本編は原作28巻の白銀母をエミュレートして書き、後書きはそれを読み返して最終的に解釈したものを書きました。何分描写が少ないので、うまく物語展開できてなかったらすまん。
何時間もの手術を終えた娘の姿を、私は窓から見ていた。
娘は、近道をしようとして住宅街を歩いていたらしい。入り組んだ道で視界が狭まり、左右確認が疎かになってしまったのだろう。
そこで法定速度を大きく超えた車が、彼女の体を右から吹き飛ばしたそうだ。
右足はひしゃげて折れ曲がり、切除された。皮膚は剥がれて、包帯越しに血が滲んでいる。
荒く呼吸をして上下する彼女の肺だけが生存を示していて。僅かに見える左目はほとんど死んだように暗く虚ろだった。
「大変申し訳ございませんでした」
娘をこんな目に合わせたのは、四宮の人間だった。
彼らは夫の事業を潰すきっかけにもなった存在。
絶対に許しは──。
「示談に応じていただければ、四宮の名にかけて娘さんの命を保証しましょう」
……。
「この国で最高の医療を提供できるのは我々です。どうか娘さんのことを考えて上げてください」
……。
私がすべきことはなんだろうか。今必要なことはなんだろうか。彼らを法的に糾弾したところで、命は幸せになれるの?
「詳しい話を別室でさせていただいても構いませんか?」
私は静かに頷いた。そうして娘のいる治療室に背を向ける。
そのときふと印象に残ったのは、窓から娘を見つめている一人の女性。
「あなたは、来ないのですか」
そう言うと彼女の娘に向ける憐れみの視線が、私への軽蔑の視線へと変わった。
彼女はきっと良い人なのだろう。顔を覚えておこう。
『行かないで』
そう幻聴が聞こえたが、振り向くことなくこの場を去る。
今の命が、言葉を話せるわけがない。だからこれは私の願望が生み出した、単なる幻聴だ。
私は四宮との示談に応じた。守秘義務を課され、この事故を他人に話すことは許されない。そして対価として娘の命の保証と、私を四宮グループ内で雇用することが決まった。
約束を違えることがあれば、私は刺し違えてでもあなたたちを潰してやろう。
大丈夫。私がいなくても、命には夫や御行、圭だっているもの。あの女性に世話係だって頼んだ。
彼女の人生だけでも、きっと幸せに。
「白銀さ……失礼、娘さんは記憶喪失みたいですね」
「きおく、そうしつ……まさか脳に障害が?」
「いいえ、脳機能の問題ではありませんね。これは心因性のものです。彼女は過去に強いトラウマを抱えていて、心を守るためにそれを忘れてしまったみたいです」
「トラウマ」
「それもかなり根深い。普通ならトラウマに該当する記憶だけを失うが、娘さんの場合はそれが一般常識まで及んでいる。何か心当たりはありませんか?」
分からない。私はそういう心の機微には疎い。命から直接聞き出すことももう叶わない。
ただ、一つだけ調べられそうなものがある。
「たしか、娘が書いていた日記がありました。それを読んでみようと思います」
その後命が書いていた日記──鍵付きの手帳を読んで知った。
命の心を苦しめているのは、私だったということを。
涙で滲んだであろう最後の文を指で撫でる。
あなたの頑張りは私のせいで無駄になってしまった。私が寝過ごしたばかりに、あなたは事故に遭ってしまったし、私がちゃんとあなたを愛せなかったせいで、それがストレスとなり記憶まで失ってしまった。
私が彼女に与えられたものはなんだろうか。きっと僅かしかない。そしてそれはもう失われてしまった。
これが母親のすることだろうか。無能どころの話ではない。私は有害でしかなかった。
夫ならこんな失敗はしなかっただろうに。私は自分が有能だと勘違いして、余計なことをしただけだった。
あの日、二人を連れ出すべきではなかった。あそこに残って、家族みんなで暮らしていれば……私が間違えても、あの人はきっと正してくれたはずなのに。
『昔みたいに、家族五人で川の字になって寝るんだ。真ん中がボクで、右隣ににいにとお父さん。左隣にねえねとお母さん』
「ごめんなさい……」
あなたは家族全員でいることを願った。だけど、ごめんね。私が全部壊しちゃった。
『命へ
ごめんなさい
あなたを愛しています
どうか生きて幸せになってください
母より』
私は身勝手にも手紙を書いた。こんなものは愛でも何でもない。ただ自分の罪悪感を消すための免罪符にすぎない。
それでも、願わずにはいられなかった。
それから約二年が過ぎた。
