「ぐぅお〜……Zzz」
俺が庭の木影で昼寝をしていた時だった。誰かが来た気配がして寝たフリをしながら様子を伺っていると、何かが俺に掛けられた。
「んごっ……?」
「あ、ごめんなさい、起こしちゃったかな」
昼寝をしている俺にブランケットを掛けてくれる人といえば、ベレン辺りかなと思っていたら、目を開けてびっくり。旦那様のトオルくんがそこで膝をついてこっちを覗き込んでいた。
「てっきり、ユーハンちゃんかと思ったよ……」
あー、良かった良かったと言いながら俺は上体を起こす。そばにいると旦那様の香りが嫌でも主様と同じだと気づいてしまう。
「俺はトオルです」
「あー、分かってる分かってる」
そんなにボケてないから、と俺は半分茶化しながら言っても、旦那様は爽やかに笑うばかり。敵わないねぇ、やっぱり。
「この世界では、ユメは主様と呼ばれているのは聞いているけど、俺のことはトオルでもトオルくんでも好きに呼んで貰って構わないです」
「じゃあ、トオルくんで」
俺がそう言うと、はいと笑って頷くトオルくんの顔が見えた。こうして少し話しているだけでも、トオルくんはトオルくんで良かったのだと思えてしまうくらいだ。
「トオルくんはいいよねぇ……そのまま、純粋無垢であって欲しいよ」
嫉妬と未練タラタラの俺なんかより、ずっと。
「俺が純粋無垢かは分かりませんが、ありがとうございます、ハナマルさん。俺はこのまま精進しますね」
「いいよいいよ、俺は主様の執事だし、トオルくんは主様の旦那だから、ハナマルって呼んでくれよ」
そう、それが普通だから。
「そうですか……分かりました、ハナマル」
「それより、いつまでもそこにいないでこっち座ったら?」
旦那様を立たせたままじゃ後でベリアンに注意されそうだし、と適当なことを言ってトオルくんに座って貰う。あ、地面に座らせるのはマズかったか?
「あの、ハナマル」
俺がトオルくんの顔を盗み見ていると、向こうから話し掛けてきた。トオルくんはこちらを見向きもせず、真剣な横顔がそこにあった。俺はさすがに背筋を伸ばして座り直した。
「なんだ? そんな顔して」
トオルくんにも悩みがあるんだ、そりゃあそうか、人間だもんなと俺は考えた。
「……ここの人たちの話は、ユメからふんわりと聞いたんです。詳しくは聞いてないですが、なんか、聞かない方がいい気がしてますし」とトオルくんは話し続ける。「色々あって大変なのに、ユメのお世話も献身的にやってくれてるって聞いて」
そこまで話しても、トオルくんが何を言いたいのか俺は分からなかった。だから思ったことを話そうと考えた。
「いいのよ、別に。依頼とか面倒なことあるけど、主様は優しいし可愛いからさ、お世話は苦労とは思ってないのよ。むしろご褒美みたいな」
もちろん、俺たちは、と付け足して。
「それも、ユメから聞きました……」
けどトオルくんの表情は、明るくはならなかった。うつむき加減で、トオルくんは更に話した。
「もし俺が皆さんと同じ執事だったら、きっとユメのお世話なんて構ってられなかったと思うんです」
「おっと? トオルくんがそう言うとは思わなかったな」
と俺がトオルくんの様子を伺うと、表情は暗いまま、拳が強く握られたのが見えた。
「俺も、想像ですけど、考えてみたんです。絶望した自分は、どうなるだろうって」トオルくんは遠い目になる。「自暴自棄になって、人類を救うとか、悪魔と契約するとか、全然考えられないなって」
言い終えると、トオルくんがようやくこっちを向いた。主様と同じ黒い瞳。向こうの世界では、黒い瞳が普通なのかもな。
「ありがとうございます、ハナマル。大事なユメを……いえ、主様を守り、支えてくれてること、心から感謝します」
トオルくんの真摯な眼差しに、俺は一瞬動けなくなった錯覚がした。そこで俺はようやく、敵わないだのなんだのとウダウダしていた自分が恥ずかしいと思った。そんな言葉じゃないのだ。トオルくんはトオルくんであって、他の誰でもないのだ。頭の中ですら言葉も出来ないまま、俺の中で納得したような感じになった。
「いいや、俺だけじゃないよ」俺の口から自然と出てきたものだった。「アンタがいたから主様はこっちの世界でも頑張ってくれてたんだろうしさ、何も俺たちのおかげってだけじゃないでしょーよ」
多分な、とトオルくんを見つめ返す。トオルくんもこの言葉には不意打ちだったようで、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「それ、は……そう、ですよね」トオルくんは目を伏せた。「ハナマルに話せて良かったです。俺、そう言われたかっただけかもしれません」
ふぅと息を吐くトオルくん。そこで俺は初めて、主様と同じ気持ちが湧いてきた。俺、この人のことちゃんとサポートしたいわ。
「トオルくん……いや、旦那様」俺は口調を改めた。「瞑想でもやってみるか? 俺は主様の執事で、旦那様の執事でもあるんだからよ、なんでも言ってくれよ」
「ハナマル……」
トオルくんがパチクリと瞬きをする。その反応を見て、彼は俺の嫉妬心にどこか気づいていたのではないだろうかと思った。
「なんだ? 旦那様?」
俺はあからさまに大袈裟な執事の仕草をしてみせた。やっと笑ってくれたみたいだ。トオルくんから笑顔が現れた。
「瞑想、付き合って貰っていいかな?」
「分かりました、旦那様」
それから俺は、トオルくんと一緒に屋敷の瞑想部屋へ向かった。俺の中にくすぶっていたみっともない感情が、どこかへ消えたみたいに清々しい心地だった。