春休みが目前に迫る中、私は黄光兄様から本邸に呼び出された。
ついに命さんについての話を聞けるのかしら。
私は命さんが四宮家の中で何をしているのか、断片的にしか知らない。
お父様の信任があること、黄光兄様と共謀していること。四条と四宮の関係改善のために奔走していること。
命さんは、どうして四宮家のためにそこまでしてくれるのだろうか。
以前言っていたように、黄光兄様が命さんの恩人だからだろうか。
けど、命さんが入院した理由は脳腫瘍ではなく交通事故。なら本当のところは一体……?
などと考えていたからだろうか、私は本邸で命さんの後ろ姿を見つけた。あなたも呼ばれていたのね。
「かぐやさん、どうしてここに?」
「黄光兄様に呼ばれました。どうも今後の話をするために集められたみたいですよ」
黄光兄様は、四宮の今後について話があると言っていた。
だから呼び出されたのだ。
「四宮家一族全員が」
「──は?」
それを伝えたとき、命さんは呆けたような顔をした。
なにか、様子がおかしいような。
「おう、来たか。かぐや、命」
おかしい。
「兄様、お久しぶりでございます」
おかしい。
「黄光さん! なんのつもりですか、私は彼には会わない約束で……ッ!」
命さんはどうしてそんな、
「兄さん、僕を本邸に呼び出すなんて珍しい……ん、お前は……?」
私たちの後に現れたのは、四宮家次男、私の兄の一人、四宮青龍だった。
「お久しぶりです、青龍兄様──」
「兄さん、こいつを呼ぶなんて僕への嫌がらせかい? もう
……私の四宮家における立場は低い。だから兄様たちが私を無視するのはいつものことよ。それは良いの。
示談って、何のこと?
「お前もいつまでも纏わりついてくるんじゃない。まるで四宮家に集る虫のようじゃないか……いくら飛び回ろうと、もう金は出てこないんだよ。分かったらさっさと失せろ」
「……帰ります」
命さんが、光を失った目でそう呟いた。
「ったく……ガキが。ま、見てくれは悪くないし、怪我さえなければ妾の一人に加えてやっても良いが」
「青龍」
「……はいはい。女遊びはほどほどに、でしょう、兄さん? 僕は先に部屋で待ってるよ」
私と黄光兄様だけが残った廊下は、ようやく静けさを取り戻した。
「お兄様、説明して、ください」
私は怒りと恐怖で震える唇から言葉を絞り出した。
「今のは、どういう意味ですか……?」
「白銀命から体の自由を奪ったのは青龍だ」
ああ。
目の前が暗く染まっていく。
四宮かぐやは夢を見る。
「命さんが記憶を、瞳を、足を失ったのは
「違う! 目を覚ましなさい
冷たい私の声が響く。
「会長の家族が離ればなれになった原因を作ったのも、
「違うわ、それはおハゲさんのせいでしょ!
