ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
インクの雨は、まだ廊下を叩いていた。
水たまりの代わりに黒い文字が足元で滲み、俺達の名前と役名を何度も混ぜ合わせていく。さっき砕いたはずの文字鎖は、細かな線になって床を這い、赤松の指先、アンジーの筆、星の貸出カードへまとわりついていた。
黒板には、白いチョークのような光で新しい章題が浮かんでいる。
第四幕、三つの反抗。
その文字の下で、三つの小さな光が揺れた。
赤松の足元には音符のように跳ねる青白い光。アンジーの前には絵の具を混ぜたみたいな多彩な光。星のカードの下からは、淡い緑の光が静かに漏れていた。
「次は、こっちの番みたいだな」
俺がそう言うと、赤松は濡れた廊下に落ちた音符の光を見下ろし、指を軽く曲げた。
彼女の手にはまだ五線譜の鎖が絡んでいる。鍵盤へ導こうとする黒い線が、指の関節をなぞるたびに、赤松は机を叩く時より少しだけ強く唇を結んだ。
「奏でる乙女、だっけ。勝手に名前を変えられるの、思ったより気持ち悪いね」
「今さらだけど、黒四館の命名センスって全部こっちの許可を取ってないからな」
「許可を取っても、私は奏でる乙女じゃなくて赤松楓って書いてほしいよ」
赤松は指先へ絡む五線譜を弾いた。
びん、と細い音が鳴り、黒い線が一瞬だけ震える。
「祝福の画家も、ちょっと違うねー。アンジーは祝福だけじゃなくて、落書きもするからねー」
アンジーは笑いながら、黒い筆に引かれる手首を逆方向へ捻った。
筆先はキャンバスへ祝福の花を描こうとしているのに、アンジーはその横に妙に丸い太陽を描き足す。黒四館が整えた構図の中へ、場違いな明るさがぽんと置かれた。
「俺は、癒やしを拒む脇役か」
星は貸出カードを指で挟んだまま、足元に開きかけた退場口を眺めていた。
黒い扉の向こうには何も見えない。ただ、カードに書かれた退場予定の文字だけが、扉の奥から手招きしているように濃くなっていた。
「その役名、気に入ったのか」
「まさか。脇役って部分は構わねぇが、癒やしを拒むと決めつけられるのは少しばかり面倒だ」
「少しばかりで済むあたり、星らしいな」
「大騒ぎしたところで、カードの文字は減らねぇからな」
星はそう言って、カードの端を親指で押さえた。
その爪の下で、「リカバリー不可」の文字がわずかに薄くなった。
『三つの反抗。なんて美しい章題でしょう。王子様を飾る仲間達まで、物語に逆らうのですね』
黒四館の声が校内放送から降る。
甘い声の中に、ページを撫でる指先のような音が混じっていた。
『けれど、反抗もまた物語の一部です。奏でる乙女は王子様のために鳴り、祝福の画家は幸福な挿絵を描き、癒やしを拒む脇役は退場によって王子様を進ませる』
黒板から文字鎖が伸びた。
赤松の手は鍵盤へ引かれ、アンジーの筆は祝福の花冠へ向かい、星の足元では退場口が大きく開く。俺の名前も黒板の中央で薄れ始め、その上に王子様という文字が泥のように重なっていった。
「三人を俺の飾りにするな」
『飾りではありません。役割です。あなたの物語を美しくするための、大切な配置です』
「配置って言葉、何度聞いても腹のあたりが冷えるな」
俺は黒板へ向かって踏み出そうとした。
けれど、足元のインクが粘り、王子様という文字が靴底へ絡む。胸奥でカタストロムの黒い鼓動が鳴り、黒四館の声がそれに合わせて少しだけ近づいた。
『王子様、あなたはまだ待つべきです。三つの反抗がどのように咲くのか、私と一緒に見届けましょう』
「俺はお前と観劇するためにここにいるんじゃない」
「万津君、動かないで」
赤松の声が飛んだ。
彼女は自分の手を引く五線譜の鎖を見つめ、足元のサウンドカプセムへ手を伸ばしている。
「今度は、私達が自分で鳴らす番だから」
赤松の指がカプセムを掴んだ。
青白い音符の光が彼女の手の中で跳ね、黒い五線譜の鎖を弾き返す。
「名前を呼べないなら、音で呼ぶ。届く形は、言葉だけじゃないよ」
赤松はサウンドカプセムを掲げた。
『グッドモーニングライダー!サウンド!』
音声が廊下に響いた瞬間、赤松の周囲に青白い波紋が広がる。
ピアノの鍵盤を思わせる装甲が腕に重なり、胸には五線譜のラインが走った。複眼には小さな音符の光が宿り、背中からは透明な譜面のような薄いパネルが展開する。赤松は軽く足を鳴らし、廊下に自分の拍子を刻んだ。
