銀翼の奈落姫   作:虎屋敷はにわ

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舞が終わり、箱庭の夜が静かにほどける。
 帰路の先に待っていたのは、拍手ではなく、灯りと笑いと、ささやかな食卓だった。




第二十四話 灯りのある帰り道

 

 夜の帳が屋敷を包み込む頃、社交界の喧騒はすっかり遠ざかっていた。

 馬車が石畳を滑るように止まり、車輪の音が静かに消える。

 玄関先には、エリスが待っていた。

 中背で少しふくよかなメイド。物静かで、祈りの習慣を今も守る人だ。

 

「おかえりなさい。……無事で何よりです」

 ミレナが馬車から降りると、エリスは静かに微笑んだ。

「アデルの舞、素晴らしかったのでしょうね。私も、見たかったですわ」

 

 ミレナは頷く。

「ええ。……本当に、素敵だったわ」

 

 荷物の積み下ろしには、カイラ、ノーム、リリィたちが駆けつけていた。

 アデルが木箱から出ると、リリィがぱっと駆け寄ってくる。

 

「アデルちゃん! ねえねえ、どうだった? 貴族ってどんな感じ? ドレス着たの? 踊ったの? ねえ、踊ったの?」

 

 アデルは少し戸惑いながらも、笑みを浮かべて頷いた。

「……うん。踊ったよ」

 

「わぁぁぁ……! すごいすごい! アデルちゃんが舞踏会で踊ったなんて!」

 リリィは目を輝かせて、両手を胸の前で握りしめる。

 

「リリィ、喋ってないで動く!」

 カイラが荷物を抱えながら鋭く声を飛ばすと、リリィは「ごめんなさーい!」とぺこりと頭を下げた。

 

 その様子に、アデルは思わず小さく笑った。

 笑い声は、舞台の緊張をほどくように、柔らかく響いた。

 

---

 

 荷物の中には、舞踏会で着た銀糸のドレスもあった。

 アデルはそれをそっと抱き上げ、名残惜しそうに眺める。

 その布地には、まだ広間の光が残っているようだった。

 

 ミレナがそっと近づき、アデルの頭を撫でた。

「…本当によく頑張ったわね」

 

 その声は、舞台の拍手よりも優しく、胸の奥に染み渡った。

 アデルは目を伏せ、静かに頷いた。

 

---

 

 廊下の奥では、バルド男爵が酔いつぶれていた。

 ガインとセリウスとノームが、その巨体を抱えながら寝室へ運んでいる。

 

「重い……」

「動かない……」

「いっそ放っておくか……」

 

 三人のぼやきが、夜の静けさに溶けていく。

 アデルはそれを見て、思わずクスリと笑った。

 その笑いは、舞台の緊張をほどくように、柔らかく響いた。

 

 すると――

「……ぐぅ」

 お腹が鳴った。育ち盛りのアデルには、菓子だけでは足りなかった。

 

 顔を赤らめ、そっとお腹を押さえる。

 ミレナは目を細めて笑い、「パンくらいならあると思うわ」と言って、厨房へ誘った。

 

---

 

 夜の厨房には、グランがいた。

 鍋の蓋を開けながら、振り返って言う。

 

「お、来たか。ちょうど良かった。帰ってくる頃だと思ってな」

 

 アデルは驚いて目を丸くする。

 ミレナが笑いながら声をかけた。

 

「…グランさん、こんな時間に厨房に?」

 

 グランは眉をひそめることもなく、当然のように答えた。

「なんで驚く? 帰ってくる者に飯があるのは、当然だろう」

 

 テーブルには、温かなたまごの入ったスープと、焼きたてのパンに挟まれたチーズとハム。

 そして、添えられた小さなアップルパイ。

 材料は質素だが、手の込んだ料理だった。

 

「……すごい……」

 アデルは思わず声を漏らした。

 普段は厨房の隅の床に座って食べる。

 けれど今夜は違った。ミレナが椅子を引き、グランが無言でもう一脚を差し出す。

 

「今日は特別だ。テーブルで食え」

 その言葉に、アデルは一瞬戸惑いながらも、そっと椅子に腰を下ろした。

 

「……ありがとうございます。すごく嬉しいです」

 

 その言葉は、誰に向けたものでもなく、ただ心からの感謝だった。

 

 ミレナも隣に座り、グランは三人分を取り分ける。

 三人は、温かな食事を囲みながら、静かに夜を分け合った。

 

「……グラン様、これは失敗作ですか?」

 アデルがアップルパイを見て、からかうように言うと、グランは高らかに笑った。

 

「わしはアップルパイ作りに失敗したことなどないぞ!」

 

 その声は、厨房の天井まで響いた。

 ミレナも笑い、アデルも笑った。

 笑い声が、夜の静けさに溶けていく。

 

---

 

 奴隷小屋に戻ると、リリィがぱっと駆け寄ってきた。

「アデルちゃん! どうだった? どんな人がいた? 踊ったの? ねえ、踊って!」

 

 目を輝かせて懇願するリリィに、アデルは照れながらも頷いた。

 藁の床の上で、そっと立ち上がる。

 

 そして、静かに踊り始めた。

 歌も添えて、声は小さく、でも確かに響いた。

 

 その舞は、広間の絢爛とは違う。

 もっと素朴で、もっと温かくて、もっと近い。

 ノームも、カイラも、リリィも、息を呑んで見つめていた。

 

 踊り終えると、アデルは深くお辞儀をした。

 三人は、小さく、でも心からの拍手を送った。

 

「アデルちゃん、すっごく素敵!」

 リリィが満面の笑みでそう言うと、アデルは少し照れながらも、微笑み返した。

 

---

 

 外では、夜風が静かに吹いていた。

 その風は、舞台の余韻を運びながら、藁の隙間に優しく触れていた。

 

 そして、アデルの胸の奥には、ひとつの灯がともっていた。

 それは、誰かに見てもらえた喜び。

 それは、誰かと分かち合えた温もり。

 それは、踊ることの意味。

 

 穏やかな夜が、静かに流れていった。





 舞台の外にも、灯りはある。
 それは、誰かの声。誰かの笑い。誰かと囲む食卓。
 夜が深まるほど、心は少しずつほどけていく。

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