儀式が終わると同時に、大広間を満たしていた熱気が、潮が引くように静まっていった。
だが、バルド男爵は満足げに朗々と声を響かせる。
「見たであろう、我が庇護の下にある奇跡を! この癒しは、我らの未来を照らす光だ!」
その言葉に、観衆の一部は再び歓声を上げ、拍手が波のように広がった。
台座の脇では、アルゲンタイトが無表情のまま立っていた。
その姿を、壁際に控えていたミレナとエリスが冷ややかな眼差しで見つめる。
ミレナの瞳には、演出の裏に潜む冷酷さを見抜く光があり、エリスの唇はわずかに固く結ばれていた。
だが、アルゲンタイトは二人の視線を意にも介さず、淡々とアデルの様子を見守っている。
アデルは覆面の奥で、そっと胸を撫で下ろした。
長い儀式が終わった安堵と同時に、全身の力が抜けていく。
衣服の袖や裾には、癒やしの最中に移った患者たちの血がまだ乾かぬままこびりつき、ところどころ黒ずんでいた。
それは、この「奇跡」がただの見世物ではなく、命と痛みを伴う行為であった証だった。
歓声と拍手はまだ残っていたが、それはアデルの耳には遠く、くぐもった響きにしか聞こえない。
覆面の内側は呼吸で湿り、額には冷たい汗が滲んでいた。
足元の台座の冷たさが、ようやく自分の体温を奪っていくのを感じる。
アルゲンタイトが歩み寄り、かろうじて立っているアデルの肩に手を添えた。
「…歩けるか」
その声は冷静さを保ちながらも、わずかに柔らかさが混じっていた。
アデルが小さく頷くと、彼は自然な動きで体を支え、歩調を合わせて台座から降ろす。
廊下に出ると、喧騒は背後に遠ざかり、冬の冷気と石壁の静けさが戻ってきた。
歩く間も、アルゲンタイトは片手を彼女の背に添え、短く治癒の呪文を唱える。
温かな光が背骨を伝い、重く沈んでいた内臓がわずかに軽くなる。
控室として用意された屋敷の空き部屋に入ると、執事セリウスが既に待っていた。
「ここへ座りなさい」
短くも柔らかな声音と共に椅子を引く。
腰を下ろしたアデルを、覆面越しにじっと見つめ、
「…よくやった」
と告げた。その口調は淡々としていたが、わずかに温もりが混じっていた。
続いてミレナが入り、アデルの肩にそっと手を置く。
「無理をしすぎないで」
その瞳は、覆面の奥の表情を探るように揺れていた。
アデルは小さく「はい」とだけ答える。
部屋の隅では、エリスが湯気の立つスープを盆に載せて待っていた。
「これで少しでも温まって」
差し出された椀を受け取ると、彼女は仮面越しに安堵の笑みを浮かべた。
アルゲンタイトは壁際に立ち、腕を組んだまま全員のやり取りを見ていた。
「…今日はよく持ちこたえた。だが、これで終わりではない」そう言ってアルゲンタイトは部屋を後にした。
その言葉に、アデルはスープを口にしながら静かに頷く。
瞳の奥では、赫蒼ノ奈落の脈動がまだ微かに残っていた。
やがてセリウスが立ち上がり、男爵への報告に向かうため部屋を出ていく。
ミレナとエリスはアデルの背を軽くさすり、「少し休みなさい」と言い残して控室を後にした。
残されたアデルは、覆面を外し眼帯をつけて深く息を吐く。
銀糸の縁取りが、燭台の光を受けて静かに輝いていた。
その光は、儀式の喧騒とは無縁の、安堵と疲労が入り混じった静謐の証だった。