ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ   作:ボルメテウスさん

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演劇 Part3

 黒い扉の向こうで、廊下は雨に濡れたみたいに光っていた。

 

 ただし、降っているのは水じゃない。天井から細いインクが落ちて、床に染みを作り、染みが文字へ変わっていく。教室の窓には外の景色ではなく黒板が映り、黒板には俺達の名前が何度も書かれていた。

 

 万津。赤松楓。夜長アンジー。星竜馬。

 

 その上から、別の文字がゆっくり重なる。

 

 王子様。奏でる乙女。祝福の画家。癒やしを拒む脇役。

 

 黒いインクが名前の上を流れ、俺達の輪郭に触れてくる。喉の奥に何かが貼りついたみたいで、自分の名前を言おうとすると、舌が一瞬だけ迷った。

 

『第三幕、役名固定。名前は、役を演じるための仮のラベルにすぎません』

 

 校内放送が、雨音に紛れるように流れた。

 黒四館の声は近くないのに、背中へ栞を挟まれるような感触だけは妙にはっきりしている。

 

「仮のラベルにしては、ずいぶん乱暴に剥がそうとしてくるな」

 

 俺が黒板へ言い返すと、腕に黒い文字鎖が絡みついた。

 鎖は金属ではなく、濡れた文章でできている。触れた部分から「王子様」という文字が肌に焼きつき、胸の奥でカタストロムの黒い鼓動が一度だけ鳴った。

 

 どくん、という音は心臓の裏側からした。

 その黒い響きに合わせて、黒板の「王子様」が濃くなる。

 

「万津君!」

 

 赤松が机を叩いた。

 タン、タタン、と不揃いな音が廊下へ転がり、腕の文字鎖がわずかに緩む。赤松は自分の喉に触れながら、黒板に書かれた「奏でる乙女」を睨んだ。

 

「呼び方を変えたくらいで、私の指が勝手に誰かの曲を弾くと思わないで」

 

『奏でる乙女。あなたは王子様を導く旋律を奏でるために配置されています』

 

「配置って言い方、ピアノの椅子より冷たいね」

 

 赤松がそう返した瞬間、廊下がページの折り目みたいに裂けた。

 床が四つの方向へ開き、それぞれの足元に章題が落ちる。

 

 王子役の教室。

 乙女役の音楽室。

 祝福の画家の美術室。

 脇役の退場口。

 

「分断する気か!」

 

「万津、足元見てー。物語がぱかーって開いてるよー」

 

「見れば分かるけど、その表現だと絵本の仕掛けみたいに聞こえる!」

 

「実際、悪趣味な仕掛け絵本だろうな」

 

 星が低く呟いた直後、黒い床が俺達を別々に引き込んだ。

 手を伸ばす間もなく、世界がページの隙間へ落ちていく。

 

 次に足が床を踏んだ時、俺は一人で教室に立っていた。

 

 教卓の上には花瓶が置かれ、窓の外には白い校庭が広がっている。黒板には、やけに綺麗な字で「王子役の教室」と書かれていた。机は全部こちらを向いているのに、生徒の姿はない。空席だけが、俺の台詞を待つ観客みたいに並んでいた。

 

『王子様は、ここで微笑み、仲間を救うと宣言します』

 

 黒板に文章が浮かんだ瞬間、口が勝手に開きかけた。

 舌の先に、俺のものじゃない台詞が乗る。

 

「俺は……」

 

 違う。

 その続きを言えば、俺はまた役名の形へ押し込まれる。

 

 腕に絡んだ文字鎖が締まり、胸の奥でカタストロムの鼓動が強くなる。黒い波紋が足元へ広がり、教室の床に王子の影が重なった。俺より背が高く、俺より迷いなく、俺より綺麗に作られた誰かの影だった。

 

「俺は、みんなを……」

 

 言葉が喉を通ろうとした瞬間、遠くからピアノの音が響いた。

 

 それは旋律と呼ぶには短い。

 けれど、俺の耳にははっきり届いた。万津、と呼ばれた気がした。声ではない。言葉にもなっていない。それなのに、赤松が俺の名前の形を音にして、教室の壁を叩いていると分かった。

 

 俺は歯を食いしばり、勝手に出かけた台詞を噛み砕いた。

 

「俺は、俺の言葉で言う。誰かに用意された救済宣言なんて、口に入れるだけで胸焼けする」

 

 黒板の文章にひびが入った。

 王子役の教室の表札が揺れ、扉の向こうに別の部屋の様子が映る。

 

