「お母さん、起きて。今日は受験日当日だよ?」
「……」
ボクは机に突っ伏して寝ているお母さんを揺らしてみた。が、一向に起きる気配はない。よほど疲れているんだな。
さて、どうしようか。今日は秀知院学園中等部の受験がある。お母さんが起きるまで待っていたら遅刻するかもしれない。
学校までの道順は覚えている。かくなる上は、一人で行くか。
『寝ていたからもう行くね。心配しなくても合格するから、お母さんはゆっくり休んで』
ボクはそう書き残し、二人が住むにしては広い部屋を出た。
「えっと、道は確かこっちだったよね。……うわ、なに? 通行止め? 最悪だ」
学校に向かう途中、不幸なことに大通りは封鎖されてしまっていた。下水管が破裂したらしい。これでは通れそうにない。
「仕方ない。近道するか」
そうしてボクは、脇道を使うことを余儀なくされた。
「学校はたしか、こっちの方角だよね」
似たような形の建物が並んでいて、まるで迷路のようだ。ボクは子供用のスマホで地図を確認しながら、住宅街を進んでいく。
「次は、こっちか。そして次は──」
歩きスマホをしていたからだろうか、不注意にもボクは、近づいてくる音に気が付かなかった。
角から一歩踏み出したとき、右から現れたのは黒い高級車だ。
スピードが速い。そこには一時停止線があったはずなのに。
なんて考えるまでもなく、ボクの頭脳は明確な未来を予知した。
あ、轢かれる──。
そして気がつけば、ボクは真っ暗な空間にいた。
「え、もしかしてボク死んだの? 交通事故で死んだ?」
「死んでないよ」
「うわぁ! だ、誰?」
声に驚き後ろを振り向けば、そこにはボクがいた。
「やっと部屋から出てきたと思ったらこれだよ。ほんと、嫌になる……」
「なんでいきなりため息……?」
「ため息もつきたくなるでしょ。今自分がどういう状況にあるか知ってる?」
今の状況? ボクは受験に向かっていた途中に……違う!
もっと時間が経っているはずだ、思い出せ。
ボクは事故で記憶を失い、一度すべてをやり直したんだ。
「……たしか、姉さんと合格発表を見に行った帰りに事故にあったんだよね。死んでないなら、また記憶を失ったとか?」
「いや、事故にはあってないよ。そこから話さないとだめか。良く聞いてよね」
ボクは話を聞いていくうちに、徐々に今日の記憶を思い出した。
そうだ。春休みに入って、ボクは姉さんと一緒に編入試験の合否を確認しに行ったんだった。
結果は無事合格で、ボクと姉さんは大喜び。浮かれていると、横断歩道を渡ろうとしたときに危険な運転をした車がきた。
ボクは反応が遅れてしまって、あわや大事故になるところだったけど、すんでのところで姉さんがボクを引っ張って守ってくれて事なきを得た。
怪我はしなかった、だけど過去のトラウマを再体験したボクは気絶。今は入院しているらしい。
「え? 精神的ショックで入院ってついこの間かぐやさんがやったじゃん。なんでボクまで……」
「とことん巡り合わせが悪いね。最悪の春休みだよ」
ほんとだよ。ふざけんなマジで。
「まぁ、そんなわけで、外ではみんな心配してるからさ、さっさと起きて欲しいんだけど」
「……分かった。やり方は前に事故にあったときと同じで良いかな」
あのときは、確かボクが嫌な記憶を全部持っていって封じ込めた。そうやって心の平静を取り戻したんだ。
同じように、またボクが記憶と一緒に閉じこもってしまえば……。
「それはダメ」
「……どうして? 今まで通りで良いじゃんか。これまではそれで上手くいっていたし」
「いや、もうパンパンで入り切らないから。嫌な記憶全部心の奥底に貯めていっても仕方ないでしょ? 受け入れなよ」
記憶の忘却ってそんなゴミを埋め立てるみたいなシステムなの?
