蝶屋敷ができるまで   作:デスカラス

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虎党の皆様の幸せそうなニュースを見るたびに憂鬱になります

うちは死に体です、助けて下さい


その三 胡蝶姉妹と花柱

 

 

 穏やかに差し込む陽の光を感じ、紫織は目を覚ました。

 掛け布代わりに使っていた藤色の羽織にいつものように袖を通し、ゆっくりと起き上がって温かな太陽の光を全身で浴びる。大きく背伸びをすればポキポキと気の抜ける音を体が奏でた。

 

 重苦しい鬼の世界が終わり、人の子の世界が戻ってくるこの時間が、紫織が一日で一番お気に入りの時間だった。

 

「カナエもしのぶもまだ起きてこないだろうし……」

 

 当然、こんな時間に自分以外が起きてくる気配は感じない。

 

「今なら……!」

 

 ふにゃりと何処か恍惚とした笑みを浮かべる紫織。

 

 まずは縁側から庭へ降りて井戸へ向かうと、冷たい水で顔を軽く洗う。腰を覆うほど長い髪はところどころ跳ねてしまっているが、紫織は特に気にすることなく軽く水で濡らす程度で整えた。

 

 姉妹が眠る部屋の方角へ一瞬目線を向けると、パタパタと小走りで屋敷へと戻った。気配を殺し、抜き足差し足で音を立てぬよう床板を踏み締める。

 

 目指す先は最近胡蝶姉妹に出禁を言い渡された台所。

 

 二人がいないこの時しか機会は無い。

 

「あったあった……!」

 

 昨晩の記憶を頼りに残り物の米が入った土鍋を見つけ、蓋をゆっくりと開け──。

 

「何してるの、()()?」

「うへっ!?」

 

 氷のように冷たい声は背後を突き刺し、思わず肩を震わせた。

 

 油の切れた絡繰人形の如く背後を振り向くと、自分を見つめる二つの藤色の瞳と目が合った。不機嫌さを隠そうともせずに真っ直ぐ自分を睨みつけている。

 

「あはは……今日は随分早いお目覚めなんだね、しのぶ」

「今日は私が朝餉を作る番だから当たり前でしょ。で、師範はここで何してるの? 台所には近づかないでって私も姉さんもきつく言ってるはずだけど、もう忘れたの?」

「お、お水でも飲もうと……」

「なら土鍋に用は無いはずよね? そもそも外に立派な井戸があるのにわざわざ台所に近づく理由なんて無いと思うけど。もうちょっとマシな言い訳は思いつかないの?」

「ひぃん……」

 

 完膚なきまで言い負かされ、紫織は静かに涙を流した。

 

 だが、ここまで台所に近づくのを咎められるのは彼女の半ば自業自得とも言えた。

 

 胡蝶姉妹がここ『花屋敷』の世話になり始め、早一ヶ月。

 

 そのうち、花柱・草加紫織に対する畏敬の念は初日で消滅した。

 

 その最たる要因が、紫織が二人を炊事場へ案内した時だった。

 

『あ、そういえば紫織さんはもう昼餉はお済みですか?』

『まだだけど、もしかして気を遣わせちゃったかな。あはは、お恥ずかしい限りだよ〜』

『それなら私としのぶがご用意しますね! 今日からお世話になるんですから、お安いご用です!』

『えっ……それはちょっと……』

『安心して、姉さんの料理の腕は町で一番って評判だったんだから! 悲鳴嶼さんも美味しいって言ってくれたのよ?』

『いや、そうじゃなくて……』

『すみません、お台所をお借りしますね』

 

 なぜか目を泳がせながら渋る紫織を他所に、カナエは材料が保管されているであろう戸棚を開き──絶句した。

 

『あの……これ、どういう事ですか?』

『……見ての通りだけど』

『見ての通りって、お漬物しかないじゃない!』

 

 中に所狭しと敷き詰められた漬物の数々。

 

 ぬか漬け、浅漬け、酢漬け……無駄に種類だけ豊富だが、それだけ。食材の体を成しているものはまるで見当たらない。

 

 カナエとしのぶの視線が徐々に冷ややかなものに変わっていくのを感じ、紫織はせめてもの抵抗として顔を逸らした。

 

 全く目線を合わせようとしない紫織を睨みつけながら、しのぶはゆっくりと口を開いた。

 

『……今朝なに食べたの?』

『お茶漬け』

『炊き立てのご飯で食べるのは少し違和感があるけど、まぁいいかな。昨日の晩は?』

『お茶漬け』

『残り物のご飯を食べる時の定番ね。お昼は?』

『……お茶漬け』

『……昨日の朝は?』

『……』

『……』

『…………お茶漬け』

『肉食禁止令はとっくに終わってるのもしかしてご存知じゃない?』

 

 こうして紫織は胡蝶姉妹から炊事場出禁を言い渡され、数年単位で続けてきた毎日お茶漬け健康生活に終止符が打たれた。

 

 同時に、胡蝶姉妹の間で一つの仮説が浮かんだ。

 

──この人、もしかしてポンコツなのでは?