 音楽室では、赤松が黒いピアノの前に立っていた。

 鍵盤は勝手に恋愛劇の旋律を鳴らし、楽譜には「王子を待つ乙女の曲」と書かれている。赤松の両手には細い五線譜の鎖が絡み、指を決められた鍵盤へ導こうとしていた。

 

『奏でる乙女。あなたの音は、王子様の登場を美しく飾るためにあります』

 

「勝手に飾りにしないで。音は、人を台の上に乗せるためだけのものじゃない」

 

 赤松は五線譜の鎖に引かれながらも、わざと外れた鍵盤を押した。

 不協和音が鳴る。黒いピアノは嫌がるように震えたが、その音が壁を抜け、俺の教室へもう一度届いた。

 

 次に見えたのは、美術室だった。

 アンジーの手首に黒い筆が絡みつき、キャンバスへ祝福の絵を描かせようとしている。そこに描かれかけていたのは、王子姿の俺と、顔を塗り潰された誰か。そして周りで花を撒くアンジー自身だった。

 

「にゃははー、ウチの手を使いたいなら、まず神さまに許可を取らないとねー」

 

『祝福の画家。あなたは物語の幸福な構図を描くために存在します』

 

「幸福な絵ってねー、描かれてる人が勝手に笑顔にされてたら、ちょっと怖いんだよー」

 

 アンジーは筆の先を無理やり横へずらし、王子の足元に大きな落とし穴を描いた。

 その落とし穴は雑で、妙に丸くて、黒四館の美しい構図とは全然合っていない。けれど、その一筆でキャンバス全体の整った空気が崩れた。

 

 最後に、退場口が映った。

 

 星は黒い扉の前に立っていた。

 扉の上には「脇役退場」と書かれ、足元の貸出カードから伸びた文字鎖が彼を奥へ引いている。カードの表には「癒やしを拒む脇役」、裏には「退場予定」「リカバリー不可」が濃く刻まれていた。

 

『癒やしを拒む脇役。あなたの役目は、王子様の成長を促すために退場することです』

 

「俺の退場まで、人の成長素材にする気か。ずいぶん便利な脇役だな」

 

 星は身体を低く沈め、扉の引力へ逆らった。

 指先がカードの「リカバリー不可」を押さえる。前回と同じ動きなのに、今度はもっと長く、文字の上へ自分の重さを乗せていた。

 

「癒えるかどうかも、退くかどうかも、カードに貸し出した覚えはねぇ」

 

 その言葉に合わせ、遠くで赤松の旋律が変わった。

 

 音は三つに分かれた。

 ひとつは軽く跳ねて、アンジーの美術室へ届く。ひとつは低く沈んで、星の退場口へ届く。そして真ん中の一音が、俺の胸の前で止まった。

 

 赤松は、言葉で俺達の名前を呼べない代わりに、音で呼んでいる。

 

 黒四館が本名を塗り潰しても、音は役名の上を滑ってくる。

 万津。アンジー。星。赤松自身。短い旋律が、黒い学園の中で互いの位置を結んでいった。

 

『奏でる乙女。名称機能を旋律へ変換する行為は、物語構造の乱れです』

 

「乱れでいい。きれいに整えられて、誰かの名前が消えるくらいなら、少しぐらい音が転んだ方がましだよ」

 

 赤松の声が、ピアノの音に重なる。

 俺の腕の文字鎖が緩み、教室の表札にひびが入った。アンジーの筆の軌道が自由になり、星の退場口の扉が軋む。

 

「赤松、聞こえてる!」

 

「うん、そっちも届いたなら上出来!」

 

「こっちにも来たよー。楓の音、ちょっと色がついてるねー」

 

「俺にも届いた。悪くない呼び方だ」

 

 星の短い返事に、赤松のピアノが一瞬だけ弾む。

 その音の隙間を、俺は逃さなかった。

 

 王子役の教室の黒板へ踏み込み、俺は腕に絡む文字鎖を掴む。鎖は「王子様」と何度も書かれた文章でできている。手のひらへ焼けるような感触が走り、胸奥のカタストロムがそれに合わせてまた鳴った。

 

 黒い鼓動が、俺を呼んでいる。

 黒四館の物語の奥から、終幕へ続く階段がちらつく。

 

『王子様、抗わないでください。その鼓動は、あなたが私の物語へ近づいている証です』

 

「近づいてるんじゃない。引っ張られてるだけだ」

 

『違います。私はあなたを導いているのです』

 

「導くって言葉、ずいぶん便利に使うんだな!」

 

