ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
診察室の床に広がった赤黒い採取陣は、俺の足元から夢の糸を引き抜き続けていた。
身体を縛られているだけなら、まだ抵抗のしようがあったかもしれない。けれど、今引っ張られているのは腕や足ではなく、夢の奥にある俺自身の輪郭だった。記憶でも感情でもなく、俺が俺であると感じている場所へ、冷たい器具を差し込まれているような感覚が続いている。
モニターには、無機質な文字が流れていた。
夢構造採取、進行中。人格補填用コア、抽出準備。妹再生計画、最終補填段階。対象、万津。意識抵抗、継続。
「ぐっ……夢の奥を、直接引っ張られてるみたいだ」
声を出した瞬間、胸の奥でデュアルメアの反応が乱れた。カタストロムの痕跡が赤黒い糸に触れられ、焼けるような痛みが頭の奥へ広がっていく。
東条がリカバリーの光を俺へ伸ばしながら、静かに呼びかけてきた。
「万津君、私の声を追って。意識の輪郭を手放してはいけないわ」
彼女の声は、白いノイズの中でもはっきり聞こえた。俺はその声を頼りに、自分の名前を胸の内で握り締める。万津。超高校級の不運。ゼッツに変身する者。終焉も完成も解脱も拒み、第三の道を探すと決めた者。
それを忘れたら、俺は丑寅の装置に切り分けられる。
「くそっ、採取陣の出力が上がってやがる。遅延処理だけじゃ、もう持たねぇぞ!」
入間はマシーナリーの解析アームを中核装置へ突き刺し、銀色の光を流し込みながら必死に操作していた。背中の小型アームが震え、複眼の表示が何度も乱れている。それでも彼女は、端末から手を離さなかった。
「接続線は防いでる。でも、床そのものが万津を引き込んでる」
春川はバリアを何重にも展開し、俺と妹再生体へ伸びる黒赤い接続線を弾き返している。防壁は硬く見えるのに、中核装置とロードファイブの出力が重なるたび、透明な面に細い亀裂が走った。
ロードファイブは、俺達を見下ろすように立っていた。丑寅幽玄の姿は装甲に隠れている。それでも、あいつが何を見ているのかは分かった。俺ではない。俺の夢構造でもない。あいつが見ているのは、救えなかった妹を救い直すための可能性だけだった。
「抵抗するな。お前の夢は、あいつを戻すために必要なんだ」
「丑寅、お前は今も妹を見てるのか。それとも、妹を救えなかった自分を見てるのか」
俺は採取陣に縛られながら問いかけた。ロードファイブの背部アームが止まり、赤黒い電流が装甲を走る。
「黙れ。俺はあいつを救うために、ここまで来たんだよ」
「救いたい気持ちは嘘じゃないと思う。けど、その子の怖いって声を消したら、お前は何を救うことになるんだ」
「怖がらせたままにする方が残酷だろうが。痛ぇまま、壊れたまま、震えたまま放っておけって言うのか」
丑寅の声には怒りがあった。けれど、その怒りの奥には、あの日からずっと残っている恐怖があった。妹が痛がっていた。妹が怖がっていた。妹が消えたくないと言っていた。丑寅は、その声から逃げるために、声そのものを消す方法へ辿り着いてしまったのだ。
「放っておけなんて言ってない。怖いって言えた声を、不具合扱いするなって言ってるんだ」
俺の言葉に、ロードファイブは答えなかった。代わりに中核装置がさらに強く鳴り、採取陣から伸びる夢の糸が増えていく。
入間が歯を食いしばりながら叫んだ。
「丑寅、てめぇの装置は動く。そこは認めてやるよ」
「なら、黙って見てろ。動くなら救える。動かないまま消えるよりは、ずっといい」
「違ぇよ。動くことと戻ることを一緒にすんな」
入間の声は震えていたが、言葉は折れていなかった。あいつは怖がりだ。けれど、怖さを知らないから立っているわけじゃない。怖いまま、許せないものへ手を伸ばしている。
「動かねぇ命を前にしても、同じことが言えんのか」
「言うしかねぇだろ。足りねぇところを別の誰かで埋めたら、妹だった部分がどんどん薄くなるんだよ」
入間の解析画面には、妹再生体の構成比率が映っていた。身体データの一部、記憶断片の一部、感情ログの一部、そして別の患者データから補われた膨大な継ぎ接ぎ。そこに万津の夢構造を入れれば、確かに動くものは完成するのかもしれない。けれど、完成すればするほど、丑寅が取り戻したい妹からは遠ざかっていく。
