ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
白い法廷は、静かに崩れたまま呼吸を止めていた。
さっきまで俺達を押し潰そうとしていた処分線は消え、床には割れた裁定文字だけが散らばっている。被告席も証人席も傍聴席も形を失い、白い破片になって法廷の隅へ流れていた。ロードスリーブースターの装甲を砕いた四人のライダーキックの余熱は、まだ足の奥に残っている。けれど、あの一撃は犬神軋を終わらせるためのものではなかった。
犬神は白い床に片膝をつき、変身解除された姿で静かに息を整えていた。敗北の悔しさよりも、自分の判決が止められたことをどう記録するべきか迷っているような顔だった。
「終わった、って言っていいのか」
俺がそう呟くと、最原が崩れた法廷を見回しながら首を横へ振った。
「戦闘は終わりました。ただ、犬神さんの裁定そのものが完全に消えたわけではありません」
「なら、今度は話して決着つける番だな」
百田は腕を組みながら言った。さっきまで白い処分線を力ずくで押し返していたせいか、肩で息をしている。それでも、あいつの声にはいつもの強さが残っていた。
「にしし、裁判長様が負けた後にどんな言い訳するのか、ちょっと楽しみだよね」
王馬は砕けた傍聴席の上に腰掛けるような仕草をして、まだ薄く残っている投影光を指先で弾いた。軽い声を出しているが、その目は犬神の反応を見逃していない。
犬神はゆっくり立ち上がり、白い服の埃を払うように指先を動かした。
「言い訳はしませんよ。敗北は記録済みですから」
「記録済みって、そういうところは変わらないんだな」
俺が言うと、犬神は困ったように微笑んだ。
「変わるべき部分と、残しておくべき部分があります。少なくとも、記録を失えば私はまた同じ誤りを繰り返すでしょう」
犬神が崩れた裁判長席の奥へ視線を向けると、白い壁に細い扉が浮かび上がった。扉には法務省の紋章が刻まれており、その周囲には薄い裁定文字が輪のように流れている。
「こちらへどうぞ。君達に見せておくべき記録があります」
「記録って、俺達の裁定記録か」
「ええ。正確には、終天教団が君達をどう処理する予定だったのか、という記録です」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が重くなった。俺達がどう見られていたのか、終天教団が俺達を何として扱っていたのか。それを知るのは、敵の弱さを見るのとは違う痛みがある気がした。
教祖は俺の横で、半透明の姿のまま犬神を見つめていた。
「犬神君、君がそれを見せるということは、判決を終わらせるのではなく、見直すつもりなのですね」
「見直す、という表現は少し不正確です。私はまだ、結論を出せていないだけですよ」
犬神はそう言い、白い扉へ手をかざした。扉が音もなく開き、奥に広がる記録庫が姿を現す。
そこは、法廷よりもさらに静かな場所だった。白い棚が果ての見えないほど並び、それぞれに薄い光を帯びた記録板が収められている。棚の間には裁定線が走っているが、さっきまでのように誰かを縛るための線ではなく、記録同士を繋ぐ索引のように見えた。
「ここは、ただの資料室ではありませんね。裁定の根拠そのものが保管されている」
最原が低く言うと、犬神は頷いた。
「法務省最高幹部の役目は、秩序の維持です。記録がなければ、秩序はただの感情になります」
「でも、記録があっても間違える時は間違えるよね。さっき犬神ちゃんが証明してくれたし」
「君の発言は、できれば記録したくありませんね」
「えー、ひどいなぁ。オレの言葉って後世に残す価値あるのに」
王馬がわざとらしく肩を落とすと、犬神は本当に困った顔をした。少し前までなら、王馬の言葉を分類不能として処理しようとしていただろう。けれど今の犬神は、すぐに処分へ進まず、ただ扱いに困っているように見えた。
犬神は白い棚の一つへ歩き、そこから一枚の記録板を取り出した。記録板には、俺の名前が刻まれている。
「対象、万津。分類、秩序破壊者。教祖変質の原因。終天教団終焉計画妨害者。処分対象」
