氷ちゃんを置いて、私はかぐやちゃんを連れて走り出した。
「待って、どこに逃げるつもりなの?」
かぐやちゃんが不安そうに私を見る。
大丈夫よ、私だって四宮かぐや。普段はアホかもしれないけれど、ちゃんと頭は良いんだから。
安心させるように、私はかぐやちゃんに向けて笑顔で言った。
「中等部の頃の私の心を救ってくれたのが誰か、忘れちゃった?」
「もしかして、藤原さん……?」
「そう、藤原さんが私をゲームに誘ってくれたおかげで、私は初めて独りじゃなくなったの」
そして彼女とゲームした場所は部活棟。TG部の部室だった。
「ここ! この中に入れば少なくとも次の記憶に……あ、あれれ?」
「鍵がかかってるみたい。どこかで鍵を探さないと」
「め、面倒くさいわね。おりゃあ──」
──バキッ!
私は飛び蹴りで扉を破壊した。私だって四宮かぐや。アホでも肉体のスペックは同じである。何よりここは精神世界だし。
「か、解決策までアホだ……」
「解決できれば良いのよ、行くわ!」
そうして飛び込んだTG部の部室には、深い深い穴が空いていた。
私たちはそれに吸い込まれ、重力を感じることなく落下し、気がついたときには和室の中だった。
「中等部の次は和室? どうなってるのよほんとに……かぐやちゃん?」
かぐやちゃんの様子がおかしい。何かに怖がっている。
「どうしたの?」
「ここ、本邸の部屋だ。私が、たくさん叩かれた部屋……」
──パチン……パチン……!
私の腕を叩く、トラウマの音が近づいてくる。
「怖いよ……お花姉さん……」
「あわわ……ど、どうしよう。何か耳を塞げるものは……よ、よし! かぐやちゃんこっち!」
私は勢い良く部屋を飛び出し、かぐやちゃんを連れて廊下を駆ける抜ける。
『見つけましたよかぐや様! まだ教育は終わっておりません! あなた様を四宮家に相応しい子女へと育てるために──』
背後からかつての教育係の声が聞こえた。キャンキャン吠えて煩いよ。今ならぶっ飛ばしてあげるのに。
「ここ、この部屋だ! かぐやちゃん、障子押さえておいて!」
「う、うん……」
『かぐや様! そこにおられるのは分かっております! 開けてください!』
「お花姉さん……!」
私は必死にタンスの中を探す。そして、見つけた。
「じゃじゃーん! お父様からもらったへその緒!」
「それ今必要だった!?」
「じゃなくて、これと一緒にもらったものがあったでしょ? ほらイメージイメージ」
私がへその緒と一緒に命さんからもらった誕生日プレゼント、それはイヤーマフだ。普通のものと、猫耳がついたのもの。
念じれば、それは目の前にある。私はすぐさまそれを手に取り、かぐやちゃんと自分にかぶせた。
「どう? あの音はもう聞こえる?」
「聞こえなくなった……すごい、どうやったの?」
「誕生日プレゼントの愛情パワーと、イヤーマフの遮音効果の合わせ技! 氷ちゃんが沼に潜って深層心理を移動したのを見て、イメージ次第でトラウマに対抗できるかなって思って」
「アホなのに賢い……」
私がアホなのは行動であって、知能じゃないもん!
「けど、次はどこに行こっか。そもそも何で私たち本邸にいるんだろう……?」
「……氷姉さんは、お母様との記憶が大事って言ってた。そしてその記憶は、本邸の山の中にあるわ」
そうだった! かぐやちゃん天才!