 

 そしてその仮説は、残念ながらたった今、目の前であの時と同じように土鍋に手を伸ばす紫織の姿で立証されてしまった。

 

「どうせまた勝手に朝餉をお茶漬けで済ませようとしたんでしょ?」

「ま、まさかぁ! ちゃんとご飯が残ってるか確認しただけだってば〜。ほら、もし足りなかったら炊いておかないといけないでしょ? えへ、えへへ……」

「それだけ目を泳がせながら言われてもまるで説得力が無いんですけど」

 

 まずい。非常にまずい。

 このままではしのぶに()()を呼ばれてしまう。即ち、死を意味する。

 

 一歩も退く様子がないしのぶに、紫織が残された手は一つ。

 

 懐から小さな銀色の包装紙に包まれた何かを取り出して差し出すと、しのぶは怪訝そうにそれを見つめた。

 

「何これ?」

「森永の洋菓子。『キャラメル』っていうらしいんだけど、甘くて美味しいよ〜」

「……なんでこの場面で洋菓子を?」

「君は何も見てないし、私はここにいなかった。後は分かるよね?」

「…………」

 

 しのぶは無言でキャラメルを受け取ると、包装紙を剥がし、中の珍妙な色をした四角を見つめた。大福や饅頭といった食べ慣れた甘味とはまるで違う姿。だが小さな姿から漂う芳醇な甘い香りに、思わず頬が緩む。

 

 口に放り込みゆっくりと咀嚼すると、香りに負けない濃厚な甘みが口いっぱいに広がった。

 なるほど、西洋の甘味は随分と面白い。感心しながら、食べ応えのあるそれをじっくり味わう。

 

「美味しい……」

「それは良かった。私もよく暇つぶしに食べるんだけどなかなか悪く無いでしょ? それじゃあ、わたしはこれで──」

 

「姉さーーーーん!!!」

 

「君は人の心が無いの!?」

 

 

 

⚫︎

 

 

 

「紫織さん、私がなぜ怒っているか分かりますか?」

「……一人で勝手に朝餉を食べようとしたからです」

「全然違います。私が怒ってるのはそんな事ではありません」

 

 目の前で目に涙を浮かべながら正座する少女を、カナエは優しく微笑みながら見下ろしていた。笑顔とは言っても、笑顔の奥から顔を覗かせている異様な威圧感に紫織はおろか、隣で見守っているしのぶすら体を震わせている。

 

「お食事に関してはとやかく言うつもりはありません。私もしのぶもこのお屋敷に置いて頂いている身です。できればご一緒したいですが、紫織さんがお一人で召し上がりたいのであれば私もしのぶも大人しく引き下がります。ですが、お身体を粗末になさるなら話は変わります」

「いや、別に粗末にするつもりは無くて、ただ手間が掛からない方を──」

「言い訳ですか?」

「ごめんなさい」

 

 今この場の圧倒的強者は胡蝶カナエただ一人。

 そのカナエを前に、紫織は即座に平伏した。

 

「ね、姉さん、もうそろそろ許してあげても──」

「駄目よ、なんだかんだでしのぶは紫織さんを甘やかすんだから。ここでちゃんと言い聞かせないと、明日も明後日も同じ事を繰り返す羽目になるわ」

 

 これではどちらが師か分からない。

 片や鬼狩りの頂点に君臨する九人の柱の一角、片やまだ刀を握って一ヶ月程度の小娘。立場上どちらが上なのかは火を見るよりも明らかというのに、ここ花屋敷では今日を以て胡蝶カナエというただ一人の頂点が爆誕してしまった。

 

 そんな花屋敷の頂点は、目尻に涙を溜めながら正座する紫織を前に、深く深くため息を吐いた。

 

