銀翼の奈落姫   作:虎屋敷はにわ

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第一話 はじまり

 雪は静かに降り積もる

声なき祈りを覆い隠すように光は瞳に宿り、

闇は名を奪った片方は空の残響

片方は地の記憶その狭間に生まれたものは、

神々の断絶を越えてまだ誰も知らない物語を

まだ誰も見たことのない世界をその瞳に映していた。

 

 

 ――その瞳は、空と地の狭間に生まれた。右目は「煌虹色(こうこうしょく)」。光と色が溶け合い、虹の残響が揺らめくその瞳は、朝焼けの霧が空を撫でるように、見る者の心を震わせた。それは祝福か、あるいは呪いか。

ある地では聖女の証とされ、ある地では災厄の前触れと恐れられた。一方、左目は茶色がかった黒。湿った土のように静かで、夜の森に潜む獣のように確かな現実を映す。誰もが見慣れた色――だが、煌虹色と並ぶことで、その平凡さは逆に深い美しさを帯びた。

奇跡と日常が、ひとりの少女の中で呼吸していた。

 

その名は、アデル。

 

だが、彼女は家名「クロヴァ」を名乗ることを許されなかった。理由はただ一つ――捨て子だからだ。

 

 

 

 エルディナ王国北西部、ナヴァルシュ地方。

雪深い山々と黒い森に囲まれたこの地は、王都ルミナス・グランディアから遠く離れ、冬は長く、夏は短い。その片隅に、ヴェルノ村という小さな集落があった。

 

ある日、村近くを流れる川のほとりに、ひとつの小さな命が捨てられていた。傍らには、身ぐるみを剥がされた若い女の遺体。それが母であったのか、誰にも分からない。

ただ、その遺体はあまりにも無惨で、川の流れがその血を薄め、遠くへと運んでいた。

籠に入った赤子は、奇跡のように無傷だった。アデルと刺繍された小さな衣を纏い、泣き声すら上げず、ただ空を見つめていた。偶然通りかかった村の老人は、その姿に胸を締めつけられ、赤子を抱き上げた。その瞬間、霧の奥から冷たい風が吹き抜け、老人は一瞬だけ、誰かに見られているような感覚を覚えた。

 

 村の入り口まで戻ったとき、酒場の扉が軋む音が響く。中から、酒と煙草と獣脂の混ざった匂いが流れ出す。

そこから現れたのは、片足を引きずる大柄な男――ダリオン・クロヴァだった。片手には酒瓶、もう片方には杖。顔には魔物に斬られた大きな傷跡が走り、片目は濁り、もう片方は酔いで赤く充血している。かつては勇敢な狩人だったが、仲間を失い、誇りを砕かれ、酒と賭け事に溺れた男。その歩みは重く、地面を踏むたび杖の先が乾いた音を立てた。彼は老人の腕に抱かれた赤子を見て、にやりと口角を上げた。

 

 「じじい……何を持っている?」

 

 その声は低く、酒で掠れていた。老人が咄嗟に赤子を背に隠そうとした瞬間、杖が地面を叩き、次いで拳が飛んだ。老人はよろめき、腕から赤子が奪われる。ダリオンはその小さな体を片腕に抱え、不気味に光る右目を見て酒臭い息を吐きながら笑った。

 

 「おもしれえ目だ…こいつはいずれ金になる」

 

 そのまま、彼は上機嫌で歩き去った。

 

 家に戻ると、薄暗い室内でダリオンの妻リゼリア・クロヴァが椅子に腰掛け、冷ややかな目を向けた。

 「……何、それ」

 「拾った。運がいい日だ」

 「運? ただのガキじゃない。口減らしにもならない厄介者よ」

 リゼリアの視線がアデルの顔に落ち、右目の煌虹色が灯りを受けて淡く揺らめくと、彼女は眉をひそめた。

 「……なにこの気色悪い目。ぞっとする」

 ダリオンはふてくされたように鼻を鳴らし、酒瓶を机に置いた。

 「お前にはわからん。この目は金になる。きっと高く売れる」

 「根拠は?」

 「……勘だ」

 リゼリアは深くため息をつき、呆れたように立ち上がった。

 「くだらない。あんたの“勘”で家が良くなった試しがある?」

 彼女は外套を羽織り、戸口に向かう。

 「どこへ行く」

 「村長のところよ。あの人なら、この子をどうにかできるかもしれない」

 そう言い残し、リゼリアは冷たい外気の中へ消えていった。

 

