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「あなた、帰りが遅すぎますよナウマンゾウですか。夜9時を過ぎたので娘はあなたとおやすみのハグも出来ずに眠りにつきました。納得のいく説明を要求します」
「帰ろうとしたら今の担当ウマ娘がオーバーワークの自主トレをしようとしていたので説得してました」
「納得しました。お帰りなさいあなた。お夕飯とお風呂の準備はできています」
直線最高速ウマ娘カルストンライトオは引退後、担当トレーナーと最速で入籍し、数年後一人娘をもうけていた。
夫となったトレーナーの帰りが夜9時を越えると律儀に帰りを門の前で待っているのだった。
「晩ご飯は何かな」
「今日も暑かったので晩御飯はヒメのリクエストで素麺と冷しゃぶのサラダです。そうめんはキンキンに冷えた氷水にぶちこめば最速で準備が整うので楽ですね」
トレーナーである夫は椅子に座り、妻であるライトオは最速で茹でてある素麺を氷水に放り込んで冷えためんつゆと一緒に出した。
肉体がピークアウトし、最高速更新が不可能になったことを理由にレースを完全引退したライトオだが行動の速さは以前変わらない。
素麺を啜りながら、トレーナーは呟く。
「……ヒメは寂しがってた?」
ヒメとは、ライトオとトレーナーの間に生まれたウマ娘のこと。ヒメカイドウという名前で今は保育園に通っている年齢だ。
トレーナー業務は勤務時間が不安定になりやすい。思うように子供の相手をしてやれない歯痒さはトレーナーにもある。
ライトオは、現役時代と変わらぬ真顔で元担当トレーナーである夫に答えた。
「いえまったく。パパの帰りは今日も遅くなるといったらじゃあママと寝るねと
あっけらかんとしていました」
「ははは……さすが君の娘だな」
ライトオも、幼い頃父親とは仕事の関係で遊べないことが多かったがあまり気にしておらず、遊べるときに本気で遊んでいたらしい。トレーナーは苦笑した。
「ですがあなたの娘でもあります。態度には出しませんでしたがちょっと眉が曲がっていたので明日の朝は行ってきますのハグをしてくださいパパとして」
「わかったよ。明日は早朝トレーニングはなしで軽く流すよう言ってあるから大丈夫だ」
現役ウマ娘の朝は早く、5時にはトレーニングコースを走る娘も多い。
ライトオは6時起き固定だったのでトレーナーもそこまで早起きしていなかったが、今は違う。
「すっかりヒメを起こさないように早起きするのに慣れました。あなたの朝御飯を作るのは私の役目なので」
「……辛かったら寝ててもいいんだぞ?」
「何を言うんですか。あなたにおはようを最速でするのも私、最速であなたにお帰りなさいをするのも私。それが妻としての最速です。それに眠いときはヒメを安全第一で幼稚園に送ったあとグースカピーです」
「いつもありがとう。……正直、今でも意外だよ」
ライトオは結婚してからは割とちゃんと妻と母をやっている。
現役中はカップ麺すら1分待たずにカチカチのまま食べていたし道を最速で歩いて何かに衝突してもんどりうつのが日常だっだが、トレーナーが今食べている素麺はちゃんと柔らかいし娘を送迎中に怪我をさせたこともない。
「心外。私のお母さんだってタキオンと同じベクトルの奇人変人ですが私の前では毎朝髪をまっすぐに整えてくれる優しい母でした。いつまでも子供扱いしないでください」
「ごめんごめん。ごちそうさま、お風呂に入ってくるよ」
「既に追い焚きは済んでいます。12時までは時間があるしあなたと寝る前のお喋りのために妻やってるようなものなので11時にはパジャマになってくださいね」
「わかったわかった」
「返事は1回」
「はい……」
トレーナーはお風呂を済ませて、シワひとつなく整頓されたパジャマに袖を通した。
時間は11時だ。時計の針が一直線になるにはまだ少し時間がある。
ライトオはリビングの座布団で正座してトレーナーを待っていた。手にはドライヤーを構えている。
髪を乾かしてやるからここに座れ、ともう1つの座布団をとんとん叩く。
「今日はヒメと買い物をしていたらたまたまポッケとそのお子さんに会いました。親子揃って相変わらずのヤンキースタイルで。お子さんがジョーダンみたいなおバカちゃんにならないか心配です」
「珍しいな、ポッケの家はトレセン挟んで反対側だろう?」
「ええ、デュランダルやタキオンとお隣さんですね。まさかデュランダルが私よりポッケやタキオンと親しくなるとは、飼い犬に手を噛まれたとはまさにこの事。おのれデュランダル」
「まぁ……現役中も知らない仲じゃなかったしお互いご近所付き合いも気楽なんじゃないか?」
髪を乾かしながら、ライトオは好き放題喋り、トレーナーが適度に相づちを打つ。
現役時代も、結婚してからも、子供が生まれてからも2人きりのペースは変わらない。