「これからは三食全て一緒に摂ります。もう例外は許しません。それと、献立にはきちんと魚やお肉を並べます。最悪用意ができない場合は卵でも許します」

「え、卵なんて高級品は流石に……」

「紫織さん?」

「はい、用意します。口答えして誠にごめんなさい」

 

 反論しようものなら凄まじい威圧感で黙らされる、そのあまりにもあんまりな師の姿にしのぶまで涙した。

 

 カナエは漸く笑顔を解くと、腕を組みながらジト目で紫織を睨んだ。

 

「もう! 私もしのぶも紫織さんが心配なんです! ただでさえお身体が小さいのに、これ以上細くしてどうするんですか! 悲鳴嶼さんですら鴉で定期的に紫織さんの様子を気にかけて下さってるんですよ?」

「そう言われると本当に何も反論できないんだよねぇ……面目ない」

 

 普段は自分同様にぽわぽわと穏やかな性格のカナエの強い物言いに、紫織も罰が悪そうに苦笑した。

 花屋敷だけでなく悲鳴嶼、そしてその背後にいるであろうお館様にまで迷惑を掛けるとなると、カナエが言った通り示しがつかない。

 

 漸く反省の色を見せる紫織に、流石のカナエも矛を下ろした。

 

──私の師匠はとても不思議な人だ。

 

 それが紫織に対するカナエの第一印象だった。

 

 花屋敷に移り住んでいざ鬼狩りになるための修行が始まった時、紫織は驚くほど丁寧に姉妹へ指導を始めた。

 

 この歳になるまで二人は刀に触れた事すらない。

 赤子同然のカナエとしのぶを、刀の握り方から振り方まで、紫織は一つずつ丁寧に教えてくれた。

 

 また、決して無理強いもしない。

 適度に休憩を取り、日が暮れた頃には一日の指導が終わり、また翌朝に回される。熾烈な稽古を覚悟していた姉妹にとって、その緩い雰囲気に拍子抜けさえしていた。

 

 だが、彼女の指導が確実に力になっているのは確かだった。

 

 僅か一ヶ月の間で、カナエは自分が何も知らない赤子同然の状態から幼児程度には成長できたという自覚がある。しのぶはまだ手こずっているようだったが、こればかりは向き不向きもあるだろう。

 

 なるほど、悲鳴嶼が紹介するだけある。

 

 花柱という立場から来る畏敬の念こそ僅か一日で消滅していたが、師という立場としては紫織個人に対する畏敬の念は寧ろ増していた。

 

 その影響もあって、修行時以外のどこか抜けたところがある紫織の様子にカナエも面食らっている部分がある。

 

 起きても寝癖を直さないし、来客がいようと縁側で無防備にお昼寝してるし、食事はいつもお茶漬けで済ませようとする。任務に出かけるどころか隊服姿すらいまだに見たことがない。

 

 修行の時の頼り甲斐のある花柱の姿と、平時のポンコツの姿。

 

 対極に位置する二面性を持つ少女、というのがカナエの紫織に対する人物像だった。

 

 フラフラと正座を崩しながら立ち上がる紫織を眺めていると、隣でずっと青い顔をしながら二人を見つめていたしのぶが思い出したように手を叩いた。

 

「あ、そういえばさっき、鴉が師範宛てに手紙を届けに来てたわよ。緊急の用事じゃなかったみたいだから縁側で待たせてるけど」

「いたたた……うん、とりあえず見てみる。いやぁ、長時間の正座はやっぱり堪えるね」

 

 先ほどからこちらを覗いていた小さな黒い影──鬼殺隊御用達の鎹鴉まで歩み寄ると、一度優しく頭を撫で、足に括り付けられていた手紙を抜き取った。

 

 達筆な文字で書かれているであろうそれを読みながら、何度かうんうんと頷く紫織。灰色の髪を揺らしながら苦笑するその姿に、ついに任務に行ってしまうのかとカナエは緊張した面持ちで見守っていた。

 

「なるほどねぇ。カナエ、しのぶ、悪いけど今日の稽古は無しね。来客の準備をしなくちゃいけないから、今から言う物を持ってきてくれるかな?」

「来客、ですか……?」

「うん。隊士数人がこれからうちの近辺の森へ任務に行くらしいんだけど、近くに藤の花の家紋の家が無くてね。うちで食料とかの物資を提供することになったの」

 

 「ま、よくあることだから安心して」と紫織は呟くも、普段とは打って変わってどこか困ったように苦笑する姿に、カナエは不安が拭いきれない。

 

 よくあること、と言いながらなぜ紫織はあんな表情をするのだ。

 

