ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
白い羽根の光が、水面の上でゆっくりと揺れていた。
それは神聖なものに見えるほど綺麗だった。
けれど、その下に浮かぶ文字列はあまりにも冷たく、旧希望ヶ峰学園の研究ログを思わせる無機質な記号が、黒い水面へいくつも広がっていた。
天使。
研究記録。
希望。
才能。
本来なら同じ場所に並ぶはずのない言葉が、今はひとつの線で結ばれているように見える。
その事実だけで、俺の胸の奥は嫌な重さを増していった。
「天使が、人間を人間のままにしておかないための名前だって、どういう意味だ」
俺が問い詰めると、教祖は静かにこちらを見た。
夢の中に残ったデータの残響だというのに、その目だけは妙にはっきりしている。
現実で機能停止した時と同じ穏やかさを湛えていて、それが逆に、今から告げられる話の重さを予感させた。
「そのままの意味だよ、万津君。彼らは人類を救おうとしているけれど、その救い方があまりにも歪んでいる」
「救うって言葉で片付けられるなら、あいつらは夢の中でカプセムのデータなんか盗まないだろ」
「その通りだね。だからこそ、君には彼らの目的を正しく知ってもらう必要がある」
教祖の声と共に、水面に映る白い羽根が広がった。
その羽根はすぐに無数の回路図へ変わり、さらに脳の断面図のような形へ変形する。
夢の中だからこそ、それがただの映像ではなく、何かの概念を直接見せられているのだと分かった。
「天使達の目的は、夢を通じて全人類へ干渉することだ」
「夢を通じて、人類へ干渉するって……まさか、ソムニウム世界を使うつもりなのか」
「近いね。彼らは夢という無防備な領域を通じて、人間の内側へ直接触れようとしている」
夢。
その言葉を聞いた瞬間、王馬のソムニウム世界が脳裏に蘇った。
嘘が舞台になり、言葉が命令になり、仮面が本音を塞いでいたあの世界。
夢の中では、人の内側が形になる。
だからこそ、そこに干渉できるなら、人間そのものを変えられる可能性がある。
そう理解した瞬間、俺は喉の奥が冷えるのを感じた。
「それで何をするつもりなんだ。人類を操るとか、支配するとか、そういう話なのか」
「支配という言葉では、まだ足りない」
教祖は、まるで言葉を選ぶように一度だけ目を伏せた。
その沈黙が、答えの酷さを物語っていた。
「彼らは全人類を、カムクライズルへ書き換えようとしている」
水面に、黒い人影が浮かび上がった。
人間の形をしている。
けれど、そこには表情がない。
怒りも、喜びも、迷いも、恐怖もない。
完成されているようで、同時に、空っぽだった。
「……全人類を、カムクライズルに?」
自分の声がかすれているのが分かった。
希望ヶ峰学園が生んだ、才能の極致。
人類の希望として作られた、あらゆる才能を備えた万能の天才。
その言葉だけを聞けば、誰かは理想だと言うのかもしれない。
才能が足りないから苦しむ。
力が足りないから失う。
選ばれなかったから絶望する。
ならば全員を才能に満ちた存在にすればいい。
そんな理屈は、確かにどこかでは成立してしまうのかもしれない。
けれど、俺はその黒い人影を見て、どうしても希望だとは思えなかった。
「全人類を天才にするって聞けば、響きだけなら理想みたいに聞こえる」
「だから恐ろしいんだよ。理想の皮を被っているからこそ、その内側にある喪失が見えにくい」
「カムクライズルになるってことは、ただ才能を増やすだけじゃないんだな」
「そうだね。あらゆる才能を備えた万能の天才になる代わりに、人間として必要な多くのものが削られていく」
「削られるって、何が消えるんだ」
答えを聞きたくないと思った。
けれど、聞かなければならなかった。
ヒメルとミコトルが、エクスドリームのデータを持っていった理由。
教祖が最後に俺へ託した言葉。
その全部が、ここへ繋がっている。
「才能の獲得に邪魔となり得る思考、感情、感性、趣味、そして記憶。そういったものが欠落し、あるいは封印される」
水面の黒い人影から、色が剥がれ落ちていった。
笑っていた誰かの記憶が、薄い紙片のように消える。
好きだったものに手を伸ばす感覚が、透明な泡になって弾ける。
悩み、迷い、悔しさ、愛着、くだらないこだわり、誰かと交わした約束。
そんなものが、才能の発現を邪魔する不純物として剥ぎ取られていく。
万能の天才になる。
けれど、そのために自分を作っていたものが失われる。
それは、強くなるというより、削られるという言葉の方がずっと近かった。
「その先にあるのは、すべての人間が万能の天才になった世界だ」
「全員が才能を持っているなら、争いも不幸もなくなるって、あいつらは考えてるのか」
「おそらくね。才能の不足が不幸を生むなら、すべての人間に才能を与えればいいと考えているのだろう」
「でも、その代わりに人間らしさが消えるなら、それは救いじゃない」
「その通りだよ。才能だけが残り、感情も趣味も記憶も封じられた人間は、もはや安定した人格を保てない」
「万能の天才なのに、人格は不安定になるのか」
