銀翼の奈落姫   作:虎屋敷はにわ

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 午後の都市は、仮面の影を受け入れる。
 石畳の上を歩む足音は、誰にも気づかれず、けれど確かに記憶に触れていく。

 声はまだ名を持たず、風のようにすり抜ける。
 沈黙は、問いかけよりも深く、誰かの心に揺らぎを残す。

 そして、ざわめきの中に、ひとつの輪郭が静かに浮かび上がる。
 それは、物語が都市に触れた瞬間だった。



第三十八話 仮面の魔術師、拳の一撃

 

 石畳の道を踏みしめながら、アデルは宵闇の牙の面々と並んで歩いていた。

 午後の陽は傾き、都市の影が長く伸びていた。

 

 リカルドは、道すがら世間話を織り交ぜながら、アデルの素性を探ろうとしていた。

 「魔術はどこで学んですか? それとも誰か師匠がいたとか?」

 「この街はいつ来られました? それとも……」

 

 けれどアデルは、巧みに言葉をぼやかし、微笑みの奥に沈黙を忍ばせた。

 「風のように、流れてきただけです」

 「師匠というより……影のような存在でした」

 

 その答えは、真実の輪郭を曖昧にしながらも、嘘ではなかった。

 リカルドは内心、手を焼いていた。

 この少女は、仮面だけでなく、言葉にも霧を纏っている。

 

 

 

 やがて、彼らは目的地へと辿り着いた。

 王都ルミナス・グラディアの裏路地に佇む、古びた酒場――「剣と盾亭」。

 

 その地下に、冒険者ギルド「自由の翼」の本部がある。

 魔術師ギルド「アストラ・ノヴァ」が知と秩序を重んじるのに対し、

 このギルドは、力と挑戦を信条とする者たちの集う場所だった。

 

 王国の法を守りつつも、独自の掟を持ち、

 魔物討伐、危険な調査、護衛、そして裏社会の依頼までを仲介する。

 

 互いを助け合う「剣と盾の誓い」が義務とされる。

 

 

 扉を開けると、酒場の空気が一気に流れ込んできた。

 クエストを受注する者、報告に来る者、クレームを叫ぶ者、

 昼間から酒を煽る者、食事を楽しむ者――混沌とした熱が渦巻いていた。

 

 扉の音に反応し、視線が一斉に向けられる。

 

 「……なんだ宵闇の牙か」

 

 つまらなそうに呟かれ、また皆は元の喧騒へと戻っていった。

 

 

 

 リカルドは気にする様子もなく、受付へと向かう。

 「ここで登録しておこう。順番を待つ間に手続きができる」

 

 アデルは頷き、静かに列の後ろに並んだ。

 

 

 

 そのとき、酒の匂いを纏った巨漢が近づいてきた。

 「おいリカルド、新入りか? 前の魔術師は男だったよな」

 

 リカルドは丁寧に答える。

 「今回は女性だ。実力は確かだ」

 

 男は、ゴールド級冒険者チーム「黒鉄の咆哮」の一員――名をガルド・ベアファング。

 ゴードンよりも一回り大きく、筋肉の塊のような体躯を持つ。

 

 

 

 ガルドはアデルに近づき、仮面越しに品定めするような目を向けた。

 透き通る肌、美しい銀髪、そして仮面の奥に潜む静かな気配。

 「……いい女だな。魔術師ってより、飾りにしたいくらいだ」

 

 そして、にやりと笑う。

 「お嬢ちゃん、俺たちのチームに入らないか? 魔術師ならいつでも歓迎だぜ」

 

 その言葉には、力への期待ではなく、欲望の色が滲んでいた。

 

 

 

 リカルドが一歩前に出て、静かに制止する。

 「彼女は我々の仲間だ。誘いは断る」

 

 ガルドは眉をひそめ、

 「なんだ、文句あるってのか?」

 

 ゴードンも割って入り、マールは慌てて仲裁に入る。

 「けんかはやめましょう。ここはギルドです」

 

 

 

 ガルドは鼻で笑い、アデルに向き直る。

 「お嬢ちゃんに聞いてみればいい。俺たちは金級だ。報酬も桁違いだぜ」

 

 アデルは静かに答えた。

 「先に宵闇の牙に誘われました。ご縁があれば、またいつか」

 

 その言葉に、ガルドの顔色が少し変わる。

 リカルドとゴードンを睨みつけ、

 「……ふん、まぁいい…」言って立ち去ろうとしたが、立ち止まった。

 

 「顔が気になるな。仮面、取らせてもらうぜ!」

 と言って突然アデルの仮面に手を伸ばした。

 

 その手が仮面に触れる寸前、アデルの身体が滑るように動いた。

 ガインに教わった格闘術が、無意識に発動する。

 

 ガルドの腕をいなし、重心を崩し、

 その巨体を投げ飛ばす――

 

 酒場の床に、鈍い音が響いた。

 ガルドは転がり、壁に叩きつけられた。

 