 パタパタと屋敷の奥へ進む紫織の背を見つめていると、小さな手がカナエの左手を握りしめた。

 

「師範、大丈夫かしら……なんだか様子がおかしい」

 

 カナエの内心に勘付いてか、しのぶも同様に不安げな表情を浮かべて自分を見上げていた。

 

 いけない、自分がしっかりしなければ妹も不安にさせてしまう。

 

 しのぶの頭を優しく撫で、ぐっと強く手を握る。

 

「大丈夫よ、しのぶ。相手は紫織さんと同じ剣士さんなんだから。何も心配する事はないわ」

 

 だが、カナエの不安はその後、嫌な形で的中する事になった。

 

 

 

⚫︎

 

 

 

 しのぶと共に最後の握り飯を作り終えたと同時に、花屋敷の呼び鈴が甲高い声を上げた。水桶で手を洗いカナエが応対しようと玄関へ向かうと、その横を紫織が駆け足で通り過ぎていった。

 

 手でカナエを制し、炊事場から動くなと視線で命じる。

 

 そのまま玄関の戸を開き、屋敷の前で待っている客人を出迎えた。

 

「やぁ、よく来てくれたね。随分な長旅、ご苦労だった──」

「物資を受け取りにきた。花柱様はいないのか?」

「まぁ落ち着きなって。そんなに急いでもお薬とかは逃げたりしないよ」

「いいからさっさとしろ、我々には果たすべき任務があるんだ。仲間も待たせている」

 

 出迎えた紫織を遮るように、低い男の声が響く。

 挨拶も返すことなく早々に要件だけ告げる高圧的な態度に、しのぶは眉を顰めた。支援を受ける側の態度とは思えない、と言わんばかりに玄関の方向を睨みつける。紫織の背に隠れているが、きっといけ好かない顔に違いない。

 

 どうどうとしのぶを宥めながらも、内心カナエも穏やかとは言えなかった。自分たちの師がぞんざいな扱いをされれば、誰だって良い気分ではない。

 

「そもそも花柱様はどうした。なぜお前のような小娘が応対している?」

「あはは、花柱なら私だけど、ご不満かな?」

「……お前が花柱?」

 

 目の前の小柄な少女が件の花柱と聞いてもなお、横柄な声の主が怯む様子はない。

 和やかとは程遠い場の雰囲気に、しのぶは更に不快感を露わにした。自分たちは卒倒しかけたというのに、この男は謝罪もしないのか。

 幸か不幸か、男は炊事場から顔を覗かせている姉妹に気づいた様子は無い。

 

「まぁ、まだ柱になって半年ちょっとだからあまり知られてないのも無理はないけど──」

「お館様は一体何をお考えなんだ。こんな、鬼の頸も切れないような小娘を柱に……」

「あはは、私も同感だよ」

「その身で柱の席に座っているお前自身に恥は無いのか? 俺が今のお前の立場にいたら、恥ずかしくて腹を切ってるぞ」

「残念だけど私には色々やることがあるから、まだしばらくは生き恥を晒すつもりかな」

「……チッ、不愉快だ。鬼を滅する事ができない小娘が鬼殺隊に席を置くなど」

「なら早く送り出してあげないとね。カナエ! お食事の用意はできているかな?」

 

 紫織に呼ばれ、カナエは慌てていくつかの竹の皮に包まれた握り飯を手に玄関へと向かった。隣で今にも飛び出しそうな妹に絶対動くなと言い聞かせるのも忘れずに。

 

 握り飯を紫織へ渡すと、紫織はそれを大きな巾着袋へ詰め込み、目の前の男へ差し出した。

 

「はい、数日分の食料と薬だよ。足りなくなったらまた来てね」

「……フン」

 

 男は礼の一つみ言うことなく奪い取るように紫織から巾着袋を受け取ると、そのまま踵を返して屋敷を後にした。

 

 先ほどまで声しか聞こえていなかった男の姿は、紫織より頭二つ分も大きい大柄なものだった。しかし紫織へ向ける視線には軽蔑が込められ、カナエに至っては存在すら無視されている。

 

 今まで隠以外の純粋な鬼殺隊隊士とは接した事がなかったカナエは、その言いようのない雰囲気に思わず息を呑んだ。

 

 隊服越しでも見える鍛え上げられた肉体と、弱者を圧倒する威圧感。

 

 これが、鬼を滅する剣士の姿。

 

