ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
丑寅幽玄との戦いが終わった白い診察室には、まだ青白い残光が漂っていた。
妹再生計画の中核装置は、オルデルム・エンダーによって完全に停止している。赤黒い採取陣は床から消え、妹再生体へ伸びていた強制接続線もほどけ、あの場所はもう誰かを作り直すための装置ではなくなっていた。
けれど、終わったはずの中核装置の奥で、別の光が点滅していた。
入間が最後に残していった解析ログには、保健省の修復コードとは別系統の設計が映っていた。冷たく、無駄がなく、丑寅の後悔や焦りすら計算資源として扱うような、感情の温度がない設計だった。
「このコード、丑寅の修復装置に後からくっついたんじゃねぇ。最初から中核の奥に仕込まれてやがった」
記録音声の中の入間は、疲れた声でも怒りを隠していなかった。
「つまり、妹再生計画は丑寅だけの研究じゃなかったのか」
俺が呟くと、犬神が白い記録板を指先でなぞった。法務省の白い光とは違う、青白いコード列が記録板の上を走っている。
「科学省最高幹部、伊音テコ君でしょう。彼の設計思想なら、人格補填を効率化の一部として扱えます」
「だったら、次はそこへ行く。丑寅の願いまで実験材料にしていたなら、見過ごせない」
俺がそう言った瞬間、停止していた中核装置の奥で、青白いコードが一斉に起動した。
白い診察室の壁が透けていく。床も、天井も、遠くにあったはずの扉も、透明な板を何枚も重ねたような構造へ変わっていった。足元には確かに床があるのに、下が見えすぎるせいで、どこまでが道でどこからが落下なのか分からない。
モニターが、誰かの目のように開いた。
科学省コード、起動。進化先導学研究所、接続開始。観測対象、再選定。夢構造異常体、誘導。
「領域が上書きされています。法務省でも保健省でもない、科学省の観測空間です」
「床があるのに、足元が見えない。歩くだけで試されてるみたいだ」
俺が言った途端、透明な壁の奥から、少年のものとも機械音声ともつかない声が響いた。
「試験ではありません。観測です。対象が勝手に反応し、勝手に分類されるだけです」
「お前が伊音テコか」
「名称認識、正常。対話可能性、低。観測続行」
その声に感情はなかった。犬神の裁定や丑寅の診断とも違う。目の前の相手を人として見てから判断するのではなく、最初から反応の塊として処理している声だった。
次の瞬間、透明な床の上に三つの光が落ちた。
最初に現れたのはキーボだった。彼は転送の揺らぎを受けてもすぐに体勢を整え、周囲の機械信号を読み取るように首を動かした。
「万津君、ここはどこですか。夢の中にしては、機械的な観測信号が多すぎます」
その隣で、夢野が杖を抱えるようにして立っていた。彼女は透明な床を見下ろして、気力を吸われたように肩を落とす。
「んあー、また妙な場所に呼ばれたのう。床が見えぬとは、歩く気力まで吸われるわい」
最後に茶柱が現れ、夢野の前に飛び出すように立った。彼女は足元の透明な床を一瞬だけ見て、それからすぐに周囲の気配へ意識を向けている。
「夢野さん、転子の後ろへ! 床が見えない場所など、男死以前に危険です!」
「巻き込まれたのか。悪い、たぶん俺達が追っていた科学省コードのせいだ」
俺が謝ると、キーボは迷いなくこちらを見た。
「万津君が原因だとしても、僕は責めません。友達が危険な場所にいるなら、僕も向き合います」
その言葉の直後、透明な壁の奥で観測光が強くなった。見えないはずの視線が、キーボの胸部へ集まっている気がした。
透明な研究所の各所で、無数の表示が浮かび上がる。
万津。夢構造異常。オルデルム適合反応、確認。危険度、上昇。素材価値、再評価。
