ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
天使達の計画を聞いたあと、夢の中の黒い水面は、しばらく凍りついたように動かなかった。
白い羽根の光はまだ遠くで揺れていて、その下には旧希望ヶ峰学園の研究ログに似た文字列が、まるで人類の未来を冷たい数式に変えていくみたいに広がっていた。
全人類をカムクライズルへ書き換える。
あらゆる才能を持つ万能の天才にする。
その代わりに、感情も、記憶も、趣味も、感性も、迷いも、弱さも、才能の邪魔になるものとして封じる。
それは救いなんかじゃないと、俺は思った。
けれど同時に、教祖が最後に言った「終焉より恐ろしい」という言葉の意味も、嫌になるほど理解してしまっていた。
「……完成なんかじゃない」
自分の声は、思っていたより低く響いた。
「それは、人間を消すのと同じだ」
教祖は、黒い水面の上に静かに立っていた。
現実では機能停止したはずの仮の身体。
今ここにいるのは、その残留データだと本人は言った。
それでも、俺を見る目は相変わらず穏やかで、こちらの怒りや恐怖を最初から分かっていたみたいだった。
「君がそう思えるなら、まだ止める理由はある」
その言葉に、俺はすぐには頷けなかった。
天使達の計画は確かに恐ろしい。
でも、目の前にいるこの教祖もまた、人類を終焉へ導こうとしていた存在だ。
人間を完成という名で消す天使達が異常なら、人間に終わりを与えようとした教祖だって、同じくらい異常なはずだった。
「けど、ひとつ聞かせろ」
俺は、教祖から目を逸らさずに言った。
「天使達の計画がそこまで恐ろしいものだとしても、お前のやろうとしていたことも同じくらいおかしいだろ」
黒い水面に、俺の影が揺れる。
その影は少しだけ歪んでいて、まるで俺自身が答えのない問いに押し潰されかけているみたいに見えた。
「お前はなぜ、人類を終焉させようとしている」
教祖は、すぐには答えなかった。
ただ静かに目を伏せ、足元の水面へ視線を落とした。
すると、さっきまで白い羽根と研究ログを映していた水面が、ゆっくり別の景色へ変わっていく。
荒れた海。
ひび割れた大地。
崩れた建物。
消えていく街の灯り。
逃げ惑う人の影。
それはひとつの未来というより、いくつもの終わり方を重ねた、地球そのものの疲弊した姿だった。
「では、君に聞こう」
教祖の声は、どこまでも静かだった。
「現在の地球で、人間は本当に生き残れると思うかい」
「何を言ってるんだ、お前は」
「このまま生き続ければ、人類には明るい未来が待っていると、君は本気で言えるのかな」
言い返そうとして、喉が詰まった。
そんなもの、簡単に肯定できるはずがない。
災害も、争いも、病も、資源も、環境も、人間自身が生み出す絶望も、全部が今ここにある現実だった。
それでも、だから終わらせていいという話にはならない。
頭ではそう分かっているのに、教祖の問いは、俺の反論より先に胸の奥へ入り込んできた。
「災害、争い、病、資源の枯渇、壊れていく環境、そして人間自身が作り出す絶望」
教祖の言葉に合わせて、水面の景色が変わっていく。
飢えた人の影。
奪い合う手。
誰かを守れなかった後悔に膝をつく姿。
生きたいと願いながら、少しずつ削られていく顔。
どれも夢の映像のはずなのに、見ているだけで胃の底が重くなるほど生々しかった。
「それらをすべて越えて、人類は穏やかに生き残れると思うかい」
「それでも、勝手に終わらせていい理由にはならないだろ」
「その通りだね」
教祖は、あまりにもあっさり認めた。
だからこそ、俺は逆に言葉を失った。
「僕は人類を憎んでいるわけではない。むしろ、憎んでいるなら、もっと残酷な終わらせ方を選んだだろうね」
「じゃあ、何のために終焉を選ぶんだ」
「このまま生き続けても、待っているのは辛い死だけだからだよ」
辛い死。
その言葉が、水面に落ちた雫みたいに広がっていく。
「飢えて死ぬ者がいる。奪い合って死ぬ者がいる。守れなかった後悔を抱えたまま死ぬ者がいる。生きたいと願いながら、少しずつ削られて死ぬ者がいる」
教祖は淡々と語っていた。
けれど、その声には冷酷さだけではない何かがあった。
それが一番嫌だった。
悪意なら、殴って終われる。
支配欲なら、否定しやすい。
でも、この教祖は、人類を苦しませたいから終わらせようとしているわけではない。
苦しむくらいなら、安らかに終わらせたいと言っている。
その考え方が、あまりにも歪んでいて、あまりにも静かで、俺は背筋とは別の場所が冷たくなるのを感じた。
「それが避けられない未来なら、せめて人類に安らかな死を与えたい」
「勝手に決めるなよ」
俺は、反射的にそう吐き捨てていた。
