ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
白い法廷は、もう裁判所の形を保っていなかった。
さっきまで被告席、証人席、傍聴席として区切られていた場所は、床を走る白い裁定線に飲み込まれ、境界そのものが溶けるように崩れていた。犬神軋が広げたロードスリーブースターのケープは、法廷の天井から床までを覆う白い幕のように広がり、俺達全員を一つの処分対象として閉じ込めようとしている。
「分類は不要ですね。被告、証人、介入者、分類不能。どれも秩序を乱す要素であることに変わりはありません」
犬神の声は、破滅願望をさらけ出した後でもまだ穏やかだった。けれど、その穏やかさはさっきまでの調停者のものではなく、すべてを終わらせるために整えられた処分装置のように冷えていた。
「分類を捨てるんですか。あなたの裁定は、もう裁判の形すら保っていない」
最原が声を張ると、白い法廷の壁に浮かぶ記録文字が乱れた。証言妨害、異議、裁定妨害。そんな言葉が最原の足元に浮かぶが、最原は目を逸らさない。
「裁判は秩序を戻すための手段です。秩序が戻らないなら、処分を優先するだけですよ」
「にしし、裁判長がとうとう裁判をやめちゃったね。犬神ちゃん、それって負けを認めたのと同じじゃない?」
王馬の声があちこちから響いた。プロジェクションの投影体は数を減らされているが、それでも白い法廷の隅や崩れかけた傍聴席の上に、薄い紫の影として残っている。犬神はそれらを一つずつ見ようとせず、まとめて消すために裁定線を広げていた。
「王馬小吉君。君の嘘も投影も、まとめて処分すれば問題ありません」
「まとめて処分って便利な言葉だね。見分けられないから全部壊しますって、ずいぶん雑な法務省最高幹部じゃん」
王馬の挑発に、犬神は笑わなかった。いや、正しく言えば、笑う必要すらなくなったように見えた。分類できないものを前にして悩むのではなく、分類そのものを捨てて処分へ進む。その変化を見た時、俺の胸の奥で何かが重く沈んだ。
こいつは、秩序を守ろうとしているんじゃない。秩序を守れない世界を見ることに、疲れ果てている。
そう思った瞬間、犬神の複眼が俺へ向いた。白い装甲の向こうから、法廷記録の文字列が流れ込むように光っている。
「万津君、君がすべてを乱しました。幹部達の祈りを砕き、教祖様の役割を変え、終焉という秩序を未確定の願いで汚した」
「俺は、終焉を秩序だとは思わない」
「では、君は私達の願いを何だと思っているのですか。愚かな破滅願望ですか、それとも壊すべき悪ですか」
犬神の問いは、俺を裁くためのものに聞こえた。けれど、その奥にほんの少しだけ、別の響きが混ざっている気がした。お前は俺達を何だと思っているのか。壊した側のお前は、俺達の祈りをどう呼ぶのか。そう聞かれているようだった。
「犬神君、その問いは万津君を裁くためではなく、君自身が聞きたかったことなのでしょう」
教祖の声が、静かに法廷へ落ちた。俺の横に立つ教祖は、白い鎖で俺と繋がれたまま犬神を見ていた。その表情には、かつて自分の下にいた幹部へ向ける痛みと、彼が抱えたものを今になって知る苦さが滲んでいる。
「教祖様、今のあなたが私を理解したように語るのは、少々不愉快ですね」
犬神の声がわずかに低くなった。教祖はそれ以上言わず、俺へ視線を向けた。答えるのは自分ではなく俺だと、そう告げているようだった。
俺は白い鎖を握りしめた。終天教団は、人類を終わらせようとした。教祖は安らかな死を与えようとし、幹部達はそれぞれの形で終焉へ縋っていた。そのやり方を認めることはできない。許せるはずもない。けれど、だからといって、あいつらが何も感じずに終わりを選んだわけじゃないことを、俺はもう知ってしまっている。
