銀翼の奈落姫   作:虎屋敷はにわ

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第十八話 癒しの代償、沈む夜

 バルド男爵の命により、アデルは「赫蒼ノ癒やし手」として、月に一度、大広間で癒やしの儀を行うようになっていた。

 そのたびに彼女の身体は深く削られたが、癒やされた人々の感謝や笑顔は、確かに胸を温めた。

 

 ――人を助けることに意味がある。

 

 その誇りが、彼女を支える小さな灯となっていた。

 

 儀式のない日は、屋敷の仕事に明け暮れる。

 男爵の身の回りの世話、料理、洗濯、掃除――あらゆる雑務をこなし、時に夜の呼び出しにも応じた。

 だが、いつしかその呼び出しは減っていった。

 理由は分からない。ただ、静かな夜が増えたことに、アデルは安堵と不安を同時に覚えていた。

 

 

 

 

 そうして三年が過ぎ、アデルは十二歳になった。

 背は伸び、動きにはしなやかな力が宿る。

 頭の回転は早く、要領も良い。数多くの奴隷や使用人の中でも、彼女の手際は群を抜いていた。

 

 そして――いざという時には男爵を守る盾として、ガインの下で鍛えられてきた。

 素手での武術、剣術、心構え。

 アルゲンタイトからは魔術の基礎と応用。

 ミカからは弓術と野外での生存術。

 ドードからは文字、計算、心理学、歴史、経済学、物理学まで。

 グランからは料理の技術と味の見極め。

 

 屋敷の誰もが、無言のうちに彼女に知識と技術を授けていた。

 その実力は、表に出せば驚かれるほどだったが、アデルは決してそれを誇示しなかった。

 力は、見せるためではなく、必要な時に使うためのものだった。

 

 三年の間に、月に一度の癒やしの儀は、領内外から人々を呼び寄せ、やがて「赫蒼ノ癒やし手」の噂は王都にまで届いた。

 病を癒やし、傷を瞬時に塞ぐその力は、民の間では「奇跡」と呼ばれ、信仰の対象にすらなりかけていた。

 

 だが、王国教会はこの現象を快く思っていなかった。

 聖典に記されぬ癒し、神の名を通さぬ奇跡――それは教会の権威を揺るがすものだった。

 表向きは沈黙を保ちながらも、裏では男爵の失墜を狙い、アデルを「神の器」として我が物にしようとする動きが始まっていた。

 

 屋敷には、正体不明の使者が訪れることもあった。

 教会の者か、あるいはそれに連なる貴族か。

 彼らは言葉巧みにアデルを引き渡すよう求めたが、男爵はすべてを笑って退けた。

 

 そして、夜。

 

 屋敷の周囲には、時折盗賊が現れるようになった。

 物取りにしては動きが洗練されすぎており、目的は明らかにアデルだった。

 

 侵入者が結界を破ろうとした瞬間、屋敷の空気が変わる。

 アルゲンタイトが張り巡らせた魔術結界が反応し、廊下の燭台が一斉に青白く揺らめいた。

 それは警報のようなもの――魔力の震えが屋敷全体に走り、訓練された者だけがその意味を理解する。

 

 アデルは即座に立ち上がり、眼帯の下で赫蒼が微かに脈打つのを感じながら、木剣を握る。

 奴隷小屋の隅で毛布を抱えていたリリィが、怯えた声で囁いた。

 「また……来たの?」

 アデルは振り返り、短く頷いた。

 「大丈夫。すぐ終わる」

 

 その言葉に、リリィは毛布をさらに強く握りしめた。

 

 外では、ガインが剣を抜き、ミカが屋根から弓を構える。

 アデルは肉体強化の魔術、鍛えた身体と技術で応戦する。

 

 ある夜、侵入者の一人が屋根裏から忍び込もうとした瞬間、アデルは物音に反応し、影のように跳びかかった。

 咄嗟に木剣を振るい、喉元を狙った一撃が、盗賊の首を折った。

 

 その場に崩れ落ちる身体。

 血の匂い。

 静寂。

 

 初めて人の命を奪った。

 

 アデルはしばらく動けず、ただその場に立ち尽くしていた。

 命を奪った事で、心は揺らいだがエリスから学んだ祈りの作法を思い出し、祈り気持ちを立て直した。

 赫蒼は脈打たなかった。

 それは、彼女自身の力だった。

 

