ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
透明な壁が、四方から音もなく迫ってきた。
壁そのものは見えない。けれど、近づいてくるたびに空気が薄くなり、声が遠くなり、足元の白い光が細く切り分けられていく。まるで研究所全体が、俺とキーボの間にあるものを一つずつ剥がし、最後には互いの名前だけを残そうとしているみたいだった。
モニターの文字が、透明な壁の奥で冷たく並ぶ。
友情反応、排除対象。対象、万津、キーボ。相互干渉、遮断開始。視覚、聴覚、通信、振動、順次制限。
「キーボ、聞こえるか!」
俺の声は、途中で削られた。喉から出た言葉が、透明な壁に触れた瞬間、細い糸みたいに裂けていく。向こう側でキーボの白い輪郭が揺れたが、表情までは見えない。
「万津君、音声通信が不安定です。透明壁が多層化しています」
キーボの返事も、途中で途切れた。
それでも、最後に残った「しています」の硬い響きだけが、壁の隙間を擦るように届いた。
外側では、ワンダーの夢野が杖を振り、透明な幕をずらそうとしていた。紫の光が薄い布のように舞うが、壁の重なりがそれを何層にも反射して、届く前に色を失わせる。
「んあー、あの壁、ただの透明な箱ではないぞ。声まで薄くしておる」
トランスフォームの茶柱が、見えない機械腕の力を掴んで横へ流す。だが、その力は途中で向きを変え、彼女の足元へ戻ってきた。茶柱は膝を沈めながら踏みとどまり、夢野の前から一歩も退かない。
「万津さんとキーボさんを分けるなど、卑怯にもほどがあります!」
透明な舞台の中心で、ノクスナイト・クリアの声が落ちた。
姿は見えない。オレンジ色の線すら消えかかっている。ただ、声だけが白い床を這うように届く。
「友情反応は相互干渉によって維持されます。干渉を遮断すれば、反応は自然停止します」
「キーボを切り離して、それで消したつもりになるのか」
「接続がなければ、反応は継続しません」
「お前、本当に何でも線で繋がってると思ってるんだな」
俺が壁に拳を叩きつけると、手応えだけが鈍く返ってきた。音は吸われ、振動も途中で止まる。テコの舞台は、俺達が届けようとするものだけを選んで薄めていた。
透明な拘束線が、キーボの腕と脚へ絡みついた。
白い装甲の表面に細い光が走り、キーボの頭部ランプが何度か明滅する。彼は膝をつかない。腕を引かれても、足を縫い止められても、まっすぐこちらを向いていた。
観測妨害個体、キーボ。友情反応保持個体。解析機能、制限。不要変数への接近、遮断。
「僕の解析機能を遮断しても、あなたの透明化処理が消えるわけではありません」
「解析を止めるためではありません。あなたの言葉が、他の対象へ影響するためです」
「つまり、キーボの言葉が怖いんだな」
「不正確です。言葉による行動補正が、観測精度を低下させます」
「それを怖がってるって言うんだよ」
返答の代わりに、透明な壁がさらに厚くなった。
キーボの声が、もうほとんど聞こえない。白い装甲の輪郭だけが、水槽の向こうに沈んだ星みたいにぼやけていた。
夢野が杖を壁へ向ける。紫の光は、壁の継ぎ目を探すように細く伸びた。
「転子、あの壁は破ると厚くなる。なら、揺らして継ぎ目を出すのじゃ」
「了解しました! 継ぎ目があるなら、転子が力の流れをそこへ集めます!」
茶柱は透明な機械腕を避けず、あえて受け止めた。腕が押してくる力を、彼女は正面から流さない。足元のリングを半回転させ、見えない力を夢野が示した一点へ集める。透明な壁に、髪の毛ほど細い紫の線が浮いた。
「んあー、今じゃ。壁にも幕にも、めくれる端はあるものじゃ」
