「初めまして、お母さん。待ってましたよ」
三が日が明けて、喫茶店の営業が再開した今日。私は母親をこの場に招待した。
お店に来た彼女は姉さんと私にそっくりな人だった。
いや、逆か。私と姉が彼女にそっくりなんだ。私たちはこの人から生まれてきたんだから。
ただ私たちと決定的に異なるのは、その表情だ。機械のまま無表情のまま私を見ている視線は掴みどころがなく、少し不気味に感じる。
「ええ、久しぶりね。命」
「……とりあえず、個室に案内します。話したいことがあるので」
母を前にしたとき、もしかしたらまた嫌な記憶を思い出すかもしれないと思ったが、そんなことはなかった。
ただ、なんとなくソワソワして……そんな心持ちのまま母を案内した。
「何か飲みますか?」
「なら紅茶をお願いできるかしら」
そして店長が二人分の紅茶を持ってきてくれたところで、母が口を開いた。
「そっちはどうかしら。上手くやれてるの?」
「……意外ですね。てっきりお母さんは私の近況なんかには興味ないと思ってました」
「そんなことないわ。お付きの人から定期的に話は聞いているもの」
気にしてるなら、なんで私を置いていったんだよ。死にかけの娘を置いてさ。生きてさえいれば良いってもんじゃないんだぞ。
「それで、どうなの?」
「はぁ……そこそこ上手くいってますよ。一会社の大株主と、四宮家と四条家の調停役をしてるのでそれなりの立場にいます。少なくとも、目を覚ましたころに比べれば環境はずっと良くなりましたよ」
「そう、なら良かっ──ごほっ、ごほっ……か、株主? 四条と四宮の調停役? 聞き間違いかしら」
紅茶でむせた母はやっと人間らしい表情を見せた。疑問符に満ちた顔だけど。
「聞き間違いじゃないですよ。政子さんから聞かなかったんですか?」
「そんなこと聞いていないわよ……」
政子さんからすれば、母に知る資格はないってことなのかな。
「私生活の方はどうなの?」
「……まぁまぁかな」
「友達はできた? 御行たちとは上手くやれそう?」
「……ぼちぼちだよ。ねぇ、お母さん」
「学校は──」
「──良い加減にしてよッッッ!!!」
私の手が机を揺らし、茶器が鳴った。
「なんなの、今さら母親面? 違うでしょ。あなたが最初に言うべきなのは、私を置いていったことに対する謝罪じゃないの!?」
「……そうね、ごめんなさい」
母は困ったように眉尻を下げて言った。
「でも仕方がなかったのよ」
「何が……!」
「事故の後、あなたの日記を読んだわ。それで私は子供を育てることにとことん向いていないって気づいたのよ。あなたは身体に障害を負ってしまったし、記憶も失ってしまった。私がいたところで邪魔なだけでしょ?」
「そういう問題じゃないの!」
「なら、どういう……」
私は、飾ることのない本気を伝えた。
「寂しかった!」
「……」
「体が動かせなくて、病院のベッドでただ寝てるだけのときは、誰かが見舞いに来てくれると思ってた! でも来なかった! 誰も! あの不愉快な黒服たち以外は! 何も覚えてない私は、親が来てくれることを待ってたのに……」
あの頃の私は全てを失っていた。故に精神も幼く、親を求めていたんだ。
絵本を読むたびに家族に対する期待が膨らんで、けれどそれは失望と嫌悪感へと反転していった。私は家族なんていないと思いこむようになり、それ以外の日常に憧れを求めるようになったんだ。
それこそ、学校とかね。
「リハビリをすれば見に来てくれるんじゃないかって思ってたけど違った。だから諦めようとしたのに、あなたは手紙だけを寄越した。『愛してる』なんて、大嘘つきッ! 愛しているなら何で会いに来てくれなかったの!」
「愛しているからよ」
なんてことを言っている今でも、母の表情は変わらない。
「愛しているから、あなたが幸せじゃないと私も幸せになれないの。私と一緒にいたらあなたは不幸になるでしょ?」
「言ってる意味が分かんないよ! なんでそう言い切れるの!?」
「そう……命は自分の日記を読んでいないのね」
そうだ、私は日記を読んでいない。だから知らなかった。
「私はあなたを不幸にするわ。あなたが事故にあったのは私のせいなのよ。記憶を失ったのも私のせい。そんな人間なんて側にいない方が合理的でしょう?」
実の母親が、こんな人間だったなんて。
「どういう意味なの。説明して!」
「説明も何もそのままの意味よ」
母が言っていることの意味がわからない。どういうことだよ。あなたが私をこんな体にして、記憶を失わせたとでも言いたいのか? 何のために?
「聞きたいことはそれで終わりかしら。それじゃあ、私は仕事で中国行きの便に乗らなきゃいけないから、そろそろお暇させてもらうわ」
そう言って母が席を立つ。
だめだよ、まだちゃんと説明をしてないじゃないか。私とあなたは二年ぶりに会うんだよ。
もっとちゃんと話して──かぐやさんと、雁庵さんみたいにさぁ……!
「ここのお代は払っておくわ。さようなら、命」
「……」
私は立てなかった。立つ気力が湧かなかった。
母はクズで、口だけの人間だ。そう諦めてしまう方が、ずっと楽なのかもしれない。
もう、彼女に希望を持つのは止めて──。
「追いかけなくて良いのかい?」
「て、店長……?」
「母親と喧嘩してしまったんだね」
「喧嘩なんてものじゃないですよ。一方的に私が熱くなってただけ。私、少しは母のことを理解できたと思ってたんです。でも、違った。結局あの人がただの冷酷な人だとしか思えないんです……」
「そうか……これは私の話なんだけどね。秀知院学園に通っていた頃、告白をしたんだ。二つ上の先輩にね」
「いきなりなんの話ですか!?」
「まぁまぁ、それで結局断られちゃって、その人は卒業して外部の大学に行ってしまったんだ。悲しかったし、悔しかったなぁ……」
「そうなんですか」
「だからその人のいる大学まで追いかけたんだよね。そして猛アタックして結婚してもらえたんだよ」
「政子さんとの話ですかこれ!?」
い、意外と行動力あるなぁ。家を飛び出して婿入りしただけはある。
「納得がいかないなら、何度だってぶつかっていけば良いんだ」
「でも……私は……」
「自分に正直になりなさい。諦めたくないんだろう? まだ言いたいことがあるんだろう?」
自分に、正直に……? 無理だよ、怖い。また拒否されたら、私はきっと立ち直れない。
あれ……『また』って、なんだ?
「はぁ、仕方ない。あんまりナヨナヨしてるのもらしくないよ。こうなったらつばめに頼んで背中を押してもら──」
「い、行きます! 行ってきます──!!!」
私は個室を飛び出した。教官の指導だけはごめんである。
「はぁ……はぁ……!」
慣れない走りで、母を探し、その背中に向かって手を伸ばす。
ちゃんと聞かせてよ。必要とか、合理的とかそんな理由をつけたことじゃなくて、あなたの気持ちを。
私はちゃんとあなたに愛されてるって、思わせてよ。ねぇ。
「お母さん……!」
距離を置いていた娘から『会いたい』と連絡が来た。
いつもの私なら、会いに行くことはなかっただろう。
だけど『この国を出る前に、一度娘に会いたい』……そんな気まぐれに従ったせいで私は、また娘を傷つけた。
娘のいる部屋から背を向ける。そして扉越しに聞こえる嗚咽する声が、あの日を思い出させる。
今から約二年前のあの日を──。