蝶屋敷ができるまで 作:デスカラス
なのでちょっと短めです。
それは、まさしく一瞬の出来事だった。
瞬きする一瞬で紫織が鬼へ近づいたと思ったら、気がつけば鬼の頭が宙を舞っていた。美しい灰色の髪を靡かせ、藤色の羽織を翻し、一息で頸を斬ってみせた。
夜空に舞う花びらのように、ひらひらと。
「綺麗……」
師が初めて見せた鬼狩りの業。
花柱の名を預かる草加紫織の真骨頂──花の呼吸。
その師の姿に、カナエは目を奪われていた。
「そ、そんなッ……俺はこんな所で……!」
斬られたはずの鬼すら、信じられないと言わんばかりに目を見開いている。その目に宿っているのは驚嘆と──何より恐怖だった。
「俺はただ……家族に食い物を、届けたかった……のに──」
ゴトッと鈍い音を響かせながら地面に叩きつけられた鬼の頭は、音もなく塵と化して消え去った。
自分たち姉妹にとって恐怖の対象たる鬼の最期を目の当たりにし、カナエは深い憐みを覚えた。
やはり鬼もかつては、自分たちのように日の下を生きる人の子なのだ。
音もなく地上に降り立ちキンと音を響かせて日輪刀を鞘に納めた紫織の姿に、カナエは考える。
鬼も救いたいというカナエの願いは、悲鳴嶼からも「正気の沙汰ではない」と言い切られた。その言葉を口にした時、光を失った彼の瞳から隠しきれない『怒り』が溢れるのを肌で感じた。
ならば、紫織はどう思うのだろうか。
悲鳴嶼と同じく、鬼に対する憎悪に阻まれ、カナエの願いを否定するだろうか。
「うへぇ、なんとか終わったね〜。あ、もう周りに鬼の気配はしないから安心していいよ。隠の人たちからの情報でも、ここら辺の鬼はあいつ一人だけらしいし」
大きく背伸びをして朗らかに笑う紫織からは、敵意や憎悪は感じない。まるで最初から鬼などいなかったと思ってしまうほど、普段と変わらぬ様子。
彼女なら、もしかしたら自分の考えを理解してくれるかもしれない……。
「あの、紫織さん──」
「さぁ! とりあえず行方知れずの一人を探しに行こうか。その少年の応急処置も終わってるよね?」
結果的にこの場で唯一の生き残りとなってしまった少年は、今は全身を包帯で覆われた状態で横たわっていた。カナエとしのぶの処置により青白かった顔色は血の気が戻っているようで、カナエはほっと一息ついた。
「え、あ、はい! ですが、まだ余談を許さない状況かと……」
「姉さんの言う通りよ、師範。今はなんとかなってるけど、いつまた悪化するか分からない。一旦この人だけでも連れて帰る?」
「いや、その必要はないよ。多分そろそろあの子が戻ってくるだろうし──ぐふっ!?」
「師範!?」
言うが否や、黒色の塊が突然木々の間から飛来し、勢いよく紫織の側頭部へと叩きつけられた。目を回しながらよろめく紫織の頭に、今晩だけで見慣れてしまった鴉がパタパタと降り立つ。
「戻ッタヤデ、紫織」
「いつもそうだけど、もう少し優しく来てくれないの?」
「避ケヘン方ガ悪イ」
「でも避けると鎮はいつも不貞腐れる──痛い痛い! そんなに強く突かないでよぉ……」
立派なくちばしを容赦なく突き刺す愛鳥の攻撃に、涙を滲ませる紫織。つい先ほど異能持ちの鬼を一息で狩った人物とは思えない情けない姿に、カナエもしのぶも思わず苦笑してしまう。
やはり、最後まで締まらないのが紫織らしい。
「戻って早々悪いけど、待機してる隠の人たちを呼んできてくれない? 重症者一名、応急処置は終わってるけどまだまだ油断できない。屋敷にお医者さんも呼んであるから、この子もうちに連れて行って貰って」
「承ッタ。紫織モサッサト帰ルンヤデ」
「はいはい。鎮も終わったら先に屋敷に戻ってていいよ」
「カシコマリ!」
再びパタパタと夜空へ向かって飛び上がる鴉を見送り、紫織は大きく一息ついた。これではどちらが主人か分からない。
「う、うぅ……ここは……?」
隠の手配も完了し、残りの隊士の捜索を再開しようとしたその時、横たわっていた少年からうめき声が上がった。少し騒がしくし過ぎてしまったかと苦笑する紫織に向かい、少年は途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「アンタたち、救援か……? ぐぅ、ぇほっごほっ……!」
「ほら、慌てないで。大丈夫、もう鬼は倒したし、今助けを呼んでるから。名前と階級は言える?」
「階級『癸』の……村田です……。お、俺なんかより……兄弟子を助けて下さい……! あの人、俺の事を庇って……ッ!」
「兄弟子……行方知れずの最後の隊士だね。どこに行ったか分かる?」
「あの人、俺より重傷なのに……一人で鬼に立ち向かって……」