「私たちならお父様とお母様が過ごした小屋の場所を覚えてるから、すぐに行けるわね! 早速向かいましょう!」
「う、うん……」
部屋を飛び出し、廊下を走った。裏口から出れば山はもう目の前。
『かぐやさん』
私は文字通り、後ろ髪を引かれてしまった。
「いたっ……」
私は廊下へと転び、体を打ちつける。
「お花姉さん!」
「私は良いの、行って! かぐやちゃん!」
「でも……わ、私には見捨てられない……」
「あなたは見捨てるわけじゃない。託されたの! だから走って、やるべきことを成して!」
一番幼い人格であるあなたを送り出すことは酷かもしれない。だけど、あの記憶を見つけに行くなら、あなたが一番相応しい。
「……行ってくれて、ありがとう」
『ああ、かぐやさんは私を置いていくんですね。酷い人だ』
「そんなことしないよ、命ちゃん」
振り返れば、そこには命ちゃんが立っている。
『ねぇ、なんで? なんで私はこんな目に遭わなきゃならないんですか? 全部、全部
「命ちゃん……」
この命ちゃんは偽物だ。確かに私は、あの病院でそんなことを言ったような気がする。でも命ちゃん本人には聞こえてないし、覚えてない。あのときの命ちゃんは幼児退行してたから。
『ねぇ、じゃあ死んでくださいよ。四宮家も全部壊して、殺して、私に償って……?』
「しない。それをしたら、たくさんの人が不幸になっちゃうでしょ? そしてそれは命ちゃんもだよ」
『……どいてください、かぐやさん』
「絶対にどかない。私とて四宮かぐやなの。あなたはここで食い止める」
『じゃあ、壊すね?』
そして命さんの暗い右目から、泥が溢れ出した。
「はぁ……はぁ……」
私は独り、山道を登っていた。道は分かる、けれど恐怖は消えない。暗い木々の間からいつあの泥が襲ってくるか分からない。
姉さんたちは無事だろうか。私が、みんなを助けないと……ッ!
「誰なの!?」
茂みから音が聞こえた。何かが動く音だ。
その方向にむけて私が呼びかけると、現れたのは氷姉さんだった。
「私よ、チビ。そんなに怯えて、お可愛いことね」
「氷姉さん……無事だったの?」
「中等部の有象無象に私がやられるわけないでしょう? 全員ぶちのめしてやったわ。小屋まで行くのよね、早く行きましょう。ついてきなさい」
氷姉さんはそう言って、山道を歩いていく。
しかし私は彼女にはついていかず、その場に立ち止まった。
「どうしたの、早く来なさい」
「……ごめんなさい。ついては行けないわ。だってその先は山の上に続く道、小屋はその道から逸れた場所にある。私が忘れるわけない」
こいつ、ゾンビだ。氷姉さんは飲まれちゃった。
私は茂みの中に飛び出し、駆けて行く。足元は暗いけれど、そこには確かに獣道がある。この先に行けば、お父様とお母様が暮らした小屋が……!
「待ちなさい」
「……っ! は、離して!」
偽物の氷姉さんに音もなく追いつかれ、私は手首を強く掴まれた。
「行ってどうするの? 正気を取り戻したところで、四宮家がした所業を会長が知れば、拒絶されるだけよ」
「……」
「ここで諦めなさい。もう無理なのよ。四宮家と白銀家は相容れない──」
「偽物でもそんなこと言わないで!」
私は会長を愛してる。そして会長も私を愛してる。それを信じてるからこそ、進むのよ。会長の愛は、この程度で揺らいだりしないものなんだって!
「こ……のぉ……!」
腕が千切れたって構わない。私はそんな思いで、万力の力を込めて腕を引っ張った。
「わっ──ぬ、抜けた……?」
突然、滑るように手がスッポ抜けた。なぜかは分からない。だけどチャンスだ。
私は呆然と掌を見つめる偽物の氷姉さんを尻目に、小屋へと走り出した。
あそこに、私の大切な思い出がある。
氷のかぐやは、月明かりに照らされた己の手のひらを見て呟いた。
「独りに見えても、そうじゃないのよね。あなたは愛されてるのよ。だから早く起きなさい、四宮かぐや」
手のひらには、見覚えのある青色のシュシュが握られていた。
命に呼ばれて、私は病院に飛んで来た。
そしてそこで見たのは、虚ろな目でボソボソと何かを呟くかぐやの姿。
「ごめんなさい……ごめん、なさい……」
「何が、あったの?」
「四宮本邸で黄光さんと何かを話して、強い精神的なショックを受けたみたいです。新幹線で東京に帰るまでは呆然としていて、話しかけたら軽く返事をする程度でしたが、つい先ほど倒れました。彼女は今、自己消失の危機に陥っていると思われます」
「私は、どうしたら良いの?」
「手を、強く握ってあげてください」
「分かった。かぐや、大丈夫だよ……私が側にいるから……」
手を握れば、彼女の表情がほんの僅かだが、安らかになったような気がした。
「愛しのお姫様の心が囚われたんだ。早く来なよ、兄さん」