「よし。これなら、もっと大きく名前を呼べる」
「赤松、似合ってる。正直、かなりライブ感ある」
「今の感想、終わったらちゃんと聞くからね」
赤松が指を振ると、音の波が文字鎖へ走った。
鎖は発動の拍子を失い、輪がひとつずつ緩んでいく。
「にゃははー、楓だけずるいねー。アンジーも描き足すのだー」
アンジーは足元のアートカプセムを拾った。
黒い筆が彼女の手首を引こうとしたが、アンジーはその筆へ逆に色を垂らす。
「完成された絵ほど、描き足す余白が見つかるんだよー」
『グッドモーニングライダー!アート!』
色彩がはじけた。
アンジーの装甲は白を基調に、赤、黄、青、緑の絵の具が流れるように重なっている。肩にはパレットのような装甲が付き、腕には筆型のデバイスが形成された。複眼はステンドグラスみたいに色を変え、歩くたびに足元へ小さな模様が咲く。
「おおー、神さまもびっくりの出来栄えだねー」
「自画自賛が早いけど、確かに派手で助かる」
「派手な方が、黒い絵にはよく効くのだー」
アンジーが筆型デバイスを振ると、壁の挿絵へ白い道が描き足された。
王子の中央ルートしかなかった構図に、横道と余白と、妙にゆるい鳥の落書きが増える。黒四館の絵は美しいままではいられなくなり、現実の廊下にも新しい進路が浮かんだ。
「次は俺か」
星は淡い緑に光るリカバリーカプセムを拾い上げた。
退場口が彼の足元を呑もうとする。カードの文字が濃くなり、「不可」という二文字が刃のように立ち上がった。
「治せないと決めた文字を、治す側の名前で貼るなよ」
『グッドモーニングライダー!リカバリー!』
淡い緑の光が、星の小柄な身体を包む。
装甲は白と薄緑を基調にしていて、腕部にはカードを返却するスリットのような装置が備わっている。胸には心電図にも見える細いラインが走り、背中には小さな返却箱のようなユニットが展開した。派手ではない。けれど、黒い文字に触れた場所から静かに光が染み込んでいく。
「見た目は落ち着いてるけど、星っぽいな」
「派手な装甲で退場予定と戦うのは、柄じゃねぇからな」
「でも、リカバリーの星はかなり頼もしいよ」
「頼もしさは貸し出し中だ。返却期限は未定にしておく」
星がカードを黒い扉へ投げる。
カードは退場口へ吸い込まれる寸前で緑の光を放ち、「退場予定」の文字を剥がして黒板へ弾き返した。不可、敗者、回復不能といった文字がカードから剥がれ、床を転がりながら黒板の下へ集まっていく。
『サウンド。アート。リカバリー。役割を拒むために、別の役を纏うのですね』
「違うよ」
赤松が一歩前に出た。
サウンド装甲の五線譜ラインが、彼女の声に合わせて光る。
「これは誰かに決められた役じゃない。私達が、名前を取り戻すために選んだ音だよ」
「にゃははー、アンジーはアンジーの絵を描くだけだよー。祝福だけの画家なんて、つまんないからねー」
「俺は、治るか治らないかを勝手に決める文字を返すだけだ。便利な癒やし役になる気はねぇ」
三人の声が並んだ。
黒い廊下の中で、その並びは黒四館の章立てより少しだけ不格好だった。けれど、その不格好さが妙に頼もしい。誰かに整えられた舞台装置じゃなく、床を踏みながら自分で姿勢を直している人間の形をしていた。
黒板が巨大化する。
廊下の中央へせり上がり、俺の名前を中央に映した。その上から、王子様という文字が何層も重なる。黒い泥のような役名が、万津という二文字を押し潰していく。
『では、見せてください。三つの反抗が、王子様の名前をどれほど支えられるのか』
王子様の文字が、巨大な壁になって迫ってきた。
指先が冷える。胸奥のカタストロムが鳴る。黒い鼓動は、壁の向こうへ行けば楽になると囁いているようだった。王子様という役名に全部預ければ、迷わずに済むのかもしれない。黒四館が用意した道を歩けば、終幕まで足取りは整うのかもしれない。
けれど、俺の横で赤松が足を鳴らした。
「サウンド・リフレイン!」
青白い音波が廊下を走る。
万津、赤松、アンジー、星。それぞれの名前に対応する短い旋律が反復され、王子様という役名の拍子を乱した。黒い壁はリズムを失い、文字の縁がほどけ始める。
「アート・オーバーペイント!」
アンジーが筆を振った。
