ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
透明な研究所の奥で、オレンジ色の線だけが人の形を描いていた。
輪郭はそこにあるのに、身体が見えない。顔も、腕も、装甲も、影さえない。ただ、空中に縫いつけられた細い線だけが、誰かが立っていることを証明している。透明な床は白い光を反射し、俺達の足元には影の代わりに観測ログが流れていた。
クリアシステム、起動準備完了。ナイトインヴォーカー、接続。記録済み変身反応、制御モデル生成済み。友情反応、不要変数として除外。
その表示を見た瞬間、キーボの指がわずかに止まった。
金属の関節が音もなく固まり、彼の視線だけが「不要変数」という文字を追っている。テコは人の心を無視しているのではない。心という文字を、最初から透明な箱の外へ弾き出している。
「出てこい、テコ。声だけで人を分類していた時間は終わりだ」
俺が透明な人影へ声を投げると、オレンジ色の線が少しだけ傾いた。
「分類は距離を必要としません。ですが、制御検証には近接観測が有効です」
「んあー、観測だの検証だの、舞台に出る言い訳が長いやつじゃ」
ワンダーへ変身した夢野が、杖型デバイスを肩に乗せながら言った。装甲布が透明な空気の中で揺れ、紫と金の光が白い研究所に小さな色を落としている。
「夢野さんを見下ろす観測者など、転子が床へ叩き落とします!」
トランスフォームの茶柱は、装甲リングを光らせながら一歩前へ出た。
彼女の足元には力の流れを示す矢印が浮かぶ。けれど、透明な研究所はそれすら読まれているみたいに、床の角度を静かに変えていた。
オレンジ色の輪郭が腕を上げる。
見えない手が、見えない装置を掲げた。その縁だけが淡い光を反射し、ナイトインヴォーカーの形を一瞬だけ浮かび上がらせる。
「ノクスナイトシステム、科学省コードで再定義。可視装甲、不要。観測優位、確保」
『ナイトインヴォーク!』
透明な床の下で、黒い影が水のように広がった。
影はノクスのものに似ているのに、色がない。そこにあるはずの暗ささえ削り取られ、オレンジの線だけが影の骨格をなぞっていく。
『クリア!』
研究所の壁が一斉に透け、奥の奥にある観測カメラまで見えた。けれど、見えすぎるせいで何も掴めない。情報が多すぎる空間で、必要なものだけが消されている。
『ノクスナイト・クリア!』
テコの姿は、確かにノクスナイトだった。
ただし、黒い装甲はほとんど透明で、角度によって内部フレームの縁が硝子細工のように浮かぶだけだった。胸部のコアだけが淡いオレンジで脈打ち、その光が透明な床、壁、幕、階段へ細い神経みたいに伸びていく。
「これがノクスナイト・クリアです。姿が見えないのではありません。見る必要のない情報を削除しているだけです」
「お前にとって都合の悪いものは、何でも透明にするんだな」
俺の言葉に、テコは答えなかった。
代わりに、透明な幕が夢野の前で音もなく揺れた。
「見えぬ幕よ、もう一度ウチの魔法の幕になるのじゃ」
夢野が杖を振る。紫の光が幕の端を染め、観測カメラの角度をずらそうとした。さっきはその一振りで、機械腕が空の箱へ誘導された。けれど今度は、幕の光が白い補正線に縫い留められる。
ワンダー反応、制御モデル適用。観測角度、固定。錯覚誘導、補正。
「同じ演目は二度通用しません。観測角度を固定すれば、錯覚はただの表示誤差です」
「んあー、ウチの魔法を表示誤差呼ばわりとは、客の態度が悪すぎる」
夢野は軽く言ったが、杖の先がわずかに下がった。
透明な幕に映っていた星屑の光が、白い格子に塗り潰されていく。舞台から色を剥がされるみたいな光景だった。
「夢野、無理に同じ手を使うな。あいつは前の動きを読んでる」
「分かっておる。分かっておるが、魔法をメモ帳扱いされると、さすがのウチも少し面倒では済まんのじゃ」
