その日、喫茶店に来たミコさんはいつになく真剣な表情で何かを書き記していた。
「ぶつぶつぶつ……」
異様な雰囲気である。資格の勉強でもしているのだろうか。
「どうぞ、ミコさん。ハーブティーです」
「命ちゃんありがと」
──クビッ!
「おかわり」
「一気飲み!? もっと味わってくれませんか!?」
まぁ淹れるけどさぁ……。
「ところで、さっきから何を書いてるんですか?」
私はそう言って彼女の書いているノートを覗き込んでしまった。
覗き込んでしまった。
そして脳に飛び込んでくる難しそうな漢字の羅列。
え、お経???
「な、なんですかこれ」
「般若心経。命ちゃんもやってみる? 写経」
やりませんよ。
「なんでそんなことしてるんですか、出家でもするんですか」
「違うよ? これは心を落ち着かせるためにやってるの。こうしてありがたいお言葉を書き記すとね、煩悩を忘れ去って苦しみから解放されるんだよ?」
怖いよ。あとどこかで聞いたことあるような論調やめて。
「何か悩みでもあるんですか?」
「悩みなんて、ないよ。ないん、だからぁ……!」
嘘つけ。そんなにポロポロと泣いてちゃ丸わかりだよ。
「ミコさん、良かったら私に相談して──」
「命、今日も来てやったわよ……って、あんたは」
「あ、眞妃さん」
タイミングの悪いことに、丁度眞妃さんがやってきた。
「生徒会会計監査の伊井野ミコよね。どうして泣いてるのよ、まさかまだ腕が痛むわけ?」
「違います……」
「私もそれが気になって、丁度今聞こうとしてたんですよ」
ミコさんは人前で泣くようなことはしない。きっと何か深刻な理由があるのだろう。
「ふーん、なら私も聞いてあげるわよ。同じ生徒会のおばさまや藤原には相談できなくても、部外者の私になら話せることもあるんじゃない?」
「四条、先輩……」
ほんとに良い人だな。眞妃さん。
「人に話すことで、気持ちが軽くなることもありますよ」
「命ちゃん……ありがと。なら相談させて貰うね?」
よし、どーんと来い。
そしてミコさんがポツポツと話し出す。
「えっとね、石上とつばめ先輩が仲良くしてると、胸が痛くなるの。なんでかな……」
ほーん、ふーん、なるほどね? 理解理解。
「ごめんなさい、私たちじゃ力になれそうにないです」
「あー、やっぱりあんたもそうなのね。道理でなんかシンパシーを感じたのよ。安心しなさい、ここには先駆者しかいないわよ」
「全然頼りにならないじゃないですか!? さっきの言葉はなに!?」
恋愛方面とは思ってなかったんだよ。
「というか眞妃さん、しれっと私まで先駆者に含めないでくださいよ」
「あんただって振られたじゃない」
「だからあれは罰ゲームであって……」
「命ちゃん、誰かに告白したの?」
「私の双子の弟に告白してね。結局、上手くは行かなかったけれど」
「その話はもう良いですって。それよりミコさんのことです。詳しい経緯を聞かせてくれませんか?」
「うん」
二月に入り、二年生の先輩が修学旅行に行っている間のこと。優さんはつばめさんをデートに誘ったらしい。
それから二人は順調に仲を深めているように見えて、ミコさんはそれが気に入らないそうだ。
「変、だよね。私は石上のこと嫌いだったはずなのに、石上とつばめ先輩の仲を応援してあげないといけないのに……私、いつの間にか駄目な子になっちゃったみたい」
「ミコさん……」
「自分の心情がまだ整理できてないのね」
ミコさんは苦しそうに胸を押さえた。分かるよ、叶わない恋って言うのは辛いよね。忘れてしまいたいくらいに。
……ん? なんか変な感じだな。なんで私はミコさんに共感してるんだ?
「とりあえずミコさん、まずは自分の気持ちと向き合うところから始めましょう。いつから優さんのことが気になり始めたんですか?」
「命がそれを言うのね……」
なにか問題でも?