「俺は、終天教団のやったことを認めるつもりはない。人類を終わらせるとか、安らかな死を押しつけるとか、そんな結論は絶対に認めない」
「ならば、やはり君は私達の敵です」
犬神は即座に言った。待っていた答えが返ってきたとでも言うように、裁定線が俺の足元へ強く絡みつく。だが、俺はそこで言葉を切らなかった。
「でも、お前達の願いまで笑うつもりはない」
犬神の裁定線が、一瞬だけ止まった。
「苦しんでる人間を楽にしたかったことも、もう誰にも辛い死を見せたくなかったことも、それ自体まで踏みにじるつもりはない」
法廷の壁に浮かぶ文字が乱れた。秩序破壊者、敵対者、教団妨害者。そんな表示の中に、別の文字が混ざりかけて、すぐに白いノイズで塗り潰される。
「詭弁ですね。終焉を止める者が、終焉を望んだ者の願いを語る資格などありません」
「資格があるかどうかなんて知らない。でも、俺は終焉を止める。止めるけど、終焉に縋るしかなかった心まで否定したら、俺はお前達と同じ場所を見ないまま終わることになる」
百田が、裁定線に足を取られながらも俺の横へ一歩寄ろうとした。白い拘束が膝の辺りで光ったが、百田は歯を食いしばって止まらなかった。
「万津は、てめぇらの答えを認めてねぇだけだ。願いまで馬鹿にしてるわけじゃねぇ」
「百田解斗君、介入発言として記録します」
「好きにしろ。仲間が本気で言ってる言葉を、横で黙って聞いてるだけの方が俺には無理だ」
百田の声は真っ直ぐだった。理屈ではない。だけど、その真っ直ぐさが、犬神の白い法廷には一番入り込みにくいものなのだと思った。
最原は床に流れる裁定ログを見つめ、表情をさらに鋭くした。
「犬神さん、この法廷は万津くんを教団の敵として裁いていました。でも、今の彼は教団の願いを否定しきっていない」
「終焉を止める者は、教団の秩序を壊す者です」
「違います。あなたは、願いと結論を同一視している。万津くんは結論を拒んでいるだけで、願いの根までは切り捨てていない」
犬神の複眼に流れる文字列が乱れた。白い法廷は俺を敵として処理したいのに、俺の言葉を完全に敵意として分類できなくなっている。最原の指摘で、その矛盾が形になって浮かび上がった。
「おー、つまり犬神ちゃんの裁判って、相手を敵って決めつけないと動かない欠陥品なんだね」
王馬の投影体が、裁判長席の近くで足をぶらつかせながら笑った。
「分類不能の妨害発言として記録します」
「はいはい、記録だけなら好きにどうぞ。どうせその記録、もうぐちゃぐちゃだしね」
犬神は王馬へ白い判決札を向けたが、すぐにそれを下ろした。今は王馬を消すより、俺の言葉を処理する方が重要だと判断したのだろう。
教祖が、俺の横でゆっくりと口を開いた。
「万津君、君は私達の終焉を否定しながら、私達の願いを踏みにじらないのですね」
「俺には、教団のやり方を許すことはできない。でも、苦しみから救いたかったって願いだけは、なかったことにしたくない」
「犬神君、聞こえていますか。彼は私達を赦しているのではありません。私達が間違えた場所まで、見ようとしているのです」
教祖の声は優しかった。けれど、犬神にとっては、その優しささえ痛みだったのかもしれない。ロードスリーブースターのケープがわずかに震え、法廷全体の白い光が強くなった。
「……見たところで、何になるのですか」
その声は、さっきまでより少しだけ弱く聞こえた。怒りではない。嘲りでもない。ずっと隠していた疲れが、白い装甲の隙間から漏れたような声だった。
「君達は簡単に言いますね。見届ける、選び直す、別の道を探す。ですが、その間にも争いは続き、誰かは苦しみ、誰かは裁かれます」
「だから全部終わらせるのか」
「終われば、少なくとも次の争いは起きません。誰も間違えず、誰も裏切らず、誰も裁かれずに済みます」
