銀翼の奈落姫   作:虎屋敷はにわ

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第四話 祈りとぬくもりの理由

 朝、アデルは薄明かりの中で目を覚ました。

 まだ外は冷え込み、吐く息が白い。

 程なくして、奴隷小屋の扉が軋み、エレナが姿を見せた。

 

 「今日は別の仕事を覚えてもらうわ。エリスについて」

 

 短く告げられ、アデルは頷いた。

 

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 エリスは落ち着いた物腰で、アデルを迎えた。

 「まずは業務を覚えること。そして、心を整えること」

 彼女は掃除や洗濯、客間の整頓などを教える合間に、祈りの大切さを語った。

 「祈りは、心を澄ませるためのもの。誰かに見せるためじゃないの」

 その声は柔らかく、修道女だった頃の静けさを帯びていた。

 

 アデルは真剣に耳を傾け、与えられた仕事を黙々とこなした。

 その覚えの早さと手際の良さに、エリスは驚き、静かに微笑んだ。

 

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 昼食時。

 アデルは厨房の隅で、奴隷用の食事を前に座っていた。

 すると、料理番のグランが近づき、手のひらに小さなアップルパイを乗せた。

 

 「失敗作だ。処理してくれ」

 

 それはアデルの手のひらに収まるほどの大きさで、端が少し焦げて黒くなっていた。

 だが、まだほんのり温かく、表面の焼き色は黄金色に輝き、ところどころに溶けた砂糖が飴色の斑点を作っている。

 近づけると、甘く煮詰めたリンゴの香りと、バターの豊かな匂いがふわりと鼻をくすぐった。

 

 アデルは恐る恐るひと口かじった。

 薄く層を重ねた生地が、サクッと小気味よい音を立てて崩れ、舌の上でほろりと溶けていく。

 中から現れたリンゴは柔らかく煮込まれ、果汁がじゅわっと広がった。

 甘さの中にほんの少し酸味があり、焦げ目の香ばしさがそれを引き締める。

 温もりが口いっぱいに広がり、胸の奥まで染み込んでいくようだった。

 

 思わず、アデルの頬がふわりと緩む。

 グランはその表情を見て、口の端を上げた。

 「また失敗したら頼むぞ」

 とニヤリと笑う。

 

 アデルはその意味を理解し、小さな声で「…ありがとうございます」と微笑んだ。

 「明日は俺の手伝いをさせるから覚悟しろよ!」

 脅すように言われ、アデルはたじろいだが、すぐにグランは大笑いし、

 「冗談だ」

 と肩を叩いた。

 

 午後、男爵が外出し、そのまま外泊すると聞いた。

 アデルは胸の奥から安堵が広がるのを感じた。

 周りの使用人たちも、彼女を見てほっとした表情を浮かべていた。

 

 夜。

 男爵が不在のため、食事は残り物がなく、アデルは何も期待していなかった。

 だが、グランがこっそり小さな器を差し出した。

 中には湯気を立てる肉の入ったビーフシチュー。

 アデルは恐る恐る口に運び、その濃厚な旨味と柔らかな肉に目を見開いた。

 

 もじもじとしながら、アデルは尋ねた。

 「……どうして、こんなに優しくしてくれるんですか」

 

 グランは豪快に笑った。

 「奴隷用の粗末な飯をあんなに美味そうに食べられたらな、もっと美味いもん食わせたくなるだろ!でもこれはここだけの秘密だぞ」

 

 アデルは胸の奥が温かくなるのを感じ、深く頭を下げた。

 

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 食事を終え、奴隷小屋に戻ると、リリィが迎えてくれた。

 「アデルちゃん、一緒に身体洗いに行こ!」

 

 ふたりは誰もいないいつもの厨房の隅で、桶の湯を使って背中を洗い合った。

 リリィの背中にも、アデルと同じ奴隷の刻印と、鞭で打たれたような古傷があった。

 アデルの背には、まだ治りきらない生々しい傷跡。

 「…早く治るといいね」

 リリィは優しく言い、傷に湯が染みないよう、ボロ布でそっと洗った。

 

 互いの背中を洗いながら、他愛のない会話をしてふたりは笑い合った。

 リリィは自分が戦争孤児で、奴隷として売られ、ここに来たことを話した。

 アデルも少しずつ、自分のことを語った。

 

 その夜は男爵がいない。

 ふたりは手を握り合い、温もりを分け合いながら眠りについた。

 暗闇の中、小さな灯火が、確かに心にともっていた。

 

 

【挿絵表示】

 

エリス・ヴァンデル

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