 俺は鎖を壁へ叩きつけた。

 赤松の旋律が一拍強くなり、アンジーがキャンバスに白い線を引き、星がカードを閉じる音が重なった。三つの抵抗が、俺の拳へ細い支えをくれる。

 

 文字鎖が砕けた。

 教室の表札が割れ、王子役の教室の壁に亀裂が走る。俺は亀裂へ肩からぶつかり、ページの壁を破って廊下へ戻った。

 

 同時に、赤松が音楽室の扉を蹴り開けた。

 アンジーは落とし穴だらけになったキャンバスを抱え、星は貸出カードを二つ折りにしたまま退場口から歩いて出てくる。完全に壊せたわけじゃない。黒い文字はまだ俺達の足元へまとわりついている。それでも、表札だけはもう前より薄くなっていた。

 

「全員、戻れたな」

 

「うん。万津君の声、途中からやっと万津君に戻ってた」

 

「最初は俺じゃなかったみたいに言うなよ」

 

「ちょっと王子様っぽい声だったかも」

 

「それは今後一切忘れてくれ」

 

「にゃははー、記録して絵に残しておくねー」

 

「やめてくれ、アンジー。それは黒四館より別方向に怖い」

 

 軽口を返している間にも、黒板は廊下の中央にせり上がってきた。

 そこには、俺の名前が大きく書かれている。

 

 万津。

 

 その上から、王子様という文字が何層にも重なった。

 一層、二層、三層。塗られるたび、胸の奥の黒い鼓動が強くなる。カタストロムの反応は、さっきより近い。黒い文字が俺の心臓へ指を伸ばし、内側からページをめくろうとしている。

 

『名前など、役を演じるための仮の記号にすぎません。王子様、あなたはいつか、万津という呼び名さえ脱ぎ捨てるのです』

 

「脱ぎ捨てるって、ずいぶん綺麗な言い方をするな」

 

 俺は胸を押さえた。

 カタストロムの鼓動が、手のひらの下で黒い波を打っている。力はある。たしかにある。けれど、その波に乗った先で、俺の名前まで置いていくなら、それはもう俺が選んだ力じゃない。

 

 赤松が横に並んだ。

 彼女はピアノも机もない廊下で、自分の指を軽く鳴らした。小さな音が、黒い鼓動の横へ入り込む。アンジーはキャンバスの端に俺の名前を描き足し、星は折ったカードを黒板の下へ置いた。

 

 音と線とカード。

 どれも黒四館の物語から見れば、小さな乱れでしかないのかもしれない。けれど、その小ささが、今の俺には足場になった。

 

 黒板から巨大な役名の手が伸びる。

 指には「王子様」「救済」「終幕」「カタストロム」と書かれていた。手は俺の胸へ向かい、黒い鼓動を引き出そうとする。

 

「万津君!」

 

「万津ー、そっち行くよー!」

 

「立ってろ。倒れるにはまだ早い」

 

 三人の声と音が重なった。

 俺は一歩前へ出て、巨大な手の指を掴む。黒い文字が腕へ焼きつき、カタストロムの鼓動が喉元まで上がってくる。それでも、俺はその手を胸に入れさせなかった。

 

「名前を脱がせた先にいるのは、俺じゃない」

 

 黒い手に亀裂が走った。

 万津という文字が、王子様の下から薄く浮かび直す。完全には戻らない。けれど、消えてはいない。

 

 黒四館の放送が、少しだけ間を空けた。

 

『……名前に縋る王子様も、私は美しいと思います』

 

「褒めてるつもりなら、次から名前で呼べ」

 

『では、次はその名前を守るための力を見せてください。音も、絵も、癒やしも、役割を超えられるのか』

 

 黒板に新しい章題が浮かぶ。

 

 第四幕、三つの反抗。

 サウンド。アート。リカバリー。

 

 赤松の足元に、音符のような光が落ちる。

 アンジーのキャンバスの端に、色のついた小さなカプセムの影が映る。星の折った貸出カードの下から、淡い緑の光が漏れた。

 

 黒い学園の廊下は、まだインクの雨に濡れている。

 けれど、その雨の中で、俺達の名前はかろうじて読める形を保っていた。

 

 俺は黒板から目を離し、三人を見た。

 

「次は、こっちの番みたいだな」

 

「うん。名前を呼ぶ音なら、もう少し大きくできる」

 

「にゃははー、役割なんて上から塗り潰してやるのだー」

 

「治せないって決められた文字を、少しばかり返却してやるか」

 

 ページがまためくられる。

 黒四館の物語は、俺達をまだ逃がさない。けれど、次のページへ進む足音は、さっきまでより少しだけこちらの拍子を刻んでいた。

 

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