「オレごときに苦戦するようじゃ無敵の剣士サマもまだまだだなァ!」
幻影の炎が樹海を満たす。
(……ま、オレだけの功績じゃねえだろうけど)
ゲロウが時間稼ぎに成功している理由として、キリジが手加減している事が大きい。
本来、どこにキリジが隠れていようと、横薙ぎに全てを斬ってしまえばそれで終わり。だが、キリジにはそれを選べない。
(樹から生まれ、樹に還る
他の
正面戦闘では勝ち目なんてなかった。
しかし、この場この瞬間のみ、ゲロウはキリジと拮抗する事ができる。
「つまらんのう。逃げてばかり、果てには時間稼ぎ。お主の方こそ、儂を倒す算段はついたのじゃろうな? いくら幻影を重ねても儂の肌には傷一つないぞ」
「ハハッ! 馬鹿かよテメェ、
「…………なに?」
「感じるだろ、炎の熱が。弾ける火花の音が、暗い樹海を照らす閃光が! 幻影を重ねてばかり?
無論、全てハッタリである。
熱も、音も、光も、何もかもが幻。
この中に本物など一切含まれていない。
だが、
真に迫った思い込みは、自分の状態すら歪める。ゲロウとはそういう嘘とハッタリで相手を自滅させる事に長けた冒険者だった。
「そうか、そうか。この炎は実体があるのかもしれんのか……。ならば、仕方がないのう」
しかし、マガリの
ハッタリを見抜いた訳ではない。まるでその嘘がキリジにとって都合が良いとでも言うかのように。
カチャリ、と。
キリジは湾刀の柄に手をかける。
「魔剣抜刀──────『
「…………は? テ、テメェ! 何を考えてやがる⁉︎
「儂とて樹は斬りたくないのじゃが、お主を跋扈させる方がこの森にとっては危険じゃと判断したのじゃよ。苦渋の決断じゃのう」
「……
マガリの
「カカカッ、楽しいのう。久方ぶりの何にも縛られない闘争は楽しいのう!」
激流樹海アシリミッツ。
雨音だけが響く天然の牢獄で、ハラム=アサイラムはかすかに言葉を発した。
「貴様が……正しかった」
ぽつり、と。
嘆くように、ハラムは呟いた。
「神の救いを否定する必要なんてなかった。神を嫌う理由なんてなかったのだな。神の救えない者は吾輩が救い、吾輩の手が届かない者は神の力を借りる。それだけで、よかった。救いなんて、いくらあった所で困りはしなかったのだ」
「それでも、君が間違った訳じゃないでしょ? 確かにわたしを攫ったのは無意味だったけど……でも、君が奴隷商として
救わなかった。
アナテマ=ブレイクゲートはそう言った。
アナテマは過去に戻ったとしても、きっとトリィを助ける。それは嘘ではない。彼女は両手でトリィを抱きしめながらそう思う。
でも、それでも。もしかしたら、神様と話せていたのなら、完全な救いをもたらすことはできずとも──今よりは良いセカイを作れたのかもしれない。アナテマはそう考えずにはいられない。
「ぐふ、はははは。何を迷っているのだ。言っただろう、貴様は正しかった。神と会話しなかった事に罪悪感を抱く必要はない」
だが、ハラム=アサイラムはそれを否定する。
「でも……」
「貴様は悪くない。神に言葉が通じたとして、それで本当に神が人類を正しく救ったかは疑問だ。
「…………っ!」
言葉があれば分かり合えるだなんて幻想だ。
確かに、言葉は大切だ。
でも、言葉だけが全てではない。
あらゆる生き物と会話できる『預言の聖女』だって、あらゆる生き物を理解する事ができる訳ではないのだから。
「行け。行ってしまえ、破門聖女。貴様の好きなように、不平等に
「ありがとう、『破魔の聖人』。尊敬する巡礼者。──
「ふん。
『預言の聖女』エルマ=エスペラント。
全ての
目の前にいるのは、何処にでもある救いをもたらすだけの何処にでもいる巡礼者なのだ。
嘘ではない。偽りではない。
正真正銘、それが今の彼女の
目の前の誰かを救うという、彼女の原点を忘れないための名前。
ハラムの顔に笑みが浮かぶ。
『神は全能なれど全知にあらず』。
神様だって気付かなかったのだ。
なんて馬鹿馬鹿しい真実。
初めから、目の前の少女には嘘はなかったのだ。
「ではな、破門聖女アナテマ=ブレイクゲート。……吾輩も、もう少し
「────
トン、と。
雨粒に紛れた地面を叩く足音。
いつの間にか、そこには一人の
マガリの
鋭い視線がハラムを射抜く。
刃のような真っ直ぐとした立ち姿だった。
「儂の呪いを解くという話はどうなった?」
「……すまない。だが、吾輩が見つけよう。貴様がまた自由になれるように、解呪方法をなんとか」
「そうか。分かった」
キリジは瞳を閉じた。
文句を全て飲み込んで、ただ、こう言った。
