「ブルォオオオオオオオオオオオオオ‼︎‼︎‼︎」
猪頭の亜人──
亜人。それは
怪物は無茶苦茶に腕を振り回した。
何の技術もなく、拳の握り方さえ素人。
それなのに、怪物の腕は樹々を容易くへし折った。
尋常ならざる腕力。
もしもその腕が人体に当たれば、最低でも粉砕骨折──当たりどころが悪ければ、たった一撃で死に至る。
こんな醜悪なモノと同じ扱いをされるのか、と竜胆ウルウは顔を歪める。
一方、アナテマ=ブレイクゲートは動じなかった。それは慣れであり、
「怯えなくていいって。わたしらは君の敵じゃない。君と戦う意思はないよ」
ウルウは改めて思い知る。
アナテマ=ブレイクゲートはどんな生き物とでも会話ができる。
たとえそれが、
アナテマは
彼は怯えていたのだ。
(優しいなあ。問答無用で暴力を振るえば良かったのに、君はそうしなかった。それが単に戦い自体を恐れての事だとしても……その穏やかな気性を、わたしは優しさだと呼びたいよ)
よく勘違いされる事だが、
嗅覚が鋭いため索敵範囲も広く、警戒心も強いため
「心配しなくていいよ。わたしもこの子もすぐに移動するから。君に手出しはしない。……ああ、でも。一つだけ、聞かせて欲しいんだけど」
一歩。
アナテマは踏み込む。
初めから違和感があった。
警戒心が強い
「
その瞬間。
「プギッ、フゴォォオオオオオオオオオ‼︎‼︎‼︎」
首輪を示された事で
ほとんど反射の域だった。
言葉が通じるからと言って、心が通じる訳じゃない。
交渉決裂。アナテマ=ブレイクゲートは戦いの回避に失敗した。
(うわあ、失敗! いよっし、ここは彼が冷静さを取り戻すまで攻撃を受け流すしかないっしょ! 下手に逃げたらウルウまで巻き込まれ──)
『危ない!』
「へっ?」
ブオン! と拳が空を切る。
棒立ちのアナテマに対し、ウルウが体当たりして無理やりに避けさせたのだ。
二人してゴロゴロと地面に転がる。ギリギリだった。攻撃を受ける準備をしていたアナテマと違って、無防備なウルウが拳を受ければ、その体は簡単に弾け飛んでいた事だろう。
「あっ、危ないのは君じゃん!」
『はい?』
「あ、えと……『危ない事はしちゃダメでしょ! どうしてわたしの庇ったのさ⁉︎』」
『別に……庇った訳じゃありません。私のためです』
「『……通訳できる
『いえ。あなたが死んだら、守れなかった私があの怪物に負けたみたいじゃないですか』
「『負けず嫌いにもほどがあるわ!』」
アナテマは驚愕に目をひんむく。
他人を思いやる善意でも、自己の利益を追求した訳でもない。
負けたくない。負けたなんて思われたくない。本当にただそれだけの理由で、この少女は二メートル近い体躯の怪物に立ち向かったのだ。
『アナテマは下がっていてください。ここからは私が怪物を相手します』
「『なに言ってんのっ、死ぬつもりっ⁉︎』」
『安心してください、負けませんよ。……何だか体が軽くて、いける気がするんです』
「『はぁ⁉︎ ちょちょちょっ、ちょい待っ──』」
容赦なく、竜胆ウルウは進み出す。
樹々を粉砕した
むしろ、恐怖に震え上がったのは
怯える
果たして、怪物とはどちらを指すのだろうか。
『どうしました。来ないんですか?』
「ブッ、ブゴッ」
『なら、私から行きます』
「ブモッ⁉︎」
迫る少女の掌。
だが、それ以上は動かない。足がすくんで動けない。
残された行動は少なかった。
「ブオオオオオオオオオオッ⁉︎」
「逃げろバカ!」
直後。
その光景は、誰の理解も超えていた。
『
瞬間、反転する
浮遊感と共に理解が追いつく。
筋肉と脂肪で肥大化した
そんな怪物の全体重が乗った拳を軽々と受け止め、その上で体を持ち上げて放り投げる。一体どうやって少女の細腕にそんな怪力が秘められていたのか。
「うそでしょ……」
『不思議な気分です。自分の体がようやく自分の物になったような、そんな感覚……』
まるで発泡スチロールを受け止めたような、その程度の重さしかウルウには感じられない。
怪力の実感はない。怪物になった自覚はない。ただ、目の前の惨状が自分自身の強さを示していた。
たった一撃。
それだけで、
(いえ、驚いて動けていないだけですね。ダメージは軽傷。私は枝に皮膚を切られましたが、怪物の皮下脂肪はその程度では物ともしないって事ですか)
いくら怪力があるとは言え、質量の差は覆せない。
ウルウの軽い拳では、
(では、武器。見た所、アナテマは武器を所持していないようですが、使いようによっては石などでも武器にはなるでしょうし。……いえ、もっと良いものがありましたね)
ウルウはあるモノを拾い上げる。
それは巨大で、重くて、棒状の武器。
一〇メートルはゆうに超える樹を槍のように携え、にんまりとウルウは笑った。
『いくら怪物と言えど、この規模の倒木に巻き込まれればダメージは受けるでしょう』
そして、槍は放たれる。
怪物の頭を撃ち抜くために。
「『殺しちゃダメ!』」
──しかし、軌道は僅かに逸れた。
ズゥン……‼︎ と。
倒木は見当違いの方向へ突き刺さる。
いつの間にか、アナテマ=ブレイクゲートはウルウの腕を掴んでいた。
彼女に手を引っ張られた事で、槍の狙いが外れたのだ。
『……邪魔しないでください』
「『だーめ。物騒なもんは降ろしなさい。
『それは私の世界の
「『……かもねえ』」
『であれば、どうして殺してはダメだと? まさか、それも神の教えとやらですか』
命を大切に、なんて。
神の言葉としては安っぽく思える。
「『神様がどう思うかはわたしには分からないなあ。まあ、生きるためなら仕方ないんじゃない? 食べるための殺生が許されているのと同じで、害獣を殺すのは何の罪にもならない』」
『だったら──』
「『でも、それでも。君は、何よりも君のために、彼を殺すべきじゃないよ』」
『…………』
「『……話してるだけで分かる。君がいた国って随分と平和だったんでしょ。じゃあ、殺しちゃダメだ。こっちの常識に染まったら、君が元の居場所に戻れなくなる』」
『それ、は……』
竜胆ウルウの強く握っていた拳が、アナテマ=ブレイクゲートの手で優しく解かれる。
「『それに、誰にも死んでほしくないなんて当たり前の事じゃん』」
『……はぁ。別に、いいですけど。これはあなたに説得された訳ではなく、私の勝ちが確定的だから追い討ちをする理由がないだけです』
「『まっ、負けず嫌いだなあ……』」
誰に対しての言い訳なのか。
素直になれないウルウの頭を撫でて、アナテマは気が抜けたように笑った。
「よーし。死んだフリはもういいよー! ほら、あっち! あっちなら人里とかない方だと思うから、あっちにちゃっちゃと逃げちゃって!」
アナテマは樹海の奥へ指を指す。
もぞもぞ、と
『あの怪物が誰かを殺したらアナテマのせいですよ』
「『だいじょーぶ、だいじょーぶ!
『無責任ですね』
「『