「それでですね。ヒメがポッケのウェーブヘアを見て自分もあんな風にくねくねにしてみたいと。せっかく私が毎朝髪をまっすぐに整えてあげているのに」
「反対したのか?」
「するわけないでしょう。今度の日曜に子供でもパーマがかけられる美容室に行くと約束しました。私の髪は一生ぱっつん一直線ですが、子供の新しいことに挑戦するまっすぐな気持ちを母の私がねじ曲げるわけにはいきません」
「……丸くなったなぁ」
トレーナーは性格のことを言ったつもりだが、ライトオはドライヤーを乾かす目を止めわざとらしく胸の前で手を押さえた。
「すけべ。H。変態。引退してから私の体が曲線を増したのは事実ですがこんな時に欲情しないでください。結婚するまでトレーナーがこんなにふしだらだとは知りませんでした」
「いやまぁその。トレーナーとしてウマ娘の前で性欲を見せるわけにはいかないからな」
「するならヒメを父さん母さんの家に預けてからですよ。最近父さんがヒメは連れてこないのかと連絡してきて私たちに会えなくて寂しいのか2人目の孫が見たいのか知りませんがちょっと面倒です」
「お義父さんも相変わらずだな。って、そーじゃない」
お互い今さら顔を赤らめて恥ずかしがるような関係でもない。トレーナーも淡々と訂正したしライトオも冗談です、真顔で言った。
話している間に髪も乾いたようで、ライトオはドライヤーのスイッチを切って。
すっと、大きく両手を広げた。
「にゃーん。ごろごろ」
唐突に猫の鳴き真似を始めたライトオを、トレーナーは抱き締める。
「毎日俺とヒメの面倒を見てくれてありがとう。わざわざ子供用の美容院まで調べたり大変だったろう」
「それほどでもありません。トレーナーが私にしてくれた苦労に比べれば。その代わり甘えます。にゃーん」
ライトオはトレーナーの顔も前で舌を出す。
トレーナーはそっと、指の腹でライトオの舌に触れた。人肌より温かく赤い舌だ。
ウマ娘が人間より強靭とはいえ、舌の強度は変わらないし軽率に人に見せるものではない。自分の舌を好きにさせるというのはウマ娘にとって非常に強い親愛の現れだ。
ライトオは人前では見せない甘い表情になった。
「……あなたの指はいつも冷たいですね」
「人間の平均体温だよ」
「舌で触れる人はあなただけですから。今までも、これからも」
「はは、じゃあ俺も他のウマ娘の舌はうっかり触らないようにしないとな」
「そんなことしたらヒメが大人になったあとで熟年離婚を突きつけて出家してやります」
「そこまでは待つのか。なんにせよナイナイ」
「返事は1回」
「はい……」
ライトオが己の舌をしまう。トレーナーはライトオの唇に軽く触れる程度のキスをした。
それからもとりとめのない話をして。時計の針が一直線になる前に2人は娘の眠る寝室に向かった。
「ママ……パパ……?」
ドアを開けてわずかに差し込んだ光のせいか。ライトオとトレーナーの娘はぼんやりと目を開けた。
「起きてしまったのですかヒメ。ですがまだ6時には早すぎる。親子三人三の字になって眠りましょう。川の字なんて曲がった姿勢はいりません」
「パパ……ママ、なんて……?」
「ヒメも小学生になればわかるさ。さ、一緒に寝よう」
「うん……早く大人になりたいな……」
両親に抱き締められ、娘はすぐ寝息を立てた。その寝顔を愛おしく見つめるライトオは、すっかり母親の顔をしていた。
「光陰矢の如しという諺がありますが。大人になってから体はどんどん遅くなっているのにこの子とあなたを見ているとものすごい速度で時間が経つような気がします。お陰でトレーニングなんかできやしない。今走ればアメリカハヤシギにも負けてしまうかもしれない」
「さすがにそれはない」
時速8㎞相手では運動不足の人間ですら負けようがない。娘を起こさないよう極限まで小声で言うライトオとトレーナー。
「だけど学生時代に一生分の思い出を想像した時よりずっと濃密で。あなた達と過ごす一瞬一瞬は素晴らしい」
「ああ、そうだな。俺もだよ」
「初めて会った日のお互い遅刻しそうになって全力疾走で正面衝突した時はこんな関係になるとは思いませんでした。まるで少女漫画ですね」
「遅刻しそうだったのは事実だが衝突はしてないし、してたらその日俺の人生は終わってるんだよな……」
「昔の話ですからね、些細な記憶違いは仕方ありません。ですがあなたと出会ったあの日から私は最高速で生き続けています。ウマ娘として引退し、妻となり、母となって。いつかしわしわのおばあちゃんになってもずっと」
「……そんな君を、俺はずっと愛し続けるよ」
返事はなかった。時計の針が一直線になり、ライトオも穏やかな寝息を立て始めた。
人間もウマ娘も年を取れば思想やこだわりも変わるものだがカルストンライトオはウマ娘として、妻として、母として━━ずっとまっすぐ、最速で生きている。
ライトオのご両親も相当な奇人変人の類いですがちゃんと良い親やってるのを見るとライトオも引退して家庭をもったらわりとキチンとやるんだろうなと思って書きました。