ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
黒いページが、廊下の天井を覆っていた。
さっきまで雨のように落ちていたインクは、もう床だけを濡らしていない。天井に浮いたページの端から、羽根ペンの雫みたいに赤黒い一滴が落ち、廊下へ触れるたびに短い文章へ変わっていく。
王子様の反抗。
三つの名。
美しい抵抗。
恋文へ編纂。
どの言葉も、こちらを褒めているようで、皮膚の上へ勝手に名前を書かれるみたいだった。
「褒め言葉って、ここまで気持ち悪くできるんだな」
「万津君、声が近づいてる。今までの放送とは違うよ」
赤松がサウンド装甲の腕を上げ、廊下の奥へ音波を走らせた。
青白い波紋は本棚の間を抜け、黒いページの奥へ触れる寸前で赤黒い文字に絡め取られる。
「こっちの音、読まれてる」
「にゃははー、読むだけならまだしも、勝手に感想文まで書きそうだねー」
アンジーは筆型デバイスを構え、床に白い線を引いた。
その線は俺達の足元へ小さな余白を作るが、黒いページはすぐに余白の縁へ恋文みたいな文字を流し込んでくる。
星はリカバリー装甲のカードスリットを開き、床へ落ちた「恋文へ編纂」の文字を淡い緑の光で押さえた。
「これは返却しづらいな。宛先を書かずに送りつけてくる手紙ほど、面倒なもんはねぇ」
廊下の奥で、本が開いた。
黒い表紙、赤黒い縁取り、金具のような装飾。
恋愛小説というより、誰かの心臓を装丁した本みたいだった。その中央から、黒四館仄がゆっくりと姿を現す。
白く細い指が、黒いページを撫でる。
その手には一枚のカプセムが握られていた。黒く、赤黒いひびが走り、中で小さな鼓動が鳴っている。
俺の胸奥が、先に反応した。
どくん、と黒い音が鳴る。
けれど、黒四館の手の中で鳴るそれは、俺の中の音とは少し違った。似ている。似すぎている。なのに、心臓ではなく黒板の裏側で鳴らされているような、薄い紙越しの鼓動だった。
「それ……カタストロムか」
「ええ。あなたの鼓動を、私の言葉で整えたものです」
黒四館はカプセムを唇の近くへ寄せ、恋文を読む前のように目を細めた。
「あなたの反抗も、あなたの破滅も、私にとっては同じ恋文なのです」
「俺の中の黒い鼓動を、勝手にお前の恋文にするな」
「勝手ではありません。ずっと見ていましたから」
黒四館の声が、黒いページの上を滑る。
赤黒い文字が彼女の周りを舞い、俺の胸奥の鼓動と、カプセムの鼓動が不揃いに重なった。重なるたび、喉の奥に黒い紙片が貼りつくような感触がある。
「カタストロムは、あなたを壊した罠ではありません。私があなたを完成へ導くために咲かせた花です」
「花って言うなら、もっと水やりの仕方を勉強してから出直せ」
「にゃははー、万津のツッコミ、今ちょっと元気ないねー」
「カタストロムを花扱いされた直後に、元気な返しを要求するなよ」
アンジーが笑ったおかげで、胸の黒い鼓動が一拍だけずれた。
赤松のサウンド装甲が青白く光り、そのずれへ短い旋律を差し込む。
「万津君の音を、そんな黒い拍子に合わせさせない」
「ありがとう、赤松。今の音、かなり助かる」
「助かるなら、あとでちゃんと感想言ってね」
「戦闘中の予約が増えていくな……!」
俺はゼッツドライバーへ手を伸ばした。
カプセムを装填し、深く息を吸う。黒いページが一斉にこちらを向き、俺の動きを文章へ変えようとしてくる。
「変身!」
『グッドモーニングライダー!ゼッツ!』
装甲が展開し、黒い廊下へ青緑の光が走った。
ゼッツの複眼越しに見る文部省領域は、裸眼の時よりずっと悪質だった。空間のあちこちに、これから起こる行動の下書きが浮いている。俺が一歩踏み込む前に、「王子様は仲間を庇う」とページの端へ書かれていた。
黒四館は、カタストロムカプセムをロードインヴォーカーへ差し込んだ。
『ロードインヴォーク!』
『カタストロム!』
『ロードシックス・カタストロム!』
赤黒い鼓動が、廊下全体を打った。
黒四館の身体をロードシックスの装甲が覆い、その上へ赤黒いひび割れが走る。胸部にはカタストロムを模した黒いコアが脈打ち、鼓動のたびに「王子様」「破滅」「完成」「終幕」の文字が全身へ流れた。背中からは黒い恋文のページが翼のように開く。綺麗な羽ではない。破れた台本と封筒の束が、風もないのにばさばさと震えている。