その言葉で最後の力を出し尽くしたのか、少年──村田は再び意識を失ってしまう。汗の滲む少年の額を優しく撫で、紫織は視線を森の奥へと向けた。
最初に鬼が姿を現した木々の間、その奥へ。
「……いたね」
この場から少し離れた一際大きな木の根元に横たわる、大きな人影。身じろぐように揺れる影に、カナエとしのぶは慌てて走り寄った。
まだ生きてる。
まだ救える可能性がある。
巾着袋に詰め込まれたありったけの薬や包帯を両腕に抱えながら横たわる人影までたどり着いた二人は、しかしその光景に言葉を失った。
「ガハッ……! 増援、か……?」
肩から胸まで大きく切り裂かれ、夥しい量の血を流しながらその青年は大木に背を預けていた。足元にはドス黒い血溜まりが広がり、黒色だったはずの隊服すら血の色に染められている。
間に合う間に合わない以前の問題だった。
明らかに最初から手の施しようがない、致命傷。
「し、師範……?」
助けを求めるように、しのぶは背後に佇む紫織へ振り向く。
だが、そんなしのぶにも、紫織は静かに首を振った。
「まさか、増援にお前が来るとはな……」
「うん、今朝ぶりだね」
「え……?」
青年と紫織の言葉で漸く、カナエは目の前の青年が今朝、花屋敷に物資を受け取りに来た隊士だと気づいた。だが、あの剣呑とした雰囲気を出していた人物とは思えないほど、目の前の青年は穏やかな眼差しでカナエたちを見つめていた。
──もう自分の命が残り僅かだというのに、なぜこの人はこんなに……!
「お、鬼は……?」
「私が斬った。君が守った弟弟子も無事だよ」
「そうか……良かった……」
心底安堵したように、青年は笑みを深めた。
口の端から血を滴らせながらも、その表情はどこまでも誇らしげだった。
「花柱様……」
「うん?」
「あの時は……申し訳……ございませんでした……」
「あはは、別に気にしなくてもいいよ。私も慣れっこだから」
「俺には……妹が一人いるんです……ちょうどその子と同じ年頃の……」
突然視線を向けられ、ピクリとしのぶの肩が震える。
「妹と変わらない年頃の娘が鬼狩りになっている事が……俺は許せなかった……! 俺たちが守るべき存在なのにッ……!」
青年の言葉に、しのぶは息を呑んだ。
あの時、明らかに敵意を持って紫織に言葉を投げつけていた青年の言葉の裏にそんな感情があったなど、考えたこともなかった。
「大丈夫、君が悪意だけであんなこと言ってたなんて思ってなかったから。まぁ、もうちょっと言い方はあったかと思うけどね」
「……申し訳ございません」
「君、言葉の選び方が悪いって言われない?」
「ふっ……弟弟子からもよく言われます」
「村田くんだっけ? あの子、自分も重傷のくせにずっと君のことを心配しててね。とても優しい子だよ」
「はは……あいつには言わないで下さいね……。花柱様に褒められちゃ、あいつも調子に乗ってしまう……」
再び青年が咳き込むと、夥しい量の血が吐き出され、青年の表情から見る見る生気が失われていく。
その姿を、カナエもしのぶも呆然と見つめていた。
今、目の前で一人の青年がその生涯を終えようとしている。あれほど屈強な体つきをした鬼狩りの剣士が、こんなにも弱々しい姿で。
「花柱様……」
「なぁに?」
そんな青年の側に座り込むと、紫織はふわりと血に染まった手を両手で包み込んだ。隊服が血汚れるのにも目も暮れず、寄り添うように青年の手を取っている。
ぼんやりとした眼差しで紫織を見つめる青年の瞳から、一筋の涙が流れる。
「無念です……ッ!」
「うん」
「こんなところで死にたくないです……! 鬼舞辻が滅せられるのを見届けたかったッ……!」
「うん」
「怖いです……! 死ぬ覚悟はできてたはずなのに、今とても怖い……! 妹にもう一度会いたいです……!」
「大丈夫。鬼舞辻は必ず、私たちの代で滅ぼす。明けない夜は無いんだ。きっと必ず、『明日』は訪れる。だから、安心して休んで」
力強く手を握り、青年の頭を抱きしめる紫織。
身体の芯から広がる冷たさを覆い隠すような暖かさに、青年はほっと笑みを浮かべた。
「ありがとう、ございます……。どうか、ご武運を……」
──ア、オイ……せめて最後にもう一度、会いたかった……。
全身を包み込む温もりを最期に、青年は静かに目を閉じた。
「……おやすみなさい、神崎くん」
そんな青年を抱き締める紫織の姿を、胡蝶姉妹は静かに見守っていた。
隠が骸を引き取るその時まで、ずっと。
⚫︎
隠が到着してから、記憶がどこか曖昧になっている。
