銀翼の奈落姫   作:虎屋敷はにわ

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第十七話 奇跡の余白、血の証

 儀式が終わると同時に、大広間を満たしていた熱気が、潮が引くように静まっていった。

 だが、バルド男爵は満足げに朗々と声を響かせる。

 「見たであろう、我が庇護の下にある奇跡を! この癒しは、我らの未来を照らす光だ!」

 その言葉に、観衆の一部は再び歓声を上げ、拍手が波のように広がった。

 

 台座の脇では、アルゲンタイトが無表情のまま立っていた。

 その姿を、壁際に控えていたミレナとエリスが冷ややかな眼差しで見つめる。

 ミレナの瞳には、演出の裏に潜む冷酷さを見抜く光があり、エリスの唇はわずかに固く結ばれていた。

 だが、アルゲンタイトは二人の視線を意にも介さず、淡々とアデルの様子を見守っている。

 

 アデルは覆面の奥で、そっと胸を撫で下ろした。

 長い儀式が終わった安堵と同時に、全身の力が抜けていく。

 衣服の袖や裾には、癒やしの最中に移った患者たちの血がまだ乾かぬままこびりつき、ところどころ黒ずんでいた。

 それは、この「奇跡」がただの見世物ではなく、命と痛みを伴う行為であった証だった。

 

 

 歓声と拍手はまだ残っていたが、それはアデルの耳には遠く、くぐもった響きにしか聞こえない。

 覆面の内側は呼吸で湿り、額には冷たい汗が滲んでいた。

 足元の台座の冷たさが、ようやく自分の体温を奪っていくのを感じる。

 

 アルゲンタイトが歩み寄り、かろうじて立っているアデルの肩に手を添えた。

 「…歩けるか」

 その声は冷静さを保ちながらも、わずかに柔らかさが混じっていた。

 アデルが小さく頷くと、彼は自然な動きで体を支え、歩調を合わせて台座から降ろす。

 

 廊下に出ると、喧騒は背後に遠ざかり、冬の冷気と石壁の静けさが戻ってきた。

 歩く間も、アルゲンタイトは片手を彼女の背に添え、短く治癒の呪文を唱える。

 温かな光が背骨を伝い、重く沈んでいた内臓がわずかに軽くなる。

 

 控室として用意された屋敷の空き部屋に入ると、執事セリウスが既に待っていた。

 「ここへ座りなさい」

 短くも柔らかな声音と共に椅子を引く。

 腰を下ろしたアデルを、覆面越しにじっと見つめ、

 「…よくやった」

 と告げた。その口調は淡々としていたが、わずかに温もりが混じっていた。

 

 続いてミレナが入り、アデルの肩にそっと手を置く。

 「無理をしすぎないで」

 その瞳は、覆面の奥の表情を探るように揺れていた。

 アデルは小さく「はい」とだけ答える。

 

 部屋の隅では、エリスが湯気の立つスープを盆に載せて待っていた。

 「これで少しでも温まって」

 差し出された椀を受け取ると、彼女は仮面越しに安堵の笑みを浮かべた。

 

 アルゲンタイトは壁際に立ち、腕を組んだまま全員のやり取りを見ていた。

 「…今日はよく持ちこたえた。だが、これで終わりではない」そう言ってアルゲンタイトは部屋を後にした。

 その言葉に、アデルはスープを口にしながら静かに頷く。

 瞳の奥では、赫蒼ノ奈落の脈動がまだ微かに残っていた。

 

 やがてセリウスが立ち上がり、男爵への報告に向かうため部屋を出ていく。

 ミレナとエリスはアデルの背を軽くさすり、「少し休みなさい」と言い残して控室を後にした。

 残されたアデルは、覆面を外し眼帯をつけて深く息を吐く。

 銀糸の縁取りが、燭台の光を受けて静かに輝いていた。

 

 その光は、儀式の喧騒とは無縁の、安堵と疲労が入り混じった静謐の証だった。

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