 雪を踏みしめ、村の外れにある石造りの館へ。ヴェルノ村の支配者、マルティン・ド・フォンセカの屋敷は、冬枯れの庭と雪に埋もれた彫像に囲まれていた。玄関扉が開き、暖炉の熱と香辛料の匂いが流れ出す。

 

 「おや、リゼリア。こんな雪の日に珍しいな」

 「……話があって来ました。ダリオンが今朝、川辺で赤ん坊を拾ってきたんです」

 「赤ん坊?」

 「女の子です。ただの子じゃない。右目が……虹色に光るんです。宝石みたいに。正直、気味が悪いくらい」

 マルティンの目が細くなる。

 「ほう……珍しいな」

 「ダリオンは“金になる”なんて言ってますけど、あの人の言うことですから、根拠なんてありません。でも……あなたなら、その価値がわかるでしょう?」

 マルティンの口元がゆっくりと歪む。

 「面白い。今すぐ見に行こう」

 

 雪を踏みしめ、二人はクロヴァ家へ戻った。扉を開けると、室内の隅でアデルが毛布に包まれていた。まだ首も据わらぬ小さな体、吐く息は白く、右目の煌虹色が灯りを受けて淡く揺らめく。

 

 マルティンはその光を見て、低く笑った。

 「……なるほど。これは珍しい」

 アデルはその視線に理由のわからない寒気を覚えた。温もりも優しさもない、値踏みするような目。

 

 「大事に置いておけ、リゼリア。傷をつけるな。時が来れば、わしが引き取る」

 そう言い残し、マルティンは背を向けた。

 

 その夜。古びた木箱に毛布を敷いた即席の寝床で、アデルは小さく丸まり、雪の音を聞いていた。外では風が壁を叩き、家全体がきしむ。かすかな灯りを受けて、右目の奥で虹色の光が淡く揺れた。それはまだ誰も知らない物語の、最初の微かな脈動だった。

 

 

それから幾年。

 アデルは、ゆっくりと、しかし確かに成長していた。

 

 とはいえ、十分な食事を与えられたことは一度もなかった。

 朝は冷たい粥をひと匙、昼は干からびた根菜をかじり、夜は空腹のまま眠ることも珍しくない。

 そのせいで、年齢に比して体は小さく、骨の浮いた手足はいつも土にまみれていた。

 

 それでも、彼女は黙って畑へ向かった。

 夜明け前、霜の降りた畑に、擦り切れた革靴と薄い外套を身にまとい、鍬を握る。

 土は凍てつき、鍬の刃が跳ね返されるたびに腕が痺れた。

 指先は手袋越しでもかじかみ、息を吐くたび白い靄が立ち上る。

 

 それでも、彼女は黙々と耕し続けた。

 誰に言われたわけでもない。

 ただ、働けば食べ物にありつけるかもしれない――それだけだった。

 

 畑の隅で、アデルはふと立ち止まり、空を見上げた。

 雪雲の隙間から、淡い光が差し込む。

 その光を受けて、彼女の右目が微かに煌めいた。

 虹の残響が、凍てついた空気の中で静かに揺れる。

 

 村人たちは、遠巻きにその姿を見ていた。

 誰も声をかけようとはしない。

 だが、彼女が通り過ぎるとき、そっとパンを手渡す者がいた。

 干し肉を袖に忍ばせてくれる者もいた。

 

 「……ありがとう」

 

 その声は、冷たく澄んでいて、今にも壊れそうなほど儚かった。

 けれど、聞いた者の胸には、なぜか深く残った。

 まるで、雪の中に咲いた一輪の花のように。

 

 アデルはそれだけで、十分に幸せだと思っていた。

 ほんの少しの温もり。

 ほんの少しの優しさ。

 

 それが、彼女の世界のすべてだった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

アデル 9歳




イラストは生成AIに作ってもらいました、嫌いな方いるかもですがイメージ掴みやすいように何度も修正しながら作ってもらいました。
なかなか難しい…ある程度妥協はしています…
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