 悲鳴嶼も紫織も、カナエたちの前では極力常の姿でいようと心掛けていたのが漸く分かった。

 

──私もしのぶも、こんな男たちと肩を並べようとしている。

 

 立ち去る男の背が随分と大きく見える。

 

 本当に自分たちはあの男のように鬼狩りになれるのだろうか。そんな言いようのない不安が頭を過り、カナエはそれを振り払った。

 

 不安を感じる暇などない。

 自分たちは鬼狩りにならなければならないのだ。

 

 紫織に連れられ、カナエは重い足取りで屋敷の中へと戻る。

 

 そして戻って早々、二つの藤色の瞳が苛立ちを隠そうともせずに二人を出迎えた。

 

「なんなのあの人! 助けて貰う立場のくせに信じられない!」

「あはは……。まぁまぁしのぶ、あの人も何も悪気があったわけじゃないんだから」

「あるに決まってるわ! あのクソ野郎、次来たら十個ぐらい文句を言ってやるんだから……!」

 

 怒り心頭と言わんばかりに目を吊り上げたしのぶは、苦笑しながら自身を宥めようとする紫織を睨みつけた。

 

「だいたい、師範もなんで言い返さないの? 師範だってきっと凄く頑張って柱になったのに、あの人は何も知らないのに馬鹿にして!」

「行冥くんから聞いてると思うけど、鬼殺隊は男の方が圧倒的に多いからね。非力ですぐ死んじゃう女が同じ隊にいるだけでも嫌だろうに、ましてや柱となるとねぇ」

「鬼の頸も切れないって言われたり、恥を知れって言われたり……師範は悔しくないの? こんなのあんまりじゃない!」

「口喧嘩しても時間の無駄だよ。私たちは私たちでやれる事をすればいいだけ。他人の事なんてイチイチ気にしてる暇はないと思うけど?」

「ッ……! 師範なら分かってくれると思ったのに……師範なら言い返してくれると思ったのにッ!」

「しのぶ!」

 

 裏切られた──そんな表情だった。

 二人に背を向け屋敷の奥へと走り去るしのぶを追おうとするカナエを、紫織は再び手で制した。

 

「紫織さん……」

「今は一人にしてあげよ、ね?」

 

 結局その日、しのぶは自室から出てくる事はなく、気がつけば辺りは暗闇に染まっていた。

 

 頭上に浮かぶ三日月を紫織は屋敷の屋根からなんとなく眺めていた。今はなんだかカナエとも顔を合わせるのが気まずい気がして、気付けば瓦を背に一日中空を眺めてしまった。

 

 深いため息を吐き、頭上の月を忌々しく見つめる。

 

 あの時、なぜしのぶがあそこまで怒りを露わにしたか、いまだに分かっていない。馬鹿にされたのはしのぶではなく自分なのに。

 

 やはり自分には人を育てる力なんてない。

 

 悲鳴嶼からの頼み事を引き受けたことを心の中で後悔しながら、紫織は苦笑した。

 

「こんなところにいたんですね、紫織さん」

 

 背後から掛けられた声に紫織は視線を上げることなく手を上げて応えた。夜になり感覚が無意識に研ぎ澄まされているのか、声を掛けられる前から気配で気づいていた。

 

 何か言う訳でもなく、その人物は紫織の隣へ腰を下ろした。

 

 右隣にはカナエが。そして、左隣には──しのぶが。

 

「……ごめんなさい、師範」

 

 三人揃って三日月を眺めながら、ボソリとしのぶが呟いた。

 

「あの時、あの人が言った「頸も切れない」って言葉、師範は否定しなかったでしょ? 勿論、師範が馬鹿にされたのもあったけど……まるで自分も馬鹿にされてるみたいで、すごく嫌だったの」

 

 鬼狩りになりたいと初めて悲鳴嶼に伝えた時、険しい道のりになるとしのぶは告げられた。

 

 上背もある姉と違い、自分はここから身体が大きく成長することはないだろう。もしかしたら、鬼の頸を切れないほどに。

 

 だが、目の前には自分とそう変わらない背丈の紫織がいる。

 代理だろうと柱まで上り詰めた、歴とした鬼狩りが。

 

 彼女が花柱だと初めて知った時から、草加紫織はしのぶにとって希望となった。

 

 きっと自分も、紫織のように鬼の頸を狩れるようになれると。

 

 だからその希望を鼻で笑われ、本人もそれを否定しない姿に、しのぶは失望してしまった。それがあまりにも的外れな失望だと頭では理解しながらも、心が酷く傷つけられた。

 