「何がそんなに怖いの? もう私たちが恐れることって何もないじゃん」
「それは……」
「兄さんも姉さんもお父さんも、そしてお母さんとも仲直りした。秀知院学園に落ちたくらいで誰も私を見捨てたりなんてしなかったし、障害を負っても受け入れてくれた。四宮家だってもう私に手出しできないでしょ。友達もたくさんできた。私は問題をすべて解決できてるでしょ?」
「でも、解決したのは強い私だ。弱いボクじゃない」
「人は強さと弱さを兼ね備えてないと、バランスが崩れておかしくなるの。それに良い加減、帝先輩のことを考えると気絶しそうになる生活とはおさらばしたいんだけど?」
「うっ……だって、先輩には振られたし、失恋なんて忘れた方が良いじゃん」
「諦めちゃダメ。初恋なんだよ? 店長は何度でもチャレンジするべきだって、言ってたでしょ。ビビリだなぁ」
「う、うるさいなぁ! だいたい私が大胆な行動を取れてたのは、ボクが恐怖心を多少なりとも抑え込んでたからでしょ?」
「それはそうだけど、でも良いの? このまま眠ったままでも。みんな泣いてたよ?」
みんなが?
「もう外では一週間くらい経ったかな。いろんな人が見舞いに来てくれたんだよね。家族のみんな、政子さんと店長、生徒会の人、友達、眞妃さんと先輩。そしてなんと、あの黄光さんまで」
「一週間も経ってたんだ……え? あのおハゲさんも見舞いに来たの?」
「私はあの人と喧嘩したばっかりでしょ? このまま目覚めないと、疑いの目を向けられるのは黄光さんだからね。四条家、雁庵さん、雲鷹さん、かぐやさんの四方から袋叩きにはされたくないんでしょ。冷や汗だらだらで面白かったよ?」
「それは見てみたかったなぁ……」
「ね、だから目を覚まそうよ。それに、可及的速やかに目を覚まさないとまずいことになりそうだよ?」
「なんで?」
「外の声を聞いてみて」
ボクは耳に意識を集中させた。
『命さん、まだ目を覚まさないんですね……』
『姉さま、お姫様を目覚めさせるにはやっぱりあれじゃない?』
『真実の愛のキス……! 萌葉ったら天才ですね! では僭越ながらこの私が王子様となりましょう!』
「このままだと初キスが千花さんになるけど」
「絶対にやめてぇ──!」
「──ふべら!」
気がついた時にはボクは病室で、千花さんに張り手をかましていた。
「……おはようございます」
「め、 命ちゃん!? 良かった、目を覚ましてくれて……やったね姉さま! 姉さまのおかげだよ!」
「へ、へへ。私はマジカルミラクル藤原千花ですからね……痛い……」
ごめん。でも寝てるボクにキスしようとする千花さんが悪いんだよ。
「でも良かった。会長と圭ちゃんが来る前に命さんが目を覚ましてくれて。二人ともすっごい心配していたんですよ?」
「にいにとねえねが来るの? あ……」
ボクは思わず口を塞いだ。
「か、かわいい! なんですかそのあざとい呼び方は! 私のことも今度から千花ねえねと呼んでくださいよ!」
「絶対いやだ、ボクをからかおうたってそうは……」
「ボク!? 命さん急に属性を盛り始めましたね、どうしたんですか?」
〜〜〜ッ!!!
「し、知らない!」
「姉さま、命ちゃんは中学生だからきっとそういう時期なの。そっとしてあげて」
「そうでしたか。ごめんね、命さん」
萌葉さん、あなたも同い年だろうが! 知った風な口で言うんじゃないよ!
「会長と圭ちゃん、ビックリするでしょうね。お見舞いに来たら一週間も目を覚まさなかった命さんが起きてるんですもん……あ、どうせならもっと驚かせませんか!」
いきなり何を言い出すのさ。
「というわけで二人にドッキリを仕掛けたいと思います」
「うっわ、姉さまったら悪い人。……萌葉は賛成に一票投じます」
「二対一で可決されました。命さんにも協力してもらいますよ!」
な、なんだ? 病み上がりなのに、また波乱が起きそうだぞ?
とりあえず水だけ先にくれないかな。喉からからなんだけど。
ドッキリに協力しないと水あげないって? 流石政治家の娘、やり口が汚い。
「命が、起きてる!? よ、良かった……ほんとに良かった……!」
「命ちゃん。気分はどうだ、どこか痛いところは……?」
「あの、あなたたちは誰、ですか?」
「「ぇ……?」」
「ドーンだYO! 命さんの記憶喪失天丼ドッキリでしたー! 会長、圭ちゃん、驚きましたか?」
「「……は?」」
「ごめんなさい、兄さんに姉さん。藤原姉妹に無理やりさせられたの」
「圭ちゃんと白銀会長の曇り顔、すごく良かった! 写真撮っても良い?」
「「……」」
「あれ? か、会長? 何ですかそのトイレットペーパーは」
「け、圭ちゃん……?」
彼女たちはしばらくの間磔の刑に処された。自業自得だよバカ。