銀翼の奈落姫   作:虎屋敷はにわ

26 / 45

銀糸の軌跡は、夜の帳に溶けていった。
名も知らぬ踊り子の舞は、誰かの心に灯りを残し、誰かの歩みに影を落とす。
その灯りを追う者がいた。
遠く離れても、時が過ぎても――舞は、胸の奥で揺れていた。




第二十六話 舞を追うもの

 

 城塞都市ヴェルム・アルジェンタムの空は、いつも澄んでいた。

 騎士団の訓練場に響く剣戟の音、宰相の居城に届く政務の声。

 その中で、ソフィアは剣を磨き、言葉を選び、誰にも見せない想いを胸にしまっていた。

 

 時折、思い出す。

 あの夜、冬宴で見た、銀糸の衣装を纏った踊り子。

 名も知らぬ少女が、奴隷の身分でありながら、誰よりも美しく舞っていた。

 その所作は、誰かに見せるためのものではなく、彼女自身の“生きている証”だった。

 

 慣れない社交界に戸惑いながらも、ただその踊り子に目を奪われていた。

 それ以来、踊りに興味を持ち、クラリスや侍女たちに協力してもらいながら、舞を磨いた。

 理由はひとつ――あの踊り子に、少しでも近づきたかったから。

 

---

 

「クラリス、あの子の名前……調べてくれる?」

「またですか、ソフィア様。前回もお調べしましたが、記録には“アデル”としか……」

「それでもいい。何度でも、確かめたいの」

「……わかりました。ですが、あの領地は閉鎖的です。深入りは危険かと」

「危険でも、気になるのよ。あの舞は、ただの見世物じゃなかった」

 

 クラリスは少しだけ眉をひそめたが、それ以上は何も言わなかった。

 

---

 

 宰相ヴィクトルは、奴隷制度そのものに反対していた。

 王都ルミナス・グランディアでは、彼の主導で制度の見直しが進められていた。

 もし法が変われば、アデルは自由になる。

 けれど、それは淡い期待だった。何年かかるかも、誰が阻むかも分からない。

 

 それでもソフィアは、社交界に積極的に顔を出すようになった。

 もう一度、あの舞を見られるかもしれない――その想いだけで、足を運んだ。

 だが、ナヴァルシュ地方の領主・バルド男爵は、執拗にアデルを誰とも合わせようとせず、誰にも奪われないように囲っていた。

 ソフィアは宰相の娘として目立つ行動を避け、社交界で見るたびに手紙を書き、使用人に託した。

 アデルも、時折届くその手紙を読み、感謝と喜びを胸に抱いていた。

 

---

 

「クラリス、手紙は届いてると思う?」

「ええ、屋敷の侍女から報告がありました。彼女は、封を開ける前に必ず手を合わせて祈っているそうです」

「……そう。なら、よかった」

「ソフィア様、なぜそこまで……」

「わからない。ただ、あの子の舞を見たとき、胸が痛くなったの。何かを奪われたような、でも何かをもらったような……そんな気がしたの」

 

---

 

 やがて、ソフィアはバルド男爵の領地を調べ始めた。

 奇跡が起きている――教会の噂だった。

 怪我人や心を病んだ者を癒す「赫蒼の癒し手(かくそうのいやして)」という存在がいるという。

 治癒魔術では説明できない現象が起きており、男爵はそれを利用して寄付を集めていた。

 教会へ一部を納めているため、異端とはされず、咎めもなかった。

 

 ソフィアは呆れた。

 金を払えば奇跡を認め、払わなければ異端とする――教会も腐っている。

 教会は「癒し手」との面会を求めたが、男爵は「信仰の掟により会わせられない」と言い、金を納めることで沈黙を買っていた。

 

---

 

「赫蒼の癒し手……」

 ソフィアは呟いた。

「クラリス、あの子の左目、覚えてる?」

「眼帯をしていましたね。怪我かと思いましたが……」

「違う。あれは、隠してる。何かを」

「まさか、“赫蒼ノ奈落”を……?」

「可能性はある。古の呪術、痛みを引き受ける瞳。あの子なら……」

 

 クラリスは言葉を失い、ただ静かに頷いた。

 

---

 

 そうこうしているうちに、近隣諸国との緊張が高まり、ソフィアは数年領地を離れることとなった。

 アデルのことが、心から離れなかった。

 初めて見たとき、彼女は十五歳だった。

 そして、国に戻った頃――ソフィアは十八歳になっていた。

 

 その間に、何があったのか。

 彼女は、今も舞っているのか。

 左目の奥には、何を抱えているのか。

 ソフィアは、まだ知らない。

 

 けれど、灯りの向こうにいるその人を、忘れたことは一度もなかった。

 





舞は、度々行われた。
その都度、その軌跡は、誰かの心に灯りを残した。
名前も知らず、声も交わさず――それでも、忘れられなかった。

遠く離れても、時が過ぎても、
灯りの向こうにいるその人を、
誰かは、静かに追い続けている。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。