その間に、茶柱が透明な機械腕へ踏み込んだ。
「押してくる力なら、横へ流します!」
茶柱の装甲リングが回り、力の矢印が横へ倒れる。
けれど、機械腕の出力方向が触れる直前で変わった。横へ流すはずだった力は突然下向きに落ち、茶柱の足元の透明な床を沈ませる。
トランスフォーム反応、制御モデル適用。外力方向、直前変更。変換先、封鎖。
「くっ……読んだ力の流れが、触れる寸前で変わりました!」
「外力変換は、入力方向が安定している場合に有効です。ならば入力を固定しなければいい」
テコの声は、ガラス板の向こうから手術の手順を読み上げるみたいだった。
茶柱は膝をつきかけたが、すぐに床へ掌をついた。透明な面に橙のリング光が広がり、沈んだ床の角度をかろうじて止める。
「茶柱さん、右後方から追加の機械腕です!」
キーボが叫ぶ。
しかし、キーボの声が届くより早く、オレンジの線が横切った。
俺の肩に見えない衝撃が掠め、装甲もないのに骨の奥へ冷たい痺れが走った。少し遅れて、空中にノクスナイト・クリアの腕の輪郭が浮かぶ。攻撃が終わってから、ようやく見える。
透明な床から壁が伸び、夢野と茶柱の退路を塞ぐ。キーボが音響反射で位置を読もうと壁を叩いたが、反射音が返る前に透明装置の位置が入れ替わった。
「視覚、聴覚、接触反応。全て記録済みです。あなた達の認識経路は、透明な舞台で分解できます」
「全部見えてるつもりで、友情だけ見ないのはずいぶん都合がいいな」
「不要な変数を削除するのは、解析の基本です」
ノクスナイト・クリアの姿が消えた。
オレンジの線すら薄くなり、研究所の白い光の中へ溶ける。俺は胸の奥で、心臓の音だけがやけに大きく聞こえた。どこから来るか分からない攻撃を待つ時間は、雨雲の下で雷を数える時に似ている。音が鳴る前に空気が張り詰め、肌だけが先に痛む。
「転子、見えぬ幕は破るより、めくる方が早いぞ」
夢野の声が、透明な空間を斜めに切った。
茶柱は振り向かなかった。けれど、彼女の足元のリングが、夢野の声に合わせて半回転する。
「了解しました、夢野さん。なら転子が、舞台ごとめくります!」
夢野はワンダーの杖で幕を攻撃しなかった。
透明な幕の端だけを紫の光でそっと浮かせる。まるで、隠し扉の取っ手に指をかけるような動きだった。茶柱がそこへ踏み込み、破壊ではなく反転へ力を変える。
透明な幕が裏返った。
その一瞬、白い空間にオレンジの輪郭が露出した。
ノクスナイト・クリアの肩、腕、胸部コアが、薄い水彩の線みたいに浮かび上がる。
「見えた。今の動きは、テコの制御モデルに入ってない!」
「新規行動パターンを確認。記録を更新します」
テコの返答は早かった。
けれど、そのほんの数秒があれば十分だった。
「今の露出で、透明化処理の一部へアクセスできます。万津君、数秒だけ時間をください」
キーボは透明な観測ログへ手を伸ばしていた。
指先から伸びる細い解析光が、白いコードの隙間へ入り込む。
「分かった。キーボ、無茶はするなよ」
「無茶ではありません。友達のために必要な行動です」
キーボの言葉が、静かに落ちた。
その言い方はいつも通り丁寧なのに、透明な研究所の冷たい空気へ小さな金属音を立てて突き刺さった。
ノクスナイト・クリアの輪郭が再び薄れていく。
俺は見えない敵の前へ立った。夢野が透明な幕をずらし、茶柱が機械腕の向きを少しでも逸らす。どれも一瞬しか保たない綱渡りだったが、キーボの背中だけは見失わないようにした。
モニターに、隠されていたログが浮かぶ。
観測ログ、保護領域。友情反応、透明化済み。教祖関連記録、透明化済み。処理方式、一致。
「……見つけました。友情反応の透明化処理と、教祖関連記録の透明化処理が同じです」
その言葉の直後、透明な空間が水面みたいに揺れた。
白い壁の奥から、いくつかの文字が泡のように浮かぶ。