黒い役名の上へ白と金の線が走り、泥のような文字へ色が重なる。王子様の文字は派手な絵の具に塗られ、威厳のある形を保てなくなった。そこへ、アンジーは万津という名前の輪郭を太く描き足す。
「リカバリー・リターン」
星が黒板へ向けてカードを投げる。
淡い緑の光が沈んでいた文字を持ち上げ、「役名固定」「退場予定」「リカバリー不可」といった分類を一枚ずつ剥がして返却口へ叩き込んだ。黒板の下に、小さな返却箱のような光が開き、剥がされた文字が吸い込まれていく。
俺の名前が、黒板の中央へ戻ってきた。
万津。
まだ薄い。まだ揺れている。けれど、読める。
俺はインクに足を取られながら前へ進み、黒板の正面に立った。
「俺の名前を戻すために、みんなが自分の名前で立ってる」
拳を握る。
カタストロムの黒い鼓動が、すぐ近くで鳴っている。その音に飲まれないように、赤松の旋律、アンジーの色、星の淡い光を視界の端に置いた。
「だったら、俺も王子様なんかで止まれない」
俺は黒板を殴った。
拳が触れた瞬間、黒い役名の壁にひびが入る。
赤松の音がひびの中へ入り、アンジーの色が裂け目を広げ、星の光が剥がれかけた分類を押し返す。黒板は耐えきれず、インクの破片になって砕けた。
廊下に、四つの名前が浮かび直る。
万津。
赤松楓。
夜長アンジー。
星竜馬。
白いチョークのような文字だった。
黒い雨の中で濡れながら、それでも消えずに残っている。
「戻った……!」
赤松が息を吐いた。
彼女のサウンド装甲の光が少しだけ弱まり、けれど指先の音符はまだ消えない。
「にゃははー、見たか黒四館ー。名前は上から塗るより、ちゃんと描いた方が強いのだー」
アンジーが筆を掲げると、白いチョーク文字の周りに小さな花が咲いた。
「勝ったと言うには早いな」
星は砕けた黒板の破片を見つめていた。
破片は床に落ちきらず、黒いページへ吸い込まれていく。俺もその動きに気づき、拳を下ろした。
廊下の奥で、本が開く。
『素晴らしい。なんて美しい反抗でしょう』
黒四館の声は、砕かれたことを惜しんでいなかった。
むしろ、拍手のようにページを鳴らしながら、俺達の攻撃を一行ずつ本へ記録している。
サウンド・リフレイン。
アート・オーバーペイント。
リカバリー・リターン。
王子様の名を守る三つの反抗、記録完了。
「まさか、今のも材料扱いか」
『もちろんです。物語に逆らう者ほど、物語に刻む価値があります』
黒いページが舞い上がり、廊下の天井を覆った。
ページには俺達の名前が残っている。だが、その周りには新しい文字が書き込まれていた。
三つの反抗、記録完了。
音、絵、回復、物語構造へ組込可能。
第五幕、黒き恋文の騎士。
ロードシックス、強化体接続。
黒いページの奥に、羽根ペンのような影が見えた。
その先で、赤黒いインクが装甲の輪郭を描き始めている。姿はまだ見えない。けれど、放送ではなく、黒四館本人がページの向こうで微笑んでいるような気配だけが濃くなった。
『次は、私も少しだけ舞台へ近づきましょう。王子様、あなたが守った名前も、仲間達の反抗も、すべて私の恋文に綴って差し上げます』
「恋文って単語が出た瞬間、危険度が別方向に跳ね上がったな」
「万津君、茶化してる場合じゃないよ。あの本、さっきの技まで記録してる」
「にゃははー、アンジーの絵を勝手に本にするなんて、著作権侵害だねー」
「そこを気にするのか」
「大事だよー。神さまも権利関係にはうるさいのだー」
アンジーの言葉に赤松が小さく笑い、星が肩をすくめる。
その短いやり取りの間にも、黒いページはどんどん厚くなっていった。俺達の小さな勝利は、黒四館の本の中へ吸い込まれ、次の脅威の材料へ変えられようとしている。
それでも、黒板に戻った名前は消えていない。
赤松は音を止めず、アンジーは筆を下ろさず、星はカードを手放していない。
俺は黒いページの奥を睨み、拳に残ったインクを振り払った。
「三つの反抗を物語に組み込めるなら、好きに書いてみろ」
ページの向こうで、赤黒いインクの騎士が輪郭を濃くする。
「こっちは、書かれた通りに動く気なんかない」
廊下の雨音が変わる。
インクの粒が、今度は羽根ペンの先から落ちる音に聞こえた。次の幕は、黒四館自身の手で書かれる。そう分かるくらい、黒い本の奥から甘い視線が近づいていた。