12月21日。秀知院学園の文化祭から一日が過ぎた。
日が暮れるのも早くなり、外は手が凍えるくらい寒い。冬は私の嫌いな季節である。
そんな私は、暗くなった今でも喫茶店の中で仕事をしていた。以前話した通り、うちのお店はバーとしての営業を始めたので営業時間が延びたのである。
したがって19時閉店が25時閉店になり。私の勤務時間も16-19時までだったのが21時くらいまでに調整可能になったのである。
「いらっしゃいませ……?」
夜のお店は雰囲気も変わり、学生ではなく社会人の人たちが来るようになる。そして今このときも、バーにお客さんがやってきた。
「かぐやさん! どうしてこんな時間に」
やってきたのは、意外なことにかぐやさんだった。コートを着て寒そうに手を擦っている。
「少し話がしたかったの。紅茶を淹れてくれるかしら」
今日のかぐやさんは様子がいつもと違う。リボンはしていないし、目も口調も少し冷たい。もしかして、嫌なことでもあったのだろうか。
兄さんがやらかしちゃったの?
「紅茶です。それから温かいおしぼりもどうぞ」
「あら、気が利くわね」
「外は相当寒かったんですね。そんなに手に息を吹きかけていれば分かりますよ」
「あの人もあなたと同じくらい察しが良ければ助かるのだけれど」
「兄と何かあったんですか?」
「それは流石に察しが良すぎないかしら……? 確かに、白銀さんについて話がしたくて来たのは事実だけど」
かぐやさんが兄のことを白銀さんって呼んでいる。これは本気で愛想尽かされたか!?
「つい先程まで、私は白銀さんと歩いていました。外は凍えるでしょう? 手を擦って寒い寒いと言っているのにあの人は無視したんです。思わずタクシーを呼んで置いてきてしまいました」
あぁ、変わってないな。口調と態度がぱっと見冷たいだけでかぐやさんのままだこれ。
「酷いと思いませんか? この私が寒がっているのに手も繋がないなんて。思わずタクシーを呼んで置いてきてしまいました」
「かぐやさんの気持ちを汲んでくれなかったんですね。兄は察しが悪いところがありますから……まるで恋愛物語の主人公みたいに」
「ふふ……そうね。彼が主人公なら、さしずめヒロインは私かしら」
「かぐやさん、昨日兄に告白されました?」
「ほんとに察しが良いわね!?」
いや、だって今日のかぐやさんやけに素直じゃん。兄への好意が隠しきれてないし、『ヒロインは私』なんて言っちゃってるもん。
「この私を素直なんて言う人は初めてよ……」
「それに兄から相談を受けてましたからね。かぐやさんに告白させたいって。結局自分からする方向にシフトしてましたけど」
「そうだったの。まぁ、昨日のあれは告白ではありませんでしたが」
「詳しく話を聞かせてくれませんか。今の私はバーテン見習い。お客様の話を聞くのも仕事のうちですから」
カウンターでコップを拭いていれば、それはもうバーテンと言っても過言では……いや、やっぱり過言だった。
そこの君、バーテンを舐めたらつばめ教官に吊るされちゃうぞ!
「なら、聞いてもらえるかしら。小さなマスターさん」
かぐやさんは昨日した体験を話し始めた。
文化祭二日目、兄はかぐやさんのために校内からハートのバルーンを全て盗み出し、キャンプファイヤーと同時に解放した。熱に浮かされたハートはかぐやさんと兄がいる時計塔へと舞い上がる。
そして、兄がかぐやさんに告げた言葉は『俺と一緒にスタンフォードに来い』。
そしてかぐやさんは『イエス』の証として、思わずキスしてしまったのである。しかも深い方。
「マウストゥマウスのキス。しかもディープキス。またの名をベロチュー。それを初めてのキスでしちゃったんですか?」
「い、言わないでちょうだい。
無意識レベルで兄さんのこと好きじゃん。
「と言うことはお二人は付き合い始めたんですね。おめでとうございます」
「付き合ってはいないわ」
「え、でもキスしたんですよね。兄さんのこと好きなんでしょ?」
「その通りではあるけれど、でも付き合ってはいないわ」
「……なんで!?」
「だってまだ『好き』も『愛してる』も『付き合って』も言われてないのよ?」
「そんな理由? もう自分から言えば良いじゃないですか」
「絶対に嫌。そもそもキスだって向こうからしてきて欲しかったの。告白だってそう。自分からなんてありえません」
あらら、兄さんとかぐやさんが付き合うにはもう少し時間がかかりそうだ。
「命さん、あなたの兄から私にキスさせるために何か良い作戦はないかしら」
「はぁ、キスしてと直接言うのは無しなんですよね。うーん……権利をあげるのはどうでしょうか」
「権利?」
「勝負をふっかけて、それを達成したならば報酬として『キスする権利』をあげるんです。複数人と競争させてみても良いかもしれません。例えば……」
『私は次のテストで一位を取ります。白銀さんにも絶対に負けません。一位を取ったものには、私にキスをする権利を差し上げたって構わない。それくらいの覚悟で挑みます』
『『『うぉぉ──!!! かぐや様とのキスチャンスだ──!!!』』』
『四宮の唇を有象無象どもに差し出すわけにはいかん!』
そして兄がテストで一位を獲得。
『今回もあなたが一位でしたか、白銀さん。悔しいですが、私は言ったことを守る女です。私にキスをする権利をあなたに差し上げましょう』
『四宮……だったら今それを使わせて貰おう。お前が俺以外の輩に少しでも唇を捧げる可能性があるようなことを言ったとき、俺がどれだけ焼き餅を焼いたか体に教え込んでやる……!』
『廊下の真ん中で何を言っているのかしら? ちょっと、まさか本気!? ち、近いわ……! やめ……ぁ……白銀さ……ん──』
──chu。
キッス成功!!!