 場が静まり返る。

 リカルドたちは呆然とし、他の冒険者たちも目を見開いた。

 

 

 

 ガルドはよろめきながら立ち上がり、顔を真っ赤にして叫ぶ。

 「てめえ! 俺を金級冒険者だとわかってんのか!!」

 

 再び襲いかかるその瞬間、アデルは肉体強化魔術を発動した。

 その速さに、マールが息を呑む。

 

 「……詠唱なしで、あの精度と速さ……凄い」

 

 

 

 アデルは誘導するように避け続け、ガルドを酒場の外へと導いた。

 「ちょこまかと動きやがって……もう許さねえ!」

 

 ガルドは腰の剣を抜いた。

 リカルド、ゴードン、マールが駆けつけるが、間に合わない。

 

 その瞬間――重い音が響いた。

 

 ガルドは鳩尾を打たれ、膝をつき、嘔吐した。

 

 

 

 アデルは無表情のまま、ため息をひとつ。

 「正拳突きです。酔っていたので、余計に効いたでしょう。

  手加減はしましたが、しばらくは立てないと思います」

 

 

 リカルドたちは呆然とし、やがて顔を見合わせて笑った。

 

 酒場に戻ると、冒険者たちが口々に言った。

 「ガルドを投げ飛ばしたぞ!」

 「スカッとしたな、あの女魔術師!」

 

 アデルは特に意に介さず、また列に戻る。

 酒場の空気は、先ほどまでの緊張を忘れたように、ざわめきと笑いに満ちていた。

 

 「見たか、あの動き」

 「ガルドがあんな吹っ飛ぶなんて!」

 「あの仮面の魔術師、格闘術も出来るのはすげえな!」

 

 誰もが口々に称賛を送り、アデルの名はまだ知られていないにもかかわらず、

 その“気配”だけが、都市の記憶に刻まれていった。

 

 

 

 リカルドが肩をすくめながら受付へ向かう。

 「……さて、騒ぎは騒ぎとして。登録を済ませよう」

 

 受付の奥に立っていたのは、分厚い書類を抱えた女性――エステル・フレイア。

 大きな丸眼鏡の奥にある瞳は冷静で、けれどその奥に柔らかな光を宿していた。

 

 

 

 「騒ぎを起こさないようにお願いします」

 エステルは事務的な口調で言ったが、

 その視線はアデルの仮面の奥を、静かに見つめていた。

 

 「これ以上騒ぐと、ギルド長が出てきますよ」

 

 

 

 リカルドは苦笑しながら手を挙げる。

 「それだけは勘弁してくれ。あの人が出てくると、みんなお仕置きされるんだ。

  長い説教の後で辛い訓練が待ってるからな……」

 

 アデルも軽く頭を下げる。

 「すみません。絡まれていたので、つい……」

 

 エステルはため息をつきながらも、微笑んだ。

 「…まぁ今回は仕方ないですね。ただ、中で投げ飛ばすのは控えてください」

 

 アデルは真面目な顔で答える。

 「次からは関節技で制圧します」

 

 その言葉に、エステルもリカルドも思わず笑った。

 

 

 

 「では、登録の手続きを始めましょう」

 エステルは書類を広げ、アデルに問いかける。

 

 「年齢、名前、職業をお願いします」

 

 

 

 アデルは少しだけ迷いながらも、静かに答えた。

 「十五歳。名前はエルダ。職業は……魔術師です」

 

 エステルはその言葉を記録しながら、首を傾げる。

 「その強さで新人登録? 他の街で登録していませんか?」

 

 

 

 アデルは仮面の奥で微笑み、

 「……風のように、流れてきただけです。記録には残っていないと思います」

 

 その言葉に、エステルはしばらく沈黙した後、頷いた。

 「……わかりました。では、こちらを」

 

 

 

 彼女が差し出したのは、木で作られた首飾りのようなもの。

 中央には、ギルドの紋章――翼を広げた剣と盾――が刻まれており裏面にはエルダと記載されていた。

 

 「これが、冒険者としての登録証になります。

  ランクによって材質が変わりますので、昇格の際は必ずここへ来てください、まずはこちらルーキークラスからのスタートとなります。」

 

 

 

 アデルはそれを受け取り、静かに頷いた。

 その瞬間、都市の空気が少しだけ変わったような気がした。

 

 仮面の奥にある瞳が、都市の風景を見つめる。

 そして、まだ語られていない物語が、静かに動き始めていた。

 

 

 

 魔術師エルダ……

 その名が、都市の記録に刻まれた瞬間だった。





 仮面は沈黙を守る器ではなく、都市に溶ける輪郭だった。
 声は魔術ではなく、心に触れる力――その響きが、騒ぎを鎮め、名を刻んだ。

 挑発は儀式のように、力を示す場となり、
 アデルは仮面の奥で静かにそれを受け入れた。

 木の首飾りが渡された瞬間、
 風のような魔術師は、都市の記録に初めて触れた。

 物語は、静かに芽吹いている。
 次なる夜の扉を、もう叩き始めていた。
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