村田少年と共に三名の隊士の遺体が運ばれているのをぼんやりと眺めていると、気がつけばしのぶは花屋敷へと戻っていた。おそらく姉や紫織と三人で戻ったのだろうが、なぜか身に覚えがない。
屋敷に着いた時には既に隠たちが村田たちを連れてきていたようで、医者らしき人と一緒に深夜の屋敷内を慌ただしく動き回っていた。
そんな光景を、しのぶは夢心地で見つめている。
まるで今晩の体験が全て夢だったように、どこか現実感が無い。
「うっ……」
だが、血の匂いと共に次々と運び込まれる遺体がそれを否が応でも否定する。
自分たちは先ほど間違いなく、鬼と対面していたのだ。
「村田さんは大丈夫かしら……」
「安心して、きっと無事よ。紫織さんもお医者様を呼んでくれてたみたいだし、必ず村田くんを助けてくれるわ。父さんと母さんもそうだったでしょ?」
「……うん」
彼女たちの両親は共に薬師だったが、医者の真似事も同時に引き受けることが多かった。薬の処方に加えて傷の手当や病気の治療など、医者に掛かる余裕がない者たちを両親は積極的に助けていた。
その影響で両親は常に多忙を極めていたが、それでもカナエもしのぶも両親が誇らしかった。いつか自分たちもあのように人助けがしたいと、二人は両親を手伝いながら願っていた。
少しでも両親に近づけただろうか。
もう見ることができない背中を思い浮かべながら、二人は静かに村田少年の無事を祈った。
夜も更に深まり眠気も限界が近づいていた頃、医者と隠たちは漸く屋敷を後にした。玄関から何度も頭を下げながら全員を見送ると、紫織はクルリと部屋の隅で座り込む姉妹へ振り返った。
「二人とも、ご苦労様。おかげで村田くんはなんとか一命を取り留めたよ。安心安心!」
「良かったぁ……」
その言葉に、しのぶは心底安堵したように深く息を吐いた。
どうにか一人でも救うことができた。自分たちでも、何か役に立つことができた。
「し、しのぶ? 涙が……」
「え?」
困惑したような姉の言葉にしのぶは思わず目元を拭い、漸く自分が涙を流していることに気づいた。
「あれ、どうして……? 分からない、分からないけど涙が出てくる……」
もう鬼は滅せられたし、村田少年は助かった。
本当なら喜ぶべきなのに、何度涙を拭っても溢れてくる。
暗闇に包まれた森から突き刺すように感じた死の気配。
まるで家畜を見るように自分たちを食らおうとした鬼の視線。
あまりにも無慈悲に、残酷に命を奪った血の匂い。
その全てがまるで走馬灯のようにぐるぐると頭の中を駆け巡り、
自分たちが足を踏み入れようとしているのは、そんな世界なのだ。
「──いいんだよ、しのぶ」
遅れて訪れた圧倒的な恐怖を覆い隠すように、ふわりと紫織はしのぶを、隣のカナエごと包み込んだ。それは、まるでお日様のような暖かい抱擁だった。
「怖くてもいいんだよ、しのぶ。だって、しのぶは怖くても立ち止まらなかったでしょ? 前を向いて、今自分ができる事を精一杯やり遂げた」
「はい……ッ!」
「カナエも、よく頑張ったね。君も怖かっただろうに、最後までしのぶの『姉』であり続けた。しのぶの手を取って、二人で一歩踏み出すことができた。誇るべきだよ、君はあの場で誰よりも勇気を持っていた」
「ッ……! ありがとう、ございます……!」
紫織の言葉に、カナエもまた堪えていた感情が溢れるのを感じた。
任務中は一切カナエたちを気遣う様子は見せなかった紫織は、その実しっかりと姉妹の様子を気にかけていたのだ。
決して妹の前では見せないと誓っていた涙を、今は紫織の腕に顔を埋めて流す。
二人の隊士の惨殺された姿に加え、一人の隊士の最期を看取る。まだ幼い少女たちが目の当たりにするには、あまりにも残酷な光景。
だが、この姉妹はそれを乗り越えてみせた。
静かに涙を流す姉妹を強く抱きしめながら、紫織は一人柔らかい笑みを浮かべた。
「君たちの覚悟はよく分かった。だから私も、必ずそれに応えてみせる。明日からはうんと厳しくするからね〜」
紫織の言葉に姉妹は何度も頷く。
鬼狩りになると伝えた時、話を聞いた隠たちや悲鳴嶼すら、その想いに眉を顰めた。しかし、それが今ようやく認められた気がして、姉妹はどうしようもなく嬉しかった。
カナエは視線を横に移すと、目を真っ赤にさせたしのぶと目が合った。きっと自分も同じような顔をしているだろう。
必ず鬼狩りになる。
自分たちを認めてくれた紫織のためにも。
⚫︎大正コソコソ噂話⚫︎
今回亡くなった隊士ですが、名前は『神崎アキラ』。
階級は戊。最近選別を突破した弟弟子の村田が心配で彼の初任務を自分との合同任務にしようとするも、結果は作中の通り。しのぶと同じ年頃の妹がいるらしい。