「てな感じでどうです?」
「なんで周りに見せつけるような展開になっているのかしら。大体、有象無象を巻き込むのはごめんよ」
かぐやさんは私の作戦をあまりお気に召さなかったらしい。
「まぁ、参考にはさせて貰うわ。権利なら行使するもしないも彼に委ねられるから、私が強請ったことにはならないでしょうし」
(嫉妬心を燃やす白銀御行が見せつけるように私の唇を公衆の面前で奪うですって? 最高の作戦じゃないの! さすが命さん。お兄様の参謀を任され、お父様から頼りにされるだけあるわね。次のテストまでに彼がキスをしてこなければ実行しましょう)
良い作戦だと思ったんだけどなぁ……ん? どうしたかぐやさん。顔がにやけているぞ。自分で新たな作戦でも思いついたのか?
「キスの話は置いておくとして、あなたに一つお願いがあるの」
「なんでしょう」
かぐやさんは改まってそう言った。彼女の鋭い瞳が私を射抜く。
「今後私が彼と付き合ったとき、関係を四宮家に認めさせることに協力しなさい」
「良いですよ」
「あなたがお父様やお兄様と結託してグループ内でコソコソと動いているのは分かっています。私に邪魔をされたくなければ……」
「だから良いですよって」
「……良いのですか、そんなに簡単に承諾して。交換条件は?」
「ないです。というか気付いてたんですね、私がグループ内で動いていること」
「流石に気づくわ。違和感を持ったのは以前、進路の手紙を貰ったときですけれど」
雁庵さんのお使いをした時の話か。まぁ、私がただ黄光さんの世話になっているだけの人間なら四宮家当主から信頼を勝ち取れるはずがないのは確かだ。気づくのも無理はない。
「あなたは四宮家の中で一体何をしているのかしら?」
「うーん、改革ですかね」
「改革……?」
「はい、かぐやさんと兄の結婚が認められるようにするための」
「私たちのため? そんなの嘘でしょう。あなたに何の得もないわ」
「それが全部ではないですけど、半分くらいは本当ですよ。そして得のためではなく恩返しのためです。私の手を取ってくれたあなたたちへの恩返し」
あなたたちは私に幸せをくれた。だから私は幸せを上げる。等価交換だ。
「だから、わざわざ悪ぶって交渉のフリなんてしなくても大丈夫ですよ」
「悪ぶってなんていないわ。それに交渉ではなく脅迫よ。本当に邪魔をしたって良いのだから」
「私がかぐやさんと兄さんの関係を邪魔すれば、たしかにあなたはそうするでしょうね。では、逆に協力すると言えば?」
「……そのときは当然、私も協力します」
「ほら。相手に対価を与えようとしている時点でそれただの交渉ですから。それに私が二人の仲を邪魔するなんて思いますか、思わないでしょう。だから交渉の『フリ』と言ったんです」
そうか、今日のかぐやさんは悪ぶってるんだな。その瞳もその話し方も、友達チェックの延長線上にあるものか。
「お可愛い人。根が優しいくせに無理に冷徹に振る舞おうとして。そんなことしても、私はかぐやさんから離れたりなんてしませんよ。友達チェックはこの前特別合格にしてもらったじゃないですか」
「な、何の話ですか」
「くすっ……かぐやさんが雁庵さんと似てるって話です」
「はぁ? 私は母親似です、お父様とは全然似ていません」
「中身が、ですよ」
悪辣さは劣るけれどね。かぐやさんがあの人とそっくりそのまま中身が同じならこう言っただろう。
『あなたの兄の心はもはや私のモノよ。兄の心を守りたいなら、あなたも私のモノになりなさい』ってね。
そうやって心を折って他人を支配するのが四宮家のやり方だ。かぐやさんがそんな人でなくて良かった。
ま、もしそんなこと言われてたら全力で抵抗したけど。
「……そろそろ帰ります。これ以上遅くなれば家の者に叱られてしまうわ」
「なら、一緒に帰りませんか。私もそろそろシフトが終わる時間なんです」
時刻は20時前。放課後と言うにはあまりにも時が経ちすぎていた。
「お待たせしました、かぐやさん」
「待ってはいないわ。ほんの数分だったじゃない。ただ、それだけでもだいぶ冷えてしまったけれど」
「なら、手を繋いで一緒に帰りましょうか。家まで歩いて送ってあげます」
私はポケットから出した手をかぐやさんの細い指に絡めた。カイロを握っていたから温かいでしょう?
「本当に気が利くわね」
それはあなたのことだろう。私に合わせて歩くペースを落としてるくせに。私が杖をつかなくて良いように、少し前を歩いて手を引いてくれているくせに。
「私はそんなかぐやさんが好きです。一見冷たくなったように見えても、変わらない優しさを内に秘めたあなたが。そしてそれは、兄も同じ気持ちだと思いますよ」
「……そして本当に、察しの良い子」
冷える夜道も、二人で歩けば寒くない。
「あと海外留学の件も協力してくれないかしら」
「あ、それは無理です。北米は四条寄りのゲーム盤なのでむしろ反対します。少なくとも四条との関係改善がないとだめですね。きっと四宮本家も似たようなことを考えると思いますよ」
「そうなの? 前途多難ね……」
さてと……かぐやさんのためにも、なんとかクリスマスパーティーに誘われるとしますか。
このとき、私は考えてもいなかった。まさか眞妃さんがインド旅行に行くために四条家のクリスマスパーティーを欠席しようとしていたなんて。