「また素材扱いか。科学省でも、人を見る時はそういう表示になるのか」
「人ではなく、反応の集合として見ています。名称や感情は解析の邪魔になります」
テコの声は、少しも揺れなかった。
俺は丑寅の診察室で見た表示を思い出した。素材候補、人格補填用コア、夢構造高適合体。言葉を変えても、そこにいる人間の声を見ず、使える部分だけを切り出す発想は同じだった。
「君らしい分類です。ですが、分類は対象のすべてではありません」
犬神が静かに言うと、テコは即座に返した。
「法務省の裁定記録は参照済みです。裁定不能という曖昧な分類に意味はありません」
「困りましたね。曖昧さに意味がないと決めるのも、かなり曖昧な判断なのですが」
犬神は淡々としていたが、どこか面白がっているようにも見えた。
そのやり取りを遮るように、透明な床が揺れた。
夢野の足元だけが、まるで床が消えたように見える。彼女が「んあっ」と声を漏らした瞬間、茶柱が夢野の腕を掴み、同時に横から伸びた見えない機械腕を肩越しに受け流した。
「夢野さんを実験対象扱いするなど許せません! 見えない腕でも、触れた瞬間に投げ飛ばします!」
何もない空間が、茶柱の動きに合わせて歪んだ。透明な機械腕が床へ叩きつけられ、光の輪郭だけが一瞬だけ浮かぶ。
観測表示が更新される。
夢野秘密子。非科学的錯覚反応、強。ワンダー適合可能性、観測。
茶柱転子。保護衝動過多。身体反応速度、高。トランスフォーム適合可能性、観測。
「んあー、非科学的とは失礼なやつじゃ。これは魔法の素質と言うべきじゃろう」
「保護対象への反応速度、予測値を上回る。感情による身体制御の偏りを確認」
「偏りではありません! 夢野さんを守りたいという、転子の正しい判断です!」
茶柱は透明な壁へ向かって叫んだ。テコは返事をしなかったが、その沈黙さえ観測の一部にしているようだった。
次に、観測装置の光がキーボへ集中した。
透明な輪がキーボを囲み、機械的なスキャン音が研究所に響く。キーボの内部構造が一瞬だけ解析表示として浮かび、倫理判断モジュール、音声機能、出力系統、損傷許容値といった文字が並んだ。
そして、ある単語のところで表示が止まった。
キーボ。機械知性体。倫理判断モジュール、確認。友情反応、保持。協力効率外の行動選択、検出。分類保留。
「興味深い。機械でありながら、非合理な情動反応を保持している」
テコの声が、ほんの少しだけ深くなった。
それは興味なのか、不快感なのか、まだ分からなかった。
「友情を非合理と呼ぶのは、理解ではなく分類です」
キーボははっきりと言った。透明な観測装置へ向けて、逃げずに言葉を返している。
「友情は協力効率を上げるための情動プロトコルです。個体が損傷を選ぶ理由にはなりません」
「僕は、損傷する可能性を理解した上で、友達の隣に立つことを選びます」
「キーボを道具みたいに分類するな。あいつは自分で選んでここにいる」
俺が言うと、透明な研究所の床が細かく揺れた。テコが怒ったのか、それとも観測条件を変えただけなのかは分からない。
モニターに新しい表示が出る。
友情反応、再検証。対象分断、開始。視認不可壁、展開。落下錯覚、誘発。
見えない壁が俺とキーボの間へ差し込まれた。何もない空間へ手を伸ばすと、硬い板に触れる。透明すぎて、どこに境目があるのか分からない。
夢野と茶柱の足元も別方向へ傾き、二人を遠ざけるように床の透明なラインがずれていく。
「んあー、見えぬ壁に見えぬ床とは、ずいぶん陰湿な仕掛けじゃな」
「夢野さん、転子の腕を離さないでください! 見えなくても、相手の力の流れは読めます!」
「万津君、こちらからは見えませんが、声は届きます!」
キーボの声が、透明な壁越しに響いた。
「キーボ、そっちに壁があるなら叩いて音を返してくれ。見えないなら、別の方法で位置を知る」
