「命゙ざん゙……!」
「あ、愛さん!? どうしたんですかそんなに泣いて!」
その日の喫茶店に訪れたのは愛さんであった。だが様子がおかしい。初っ端から涙腺崩壊しているのである。
「一体何があったんですか?」
「このマンガを読んでいたら感動して……」
「『今日あま』!? もうブームは少し前に過ぎましたよ、今さらですか!?」
というかその表紙見せないで。私も泣きそう。最近恋愛モノの作品を見ると心が苦しくなっちゃうから。
「ハーブーティー淹れますか?」
「お願い」
今日の愛さんはどこか表情が暗いな。
「染みる……命さんもだいぶ給仕が板についてきましたね。もううちでもメイドしていけるレベルだと思います」
「ご冗談を。お茶は淹れられても、人の世話なんて到底できませんよ」
「冗談ではないですよ。本気で誘ってます」
愛さんはカップを置き真面目に話し始めた。
「私、かぐや様の近侍をやめることにしました」
「……そうですか。いつやめるんですか?」
「今月いっぱいまでは勤務して、二月の修学旅行のときにはもう、やめようかなと」
そうか、ようやく決心がついたんだね。
「でも、どうしてそのタイミングで?」
「いろいろ理由はあります。当主様が倒れたりとか」
秋頃に雁庵さんが倒れたことか。四宮はあの人を中心に回っていたからな。今は事業の引き継ぎで大忙し、四宮は否が応でも体制を変更せざるを得なくなった。
「それに正月の決定もありました。あれからかぐや様の監視が厳しくなってしまって」
「四条と和解する件ですね」
「はい。そろそろ限界なんです。私が誤魔化して報告するのは。これ以上私が側にいれば、かぐや様の害になってしまうから……」
愛さんは俯きがちにそう言った。
黄光さんがかぐやさんの内情を知ろうとするのは一族をまとめ上げるためだろう。弱みを握って、自分の立場を押し通す。
ちゃんと話し合えって言ったのに、相変わらずやり方を変えられない人だな。
「私はもう、あの子のそばにいるのが苦しいんです。だって──」
「愛さん……」
愛さんがかぐやさんを想う気持ちは本物だ。下手したら実の親である雁庵さんよりも。
だからこそこれまで裏切り続けていたことの心労は計り知れない。これ以上愛さんが内偵を続けたら潰れてしまうかも。
だからこの決定も、きっと仕方ないのだろう。
「──だってかぐや様ったら滅茶苦茶恋愛自慢してくるんですよ!? 私もう耐えられない!」
「あ、そっち!?」
私てっきりもっと重い理由だと思ってたよ!
「毎日毎日、やれ今日は会長とキッスしただの。やれ今日は手をつないだだの。やれ今日は膝枕しただのと……ふざけるな! バカかぐや! 私に対する嫌がらせですか!?」
お、おおう。こりゃ相当溜まってんな。
「その上人に恋愛話を振っておいて、答えたらこう言うんですよ。『早坂ったら全然だめね。やっぱり付き合ったことのないあなたには分からなかったかしら。ごめんなさいね?』って……」
一気にハーブティーを飲み干した愛さんが怒りで震えて爆発した。
「あれが死ぬほどムカつくんですよ! 誰のせいで恋愛できないと思ってるんですか! わたっ、私は! かぐやの世話をして守っているというのに……あのアホがぁ──!!!」
「ハーブティーおかわりいりますか?」
「いる! 今日は
そんな自棄酒みたいな……。
「うぅぅ……私だって恋愛したいよ。でもそんな時間ないし、良い男もいないし、いたとしてももう彼女持ちだし」
「愛さんから見て良い男ってどんな人ですか」
「……会長さんとか」
え? まさかの兄!? 三角関係!?
