
「お前の舞台は絶対じゃない。王馬の言葉を決めつける権利も、お前にはない」
仮面観客たちの声が乱れた。
命令を、という単調な声のリズムが崩れ、拍手のタイミングがばらばらになる。
クラウンナイトメアの影が王座の背後で揺らぎ、裂けた笑顔だけが一瞬歪んだ。
「言えないんだ。だって、君の命令なんて最初から空っぽだもんね」
「……うるさいなぁ」
王馬の声が、低く落ちた。
今度は軽口じゃなかった。
いつもの調子を無理に作ろうとしながら、その下から別の感情が漏れている。
怒りなのか、悔しさなのか、それとも恐怖なのか。
全部が混ざっていて、それでも確かに王馬自身の声だった。
「何を命令するの? 止まれ? 消えろ? 助けて? どれも反転するよ」
「……ほんと、悪趣味」
王馬はゆっくりと顔を上げた。
ひび割れた笑顔の仮面の奥で、目だけがはっきりとクラウンナイトメアを見据えている。
仮面に覆われていても分かる。
今の王馬は逃げるために笑っているんじゃない。
言葉を選ぼうとしている。
自分の言葉がまた悪夢に奪われると分かっていながら、それでも何を言うかを考えている。
「王馬!」
「分かってるよ。そんな大声出さなくても聞こえてるって」
王馬は少しだけ息を吸った。
仮面観客たちが一斉に身を乗り出す。
仮面兵たちは王馬の玉座をさらに王座へ押し込もうとする。
黒い鎖がぎしぎしと鳴り、玉座の背もたれが檻のように形を変えていく。
「じゃあ、総統命令」
その言葉に、舞台全体が静止した。
クラウンナイトメアは笑っていた。
命令が反転する瞬間を待っている。
仮面兵たちも、観客人形たちも、舞台そのものも、王馬の言葉を捕まえてねじ曲げる準備をしているようだった。
王馬は笑おうとした。
でも、その笑顔はいつもよりずっと薄かった。
その代わり、声だけははっきりしていた。
「オレの嘘を、オレ以外が勝手に使うな」
舞台が沈黙した。
拍手が止まる。
観客の声が消える。
仮面兵の足音も止まる。
たった一言が、今までのどんな攻撃よりも深く、この悪夢の中央へ突き刺さったように見えた。
「……何それ」
クラウンナイトメアの声から、初めて余裕が消えた。
王馬は仮面の奥で、かすかに笑った。
「聞こえなかった? じゃあもう一回言ってあげるよ」
王馬の声は、やっぱり軽い。
でも、そこには芯があった。
自分を守るために逃げる言葉じゃない。
自分の領域を奪われたくないという、はっきりした拒絶だった。
「オレの嘘は、オレのものだ。勝手に利用するな、クラウン」
クラウンナイトメアの影が震えた。
その瞬間、舞台のルールが王馬の命令を反転させようと動き出す。
赤黒い文字が床を走り、王馬の言葉へ絡みつき、意味を反対へねじ曲げようとする。
俺にはそれが見えた。
夢世界だからこそ、言葉が力として現れる。
そして、その力を奪おうとする悪夢の手も見える。
「反転しろ。嘘つきの命令なんて、いつも通り――」
「させるか」
俺は前へ踏み出した。
ゼッツエクスドリームの背中から、淡い七色の翼が開く。
現実で飛ぶための翼じゃない。
夢と現実の境界へ触れるための、光の輪郭だった。
胸部から金と緑の光が広がり、王馬の言葉の周囲に円を描く。
その円は舞台の床を貫き、観客席を越え、王座の影まで届いた。
「裁定する」
自分の声が、妙に静かに聞こえた。
この夢で、何を虚構とし、何を現実とするか。
その境界を、俺の意志で選ぶ。
クラウンナイトメアが嘘だと笑ったものの中から、王馬自身の意思だけを拾い上げる。
「今の命令は、嘘じゃない」
その瞬間、王馬の言葉へ絡みついていた赤黒い文字が砕けた。
仮面兵たちを縛っていた悪夢の糸が、ぷつり、ぷつりと切れていく。
王馬へ向かっていた兵士の一部が、ぎこちなく立ち止まった。
そして、ゆっくりとクラウンナイトメアの影へ向きを変える。
それは完全な味方になったわけじゃない。
けれど少なくとも、王馬を王座へ押し込むための駒ではなくなった。
王馬の顔に貼りついていた笑顔の仮面が、大きく割れた。
破片が頬から剥がれ落ちる。
その下から、王馬の素顔が少しだけ見えた。
疲れていて、怒っていて、それでもどこか楽しそうな、王馬小吉本人の顔だった。
「嘘だ……そんなの、嘘だ!」
クラウンナイトメアの声が、初めて明確に乱れた。
「違う。お前が嘘だと決めつけてただけだ」
舞台のあちこちで、仮面観客たちがざわめき始める。
拍手のリズムは完全に崩れ、命令を求める声ももう揃っていない。
王馬を巨大な王座へ引きずっていた鎖の一部が砕け、玉座の動きが止まる。
「……にしし」
王馬が笑った。
今度の笑いは、まだ弱い。
でも、さっきまでとは違う。
悪夢に押しつけられた笑顔じゃなく、王馬自身が選んだ笑いだった。
「笑ってる場合か」
「いや、今のはちょっと面白かったからさ」
「素直に喜べよ」
「やだね。そこまでサービス良くないし」
そのやり取りの途中で、王座の上に赤黒い幕が落ちた。
舞台全体が大きく揺れる。
仮面兵たちが吹き飛び、観客席の人形が一斉に倒れる。
王座の背後に溜まっていた影が、ようやく形を持ち始めた。
ピエロと王様を無理やり縫い合わせたような異形。
裂けた笑顔。
歪んだ王冠。
左右非対称の派手な衣装。
長すぎる手足。
その顔に貼られた巨大な仮面の下からは、さらに無数の仮面が覗いている。
笑顔、泣き顔、怒り顔、驚き顔。
王馬へ貼りついていたものと同じ表情が、今度はクラウンナイトメア自身の内側から溢れていた。
「認めない」
クラウンナイトメアは、低く言った。
「嘘は嘘だ。嘘つきの王様は、空っぽのままじゃなきゃいけないんだ」
「ようやく出てきたな」
俺はブレイカムゼッツァーを構え直した。
今度は、ただ兵士を斬るためじゃない。
この悪夢の本体へ届かせるために。
「うわ、ほんとセンスない見た目。オレの悪夢ならもっと可愛くしてよ」
王馬が言うと、クラウンナイトメアの仮面がぎり、と歪んだ。
「黙れ、偽物の総統」
その言葉に、王馬は少しだけ目を細めた。
けれど、もうさっきのようには崩れない。
舞台はまだ悪夢の中にある。
王馬の拘束も完全には解けていない。
それでも、戦況は変わった。
王馬の命令は、初めて悪夢に奪われなかった。
そして俺は、その言葉を現実として裁定できた。
「次はこっちの番だ」
俺はクラウンナイトメアを見据えたまま、一歩前へ出た。
背中の七色の翼が、夢の空気を静かに裂いて広がる。
観客の拍手はもう揃っていない。
舞台の照明も乱れている。
この悪夢は、初めて自分の筋書きを失いかけていた。