「万能だから安定するのではない。むしろ、人間を支えていた余白を失うから、不安定になるんだ」
水面に、無数の人影が並んだ。
誰もが同じように立っている。
誰もが優れた能力を持っているのだろう。
けれど、誰も笑わない。
誰も泣かない。
誰も立ち止まらない。
全員が同じ方向を向き、同じ速度で歩いている。
完璧に整った行進。
それは不気味なほど美しく、吐き気がするほど冷たかった。
「お前が言っていた、終焉より恐ろしいっていうのは、このことだったのか」
「そうだよ。終焉は、世界が終わることだ」
「でも、天使達の計画は世界を終わらせるわけじゃない」
「むしろ世界は残る。街も、学校も、社会も、人間の形をした存在も残り続ける」
「けど、中身が別物になる」
「その通りだね。人類は死なないまま、人間であるための揺らぎを失う」
人間であるための揺らぎ。
その言葉が、やけに深く刺さった。
不安。
迷い。
好き嫌い。
意味のない趣味。
誰かを理解できずに苛立つこと。
それでも近づこうとすること。
失敗して、後悔して、それでももう一度選び直すこと。
そういう不完全なものを全部削ぎ落とした先に、完全な天才だけが残る。
それは、人間なのか。
「迷うことも、悩むことも、好き嫌いも、記憶も、全部いらないものにされるのか」
「天使達にとっては、それらは才能の発現を妨げる不純物なのだろう」
「……ふざけるなよ」
声が、低く漏れた。
自分でも驚くくらい、怒りより先に恐怖があった。
世界を壊す敵なら、まだ分かる。
奪う敵なら、まだ戦う理由を作りやすい。
けれど、あいつらはきっと、自分たちを悪だとは思っていない。
人間を完成させる。
才能を与える。
不幸をなくす。
そう信じて、人間から人間らしさを奪おうとしている。
「だからあいつらは、エクスドリームのデータを持っていったのか」
「君の力は、夢と現実の境界を裁定する。何を夢とし、何を現実とするかを選び直す力だ」
「その力を、人間の内側を書き換えるために使うつもりなのか」
「そう考えるのが自然だね。夢の中で才能の定義を書き換え、その結果を現実の人間へ反映させる」
王馬の夢で、俺は嘘の奥にある意思を現実として通した。
それは王馬を救うためだった。
でも同じ仕組みを悪用すれば、人間の内側にある何かを別の形へ裁定し直せる。
感情を不要なものとし、才能を現実とする。
記憶を封印し、能力だけを残す。
夢の中でそう決められたものが、現実の人間へ反映される。
考えただけで、背筋に冷たいものが走った。
「そんなもの、人を救う力じゃないだろ」
「彼らは救いだと信じている。信じているからこそ、止まらない」
白い羽根の光が、俺の胸元にあるエクスドリームライズカプセムの形と重なった。
その光は一瞬だけ金色に見え、すぐに黒く染まり、才能を示す無数の文字列へ分解されていく。
それは俺が使ってきた力の、最悪の使い道だった。
「それが実現したら、人類はどうなるんだ」
「すべての人間が、万能の天才になる。けれど、その誰もが、本来の自分を失っている」
「それは……生きてるって言えるのか」
「形だけなら生きている。けれど、人間として生きているかどうかは、君の感じた通りだ」
「……終わるより、ずっと悪い」
その言葉を口にした瞬間、足元の水面が凍りついたように静止した。
波紋も、映像も、すべてが止まる。
胸の奥から冷たいものが広がって、背骨をなぞるように上がっていく。
寒いわけではない。
夢の中だから温度なんてないはずだ。
それでも、俺の背筋は確かに凍っていた。
世界が滅びるなら、まだ終わりとして理解できる。
そこには破壊があり、喪失があり、最後がある。
けれど天使達の計画は、終わりを与えない。
人間の形を残したまま、人間だったものを内側から消していく。
笑う理由も、泣く理由も、迷う自由も、誰かを好きになる感覚も、好きだったことを覚えている記憶さえも、才能の邪魔だと封じられる。
それは死ではない。
だからこそ、死より恐ろしい。
「だから僕は言ったんだよ。これは終焉よりも恐ろしいと」
教祖の声は、静かだった。
責めるでもなく、煽るでもなく、ただ事実を置く声だった。
「……ヒメルとミコトルは、それを本気で救いだと思ってるのか」
「そうだろうね。彼らにとって、人間を完成させることは罪ではなく、使命なのだろう」
「完成なんかじゃない。それは、人間を消すのと同じだ」
「君がそう思えるなら、まだ止める理由はある」
教祖の姿が、また少しだけ揺らいだ。
残留データ。
残響。
そう言っていた通り、彼はいつまでもここにいられる存在ではないのだろう。
それでも、今告げられた話は、消えることなく俺の中に残った。
俺は凍りついた水面の上で拳を握った。
ヒメルとミコトル。
天使を名乗る二人。
エクスドリームのデータを持ち去り、全人類を万能の天才へ書き換えようとする計画。
その規模は、今までのどの戦いより大きい。
怖いと思った。
背筋が凍るほどに。
それでも、止めなきゃいけない。
未完成であること。
迷うこと。
失敗すること。
好きなものを持つこと。
忘れたくない記憶を抱えて生きること。
それらを全部邪魔だと言う救いなんて、認めるわけにはいかなかった。