「いや、別に好きってわけじゃないし。ただ私が今後彼氏を作るなら、会長さんが基準にはなるかな」
「結構好感度高いんですね。あんまり兄とは絡みないんじゃ?」
「かぐやに意地悪するためにちょっかいかけたくらいだよ。でも、会長って全然私に靡かなかったんだよね。『好きな人がいるから』ってさ。そうなると俄然気になっちゃうというか」
「や、やっぱり三角関係じゃないですか!」
「い、いやいや。あくまで悔しいだけで、ほんとに好きとかではないし。だから安心して?」
「なら良かったです。万が一のときは兄さんをイスラム教徒に改宗させようと思いましたから」
「なんで!?」
イスラム圏は重婚が認められてるからだよ。ドバイあたりに行ってくれたら、うちもコネクションができて助かるんだけどな。
だめ? そっかぁ。
「でもどうしますか。もし仮に兄に関係を求められたら」
「そしたら怒りますよ。かぐや様を悲しませるような真似はするなって」
しっかりお姉ちゃんしてるね。
「でも、まぁ、一回くらいだったら……」
「アウトだよ! 仮にも妹みたいに思ってる人の彼氏に色目使っちゃだめですって!」
「だってかぐや様は私を大事にしてくれないんですもん。ちょっとくらい痛い目を見てほしいです。私が先に会長とワンナイトしたら、あの子どんな顔するかなぁ……?」
「め、メンヘラ!?」
良くない顔してるよ愛さん。
「とにかくやめてくださいね。兄とかぐやさんはようやく付き合えたんですから、二人の関係を壊すのだけは」
「やりませんよそんなこと。自然に別れたら別ですけど」
「だからぁ──!!!」
「許してにゃん?」
「くっ……許すっ……」
それをやられたら許すしかない。
「逆に命さんは良い人いないんですか?」
「私ですか、いないですね」
「今のうちに彼氏作らないと大変だと思いますよ。ほら、四宮家から縁談をねじ込まれたりとか」
「現に無理やり顔合わせとかさせられてるので無問題ですよ」
ニッコリスマイル。
「うっわ。大丈夫なんですか。断るのとか大変じゃ?」
「何を言ってるんですか愛さん。ノーメイクで行けば全部相手側から断ってくれますよ。楽で良いですね、ははは……」
「……いつか本当の命さんを受け入れてくれる彼氏ができますよ。よしよし」
ぐわぁぁ! 今日は自棄ハーブティーじゃぁ!
呼吸、楽しい。ハーブティー、おいしい。
「ま、恋愛のことはひとまず置いときましょう。愛さんはかぐやさんの近侍をやめたあと、どうするか決めてるんですか?」
「正直四宮からは離れたいです」
「日本にいる以上それは無理では?」
「ですよね」
「前にも言いましたけど、私のところで受け入れることもできますよ」
「けど、そうなったら命さんに迷惑がかかるんじゃ?」
「私が今四宮家でどんな立場か、奈央さんから聞いてないんですか?」
「聞いてますけど……」
今の私は四宮家の中で最重要人物と言って良い。
私は四宮と四条の橋渡し。私が死ねば、和解案はパー。それどころか誰が私を殺したかでまた新たな火種が生じるだろう。
四宮一族でさえ、もはや私に手出しできない。だってそうだろう。四宮の跡取りである黄光さんでさえ死んだら代わりがいるのに、私には代わりがいないんだから。
「あまり私を舐めないでください、早坂愛。この手を取った女一人、守ってみせる甲斐性はあります」
「……今すぐとは言えないですけど、無事に退職できた暁には連絡させてもらっても良いですか?」
「もちろん」
愛さんはそう言って、私が伸ばした手を取った。
「と、ところで命さん──キスって興味ありますか?」
「ん?」
流れ変わったな。
「私かぐや様に散々馬鹿にされたので、一度くらいキスを経験しておきたいんですよね。けど有象無象の男にはしたくないので、やるなら女の子って話なんですけど」
「愛さん? 手! 放してくれませんか、手!」
「以前書記ちゃんには断られてしまって」
「やめ……店長! 店長へールプ!!!」
「私を助けてくれる、お礼の印に……ね?」
し、しねしねビ──ッム!
「命さん」
しねしねビ──ッム!
「……」
しねし──うわぁぁぁ!!!!
ほっぺにちゅーされた。
「ほんとにキスすると思ったんですか、命さん。お可愛いですね」
奈央さん! 娘さんのせいで私の性癖が壊れそうだよ!!!