「言いたい放題じゃねぇか」
百田が不機嫌そうに眉を寄せると、王馬が横から楽しそうに覗き込んだ。
「すごいね万津ちゃん。履歴書に書けそうな肩書きがいっぱいだよ」
「笑えないだろ、それ」
「笑えませんね。少なくとも、戦う前の私なら、この記録を正しいものとして処理していました」
犬神は記録板を俺へ向けた。そこに刻まれた文字は、ただの敵意ではない。終天教団が俺をどれだけ危険視していたのか、その理由が冷たい言葉で整理されていた。
「今は違うんですね」
最原が問いかけると、犬神は少しだけ沈黙した。
「違う、と断言するのはまだ早いです。ただ、この記録だけでは君を裁けないことは分かりました」
俺は記録板を見つめた。秩序破壊者。処分対象。その言葉は完全に間違いではないのかもしれない。俺は教団の終焉計画を止めたし、教祖を変えた。犬神の白い法廷を壊し、処分の判決を蹴り砕いた。それを破壊と呼ぶなら、俺は確かに破壊したのだと思う。
けれど、それだけでは終わらせたくなかった。
「万津君。君は、この記録をどう書き換えられたいのですか。無罪、救済者、弁護者、あるいは教団協力者ですか」
「どれも違う」
俺はすぐに答えた。無罪と書かれても違う気がした。救済者なんて言葉は重すぎるし、弁護者という表示も、あの場で必要だっただけのものかもしれない。
「では、何を望むのですか」
「俺が逃げないか見ていてくれ」
犬神の目が、わずかに細くなった。最原も、百田も、王馬も、教祖も、俺の言葉を待っている。
「俺が終焉も完成も解脱も拒むって言った以上、その道から逃げないか、お前の目で見届けてくれ」
その言葉を口にした時、自分の中で何かが少しだけ軽くなった。俺は正しいから見ろと言いたいわけじゃない。俺が絶対に間違えないから信じろと言いたいわけでもない。ただ、逃げないつもりで進むなら、逃げた時に気づく目が必要だと思った。
「万津君、君は裁かれないことではなく、見届けられることを望むのですね」
教祖が優しく言った。俺は頷く。
「俺は正しいって言い切れるほど強くない。間違えるかもしれないし、迷うかもしれない。だから、裁くためだけじゃなくて、俺が逃げないかを見る奴も必要だと思う」
犬神は記録板を見つめたまま、静かに息を吐いた。
「面白いですね。普通なら、自分を裁く者には裁定権を捨てろと言うものです」
「お前に裁くなとは言わない。ただ、裁く前に見ろ」
「裁く前に見る。法務省最高幹部としては基本ですが、私はいつの間にか、処分するために見ていたのかもしれません」
犬神の声には、負けた敵の悔しさよりも、自分の記録を読み直している者の静けさがあった。俺を裁こうとしていた犬神が、今は自分自身の裁定の癖を見つめ直している。
「あなたが今しているのは、裁定ではなく観測です。そこに興味を持ったなら、もう以前の犬神さんとは違います」
最原の言葉に、犬神は小さく笑った。
「変化を罪としていた私が変化するとは、皮肉なものですね」
「皮肉でもいいだろ。変わったからって、全部悪いわけじゃねぇんだしな」
百田がそう言うと、犬神は少しだけ目を伏せた。白い記録庫の光が、犬神の横顔を静かに照らしている。
犬神は記録板へ手をかざした。すると、「秩序破壊者」「処分対象」という文字が白いノイズに削られ始めた。完全に消えるわけではない。過去の記録として薄く残り、その上から新しい文字が刻まれていく。
「対象、万津。旧分類、秩序破壊者。旧判定、処分対象」
犬神の指先が、記録板の表面をゆっくりなぞる。
「新分類、裁定不能」
白い光が一瞬だけ強くなった。
「追加指定、要観測」
百田が首を傾げる。
「裁定不能って、結局どういう扱いなんだ」
「現時点では、法務省の既存分類で処理できない存在という意味です」
「にしし、つまり犬神ちゃんの辞書にない面白人間ってことだね」
「不本意ですが、だいたい合っています」
犬神がそう答えた瞬間、王馬は腹を抱えて笑いかけた。俺は少し呆れながらも、記録板に刻まれた新しい文字から目を離せなかった。
