銀翼の奈落姫   作:虎屋敷はにわ

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第十話 魔術と魔石、そして鍛錬

 夜明け前の冷たい空気を切り裂くように、アデルはガインとの剣と体術の鍛錬を終え、奴隷小屋へ戻った。

 筋肉はじんわりと疲れを訴えていたが、心は静かに燃えていた。

 ――今日もまた、何かを学び、何かを掴む。

 

 その時、漆黒のローブに身を包み、顔の半分を仮面で覆った男が現れた。

 魔導士、アルゲンタイト・ノクスス。

 その足音は静かで、しかし空気をわずかに歪ませるような気配を纏っていた。

 

 「来なさい……世界の裂け目よ」

 

 奇妙な呼びかけに、アデルは一瞬だけ眉をひそめたが、逆らわずその背を追った。

 

 連れて行かれたのは、屋敷の地下深く。

 湿った石壁と、灯りの乏しい薄暗い部屋。

 床には不気味な紋様が刻まれ、棚には薬品や未知の器具が並んでいる。

 空気は重く、どこか別の世界の匂いがした。

 

 「男爵様の命令だ。屋敷の結界維持のため、魔力の補充を学べ」

 

 冷徹な声が響くが、その奥に微かな興味の色があった。

 

 「まずは、自分の魔力を意識しろ」

 

 アデルは目を閉じ、深く息を吸った。

 次の瞬間、アルゲンタイトの手がそっと彼女の腹部――丹田のあたりに触れる。

 そこから微かな熱が流れ込み、腹の奥がむずむずとくすぐったくなる。

 

 「それが魔力だ。今は私の魔力を少し流し込んでいる。感じろ」

 

 アデルはその温もりを意識し、言われた通りに集中する。

 「その感覚を指先へ送れ。ゆっくりだ。焦るな」

 

 お腹の奥のむずむずが、細い糸のように腕を伝い、指先へと集まっていく。

 指先がじんわりと熱を帯び、今にも何かが灯りそうな予感がした。

 

 「火が指先に宿る姿を思い描け」

 

 アデルは心の中で炎の揺らめきを描き、その熱を指先に込める。

 熱さが増し、皮膚の内側で小さな火種が生まれるような感覚――

 

 「……火よ」

 

 その言葉と同時に、指先に小さな炎がふっと灯った。

 アデルは思わず目を開き、驚きに息を呑む。

 アルゲンタイトは仮面の下で口角を上げ、満足げにニヤリと笑った。

 

 「魔術は、魔力という目に見えぬ力を形にする技だ。才能ある者なら、簡単な術は呪文を唱えずとも発動できる。だが、複雑な術や大規模な魔法は、術式と詠唱で魔力を安定させねば暴走する」

 

 アルゲンタイトは淡々と続ける。

 「魔力は水のようなものだ。器が小さければすぐ溢れ、大きくても制御できなければ暴れ出す。術式はその器の形を決め、詠唱は水の流れを整える役目を持つ」

 

 アデルは真剣に耳を傾けた。

 「魔術には属性がある。火、水、風、土、光、闇……それぞれに得手不得手があり、才能や資質で向き不向きが決まる。」

 

 アルゲンタイトは袖から小さな紫色の結晶を取り出した。

 「これは魔石だ。魔物を退治するとその身は霧散し、こうした結晶だけを残す。魔術の増幅、魔導具の動力、結界の維持、希少な物は装飾品にも扱われる…用途は多い」

 

 アデルはそれを見つめ、静かに言った。

 「……見たことがあります。ミカさんと森で熊みたいな魔物を退治したとき……魔物は黒い靄になって消えて、地面にこれが残っていました」

 

 「……そうか。なら覚えておけ。魔物は肉体だけでなく、心も奪おうとする。恐怖や怒りに呑まれれば、魔力の制御を失い、命を落とす。心は常に自分の手の中に置け」

 

 アルゲンタイトは続ける。

 

 「お前、毎朝ガインと鍛錬しているらしいな、肉体強化の魔法を覚えておけ。筋肉や骨格を一時的に強くし、動きの精度を上げられる。鍛錬の効率が段違いになる」

 

 「……そんなこともできるんですか」

 

 「できる。だが、やりすぎれば関節や筋を痛める。終わったら必ず治癒魔法で回復しろ」

 

 アルゲンタイトはアデルの額に軽く指先を触れた。

 淡い光が広がり、朝の稽古で重くなっていた身体がふっと軽くなる。

 

 「……楽になった」

 

 「これが治癒魔法だ。だが、癒しの術は容易ではない。古くから教会が得意とし、信徒から多くの施しを受けている。勝手に用いれば異端と見なされ、捕らえられることもある。使う時は場所と相手を選べ」

 

 「治癒魔法で可能なのは、浅い傷の閉鎖や疲労の緩和、身体本来の治癒力を促す程度だ。骨折や欠損は瞬時には治せぬし、命を落とした者を呼び戻すなどは不可能だ。一説には骨折や欠損が瞬時に癒えた話もあるが、眉唾だ。……あるいは代償として寿命や記憶、魔力を差し出したのかもしれん」

 

 アルゲンタイトはふっと口元を歪めた。

 「明日の朝から肉体強化魔法を使ってみろ。あの汗臭い門番にひと泡吹かせてやれ」

 

 後日、アデルがこの話をガインにすると、彼はわずかに眉を上げ、落ち着いた声で言った。

 「……あの魔導士が? 相変わらず回りくどいことをするな。嫌いではないが、どうも辛気臭くて苦手だ」

 

 この言葉を後に耳にしたアルゲンタイトは、仮面の下で小さく笑い、

 「……あの門番は汗臭くてかなわん」

 と、誰にともなく呟いた。

 

 互いに皮肉を飛ばしながらも、そこには敵意ではなく、妙な距離感のまま続く不思議な関係があった。

 そのやり取りを聞いたアデルは、心の中で小さく笑った。

 ――辛気臭いとか汗臭いとか言い合っているけれど、二人とも真面目で、教えてくれることは的確で……なんだか、似た者同士かもしれない。

 

 夕食時、アデルが奴隷用の粗末な食事を口にしていると、アルゲンタイトがふらりと現れ、隣に腰を下ろした。

 自分の皿からパンと肉を差し出す。

 

 「お前の才は、ここでは理解されぬ。だが、儂は理解してやろう」

 

 少し離れたところからその様子を見ていたリリィは、肩をすくめてカイラに小声で囁いた。

 「……あの人、やっぱり怖いよ……」

 カイラは小さく笑い、「あの人は危ない橋を渡る人。でも、アデルを害する気はないと思うわ」とだけ答えた。

 

 アデルはアルゲンタイトに小さく「ありがとうございます」とだけ告げたが、問いかけようとした瞬間、アルゲンタイトは不敵に笑い、答えずに立ち去った。

 

 奴隷小屋に戻ると、カイラが静かに近づき、

 「魔術を学んでいるのね」

 と囁いた。その声には、警告と励ましが混じっていた。

 

 ノームは短く優しく助言を与える。

 「魔力も魔石も、刃にも盾にもなる。使い方を間違えるな」

 

 アデルは頷き、今日得た新しい「力」と知識を胸に刻む。

 

 その夜は魔術の訓練による疲労で、男爵からの呼び出しはなかった。

 寝床につき、リリィとたわいのない話を交わしアデルはにこやかに笑った。

 

 闇の中で、右目の煌虹色が微かに光を放つ。

 その光は、やがて彼女の運命を切り拓く力となるだろう。

 

 

【挿絵表示】

 

アルゲンタイト・ノクスス

 

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