私は自他共に認める、合理的な思考の持ち主である。
物事のあらゆるものは必要か不必要かで判断し、そこに感情という曖昧な判断基準が入り込む余地はない。
そういう生き方のおかげで、私は勉学において優秀な成績を収め、施設育ちにも関わらず難関大学へと駒を進むことができた。
ここまでくれば生まれの不利はもうほとんど関係ない。後は良い成績を残し、良い企業に就職し、良い成果を出す。
ただそれだけのはずだった。
『──さんも、この資格を受験するのか』
『あなたは……たしか白銀さんでしたか。同じゼミの』
『なぁ、俺と勝負しないか。俺が負けたら、君の言うことを何でも聞こう。ただし俺が勝ったら』
ある日、彼と出会った。ゼミが同じだけの男。私に言い寄る有象無象と、その日までは何ら変わらなかったのに。
『俺と、デートしてくれ』
その日、私は生まれて初めて
それから色々あって私は彼と結婚し、子供を産んだ。
今までの自分からは想像もできなかった生活だけど、悪くなかったと思う。
子どもたちは皆可愛いくて仕方ないし、夫となった彼と過ごす日々はかけがえのないものだった。
あなたたちが幸せだと、私も幸せ。あなたたちが悲しいと、私も悲しい。
私が今まで知らなかっただけで、これが愛と言うものなのだろう。自分の中で何かが変わっていくのを感じながら、私は穏やかな日々を過ごしていた。
夫の事業が失敗するまでは。
『このままでは破産するわ。従業員を切って事業を縮小するべきよ』
『あいつらはみんな家族みたいなもんだ。最後まで守ってやりたい』
分からない。彼らはただの被雇用者で、家族とは全然違うでしょう。
『四宮家から薬品の特許を買収したいとの声があったわ』
『この薬は多くの人を救うんだ。四宮なんかに渡れば金持ちしか助からないだろう』
分からない。世の中の人を助けるために、家族を危険に晒すの?
『あなた、御行が真面目に勉強してくれないの。幼稚園受験に失敗したんだから、次は小学校受験の対策をしないといけないのに……』
『子どもは遊ぶのが仕事だからな。仕方ないだろう』
『あなたからもなにか言って……!』
『お前は御行に期待を押しつけすぎだ。ほどほどにしないと、あいつは潰れてしまうぞ』
分からない。人生は最初が肝心なのよ。私は生まれで苦労した。貧困層の子どもが貧困層から抜け出すには勉学を頑張るしかない。
なのに、なんで分かってくれないの?
そして結局、事業は完全に破綻して彼は借金を抱えることなった。一般家庭としては天文学的な額と言える借金を。
事業は売り払って、従業員も夫も職を失った。特許も売り払って、世の中の人を助けるなんてことは夢のまた夢。そして子どもたちからは、そのお金でできたはずの多くのことと可能性を奪ってしまった。
くだらないことにこだわったせいで、結局何もできていないじゃない。
この人と一緒にいたら、子どもたちも同じ失敗をしてしまう。
そう考えた私は、娘たちを連れて家を出た。
御行を置いていったのは、その方が勉強を頑張ってくれると思ったから。あの子は私が熱心に指導するよりも、放置した方が努力する。
娘たちは逆で、教え込めば教え込むほどその能力を開花させていった。
それから、私は自分の人生を子どもたちの為に使うようになった。
もうあの人に期待なんてできない。養育費は自分で稼がなきゃならない。だけど御行、圭、命の分の生活費、学費を賄うには、私の稼ぎだけでは不安がある。
だから男を作った。若く、上流階級の人間で、遊び人。その男は親に婚約者がいるという口実を欲しがっていたので、私はその役を買って出た。
私は夫と籍を入れたままなので偽装にしかならないけれど、その男がパーティーに出席するときは隣で着飾ってやったわ。
まるで自分を装飾品のように仕立て上げるのは、最悪の気分だった。
だけど、我慢できる。それは必要なことだったから。
そうして何年かが過ぎて、娘たちが小学6年生になった頃。
私は二人を秀知院学園へと進ませるべく、家庭教師の役割を担っていた。
秀知院学園の存在を知ったのはパーティーでのこと。そこで会う貴人のことごとくがその学園のOBであり、そして子女をそこへ通わせているという名門校。
そこに二人が入学すれば上流階級とのコネクションを作れる上に、特待生制度による給付型の奨学金でお金にも困らない。
だからこれまで以上に私は、娘たちの教育に力を注いだ。
だけど、自分が気づいていなかっただけで、私の教育方針は破綻していたのだろう。
『圭、成績が落ちてしまっているわね。どうしてかしら?』
『……』
『失敗をしてしまったなら、まずは原因を見つけて対策を……』
『うるさいな……ッ! そんなのお母さんのせいでしょ! どうしてお母さんはそんな風になっちゃったの!』
そう言って圭は部屋に閉じこもってしまった。
殴られたかのような衝撃が頭を襲う。
今までは私が付きっきりで指導した方が、圭の成績が上がった。
でも、変わった? 私がいる方が効率が悪い? 御行と同じようにした方が良いの?
そこで私は、迷ってしまった。
『圭は、ここには相応しくないと思う』
娘の一言に素直に従ってしまうくらいに。
『大丈夫だよ、お母さん。圭の分も、私が頑張るから』
それからずっと、私は空回りをし続けている。
「ん……待って、今何時なの。しまった、今日は受験日当日なのに。命、車を出すから今すぐ準備を──?」
寝過ごした私が机から顔を上げると、机の上には一枚のメモが置かれていた。
『寝ていたからもう行くね。心配しなくても合格するから、お母さんはゆっくり休んで』
「……ごめんなさいね」
どっと肩に疲れが押し寄せてくる。
娘に心配をかけさせてしまったようだ。私はダメな母親である。
親に育てられたことのない私にはやっぱり、親の役割は向いていないのだろうか。
「圭と御行も、無事に受験できたのかしら」
夫の下に行った娘と、置いてきた息子のことを考える。もうしばらく顔も見ていない。
けどこんな日々も今日できっと終わりだ。三人が受験に成功すれば、一先ず安心。学費に関しては奨学金で賄える。
夫との関係も修復しよう。私は嫌……でもないか。とにかく複雑な気持ちではあるけれど、子どもたちにとって親が別れてる現状は良くない。
「久しぶりに、料理でもしようかしら」
私は長い間使っていなかったキッチンに立つ。命が帰ってきたら、手料理を振る舞ってあげたい。私は不器用で、味はあまり美味しくないかもしれないけれど。
けど、あの子は喜んで食べてくれるはず。
だったのに。
「はい、もしもし」
『こちらの携帯の持ち主のお母様でしょうか?』
命から電話が来た。まだ受験は終わっていないはず。そして聞こえてくるのは知らない人物の声。
背後からサイレンの音が聞こえる。
「はい、なんでしょうか? 娘に、命になにか──」
『──娘さんが交通事故に遭いました』
私が、寝過ごしていなければ。