片腕には羽根ペン状の刃。
もう片腕には赤黒い文字鎖。
ロードシックス・カタストロムは、俺の方へ一歩進んだ。
ページの翼が開いた瞬間、廊下が一冊の本へ折り畳まれるように狭くなる。
「王子様、あなたが壊れる瞬間まで、私は一文字も見逃しません」
「見逃していい。むしろ目を閉じてろ」
俺は床を蹴った。
ゼッツの拳が赤黒い文字鎖へぶつかり、青緑の火花が散る。ロードシックス・カタストロムは後ろへ下がらない。羽根ペンの刃で拳の軌道を軽く逸らし、背中のページを広げた。
赤黒い恋文が、弾丸のように飛ぶ。
「ラブレター・カタストロム」
恋文の弾丸は俺を狙わず、赤松達へ向かった。
俺は考えるより先に身体を入れた。ゼッツの腕で弾くと、赤黒い文字が装甲に貼りつき、胸奥のカタストロムが強く鳴る。
どくん。
どくん。
黒板に、文章が浮かぶ。
王子様は仲間を庇って壊れる。
「くそ、そういう書き方か……!」
『シナリオ・バインド、成立』
足が一瞬だけ動かなくなる。
庇うこと自体が、黒四館の脚本へ近づく行為に変えられている。仲間を守るほど、王子様の役名が濃くなり、胸の黒い鼓動がカタストロムへ引き寄せられていく。
「万津君、庇わなくていい!」
赤松が叫び、サウンド・リフレインを放つ。
青白い旋律が俺の名前を呼ぶように廊下を走った。だが、ロードシックス・カタストロムの翼がそれを受け止め、赤黒い恋文の韻律へ変換する。
青白い音が、赤黒い拍子に変わって返ってきた。
それは俺の胸奥の鼓動へ絡み、カタストロムの音を黒四館の拍子へ合わせようとしてくる。
「勝手に人の音を恋文にしないで!」
赤松はすぐに別の旋律を重ねる。
けれど、最初の一撃は確かに歪められた。サウンド装甲の五線譜ラインが赤黒く滲み、彼女は一歩だけ後ろへ下がる。
「楓の音を汚すのはよくないねー。神さまも、そこはちょっと眉毛ぴくぴくなのだー」
アンジーがアート・オーバーペイントを振るい、黒いページの翼へ白と金の線を描き足す。
だが、ロードシックス・カタストロムはページを反転させ、描き足された余白ごと破れた挿絵へ吸い込んだ。
挿絵の中で、王子姿の俺が黒い怪物へ変わっていく。
アンジーの描いた白い道は、赤黒く塗り潰され、破滅絵本の見開きへ閉じ込められた。
「にゃははー、それは神さまの絵じゃないねー。見たい破滅だけ描いた落書きだよー」
「落書きもまた、恋文の余白です」
「言い方がきれいでも、やってることは塗り潰しだよー」
星が低く踏み込み、リカバリー・リターンを放つ。
淡い緑のカードが「破滅予定」「完成予定」の文字を剥がそうとする。だが、黒四館の羽根ペンが空中へ判を押した。
返却済み。
修復済み。
記録完了。
偽の記録が緑の光へ貼りつき、星のカードがわずかに重く落ちる。
星は片膝をつきかけたが、カードを床へ落とさず指の間で止めた。
「返却済みなんて判子を押されても、俺はまだその傷を返した覚えがねぇ」
「覚えがなくても、記録があれば物語は進みます」
「記録だけで進む物語なら、登場人物はいらねぇな」
星の声は低く、けれど床へ沈まなかった。
俺はその声に引っ張られるように一歩踏み込み、ゼッツの拳をロードシックス・カタストロムの胸部コアへ向けた。
「俺を壊して完成する物語なら、そのページは最初から破れてる」
拳が届く寸前、黒いページの翼が閉じた。
俺の拳はページの束へ沈み、攻撃の勢いをそのまま横へ流される。背中に本棚が迫り、俺は肩から叩きつけられた。
ページがめくれる音が、耳の奥で笑っている。
立ち上がる前に、黒板へ新しい章が現れた。
告白。
拒絶。
破滅。
「チャプター・ロック」
廊下の両端が閉じる。
教室も図書館も音楽室も美術室も退場口も、すべて黒い章の内側へ畳まれていく。逃げ道はなく、章の外へ出ようとした赤松の音も、アンジーの線も、星のカードも、ページの縁で跳ね返された。
「王子様、ここから先は破滅へ向かう章です。あなたが仲間を守るほど、あなたは私のページに近づきます」
「守ることまで、お前の筋書きにするな」
俺は立ち上がった。