「私は姉さんと違って体も小さいし、力も強くない。きっとここから大きく体が変わることもない。そんな私でも、鬼狩りになれますか……?」

 

 核心をつくしのぶの問いに、紫織は思わず笑みを浮かべた。

 

 そうか、そういうことか。

 

──ああ、彼女はどうしようもなく似てる。

 

「私は体が小さいのは悪い事とは思わないよ。勿論、私だって同じようなことを沢山の人に言われ続けた。お前は小さいから鬼狩りにはなれない、って」

 

 彼女の脳裏に浮かぶのは、まだ自分が鬼狩りになる前の幼い日々。

 

 花屋敷に引き取られ、鬼狩りになりたい想いを伝えると、先代花柱の継子たちは口を揃えて彼女に告げた。

 

 お前は小さすぎる。

 

 当時の継子たちは今朝の男とは違い、悪意からではなく純粋に紫織の身を心配してそう伝えてくれたのは、紫織自身も分かっている。先代花柱も否定こそしなかったが、肯定もしてくれなかった。

 

 だから紫織は、あの時自分が求めた答えを、そのまましのぶに告げた。

 

「負けん気の強さと諦めの悪さ。これさえあれば、誰だって鬼狩りになれる」

 

 ハッと自分へ顔を向けるしのぶの頭を乱暴に撫で、紫織は優しく笑みを浮かべた。

 

「こんな私でも鬼狩りになれたんだから。君がなれない道理なんてない」

 

「ッ! ありがとう、ございます……!」

 

 くしゃりと顔を歪め、しのぶは心の中でも感謝した。

 

 目の前の花柱と、今も何も言わず側にいてくれている姉に向かって。

 

 と、その時。

 

「カー! カー! シオリ! 何シテンネンオマエ! 任務ヤデ! ハヨ準備スルヤデ!」

 

「うぇ!?」

 

 暗闇に包まれた三日月に似合わない、珍妙な口調の鴉の声が辺りに響いた。

 

 あまりにも唐突に襲来する鎹鴉に、これまで静観していたカナエは思わず素っ頓狂な声をあげてしまい頬を赤く染める。

 

「アイツラ、ヤラカシタヤデ! ホトンド全滅ヤデ!」

「いて! いてて、そんな急かさないでよ(ちん)。今ので大体分かったから。」

 

 鎮と呼ばれた鴉は寝転がったままの紫織の頭に飛び移ると、硬い嘴で何度も頭を突き刺し灰色の髪を掻き回した。

 

「こ、これが紫織さんの鎹鴉ですか……? なんというか、その……」

「変な喋り方ね。もうちょっと普通にできないの?」

 

 困惑するカナエとド直球に貶すしのぶを他所に、紫織はそのまま屋根の上から中庭まで飛び降りた。カナエもしのぶも梯子を伝い、慌てて彼女の後を追う。

 

 中庭に降り立った彼女は自室へそのまま降り立ったようで、カナエたちが着いた頃には既に姿が見えなかった。

 

 二人の額を冷や汗が流れ落ちる。

 

 鎹鴉が今回持ってきたのは手紙ではなかった。

 つまり──。

 

「お待たせ。うん、良い機会だし、いつまでも遠ざけるわけには行かないよね。

 

 引き戸が開かれ、自室から紫織が再び姿を現した。

 

 初めて見る鬼狩りの証──漆黒の隊服姿と腰の一振りの刀。普段見慣れているのは、隊服の上から袖を通している普段の藤色の羽織と美しい灰色の髪だけ。

 

 これが花柱・草加紫織の姿。

 

 息を呑む胡蝶姉妹に、紫織は普段通りの朗らかな笑みを浮かべながら二人に告げた。

 

 

 

「着いてきて。今夜見る光景が、君たち二人が目指す『鬼狩り』の()()()姿()だよ」

 

 

 

 




⚫︎大正コソコソ噂話⚫︎

名無しの隊士視点からすると虫も殺せなさそうな雰囲気の紫織が柱を名乗って自分の上司になるのだから面白くないのは当然。就任から日も浅いため活躍ぶりも聞かず、敬意を持って接する方がおかしい。

言うなら、ずっと現場で頑張ってたのに急に現場知らなさそうな女が上司として乗っかってきた感じ。


鎮・・・紫織の鎹鴉。大正時代なのになんj語で話すカス。
    言動はアレだが仕事は真面目にこなす。
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