 別の夜には、盗賊を捕らえることもあった。

 縄で縛り、尋問の準備を整えた矢先――彼らの瞳が虚ろに揺れ、口元が奇妙に歪んだ。

 

 次の瞬間、魔術が発動し、彼らは自らの命を絶った。

 毒か、呪詛か。

 いずれも尋問の前に死に、何も語らぬまま灰となった。

 

 アルゲンタイトはその痕跡を調べながら、ただ一言だけ呟いた。

 「……教会の術式に似ているが、断定はできん」

 

 屋敷の夜は、静かでありながら、常に緊張を孕んでいた。

 そしてアデルの中にも、静かに何かが沈んでいった。

 

---

 

 ある日、男爵がふと口にした。

 「踊ってみよ」

 

 唐突な命に、アデルは戸惑った。

 だが、幼い頃の記憶が蘇る。

 王都へ向かう大道芸人が村に立ち寄った時、踊り子が練習していた姿――

 その足運び、手の動き、腰のしなやかな揺れ。

 

 記憶を頼りに、アデルは静かに踊り始めた。

 足音は絨毯に吸われ、衣の裾が空気を切る。

 指先まで神経の行き届いた動きは、幼いながらも優美で、どこか儚い。

 

 バルド男爵も、執事セリウスも、その姿に目を奪われた。

 

 踊り終え、アデルは深くお辞儀をした。

 男爵は満足げに軽く拍手を送り、口元を歪めて笑う。

 「大したものだ。これならいつ人前に出しても問題ないな」

 

 意味を測りかねて立ち尽くすアデルに、男爵は告げた。

 「…そのうちお前を社交界に連れて行く」

 

 耳慣れぬ言葉に戸惑う間もなく、男爵はセリウスに命じた。

 「あの者たちを呼べ」

 

 やがて、三人の見知らぬ人物が部屋に入ってきた。

 服の仕立て屋だという。

 男爵の命で、彼らはアデルの体のサイズを測り始めた。

 

 服を仕立ててもらうなど、これまでなかったことだ。

 アデルは男爵の命に従い、静かに立ち尽くしていた。

 

 仕立て屋たちは、鍛え抜かれた肢体と優美な立ち姿、右目に輝く虹色の瞳に目を奪われていた。

 まだ十二歳の少女であるはずなのに、その佇まいには妙な気品と緊張感が漂っていた。

 彼らは互いに目配せしながら、慎重に採寸を始めた。

 

 アデルはぎこちなく腕を広げ、指示されるままに姿勢を変える。

 柔らかな布の巻尺が首元を通り、腰に沿って滑るたび、くすぐったさと居心地の悪さが交錯する。

 仕立て屋の指が肩の骨をなぞると、アデルはわずかに身をすくめた。

 

 「動かないでくださいね」

 年配の仕立て屋が優しく声をかけるが、その目はどこか陶然としていた。

 彼らは職人としての誇りと、目の前の素材の美しさに圧倒されていた。

 

---

 

 採寸が終わると、あらかじめ用意されていたサンプルの衣装が運び込まれる。

 男爵がいくつかを選び、仕立て屋はアデルに着せては細部を調整した。

 

 柔らかな布が肌を撫で、背中の紐が締められ、裾が床に流れる。

 鏡の中には、見慣れぬ自分が立っていた。

 胸が高鳴り、頬がわずかに熱を帯びる。

 

 その姿を見て、セリウスは眉を細めた。

 「……見違えますな」

 その声は驚きと、わずかな警戒を含んでいた。

 

 ミレナは思わず息を呑み、ぽつりと呟いた。

 「綺麗……」

 

 アデルは視線を伏せ、足元を見る。

 その仕草すら、ドレスの動きと相まって優雅に映った。

 

 男爵は満足そうに頷き、仕立て屋に金を渡して部屋を後にした。

 「これなら、どこに出しても恥はない」

 

 仕立てが終わりドレスを脱ぎ、再び奴隷服に袖を通す。

 鏡に映るのは、いつもの自分。

 

 だが、胸の奥には、先ほどの鮮やかな色彩がまだ残っていた。

 それは、ほんの少しだけ、温かい余韻を伴っていた。

 

 その余韻の奥に、夜の冷たい空気と、血の匂いが静かに沈んでいた。

 美しさと力、誇りと恐れ――それらが、まだ幼い彼女の中で、静かに混ざり始めていた。

 

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