裁定不能。要観測。判決は下されていない。処分もされていない。ただ、見届けられる存在として記録された。
「万津君。君のこれからを見届けるのは、退屈しなさそうです」
「面白がるのか」
「ええ。法で処理できない存在が、自分の道をどこまで保てるのか。観測対象としては非常に興味深い」
「俺が間違えたらどうする」
俺が問い返すと、犬神は記録板を棚へ戻し、俺へまっすぐ向き直った。
「君が終焉より醜い道を選ぶなら、その時は私が裁きます」
「その時は止めに来い。でも、今は俺の先を見ていろ」
「承知しました。判決は保留、観測は継続とします」
その言葉は、仲間になるという宣言には聞こえなかった。けれど、敵として処分するという判決でもなかった。犬神らしい、曖昧で、保留で、少しだけ面倒な協力の形だった。
教祖は犬神を見つめ、静かに微笑んだ。
「犬神君、君は私の命令ではなく、自分の判断で万津君を見届けるのですね」
「教祖様の命令であれば、私はまた法務省最高幹部として従ってしまうでしょう。ですが、今回は違います」
「ええ。その方が良いのでしょうね」
「私は、万津君のこれからが面白いと感じています。その感情が適切かどうかは、まだ判断できませんが」
「判断できないものを、すぐに処分しない。それだけでも、君は変わっていますよ」
犬神は答えなかった。けれど、その沈黙は拒絶ではなかった。教祖に従う幹部ではなく、自分の判断で俺を見る者として、犬神はそこに立っていた。
その時、記録庫の奥で別の棚が光った。白い記録板が四枚、順番に淡い光を帯びる。
「私の記録が書き換わったことで、他の幹部達の裁定記録にも揺らぎが生じています」
「他の幹部達というと、丑寅さん、伊音さん、黒四館さん、伏蝶さんですね」
最原が名前を挙げると、犬神は頷いた。
「ええ。彼らの願いは、私のものより単純ではありません」
「上等だ。どんな奴が来ても、万津の道は俺達が支える」
百田の言葉に、俺は少しだけ苦笑した。簡単に言うけど、たぶん次も簡単じゃない。それでも、百田がそう言ってくれるだけで、少しだけ前を向ける。
「にしし、次は誰の記録を覗く? やっぱりヤバそうなやつからいこうよ」
「覗くんじゃない。向き合うんだ」
俺が言うと、王馬はわざとらしく肩をすくめた。
「はいはい、万津ちゃんは真面目だねぇ」
犬神は俺の言葉を面白そうに聞いていた。
「その言い方もまた、興味深いですね。処分対象だった君が、今では記録の先へ向かおうとしている」
記録庫の中央に、俺の記録板が改めて浮かび上がった。そこには、犬神が書き換えた新しい分類が静かに刻まれている。
対象、万津。
旧分類、秩序破壊者。
新分類、裁定不能。
追加指定、要観測。
判決、保留。
「万津君。君のこれからを、私は見届けます」
「ああ。逃げないところを見ていてくれ」
「そして、もし君が自分の道を見失った時は、遠慮なく裁定します」
「それでいい。止められる覚悟がないなら、誰かを救うなんて言えないからな」
王馬が横から大きくため息をついた。
「うわぁ、真面目すぎて胃もたれしそう。犬神ちゃん、万津ちゃん観測日記でも付けるつもり?」
「悪くありませんね。記録名は、裁定不能案件・万津観測録としましょう」
「本当に付ける気かよ」
百田が驚いたように言うと、最原は少しだけ笑った。
「でも、犬神さんらしい協力の形かもしれません」
俺はそのやり取りを聞きながら、白い記録庫の奥を見つめた。次に向き合うべき幹部達の記録が、静かに俺達を待っている。犬神の判決は保留された。けれど、終天教団の願いそのものはまだ終わっていない。
犬神が俺の未来を裁定不能として記録したことは、許されたという意味ではない。俺が逃げれば、犬神はきっと裁く。俺が終焉より醜い道を選べば、今度こそ止めに来る。
それでも、今の犬神は俺を処分対象ではなく、見届ける価値のある存在として見ている。
だから俺は、その視線を背負って進むしかない。
白い記録庫の奥で、次の幹部へ繋がる扉が静かに開いた。俺の判決は保留されたまま、裁定不能の道は、まだ終わらない先へ続いていた。