「────
「……………………え?」
「期待外れじゃ、ハラム=アサイラム。
もはや赤色ですらない。
断面から溢れる白、青、黒。
人体の中に詰まった極彩色が溢れ出す。
分たれた上半身と下半身。
垣間見える背骨の断面。
曝け出された臓物。
むせかえる
死は色鮮やかだった。
誰がどう見ても、ハラム=アサイラムのそれは致命傷だった。
「無法都市もそうじゃ。ツマランかった。儂が欲しかったのは血と闘争に塗れた街。じゃが……貴様が作ったのは力によって秩序が保たれた社会じゃった。期待外れじゃよ。
理解が追いつかない。
思考の停止。何も考えられない。
だから、それはほぼ反射だった。
アナテマはハラムに駆け寄り、水筒に入った水を傷口にかけた。
唱えるのは『盈月の奇蹟』。人体を修復してみせる治癒の祈祷術。
まだ息はあった。
かろうじて、という前置きはあるが。
それでも、ハラム=アサイラムはまだ生きていた。
「に、げろ……」
「しゃべんなバカ! 君は自分の命だけ考えてろ!」
「き、キリジにはっ、かてない………っ‼︎」
黒い血と共に、ハラムは言葉を吐き出す。
だが、必死の懇願も虚しく、全てが遅かった。
ひたり、と。
アナテマの首元に金属の冷たさが触れた。
両手に触れるハラムの熱が失われると同時、まるで首元の金属が熱されているように錯覚する。
「さて、聖女とやら。剣の錆になりたくなければ、儂に従う事じゃな」
「……君は、何が目的なの?」
「自由じゃ。儂はこの森に呪われておる。その呪いを解き──自由になる事が目的じゃ」
理論上、アナテマは全ての呪いを解ける。
神と対話する場さえあれば、その願いを伝えるだけで良いのだから。
ハラムのような理想とは違う。純粋なまでの我欲のために、キリジはアナテマの力を使おうとしているのだ。
「儂は森から出る事ができん。そして、森を傷付ける事もできん。森を守るためという言い訳を重ね、ようやく剣を鞘から抜けるのじゃよ。……ふざけた話じゃ。じゃから、儂以外の誰かが森を破壊する必要があった。無法都市に協力したのはそのためじゃ」
「そんな強力な呪い、誰に……?」
「なんじゃ? 前に言ったじゃろ。忘れたか?」
「え……?」
ふと、嫌な予感がした。
アナテマはかつて、その言葉を聞いている。
「儂はこの森に棲まう
ぞわっっっ‼︎‼︎‼︎ と。
鳥肌が立つ。背筋に寒気が走る。
無法都市でキリジと初めて出会った時、アナテマはマガリの
そして、確かにキリジはこう答えていた──『
比喩でも何でもなかった。
文字通りの意味だった。
マガリの
キリジが
無法都市で最も恨まれているのはキリジだった。
「なん、で……?」
「何でも何もあるまいよ。マガリの
「……本気でっ、そんな理由で⁉︎」
「
言葉が通じても分かり合えない。
アナテマではキリジを理解する事なんてできない。
情とか、倫理とか、常識とか。
そんな当たり前から解き放たれたのが、マガリの
「さあ、儂は全てを明かしたぞ。次は貴様の番じゃ。儂の呪いを解け、聖女とやら」
「…………っ」
「黙り込んでも意味はないぞ。助けは来ない。来ても儂が皆殺しにする。別に儂とて貴様を殺したい訳ではない。呪いを解きさえすれば、自由にしてやろう」
キリジの言葉は嘘ではない。
だが、本当でもなかった。
キリジは何も考えていない。
アナテマを殺すか、それとも生かすか。
それはキリジの呪いが解かれるまで分からない。
だって、キリジには恩も倫理もない。
助けてもらったから助けるだなんて、そんな当たり前の
「……そっか」
アナテマにキリジの考えは分からない。
だから、言葉をそのまま受け止めて、その上で彼女はこう告げた。
「でも、解かない。君に自由にしてもらわなくたって、助けは来るって知ってるから」
当然のように。
一切の疑いなく言い切った。
「……お主の力は言葉の理解じゃと聞いておる。決して遠距離に言葉を届けられる力ではあるまい。誰もお主の居場所を知らない。それでも、助けに来ると?」
「来るよ。絶対に来る。言葉を伝えなくたって、あの子が助けに来る事くらい分かるでしょ」
言葉があれば分かり合えるだなんて幻想だ。
だが、言葉がなければ分かり合えないなんてのも嘘だ。
だって、言葉にせずとも伝わるものはある。
「
直後。
隕石、あるいは流星。
その竜はいつだって空から現れる。
黒い髪、赤い瞳、蒼と黒のセーラー服。
山羊の角、蛇の尾、鰐の鱗、蝙蝠の翼。
「助けに来ましたよ、アナテマ」
「来ると思ってたよ、ウルウ!」
竜胆ウルウ。
聖女を攫う悪しき邪竜である。