冬の夜は長く、屋敷の石壁は冷えを深く抱き込み、その冷たさは骨の芯まで染み渡る。
藁のベッドの上に横たわるアデルは、左目にかけられた眼帯の重みを感じていた。
その奥で、赫と蒼と黒が渦を巻く呪いが、まだ微かに疼いている。
疼きは肉体の奥底だけでなく、心の深層にまで染み込み、静かに、しかし確実に彼女を蝕んでいた。
隣ではリリィが小さな寝息を立てている。
だがアデルの瞳は眠りを拒み、闇の中で開かれたままだった。
瞼を閉じれば、あの研究室の光景が鮮明に蘇る。
バルド男爵の醜悪な笑い声、セリウスの沈黙、アルゲンタイトの冷ややかな詠唱。
そして、身体を引き裂くような痛みと、視界を覆い尽くす異様な色彩――赫と蒼と、底知れぬ奈落の黒。
――この瞳で人を見れば、その人の苦しみを自分が背負う。
アルゲンタイトの書き置きに記された言葉が、何度も何度も、頭の奥で反響する。
それは呪いであり、解く術は知られていない。
ただ、使えば代償を払うだけの力。
翌朝、まだ陽が昇りきらぬうちに、カイラが小屋を出る支度をしていた。
「今日は裏庭の雪かきよ。朝の訓練は、男爵様が外出されてるからガイン様も護衛のため昨日から不在。だから中止よ。無理はしないで」
アデルは小さく頷き、手伝いに加わった。
雪を掻くたび、冷気が眼帯の下を刺すように通り抜ける。
そのたびに、昨日の痛みが微かに蘇り、赫蒼の光が奥底で脈打つのを感じた。
それは、まるで雪の白さの中に潜む、見えない血潮のようだった。
昼前、調理場に立ち寄ると、料理番のグランが大鍋をかき混ぜながらアデルを見やった。
「……食えるか?」
差し出されたのは、温かなスープと焼きたての小さなパン。
アデルは両手でそれを受け取り、深く頭を下げた。
湯気が冷え切った指先を包み込み、香りが胸の奥まで染み渡る。
その温もりは、呪いの冷たさとは正反対のものだった。
一口飲むたび、凍りついた心の一部が、ほんのわずかに解けていくようだった。
午後、アルゲンタイトが姿を現した。
「具合はどうだ、世界の裂け目」
その呼び名に、アデルは眉をひそめたが、小さな声で「…眼帯の下が疼きます…」と答える。
「…慣れるしかない。だが、使い方は私が教える」
彼はそう告げ、呪いの瞳を制御するための呼吸法と意識の集中を教え始めた。
アデルは黙って従い、言われた通りに呼吸を整える。
眼帯の奥で、赫蒼の光が微かに脈打ち、その鼓動が自分の心臓と重なっていくのを感じた。
深く吸い、ゆっくり吐くたび、瞳の奥の渦がわずかに静まる。
夜、奴隷小屋に戻ると、リリィが待っていた。
「今日は……少し顔色がいいね」
アデルは小さく笑い、「うん…少しだけね」と答えた。
その笑みは弱々しかったが、確かに昨日よりも前を向いていた。
リリィも精一杯笑顔を返す。
藁のベッドで横になると、カイラがそっと掛け布を直してくれた。
ノームは何も言わず、暖を取るための小さな炭火を置いていった。
その赤い光は、赫蒼の瞳とは違う、穏やかな色をしていた。
アデルは目を閉じ、胸の奥で小さく誓う。
――この呪いに飲まれはしない。
――この力を、必ず自分のために使えるようにする。
外では雪が静かに降り続いていた。
その白さは、赫蒼の瞳の奥に潜む奈落とは対照的に、ただ静かで、穏やかだった。