「苦しい未来があるからって、死なせていい理由にはならないだろ」
「その通りだね。だから僕は、君のような人間がそう言うことも分かっている」
「分かってるなら、どうしてそんなことを言える」
「人は生きたいと願う。だが、生きたいという願いが、必ずしも救いになるとは限らない」
その言葉は、静かに俺の中へ沈んだ。
認めたくはなかった。
けれど、完全に嘘だとも言えなかった。
生きたいと願うことは尊い。
でも、生き続けることが苦痛でしかない状況もある。
それを理由に全人類へ終焉を与えようとする教祖は間違っている。
それでも、間違っていると叫ぶだけでは、この男の言葉を打ち消しきれなかった。
「それでも、生きていれば変えられるかもしれないだろ」
「変えられるかもしれない」
教祖は、俺の言葉を繰り返した。
「その可能性に、人類はどれほどの苦痛を積み重ねてきたのだろうね」
水面に、必死に伸ばされる無数の手が映った。
届きそうで届かない手。
助けを求める手。
それでも掴めず、暗い水の底へ沈んでいく手。
俺は拳を握った。
見たくないのに、目を逸らせなかった。
「天使達は、人類を完成させることで救おうとしている」
教祖の声が続く。
「僕は、人類に安らかな終わりを与えることで救おうとしている」
「どっちも救いなんかじゃない」
「君から見れば、そうだろうね」
「人間を人間じゃなくするか、人間を終わらせるか。そんなもの、どっちも選べるわけないだろ」
「だからこそ、君は苦しむことになる」
その言葉と同時に、水面が左右へ割れた。
左側には、白い羽根の光と、無表情の天才たちが並んでいる。
誰もが万能で、誰もが空っぽで、誰もが同じ方向を向いて歩いている。
右側には、静かな夜が広がっていた。
苦痛も争いもないかわりに、すべての灯りが少しずつ消えていく、安らかすぎる終焉の景色だった。
俺は、その中央に立たされていた。
「完成を拒めば、終焉の恐怖が残る。終焉を拒めば、完成という名の消失が迫る」
教祖は、俺の前で静かに言った。
「君は、そのどちらでもない道を探さなければならない」
「簡単に言うなよ」
声が震えていた。
怒りなのか、恐怖なのか、自分でも分からなかった。
「僕が望むのは、苦痛のない終わりだ。誰も絶望に飲まれず、誰も憎しみ合わず、誰も長く苦しまない終焉だ」
「それを優しさだと思ってるのか」
「少なくとも、僕はそう信じていた」
「信じていた、か」
「今の僕は残響にすぎない。けれど、その願いが僕の中にあったことは否定できない」
教祖の輪郭が、少しだけ乱れた。
その姿は過去の思想の残り香であり、記憶の断片であり、完全な本人ではない。
それでも、彼の言葉には確かに重さがあった。
だからこそ、俺は余計に苦しかった。
天使達は、人間を完成させると言う。
教祖は、人間を安らかに終わらせると言う。
どちらも救いを名乗っている。
けれど、そのどちらも人間をそのまま残してはくれない。
迷って、間違えて、好き嫌いを抱えて、記憶に傷つきながら、それでも生きている人間を、そのまま肯定してはくれない。
「……ふざけるなよ」
俺は、もう一度呟いた。
「怒っていい。むしろ、怒れない方が危うい」
「俺に何を選ばせるつもりだ」
「選ばせるつもりはない。ただ、君はこれから選ばなければならない場面に立つ」
「完成か、終焉かってことか」
「あるいは、そのどちらでもない第三の答えか」
第三の答え。
その言葉だけが、黒い水面に小さく波紋を作った。
でも、今の俺にはその形が見えなかった。
天使達の完成も、教祖の終焉も、どちらも受け入れられない。
それなのに、どちらでもない道を選べと言われても、足元には何もない。
まるで、崖と崖の間に立たされて、まだ存在しない橋を渡れと言われているようだった。
「すぐに答えを出せとは言わない。けれど、知らないまま戦うことは、もう許されない」
教祖は、静かにそう告げた。
「……天使達の完成。教祖の終焉。そのどちらも、人間を救う顔をして人間を奪う」
「だから君は、その二つを越えなければならない」
「簡単じゃないだろ、そんなの」
「簡単ではないよ。だからこそ、君に託されたのだと思う」
俺は黒い水面の上で立ち尽くした。
左には完成。
右には終焉。
どちらも拒みたいのに、まだ第三の答えは見えない。
それは、究極の二択を突きつけられたような気分だった。
選べない。
でも、選ばないままではいられない。
胸の奥が、重く締めつけられていた。
背筋に残った冷たさは、天使達の計画を聞いた時とは違う種類のものだった。
今度は、恐怖だけじゃない。
人類を救うという言葉が、こんなにも残酷な形を取るのだと知ってしまったことへの、どうしようもない重さだった。