「万津さん、キーボさん! 今なら声くらいは通せます!」
その瞬間、キーボが自分の胸部装甲を拳で叩いた。
金属音が、一度、透明な壁の中を走った。
次の音は途中で削られた。三度目の音はもっと小さくなった。それでも、音が消えた後に残る震えだけが、細い波紋となって俺の手元へ届いた。
「万津君、聞こえていますか!」
「音は途切れてる。でも、振動は届いてる!」
キーボはもう一度、胸を叩いた。
白い装甲に小さな傷が走る。拳を下ろすたび、彼の腕に絡む拘束線が強く締まる。それでも、キーボは叩くのをやめなかった。
「非効率な通信手段です。成功率は低い」
「成功率ではありません。届かせたい相手がいるから、届く方法を探しているんです!」
キーボの声は壁に削られながらも、最後の一語だけをこちらへ投げてきた。
探している。
その響きが、俺の掌に残った振動と重なる。
「友情は、協力効率を上げるための情動プロトコルです。個体が損傷を選ぶ理由にはなりません」
テコの声は、透明な刃物みたいだった。言葉の先端だけが鋭く、そこに温度はない。
キーボは少しだけ俯いた。胸部装甲に置かれた拳が止まる。透明な壁の奥で、白い指が一度だけ開き、それから強く握られた。
「違います!」
叫びは、壁にぶつかって割れた。
それでもキーボは、もう一度胸を叩いた。今度は金属音が長く伸び、透明な壁の中で白銀の波紋になった。
「友情は不要変数ではありません! 僕が友達の隣に立つために選んだ、僕自身の答えです!」
その言葉は、きれいな音ではなかった。
壁に削られ、通信に割られ、振動に混ざって、形を崩しながら届いた。けれど、壊れかけた音だからこそ、そこにキーボの拳の跡が残っていた。
「聞こえてるぞ、キーボ。その答え、俺にも届いてる」
キーボは顔を上げた。
透明な壁の奥で、彼の目元の光が強くなる。
「万津君、僕はあなたの装備ではありません。あなたの隣で戦う友達です!」
「ああ。だから俺も、お前を武器として使わない。一緒に戦うために、この力を使う」
俺の手の中で、カプセムが脈打った。
インパクトゼロイダーカプセム。今まで眠っていたそのカプセムが、キーボの声に応じるように白銀の光を放つ。透明な壁の中で、赤黒い観測光とは違う波紋が広がっていった。
未登録カプセム反応。インパクトゼロイダー反応、検出。キーボ、ゼロイダーリンク候補。万津、ゼッツドライバー接続。
「未登録合体反応。対象間の同期原因、友情反応……不可。不要変数は演算対象外です」
「演算から外したなら、読めなくて当然だ」
俺はカプセムを握り直した。
キーボの方を見る。透明な壁越しに、彼は小さく頷いた。
「万津君、僕のシステムを開きます。あなたの夢構造との同期を許可します」
「許可じゃない。頼む、キーボ。一緒に来てくれ」
キーボは一瞬だけ黙った。
白い胸部装甲の傷が、透明な光を受けて細く光っている。彼はその傷へ触れず、俺の方へ手を伸ばした。
「はい。僕は、僕の意思であなたと共に戦います」
俺はインパクトゼロイダーカプセムをゼッツドライバーへ構えた。
「インパクトゼロイダーカプセム……いくぞ、キーボ!」
「ゼロイダーリンク、開始します!」
カプセムを装填する。
『インパクトゼロイダー!』
白銀の衝撃波が、透明な床を走った。
キーボの身体から装甲の一部が光となって分離し、透明な壁をすり抜けるように俺へ向かってくる。俺の周囲でゼッツの装甲が展開し、そこへキーボ由来の白銀装甲が重なっていった。
『ゼロ・リンク! ゼロ・リンク!』
胸部にゼロイダーコアが形成される。