「怖ぇけど言ってやる。てめぇは妹を直してるんじゃねぇ。妹の形をした、てめぇが安心する機械を作ろうとしてるんだよ」
その言葉は、診察室の空気を切り裂いた。ロードファイブの装甲が軋み、背部アームの一本が反射的に入間へ向く。春川が即座にバリアを差し込み、赤黒い電撃を弾いた。
「入間を黙らせても、言われたことは消えないよ」
春川の声は冷たいが、その防壁は揺れていた。守る対象が多すぎる。俺、入間、東条、妹再生体、患者データ、そして伸び続ける採取陣。彼女は一人で全部を見て、防いで、穴を塞いでいた。
東条は妹再生体へリカバリーの光を送りながら、丑寅へ向き直った。
「今その子に必要なのは、足りない部分を押し込むことではないわ」
カプセルの中で、白い少女の形をした再生体が震えている。未完成の顔に浮かぶ表情は、妹のものなのか、別の誰かのものなのか分からない。けれど、声は確かに出ていた。
「……ここは、どこ……わたしは……だれ……」
その声に、ロードファイブの動きがわずかに鈍った。
「まだ記憶が足りねぇだけだ。待ってろ、すぐに埋めてやる」
「なら、どうしろって言うんだ。怖がってるのを見て、声を聞いてるだけで救えるのか」
丑寅は東条へ怒鳴った。東条はその怒鳴り声を受けても、リカバリーの光を乱さなかった。
「聞くことは、救う前に必要なことよ。恐怖を消すことではなく、怖いと言える場所を作ることが必要なの」
妹再生体は、消え入りそうな声で続けた。
「……こわい……でも……きこえる……」
「その声を消してしまえば、あなたが救いたい相手は、もう自分の声で助けを求められなくなるわ」
東条の言葉は優しかった。けれど、それは慰めではない。丑寅が目を逸らし続けた事実を、静かに差し出す言葉だった。
ロードファイブは、背部アームでカプセルを指した。
「守るだけじゃ何も戻らねぇ。盾を張って見てるだけで、失ったものが返ってくるのか」
その言葉は春川へ向いていた。春川は防壁を維持しながら、短く息を吐いた。
「返ってこないよ。だからって、勝手に作り直していい理由にはならない」
「守れなかったやつに、次は完璧な場所を作ってやりたいと思うのが悪いのか」
「完璧な場所って、逃げ道のない檻のことじゃないでしょ」
「檻じゃねぇ。二度と傷つかない場所だ」
「守りたいなら、相手が逃げられる距離も残しなよ。あんたの腕の中しか安全じゃないって決めつけるな」
春川の言葉に、俺は胸を刺されたような気がした。守ることは閉じ込めることじゃない。犬神の法廷で俺が言った「裁く前に見ろ」という言葉と同じように、相手を決めつけず、声が出る距離を残すことなのだと思った。
犬神が一歩前へ出た。白い裁定光が彼の周囲に浮かび、法務省の文字列が診察室の赤黒い光を裂くように並び始める。
「丑寅君。判決保留対象への強制採取、妹再生体への人格削除未遂、治療目的を逸脱した再構築を確認しました」
「法務省の裁定なんざ、今さら持ち出すな。俺はもう、標準手続きじゃ救えなかった場所にいる」
「それでも、君の行為は観測範囲を超えています。必要なら、私が裁定を再開します」
犬神の声は本気だった。白い法廷で俺を裁いた時と同じ冷たさが戻っている。丑寅を止めるだけなら、それは最短の手段かもしれない。
けれど、俺は首を振った。
「犬神、待ってくれ」
「万津君、君の夢構造は既に危険な状態です。裁定による停止が必要かもしれません」
「俺は、裁く前に見ろってお前に言った。だったら俺も、丑寅を裁く前に見なきゃいけない」
犬神はしばらく俺を見ていた。白い裁定光は消えず、けれど強くもならなかった。
「……承知しました。判決は保留、観測を継続します」
犬神が引き下がった瞬間、ロードファイブが低く笑った。
「甘いな。俺なんか見たって、治せるものは何もねぇぞ」
「見なきゃ分からない。お前がどこで間違えたのかも、お前の願いのどこがまだ残ってるのかも」
採取陣の出力がさらに上がる。俺の意識は薄くなりかけていたが、東条の声と入間の怒鳴り声と春川の防壁音が、まだ俺をここに繋いでいる。
ロードファイブは、初めて装甲の奥から絞り出すような声を出した。
「俺がもっと早く痛みを取っていれば、あいつはあんな声を出さずに済んだんだ」