犬神の言葉は、破滅を語っているのに、どこか祈りのようだった。すべて終われば、もう見なくて済む。もう判断しなくて済む。もう誰かを処分しなくて済む。そんな弱さが、白い法廷の奥から滲み出していた。
「それは、人を救うための法ではありません。あなたがこれ以上傷つかないための逃げ道です」
最原の声が法廷を切り裂いた。
「……探偵というのは、本当に嫌なところを見ますね」
犬神は小さく笑ったが、その笑いは前回の狂った笑いとは違っていた。剥き出しの破滅願望ではなく、見られたくなかった場所を見られた人間の笑いだった。
俺は白い鎖を強く引いた。鎖はまだ千切れない。だが、足元に浮かぶ文字が「秩序破壊者」から何か別の言葉へ変わりかけるのが見えた。
「犬神、俺はお前の終焉を止める。だけど、お前が弱かったことまで裁くつもりはない」
「弱さを見逃せば、秩序は崩れます」
「違う。弱さを隠すために全部終わらせようとするから、秩序まで壊れるんだ」
犬神のケープが大きく揺れた。法廷の床から白い処分線が伸び、俺達全員の足元を囲み込む。王馬の投影体はその線に触れた瞬間に崩れ、最原の周囲にも証言封鎖の文字が浮かんだ。百田は腕を上げて拘束を押し返そうとし、教祖は俺と犬神を交互に見つめている。
「万津、行け。てめぇが言うなら、俺達はそこまで道を作る」
百田の言葉に、俺は頷いた。王馬も薄く笑いながら、残った投影体を一斉に犬神の視界へ走らせる。
「にしし、犬神ちゃんってさ、裁く側にいないと自分が保てないんだね」
「黙りなさい。これ以上の弁護は、強制処分の妨害と見なします」
「それでも言う」
俺は犬神の声を遮った。白い処分線が足首に食い込み、胸の奥で教祖の残留データが静かに揺れる。それでも、ここで言葉を止めたら、犬神は自分の弱さごと白い処分の中へ沈んでしまう。
「終天教団の願いは、終焉じゃなくても拾えるはずだ」
その瞬間、法廷の裁定ログが大きく乱れた。俺の足元に浮かんでいた「秩序破壊者」の文字が、白いノイズに削られていく。犬神はそれを消そうとしたのだろうが、完全には間に合わなかった。
ほんの一瞬だけ、別の文字が見えた。
弁護者。
俺だけでなく、最原もそれを見ていた。王馬も、百田も、教祖も気づいたようだった。犬神の法廷が、俺を敵として言い切れなくなっている。終焉を止める俺の言葉が、教団の願いを踏みにじるものではないと、白い裁定システムそのものが認識し始めている。
「万津君、君の言葉は危険です。終焉を否定しながら、終焉に縋った者の願いを拾おうとする」
「危険でもいい。俺は、お前達の願いを終わらせるんじゃなくて、別の形で繋ぎたい」
「ならば証明してください。君の弁護が、私の処分よりも正しいのだと」
犬神が両腕を広げると、ロードスリーブースターのケープが法廷全体を覆い、白い処分線が一斉に俺達へ向かって走り出した。被告も証人も介入者も分類不能も関係なく、すべてをまとめて押し潰すための強制処分だった。
「万津くん、今の裁定ログを見ましたか」
「ああ、見えた。ほんの一瞬だけどな」
「弁護者、だってさ。にしし、裁判長様の法廷も、万津ちゃんを敵って言い切れなくなってきたね」
「だったら、こっからが本番だ。万津の言葉を、あいつのど真ん中まで届けるぞ」
百田の声が、白い処分線の轟きに負けず響いた。俺は白い鎖を握り直し、犬神の方へ踏み出す。
終天教団の終焉は認めない。人類を終わらせる願いを正しいとは言わない。それでも、苦しむ誰かを救いたかった心まで、俺は白い処分の中へ捨てたくなかった。
犬神はまだ俺を受け入れない。だけど、その法廷はもう、俺をただの敵として裁けなくなっている。
だから俺は、処分を振り下ろそうとする白い裁判長へ向かい、終焉に縋った者達の願いを踏みにじらないまま、別の道を証明するために走り出した。