私は経営コンサルとして四宮グループの系列企業を転々とし、成果を出して信用を勝ち取り、内部情報を引き抜くということを繰り返していた。
次の勤務先は中国だ。そこでは四宮家次男の弱みを掴めるかもしれない。
アレは女性関係で問題が多く、海外でも遊び呆けていると聞く。何か情報を掴めれば良い。
そんな折に来たのが、娘からの食事の誘いだった。
……会うべきじゃなかった。私はあなたが思うような人間じゃない。あなたの求める母親なんてできない。
私のことなんて忘れていた方が幸せだっただろうに。どうしてあなたは。
「お母さん……!」
「命、その足で走ってはダメよ」
転びそうになる娘を抱きとめる。
「どうして追いかけてきたの?」
「まだ聞いてないから、お母さんがどうしたいか。必要だとか合理的とかそんな枕詞なんてつけないで、お母さんの本音を教えてよ!」
私の本音。
「行かないでよ。一緒にいて。お願いだから、私の側から離れないでよ……」
「……分からないわね。あなたは私のことを覚えていないんでしょう? それに私はあなたに何もしなかった。母親なんて呼べない代物に対して、どうしてそんなに執着するの?」
だから、私なんて諦めてしまいなさい。その方が、きっと……。
「最初は家族なんて嫌だと思ってたよ。だけど御行兄さんと会って、圭姉さんと会って、お父さんと会って気づいた。私はほんとは家族が大好きで、求めていたんだって。この体は、みんなと一緒にいたがってるんだって」
「……」
「だから、お母さんとも一緒にいたいの。仲直りしたいの。お願い教えて、お母さんは私と一緒にいたくないの? お母さんのしたいことってなに?」
私のしたいこと。
人は究極的には、自分が幸せならばそれで良いのだ。そして私が幸せになるには、家族が幸せでなくてはならない。
私がいたら、命は不幸になる。だから離れようとした。だけど命は私と一緒にいたいと言う。
「分からないわ」
「は……? 分からないの?」
「そうよ。考えても雁字搦めになってしまって、自分がどうしたいのか分からないの」
「なにそれ……じゃあ今から全部私が言う通りにして。私を愛してるなら、その手で私を抱き締めて」
言われるがままに、私は娘の体に触れた。あんなにボロボロで死んでしまいそうだった体は、確かに熱を帯びて存在していた。
「もっと、もっと強くして。もう二度と私が忘れないくらいに、強く抱き締めてよ」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
「謝罪だけじゃ足りないの。行動で示して。兄さんにも姉さんにもお父さんにもだよ。お母さんのしてることは逃げてるだけなんだから」
「ごめんなさい」
「お仕事ももう辞めて。海外に行くのもだめ」
「それは……いえ、分かったわ」
「今日からはちゃんと、家族と向き合ってよ。それが、お母さんのするべき償いなの。分かった?」
「……はい」
娘の与えてくれた償いは、私にとってお金を稼ぐことや情報を抜き取ることよりも難しく、しかし道に迷っていた私にとっては確かな救いに感じられた。
「お久しぶりですね、白銀様。それにしても命様、お母様と和解できたのですか?」
お母さんを連れて家に帰った私は、政子さんにそう言われた。
「思ってた形とは違うかな。どうにも、お母さんは私が想像してたよりもずっと子供みたいでして」
「私はあなたの母親なのだけれど」
「そういうことじゃなくてさ。政子さんはどう思うます?」
「この方は母親としては落第者です。差し支えなければ、私が教育いたしましょうか?」
「……え?」
「うん、お願いできますか」
「……え?」
そうして試しにテストして見れば、地獄を見た。
……政子さんの方が。
「終わってます。本当に終わってます。家庭的スキルはどれも平均未満で、何よりも子どもへの共感性や愛情への理解度が低すぎます。何ですかこれは……」
「その、私は、母親には向いていないようで」
「いや、これはそういう次元じゃないよ。うーん、一度病院で診てもらおうか」
「……え?」
「その方が良さそうですね」
そうしてお母さんは政子さんによって病院に連れて行かれた。
これじゃどっちが母親か分かんないよ。
「はぁ……」
この人をこのまま兄さんたちに合わせるわけにはいかないよね。白銀家和解の道は前途多難だ、ほんと。
だけど別れたままでいるよりは、小さくとも一歩を歩める方が良いと私は思う……かな。