対象、教祖。友人関係、秘匿。最後まで味方。不要感情として透明化。解析精度低下、回避。
「最後まで味方……テコ、お前は教祖と何だったんだ」
俺が問いかけると、ノクスナイト・クリアの胸部コアが一瞬だけ強く光った。
けれど、返ってきた声に揺れはない。揺れていないように、硬く整えられていた。
「不要な記録です。現在の観測に関係ありません」
「関係があります。あなたは友情を知らないのではなく、友情を見えない場所へ隠しています」
「訂正します。隠しているのではありません。透明化しているだけです」
「それを隠してるって言うんだよ」
俺が言うと、研究所の天井から落ちる白い光が少しだけ暗くなった。
透明すぎる場所で、ほんの一瞬だけ何かの影ができた気がした。
次の瞬間、モニターが赤ではなく、ほとんど色のない警告に切り替わる。
クリアシステム、出力上昇。可視情報、最小化。友情反応、排除対象へ移行。観測妨害個体、キーボ。
オレンジの線が完全に薄れた。
何も見えない。音もない。床の振動さえ消える。
「キーボ。あなたの解析は不要変数へ接近しすぎています」
「不要かどうかは、あなた一人が決めることではありません」
キーボが答えた瞬間、透明な打撃が彼へ向かった。
目では追えない。けれど、胸の奥で何かが弾けるように分かった。俺は床を蹴り、キーボの前へ飛び込む。
衝撃が腹に入った。
息が潰れ、視界の端に白い火花が散る。透明な攻撃は見えないのに、痛みだけは形を持っていた。俺が膝をつく前に、夢野の紫の幕が視線をずらし、茶柱が透明な壁を反転させて追撃を逸らした。
「キーボを狙うなら、俺を越えていけ」
声は少しかすれていたが、言えた。
キーボが背後で息を呑むように黙る。機械である彼に息はないのかもしれない。それでも、その沈黙は確かに俺の背中へ触れていた。
「友情反応による損傷選択を確認。やはり非効率です」
「効率で前に出たわけじゃない」
俺は腹を押さえながら立ち上がった。
透明な床に、俺の靴底だけが白く映っている。傷も痛みも、この舞台では観測データにされるのだろう。それでも、キーボの前に立った事実だけは、テコの分類で薄めさせたくなかった。
夢野が幕の端を握り、茶柱が俺達の横へ滑り込む。
「んあー、嫌な採点表じゃ。こんなもの、魔法の舞台には不要じゃ」
「仲間を点数表みたいに並べるな!」
キーボは一歩だけ前に出ようとした。
俺は腕を横に出し、それを止める。彼は俺の腕を見て、少しだけ指を握った。
「テコさん。友情を透明化しても、あなたの中から消えたわけではありません」
透明な舞台の中心に、ノクスナイト・クリアの声だけが落ちる。
「ワンダー反応、制御可能。トランスフォーム反応、制御可能。夢構造異常、要解析。キーボ、不要変数への接近により優先排除」
透明な壁が四方からせり出し、俺とキーボを中心に舞台が狭まっていく。
夢野の幕も、茶柱の変換も、今度は届く前に角度を変えられてしまう。白い光が薄くなり、オレンジの線すら見えない場所で、テコの声だけが針みたいに残った。
「次は、友情という不要変数を排除します」
その言葉を聞いた瞬間、俺はキーボの方を見た。
透明な壁越しに、彼の白い装甲がぼんやり光っている。俺達の間には見えない線が何本も走っているのだろう。観測線、拘束線、排除対象を示す線。テコなら、それら全部に名前をつけられるのかもしれない。
けれど、俺が今見ているものには、たぶん別の名前がある。
透明な舞台に押し込められながら、キーボは真っ直ぐ立っていた。俺の前でも、俺の後ろでもなく、隣へ来ようとしていた。
その一歩を、テコは非効率と呼ぶ。
なら、次はその非効率ごと、透明な舞台へ叩き込んでやる。
俺の手の中で、まだ使っていないカプセムの反応が微かに脈打った。
インパクトゼロイダー。
名前だけを知っていた力が、キーボの光に呼応するように、透明な壁の中で小さく震え始めていた。