「きっかけは多分、文化祭の日。私が一人で見回りをしてる時にあいつが、は、ハートのネックレスを渡してきて……」
「優が? あいつ子安つばめ狙いのくせに、他の女にも唾つけてたのね」
「ち、違います! ただ落とし物を届けられただけで、私は風紀委員会だったから。それに、石上は二股するようなクズじゃないです」
「何の話ですか?」
「命は知らないのね。うちの文化祭はハート型のものを異性に贈ると結ばれるってジンクスがあって、実質的に告白みたいな意味を持つのよ」
はえー、ロマンチックだな。
「それから石上がキャンプファイヤーの映像を見せてくれて。私、頑張って良かったって思えたの。なんか、報われたなって思って……」
「恋しちゃったと」
「恋……し、ししししてませんよ!? 私が石上のこと好きになるとかありえないですから! あいつ不真面目だし校則守らないし、ぜんっぜんタイプじゃない──」
「なら、優が子安つばめと付き合ってよ良いの?」
「そ、それは……」
言い淀むミコさん。私にはそれが答えにしか見えなかった。
「でも、石上はもうつばめ先輩のことが好きで……」
「関係ないわ、伊井野ミコ。どんな理由であろうと挑戦する前に諦めてしまうなんてあってはならないのよ。ボールを蹴らなければゴールは得られないの」
良いこと言うな、眞妃さん。自分の恋愛はボロボロなのに。
「ならどうしたら?」
「だからさっさと自分から告白……は、性急すぎるわね。いきなり告っても振られるだけでしょうし」
「どうしてそんな『めんどくさい例』を見るような目で私を見るんですか?」
あい、どんとはぶ、心当たり。
「というわけだから、まずはアピールから始めなさい」
「アピールですか?」
「そうよ。相手が好きだってことを言外に示し続けるの。優の前でちょっと独占欲を出してみたり、ボディタッチしてみたり、お洒落してみたり。それで優を誘惑して、相手から告らせてみせなさい」
「告らせる……」
「あんたは学年一位の天才なんでしょう? そのくらいやってみせると、石上優を手に入れてみせると、今この場で誓いなさいよ。でなければ好いた男を手に入れるなんて夢のまた夢よ」
「わ、私は石上に、告らせてみせます……!」
「よく言ったわね、ミコ。そうと決まれば私と命が協力してあげる!」
「なんで私まで……」
相変わらず人の背中を押すのだけは得意な人だな。
「というか、良いんですか。優さんの邪魔をして」
私は決意を固めるミコさんを尻目に、眞妃さんの耳にそう語りかけた。
「優と子安つばめの仲を邪魔することはしないわよ。あくまでミコに協力するだけ。優がミコに靡くかどうかは優自身の話でしょ? それに、この子には個人的に協力してあげたいし……」
まったく、仕方ない。あなたの優しさに免じて、私もちょっとは手伝いますよ。
「あと単純に面白そうだったから……」
前言撤回だよ。ほんと、ナチュラルに人の恋路に首突っ込まないでくれ。
この人前科あるからなぁ……ミコさんの恋愛は上手くいくのだろうか。どうか良い方向へ進んで欲しい。
ん? 変だな、前科ってなんだろうか。
「それはそれとして、二人とも写経しませんか?」
「やるわ」
「……私もやります」
そうして私は、胸のざわつきを写経で抑えた。
「あれ、伊井野香水つけてる?」
「よ、よく気づいたわね」
石上は思っていたよりも、私のことを見てくれていたらしい。
「良い匂いだったから。それに今日が蒸れるってのもあるけど。にしても伊井野が香水って珍しいな。校則違反じゃ?」
「前に四宮先輩からもらったのが残っててもったいなかっただけ。これっきりだから。……ほんとに良い匂い?」
「ん。そうだな、例えるなら赤ちゃんの匂いかな」
ほ、褒め方が独特だ。やっぱり石上ってちょっとズレてるのよね。
でも、褒めて貰えて嬉し──。
「石上くん……きっもぉ」
「「ふ、藤原先輩!?」」
いつの間にか私の背後には藤原先輩がいた。
「女の子に赤ちゃんとか言っちゃだめって前に言いましたよね。ちっとも懲りてないじゃないですか。石上くんが赤ちゃんからやり直したらどうですか?」
「あ、心が砕けそうなので帰ります」
「ま、待って石上……!」
まだあんたに気づいてもらいたいことが……!
い、行ってしまった……。
「まったくもう。乙女心が分かってないなぁー石上くんは」
「それは藤原先輩もです」
「え?」
「余計なこと言わないでください」
今回ばかりは、藤原先輩でも許せない。だって。
「ネイルのことも気づいて欲しかったのに……」
「ゔぇ゙ぇ゙ん゙どぼじでぇ゙ぇ゙ー!」
「「は、入り辛い……」」