「その声を聞いたことが、お前をここまで連れてきたんだな」
「あいつは怖がってた。痛がってた。消えたくないって言ってた。なのに、俺は間に合わなかった」
丑寅の声が震えていた。ロードファイブの重装甲の奥にいる男は、ずっとその瞬間に置き去りにされていたのだと思った。妹が怖いと口にした時、痛いと泣いた時、消えたくないと縋った時、何もできなかった自分を、あいつは今も手術台に縛りつけている。
「だから、今度は恐怖も痛みも消そうとしているのね」
東条の言葉に、ロードファイブは頷くように背部アームを下げた。
「そうだよ。怖いなんて言わせねぇ。痛いなんて言わせねぇ。二度とあんな顔をさせない」
「でも、そのために今の声を消したら、救えなかったあの日と同じことを繰り返すだけだ」
俺の声は、思っていたより弱かった。それでも、言葉は届いたはずだ。ロードファイブは動かなかった。中核装置の音だけが、診察室を満たしている。
「丑寅、俺はお前の願いを笑わない」
「だったら、邪魔するな」
「妹を救いたかったことも、痛みを取ってやりたかったことも、怖がらせたくなかったことも、その全部まで否定するつもりはない」
「なら、俺は間違ってねぇ」
「違う。願いが本物でも、やり方がその子の声を消すなら、俺はお前を止める」
カプセルの中で、妹再生体が震えながら声を出した。
「……こわい……きえたく、ない……」
その声は小さかった。けれど、丑寅が求めていた「兄さん」という言葉より、ずっと大事なものだった。
「ほら、まだ声がある。お前が聞かなきゃいけない声が、まだ残ってる」
ロードファイブは、一瞬だけ揺らいだ。赤黒い電流が弱まり、背部アームの一部が下がる。けれど、次の瞬間、採取陣が最大出力へ切り替わった。
「声が残ってるなら、消えないように補えばいい。怖がるなら、怖さを取ればいい。足りねぇなら、お前の夢で埋めればいい」
「駄目だ、こいつ止まる気がねぇ。採取陣の出力が限界まで上がってる!」
入間の叫びに合わせて、マシーナリーの解析画面が赤く染まる。東条は俺へリカバリーの光を伸ばし続け、春川は防壁を一点に絞った。
「万津君、意識の輪郭が薄くなっているわ。自分の名前を手放さないで」
「防壁を一点に絞る。全員、万津から離れないで」
犬神は静かに記録板を浮かべた。
「観測記録、更新。丑寅幽玄、修復ではなく執着による再構築へ完全移行」
「執着でも何でもいい。救えなかったより、ずっといい」
その言葉と同時に、夢の糸が一気に引き抜かれた。俺の視界が白く飛び、診察室の赤黒い光が遠くなる。自分の名前がほどけかけ、誰かの欠けた部分へ流し込まれそうになった。
けれど、その瞬間、俺の夢の奥で別の反応が生まれた。
採取陣が俺を素材として切り分けようとしたことで、逆に俺の中の何かが、中核装置そのものを読み返し始めた。赤黒い改変構造が、白い光に触れられて分解されていく。俺から奪おうとしていた糸が、今度は診察室全体の歪みを俺へ伝えてくる。
モニターが次々と異常表示へ切り替わった。
夢構造、異常再同期。採取対象、自己再定義反応。オルデルム適合波形、検出。再構築領域、逆解析開始。
「何だ、この反応は。採取じゃねぇ、装置側が解析されてるのか」
ロードファイブの声に、初めて明確な動揺が混ざった。
「万津の中から逆流してる……! おい、これ中核装置の改変構造を読みにいってるぞ!」
入間が驚きながら叫ぶ。犬神も目を細め、白い記録板へ新しい文字を刻んでいた。
「丑寅君、君の再生領域そのものが、万津君の夢に解析され始めています」
俺は、薄れかけた意識を繋ぎ直した。胸の奥で、オルデルムへ繋がる反応が確かに脈打っている。これは、誰かを都合よく作り直す力じゃない。改変されたものを読み解き、本来向き合うべき形へ戻すための力だ。
「丑寅……次で終わらせる。お前の願いを踏みにじるんじゃない。お前が消そうとしてる声を、元の場所へ戻す」
「できるもんならやってみろ。俺は、あいつを救うためなら何度でも直す」
赤黒い採取陣と、俺の中から生まれた白い再構築の光が診察室の中央でぶつかった。妹再生体はカプセルの中で震えながら、それでも「こわい」という声を消さずに残していた。
その声が聞こえている限り、まだ終わっていない。
俺は採取陣の痛みを踏み越え、次の戦いへ向けて拳を握った。