ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
最原終一の作業部屋には、白い羽根のような識別子と、旧希望ヶ峰学園の研究ログに似た文字列が、いくつもの紙資料とモニターの上に並んでいた。
机の上には、日菜が解析したエクスドリームライズカプセムの内部ログが広げられている。
夢の中でヒメルとミコトルに奪われたように見えた力は、現実では残っていた。
けれど、その中核に近いデータだけは、確かにコピーされていた。
それが意味するものを考えるたびに、最原の胸には冷たい違和感が積もっていく。
「最原、少しだけ時間を貰えるか。天使を名乗る連中について、相談したいことがある」
扉を開けて入ってきた万津の顔には、疲労の色が濃く残っていた。
王馬のソムニウム世界で戦い、その直後に天使達の干渉を受けたのだから無理もない。
それでも、万津の目は眠気よりも警戒の方が強く、休むためではなく次の罠を見つけるためにここへ来たのだと分かった。
「ヒメルとミコトルのことだよね。日菜さんから、カプセムの内部データがコピーされていたって聞いたよ」
最原は資料の束を寄せ、万津が座れる場所を作った。
その向かいでは、伊達さん要が椅子へやや乱暴に腰かけ、片目を細めながら資料を眺めている。
彼の左目に宿るアイボゥは、端末上に投影された小さなウィンドウとして、淡々とログを解析していた。
「おいおい、天使がデータ泥棒とはな。最近の宗教関係者は、ずいぶんハイテクになったもんだ」
「伊達さん、その表現は正確性に欠けます。今回の問題は宗教的称号ではなく、夢領域を利用した情報抽出技術です」
「固いな、アイボゥ。要するに、夢の中で財布の中身だけ抜かれたって話だろ」
「例えとしては雑ですが、概念的には近いです。ただし今回は財布ではなく、鍵と設計図を同時に複製されたに等しい状況です」
伊達さんは軽口を叩いていたが、その視線は笑っていなかった。
夢の中に潜る捜査を知っている彼だからこそ、今回の異常性を肌で理解しているのだろう。
最原も同じだった。
これは単なる窃盗ではない。
人の夢と現実の境界に踏み込み、そこから力の本質を抜き取る行為だった。
「教祖は、天使達が夢を使って全人類をカムクライズルへ書き換えようとしていると言っていた」
万津が低く言うと、部屋の空気がさらに重くなった。
伊達さんの表情から軽さが消え、最原は机の上に置かれた白い羽根の識別子へ目を落とした。
それは綺麗な記号に見える。
けれど、その奥にあるものは救済ではなく、人間の内側を書き換えるための鍵なのかもしれない。
「天使達が必要としているのは、人間の内面へ干渉する経路だと思う」
最原は慎重に言葉を選んだ。
「夢、映像、記憶、才能、その全部を繋げる方法を探しているなら、次に仕掛けてくるのは、たぶん直接的な攻撃じゃない」
「希望の名を使って、人間を書き換えるつもりなら、あいつらは希望を見せる形で罠を仕掛けてくるはずだ」
万津の言葉に、伊達さんが舌打ちをするように息を吐いた。
「絶望で壊すんじゃなく、希望で釣るってわけか。希望の押し売りほど、性質の悪いもんはねぇな」
「既存の絶望ビデオ被害者は、精神活動の低下や恐怖反応が顕著でした。しかし天使達が用いる映像干渉は、逆に高揚や使命感の異常増幅を起こす可能性があります」
アイボゥの分析は冷静だったが、その内容は冷静でいられるものではなかった。
絶望なら、まだ苦しんでいることが見える。
けれど希望を植えつけられた者は、自分が壊されていると気づかないかもしれない。
むしろ、自分は正しいことをしていると信じ込むかもしれない。
その危険性に、最原は探偵として強い不安を覚えた。
「つまり、被害者は絶望しているようには見えない。むしろ、自分が正しいことをしていると思い込むかもしれないんだね」
最原がそう言った直後、廊下の向こうから小さな声が聞こえた。
「……希望を再現するには、衣装だけじゃ足りないよね」
その声を聞いた瞬間、最原は顔を上げた。
廊下を通りかかったのは、白銀つむぎだった。
長い青みがかった髪はいつも通り整っていて、眼鏡の奥の表情も穏やかに見える。
けれど、その視線はどこか一点を見ているようで、普段の控えめな柔らかさとは違う硬さがあった。
「人格も、役割も、舞台も、ちゃんと揃えないと……」
「白銀さん、今の言葉はどういう意味なのかな」
最原が思わず声をかけると、白銀は少し遅れてこちらを向いた。
反応が遅れたというより、誰かに話しかけられることを想定していなかったようだった。
それでも彼女はすぐに、いつものような地味で柔らかな笑みを浮かべた。
「あ、最原くん。万津くんもいたんだね。ごめんね、ちょっと考えごとしてただけだから」
「大丈夫か。顔色が少し悪いぞ」
万津がそう言うと、白銀は自分の頬へ手を当てて、小さく首を傾げた。
「平気だよ。地味に寝不足なだけだと思う。だけど、希望の再現には時間がかかるから、休んでばかりもいられないよね」
その言い方は、白銀らしいようでいて、どこか決定的に違っていた。
普段の彼女なら、衣装や再現度の話をしていても、そこには作品への愛情や照れがある。
けれど今の言葉には、義務のような硬さがあった。
希望を好きだから語っているのではなく、希望を再現しなければならないと、自分へ命令しているように聞こえた。