「分かりました。音響反射で位置情報を共有します」
キーボが透明な壁を叩く。金属音が研究所内を反射し、見えない壁や床の輪郭が、音の遅れとして俺の耳に返ってきた。夢野がその音に合わせて杖を軽く振り、茶柱が足元の傾きを読みながら夢野を安全な側へ引いた。
「視覚情報を断たれても連携を維持。友情反応の有用性、限定的に確認」
「有用だから信じているのではありません。信じているから、届く方法を探すんです」
キーボの言葉が透明な研究所に響いた瞬間、科学省コードの奥で別の表示が浮かび上がった。
暗号化記録、浮上。対象、教祖。友人関係、秘匿。味方、最後まで。透明化処理、実行。
俺はその文字を見逃さなかった。教祖という言葉も、友人関係という言葉も、味方という言葉も、一瞬だけ確かにそこにあった。
「今の記録、教祖に関するものだったのか」
俺が声を上げた途端、表示は水面に沈むように消えていった。透明な壁の向こうで、誰かが慌てて隠したようにも見えた。
「確認できたのは一瞬です。しかし、今の語句は明らかに感情記録でした」
犬神の声は静かだったが、記録板を持つ指に少しだけ力が入っていた。
「観測対象外です。不要な感情記録は、解析精度を下げます」
「不要だから隠したのではなく、見たくないから隠したのではありませんか」
キーボの言葉のあと、研究所全体がわずかに軋んだ。
テコはすぐには返事をしなかった。ほんの短い沈黙だったが、今までの無機質な観測音の中では、はっきり異物として残った。
やがて、透明な観測装置が再起動した。
観測対象、登録完了。夢野秘密子、ワンダー反応候補。茶柱転子、トランスフォーム反応候補。キーボ、友情反応保持個体。万津、夢構造異常体。
「観測を継続します。あなた達が友情と呼ぶ反応が、どこまで非合理を正当化するのか確認します」
「確認したいなら見ていろ。友情は、お前が透明にしたら消えるものじゃない」
俺が言うと、夢野が面倒そうに息を吐きながらも、杖を透明な床へ軽く突いた。
「んあー、透明な舞台なら、次は魔法を見せる番じゃな」
「夢野さんの魔法を邪魔する装置など、転子が全部ひっくり返します!」
茶柱は夢野の横に立ち、いつでも動ける姿勢を取っている。キーボは透明な壁の向こうから、まっすぐこちらを見ていた。
「万津君、僕も一緒に進みます。解析対象ではなく、友達として」
「ああ。なら、見えない壁ごと越えていこう」
透明な研究所の奥に、扉が現れた。
ただし、扉そのものも透明で、輪郭だけが薄い青の線で浮かんでいる。その向こう側で、オレンジ色の線だけが人型の輪郭を描いた。
黒い装甲も、顔も、武器も見えない。
ただ、オレンジの線だけが、透明な人影の輪郭をなぞるように浮かんでいた。
透明舞台装置、第二階層へ移行。クリアシステム、準備中。ナイトインヴォーカー接続、待機。
「今のオレンジの線、ただの観測装置じゃないな」
「おそらく、テコ君自身の戦闘用システムです。姿を見せないまま戦場を作るつもりでしょう」
犬神の言葉に、俺は扉の奥を見据えた。
姿を消す敵。ルールを隠す舞台。友情を非合理と呼び、教祖との感情記録を透明化する科学者。
「第一観測は終了しました。次は、透明な舞台であなた達の行動選択を検証します」
「透明な舞台でも、僕達の選択までは消せません」
キーボがそう答えた。
俺は頷き、透明な扉へ向かって歩き出す。
「行こう。テコが何を隠してるのか、見えないままにはしない」
足元の床は相変わらず見えなかった。
けれど、キーボの音、夢野の杖、茶柱の足運び、犬神の記録光がある。見えないから進めないのではなく、見えないなら確かめながら進めばいい。
透明な研究所の奥で、オレンジ色の線がもう一度だけ光った。
テコの観測は始まったばかりで、俺達の選択も、まだ分類されきっていなかった。