腕部と脚部には衝撃蓄積ユニットが装着され、背部にはキーボの補助演算ユニットが翼のように広がった。視界の中に、俺の感覚とは別の解析線が重なる。けれど、それは俺を上書きするものではなかった。隣から同じ景色を見ている光だった。
『グッドモーニングライダー!ゼッツ!インパクトゼロイダー!』
白銀と青の光が複眼に灯る。
俺の声とキーボの声が、同じ装甲の内側で重なった。
「インパクトゼロイダー、起動」
透明な壁が、初めて音を立てた。
俺は右拳を握り、透明な床へ叩き込む。
「まずは、見えない舞台の輪郭を出す!」
拳が床に触れた瞬間、白銀の衝撃波が円形に広がった。
透明だった壁にヒビのような光が走り、空中に隠れていた機械腕が骨格だけを晒す。観測カメラは白い点となって浮かび、階段、幕、拘束線、床の継ぎ目が波紋に合わせて次々と形を現した。
「んあー、透明な裏方が丸見えじゃ。これはなかなか派手な魔法じゃな」
夢野の声が弾んだ。
茶柱が、見えた機械腕へ飛び込む。
「今なら見えます! 見えるなら、転子が投げられます!」
茶柱は透明だった腕を掴み、トランスフォームの力で流れを変える。腕は自分の勢いで壁へ叩き込まれ、夢野がワンダーの幕で観測角度をずらした。二人の動きが、さっきまで届かなかった場所へ届き始める。
「透明舞台装置の輪郭が露出。原因は衝撃波……だけではない。同期反応が透明化処理へ干渉している」
ノクスナイト・クリアの声が、初めて少しだけ途切れた。
俺達の内部で、キーボの解析音声が響く。
「右上方、透明化反応。二秒後に打撃が来ます」
「分かった。こっちから合わせる!」
俺は右拳を振り抜いた。
見えない打撃と正面からぶつかる。衝撃が互いの間で弾け、白銀の波紋が空中へ広がった。ノクスナイト・クリアの腕の輪郭が、一瞬だけ露出する。オレンジの線と白銀の衝撃波が重なり、透明な敵に骨が生えたように見えた。
「友情を消したければ、まずこの衝撃を止めてみろ!」
「友情反応を出力因子として使用している。非合理です」
「非合理でも、僕達はここに届きました」
キーボの声が、俺の中から響く。
俺はもう一歩踏み込んだ。拳を床へ、壁へ、空間へ叩き込むたび、透明な舞台に白銀の波紋が走る。完全には見えない。ノクスナイト・クリア本体は、まだ姿を隠しきっている。けれど、さっきまで何もなかった場所に、今はヒビがある。
透明舞台装置、損傷。クリアシステム、補正開始。友情反応、排除失敗。教祖関連記録、再浮上。
研究所の奥で、また文字が浮かんだ。
最後まで味方。友達。透明化不可。
テコの声が、ほんの一拍だけ止まった。
白い空間の中で、その沈黙だけが色を持って見えた。
「記録の再浮上を確認。不要変数が、透明化処理を阻害している」
「不要じゃないから、戻ってくるんだろ」
「あなたが透明にしたものは、消えたわけではありません」
キーボの声に合わせて、ゼロイダーコアが光る。
胸の奥で、俺の鼓動とは違うリズムが鳴っていた。機械の音なのに、不思議と冷たくない。透明な研究所の白い光の中で、俺達だけが音を持っているみたいだった。
「次段階へ移行します。不要変数の根源を特定します」
ノクスナイト・クリアの輪郭が、再び透明の奥へ沈んでいく。
けれど、もう完全には消えない。衝撃波が走った場所には細いヒビが残り、白銀の波紋が舞台の継ぎ目を照らしている。
俺は拳を握った。
キーボの解析線が、俺の視界の端で静かに瞬く。
「行こう、キーボ。あいつが透明にしたものを、次はもっと深く揺らす」
「はい、万津君。僕達の衝撃は、まだ届きます」
透明な舞台の奥で、教祖関連コードが微かに明滅した。
テコが隠したはずの言葉は、ヒビの向こうで、まだ消えずに揺れていた。