「苗木くん達は、あの舞台があったから希望になれたんだよね」
白銀は、去り際にそう呟いた。
「だったら、希望を再現するには舞台も必要……」
「舞台って、白銀さんは何を再現しようとしているのかな」
最原が踏み込むと、白銀は一瞬だけ止まった。
その一瞬、眼鏡の奥の瞳が不自然に輝いたように見えた。
けれど次の瞬間には、彼女はいつもの困ったような笑顔へ戻っていた。
「ううん、なんでもないよ。ちょっと地味に独り言が多くなってるだけだから」
「おい、今のは聞き流していい独り言じゃなさそうだな」
伊達さんが低く言うと、白銀は軽く会釈した。
「伊達さんさんまで大げさだなぁ。わたしなんかが変なことを考えても、地味すぎて事件にはならないよ」
そう言って、白銀は廊下の奥へ歩いていった。
その背中はいつもの白銀と変わらないように見える。
けれど最原には、彼女の歩き方が少しだけ機械的に見えた。
まるで、次の制作工程へ向かう職人のように、迷いのない足取りだった。
「伊達さん、白銀つむぎのバイタルに異常を検知しました」
白銀が角を曲がった直後、アイボゥが静かな声で告げた。
「やっぱりか。どの程度だ、アイボゥ」
「心拍数、瞳孔反応、発汗量が通常値から逸脱しています。しかし、既存の絶望ビデオ被害者に見られた恐怖反応や抑うつ反応とは一致しません」
「絶望じゃないなら、白銀さんには何が起きているんだ」
最原の問いに、アイボゥは短い間を置いてから答えた。
「推定されるのは、強制的な高揚と認知の固定化です。発言内容の危険語句として、『希望』『再現』『舞台』を検出しました」
「希望のビデオ……」
万津がその言葉を漏らした瞬間、最原の中でいくつかの線が繋がった。
天使達が希望の名を使うこと。
夢や映像で人間の認識を書き換える可能性。
白銀が希望を再現すると言い、さらに舞台まで必要だと呟いたこと。
それらは偶然にしては、あまりにも同じ方向を向いている。
「白銀さんは、普段から作品やキャラクターの再現にはこだわる人だ」
最原は、さっきの白銀の声を思い出しながら言った。
「でも、今の言い方は違う。衣装や演技じゃなくて、状況そのものを再現しようとしているみたいだった」
「状況っていうと、希望を生んだ極限状態か」
伊達さんの言葉に、最原は唇を結んだ。
苗木誠達が希望になった舞台。
その言葉を、白銀はどういう意味で使ったのか。
考えたくない答えが、最原の頭の奥に浮かんでしまう。
「もし白銀さんが、苗木くん達の希望を再現するために、同じ舞台が必要だと思っているなら……」
「コロシアイを、再現しようとしている可能性がある」
万津が低く言い切ると、部屋の空気が凍った。
「推測としては危険度が高いですが、現時点で否定できる材料はありません」
アイボゥの声は淡々としていた。
だが、その淡々とした分析こそが、最原の胸を重く締めつけた。
白銀を疑いたくはない。
彼女はクラスメイトだ。
地味だと自分で笑いながら、好きなものへ真っ直ぐな熱を向ける人だった。
その彼女が、希望を再現するためにコロシアイを必要だと思い込まされているのだとしたら。
「天使達が動き出したんだ」
万津の声には、怒りと焦りが混じっていた。
「エクスドリームのデータをコピーして、次に仕掛けたのが希望のビデオなら、白銀は実験台にされている」
「白銀さんは敵じゃない」
最原は、自分に言い聞かせるように言った。
「でも、このまま放っておけば、彼女自身が誰かを傷つけるかもしれない」
「刑事としては、怪しい動きが出る前に押さえたいところだがな。相手が夢や映像で頭をいじられてるなら、単純に拘束して終わりとはいかねぇか」
「白銀つむぎの継続観測を推奨します。同時に、映像データ、夢領域、ソムニウム反応の三方向から調査を進めるべきです」
アイボゥの提案に、最原は静かに頷いた。
探偵として真実を確かめなければならない。
けれど、それは白銀を断罪するためではない。
彼女を壊しているものを見つけるためだ。
「僕が調べる」
最原は、廊下の奥を見つめたまま言った。
「白銀さんが何を見て、何を考えさせられているのか、真実を確かめる」
万津はその言葉を聞いて、何かを任せるように小さく頷いた。
今回の中心は、自分ではないと理解している顔だった。
最原もそれを感じ取った。
これは白銀つむぎの事件であり、彼女の真実へ踏み込むのは、探偵である自分の役目なのだと。
廊下の奥で、白銀は一人立ち止まっていた。
誰にも見られていないと思っているのか、彼女は小さく呟く。
「希望は、偶然じゃ生まれない」
その背後に、白い羽根とフィルムノイズのような光が一瞬だけ浮かぶ。
彼女の影は、床の上でマネキンのように不自然な形へ歪んだ。
「ちゃんと舞台を作らないと。コロシアイ学園生活みたいに、絶望があって、初めて希望は完成するんだから……」
最原は、その後ろ姿を見つめていた。
探偵として真実を暴く覚悟と、クラスメイトを疑わなければならない痛みが、同時に胸の中で重なっている。
「天使達が、もう次の罠を仕掛けている」
「ああ。今度は白銀だ」
万津の声を聞きながら、最原は拳を握った。
希望という言葉に塗り潰されようとしている白銀つむぎを、まだ手遅れにしてはいけない。
そのために、最原終一はもう一度、誰かの心の奥にある真実へ潜らなければならなかった。