胸部装甲に貼りついた赤黒い恋文が熱を持ち、カタストロムの鼓動が喉元まで上がってくる。黒い影が床に落ちた。影はゼッツの形ではない。王子姿の怪物みたいに、長いマントと歪んだ角を持っていた。
赤松の旋律が横から入る。
アンジーの白い線が影の足元に描かれる。星の緑のカードが、影に貼りついた「完成予定」を剥がそうとする。
三つの光は弱くない。
けれど、ロードシックス・カタストロムは、三つとも記録している。次の瞬間には文章へ変換され、俺を追い込むための飾りにされてしまう。
「万津君、今は押し切れない!」
「分かってる。でも、ここで退いたら――」
「退くのと、物語から逃げるのは違うよ」
赤松の声に、俺の足が止まった。
彼女はサウンド装甲の腕を震わせながら、俺の方へ短い旋律を送る。今度の音は大きくない。黒四館に読まれないよう、俺だけの耳へ落とすみたいに小さい。
「次に鳴らす音を探すために、今の音を止めることだってある」
「赤松……」
「にゃははー、絵も同じだよー。塗りすぎたら、一回筆を止めるのだー」
「カードも同じだ。返せない札を無理に返そうとすれば、こっちの指が折れる」
三人の言葉が、黒い章の中で細い足場になった。
俺は奥歯を噛み、拳を下ろす。ロードシックス・カタストロムは動かない。まるで、その判断まで読みたいとでも言うように、赤黒い複眼でこちらを見ていた。
「後退するぞ。ここで終幕に乗せられるわけにはいかない」
「了解。悔しいけど、今はそれが一番いい」
「あとで黒いページに落書き百枚するのだー」
「著作権どころか破壊予告になってきたな」
星がカードを投げ、廊下の足元へ淡い緑の返却口を開く。
赤松がその周りへ音の膜を張り、アンジーが黒い章の縁へ白い出口を描き足した。俺はゼッツの腕で飛んでくる恋文弾を弾きながら、三人を先に通す。
最後の瞬間、赤黒い恋文が俺の胸部装甲を掠めた。
薄い傷が走り、そこから黒い文字が入り込もうとする。
カタストロム反応、上昇。
モニターのような文字が視界の端に浮かんだ。
胸奥の鼓動が、さっきより近い。黒四館のカプセムの鼓動と、俺の中の黒い音が、ほんの一瞬だけ同じ拍子で鳴った。
「万津君!」
赤松の音が飛び込んできて、拍子をずらした。
俺はその隙に出口へ滑り込み、黒い章の外へ転がり出る。
背後で本が閉じかける。
黒い窓のようになったページには、俺の王子姿と黒い怪物の影が重なって映っていた。どちらも俺に似ていて、どちらも俺ではなかった。
ロードシックス・カタストロムの声が、閉じるページの向こうから甘く響く。
「壊すのではありません。完成へ導くのです、王子様」
「何度でも言うけど、俺はお前の王子じゃない」
「ええ。今はまだ」
黒いページに、次の表示が刻まれる。
第五幕、黒き恋文の騎士、記録完了。
ロードシックス・カタストロム、適合確認。
第六幕、王子様の破滅。
カタストロム反応、上昇。
恋文最終章、執筆開始。
本が閉じる。
廊下に残ったのは、赤黒いインクの匂いと、胸部装甲に走った細い傷だけだった。ゼッツの装甲を解いても、胸の奥の黒い鼓動はしばらく止まらなかった。
赤松が俺の前に立ち、何も言わずに指を鳴らした。
小さな音がひとつ、黒い鼓動の横へ落ちる。アンジーは傷の近くへ白い丸を描く仕草だけをして、星は床に落ちた赤黒い文字を靴で踏んだ。
言葉は少なかった。
けれど、三人の動きが、俺をページの外へ留めていた。
俺は胸に手を当て、まだ残る黒い拍子を押さえる。
「次は、向こうが俺を破滅させる章らしい」
「じゃあ、こっちは破滅しない章を作ろう」
赤松が軽く言った。
その声は明るすぎず、軽すぎず、黒い本の余韻にちょうど届く高さだった。
「にゃははー、章題は『王子様じゃない万津』でどうかなー」
「題名としては直球すぎるが、嫌いじゃない」
星が帽子のつばを押さえ、黒いページが消えた奥を見た。
「次は、記録された技じゃ勝てねぇ。別の返し方を探す必要がある」
「分かってる」
俺は黒い廊下の先を見た。
そこにはまだ、黒四館が書いた次のページが待っている。けれど、俺達の足元には、赤松の音、アンジーの白い線、星の淡い緑の光が残っていた。
黒い鼓動はまだ鳴っている。
それでも、俺の名前を呼ぶ音が横にある限り、まだページの中へ落ちきってはいない。