気の抜けた私の声が響く。
「海外留学の件も許されなかった。私は弱い。私は
「そんなことないわ、
幼い私の声が響く。
「こんな私が、会長の隣に立つなんて、烏滸がましかったのよ」
そして何も聞こえなくなった。
「もう、私なんて……消えてしまいなさい」
ドス黒い何かが、心の内を埋め尽くした。
「アホ、チビ。逃げるわよ!」
「わっ、氷ちゃん!」
「氷姉さん……!」
「ここまで来れば大丈夫かしら。しっかし、泥臭くて仕方ないわね。嫌なことを思い出してしまいそう」
私はアホとチビを抱えて脳内法廷を抜け出し、深層心理の奥底へと逃げ出してきた。こいつらの背丈が小さくて助かったわ。おかげで脇に抱えて走ることができた。
「氷ちゃん、あの黒いのはなんなの?」
「知るわけないでしょ。でもまぁ、ある種の心の闇といったところでしょうね。自己嫌悪の波とでも呼びましょうか」
白銀家の不幸のすべてに、四宮家が関わっていた。それを知った主人格は精神を強く揺さぶられたわ。軟弱なことね。
そして、そこを黄光のクソ兄貴に突かれた。『何が話し合いのために呼んだ』よ、とんだたぬき親父だわ。
真の目的は私の心を折って、新体制から私を除外することでしょうに。命とクソトカゲを一緒に呼んだのも、きっとそのためね。クソハゲが、目が覚めたら覚えておきなさい。
「チビ、黒いのに触ったら最後、人格が飲まれて消滅するわ。私の手を握って、決して離れないで」
「……うん」
この中で一番飲まれてはならないのが幼い私だ。私とアホの人格は彼女が元に形成されている。
言ってしまえばなんだけど、主人格が最初に飲まれたのは幸いだったわね。あれが一番の新参者だもの。
「
「飲まれたわね。今のあれと出会ってもついて行ってはダメよ。今のあれは全くの別物、四宮かぐや(ネガ)とでも呼称しましょうか……さながらゾンビ化して動く死体ね」
そして私たちは、逃げる生存者といったところかしら。
「ゾンビなら治せるんじゃないかしら! 映画のお約束でしょ?」
「はぁ、やっぱりあなたはアホね、そんな都合の良い話がある……わけ……あるわ!」
「「あるの!?」」
「自己嫌悪の対極にあるのは自己肯定よ。そして私の記憶にはそれがあるじゃない。とびっきりの特効薬が……!」
「なにそれ、私分かんない」
アホはもう黙ってなさい。
「もしかして、お母様……?」
「そうよ。お母様と一緒にいた、ほんの僅かな記憶。私たちがクズの兄様たちのようにならずに済んだ、最初の愛がそこにあるわ」
私が覚えている最初の記憶。母の腕で抱かれたときに、言われた言葉。それがあれば、私は私を取り戻せるはず。
「そうと決まれば、早速深層心理に行きましょう」
「どうやって行くの?」
……結局ここはイメージの空間なのだから、深層に向かうには深く潜らないといけないのよね。
深く深く行く道を。
そう考えたとき、目の前には沼があった。高等部一年のときに私が飛び込んだあの沼である。
「最悪……またこのドブ沼に浸かるハメになるとは思わなかったわ」
「え、まさかこの中に入るって言うの!?」
「氷姉さん、考え直して?」
「つべこべ言うな! ジタバタしない! そして目と鼻と口を閉じてなさい!」
今度は縄もつけず、私は沼へと飛び込んだ。
……そして目を開ければ、中等部の教室にいた。
「なんで沼の中が教室なの!?」
「記憶の連続性が無茶苦茶ね。急がないと、本体の精神が侵食で駄目になってしま──」
『四宮さんには、できない人の気持ちがわからないのよ!』
「二人とも、屈みなさい!」
背後から声がしたので、私は回し蹴りでそれを迎え撃った。
そして飛び散る、まるで泥で出来た人形のようなモノ。
『あんたなんか、四宮の人間じゃなきゃ近づかなかったのに!』
「うるさい。チッ……こいつ復活するのね。おいアホ、チビを連れて逃げなさい!」
泥の人形は、壊した途端に次から次に湧いてくる。これではキリがない。
「氷ちゃんも逃げよう!」
「こいつらは私のトラウマよ。だから私を追ってくるはず。私が残り、二人が逃げた方が合理的なのよ」
「でも……!」
「うるさい、早く行け。私に優しくできるのはあんたたちだけなんだから……私のことは任せたわよ」
「氷姉さん──!」
……行ったわね。
「さて、かかってきなさいトラウマ共。私は氷のかぐや姫と呼ばれた女。主人格のように、そうやすやすと倒せる相手だと思わないことね」
深く、深く沈んでいく。真っ黒な泥の底へ。
『四宮、なぜ命ちゃんの記憶を、自由を奪った? なぜ俺たちの家族はここまで苦しまなければならなかった? なぁ、答えろよ。答えられないなら、俺はお前を絶対に許さない』
「それは、ずるいわよ……」
好きになったほうが負けなんて、私は今さら思い出してしまった。