霧の森に、静寂が戻っていた。
討伐は完了し、月は雲間から顔を覗かせている。
風は冷たく、夜は深い。
だが、四人の間には、確かな温もりが灯っていた。
リカルドがゆっくりと目を開けた。
視界がぼやけ、空気が重く感じる。
だが、最初に見えたのは――マールの涙ぐんだ笑顔だった。
「リカルド……!」
彼女は声を上げ、思わず抱きついた。
その腕は震えていたが、確かに温かかった。
「……俺……生きてるのか?」
ゴードンが笑いながら肩を叩く。
「やっと目が覚めたか、リーダー。寝坊にもほどがあるぜ」
リカルドは苦笑しながら身体を起こす。
仮面をつけたエルダが、少し離れた場所で静かに微笑んでいた。
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「討伐は完了した。三体とも仕留めた」
ゴードンが報告する。
リカルドは自分の腹部に手を添え、損傷した鎧を撫でる。
「……俺、マールを庇って……爪が、腹を……」
鎧に裂け目はある。だが、皮膚には傷がない。
痛みも、残っていない。
「……どういうことだ?」
彼はマールに視線を向ける。
「マール……何があった?」
マールは言葉に詰まり、視線を落とす。
そのとき、エルダが一歩前に出た。
「私が……引き受けました。
あなたの痛みを…….
これは、癒しではなく私の呪いであり、代償です」
リカルドは息を呑む。
エルダの声は静かだったが、確かな重みがあった。
「このことは……私たち四人だけの秘密にしてください」
マールが頷く。
「絶対に誰にも言わない。約束する」
ゴードンも真顔で言った。
「俺もだ。墓まで持ってく」
リカルドはしばらく黙っていた。
そして、深く頭を下げた。
「……ありがとう。命を救ってくれて。
俺は、あんたに借りができた。当然誰にも言わない」
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討伐の証として、三体の魔石を回収する。
月光に照らされた魔石は、淡く青く輝いていた。
「報告は明日にしよう。今夜はもう遅い」
リカルドが言う。
マールは疲れた顔で笑った。
「私、もう歩けないくらい疲れてる……」
ゴードンが腹を鳴らす。
「俺は腹が減って死にそうだ」
エルダが微笑む。
「では、宿に戻って……美味しいご飯を食べましょう」
その言葉に、三人は笑った。
霧の森を背に、街へと歩き出す。
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ヴェルム・アルジェンタムの街灯が、夜の石畳を照らしていた。
人影はまばらで、空気は静か。
四人は並んで歩き、宿の扉をくぐる。
「おかえり!」
ルーシャがカウンターから顔を出す。
「その様子だとクエスト、無事に終わったんだろ?すぐ夕食の準備するから待ってな!」
それぞれ部屋に戻り、荷物を置いてから食堂へ降りてくる。
テーブルには、温かな灯りが灯っていた。
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ルーシャが料理を運んでくる。
木皿に盛られたローストチキンは、皮がパリッと焼かれ、香草の香りが立ちのぼる。
野菜のグリルは甘く、バターで炒めた茸が添えられていた。
パンはふかふかで、スープは根菜と豆の滋味が染み渡る。
「さあ、召し上がれ!」
みんなは席につき、食事を口に運ぶ。
疲れていたはずなのに、笑い声が自然とこぼれる。
エルダは、いつものように美味しそうに食べていた。
その姿に、マールが微笑む。
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リカルドが口を開く。
「今日は……みんなご苦労だった、ありがとう。
高額なクエストは、命の危険があるってことを……改めて思い知ったよ」
ゴードンが頷く。
「そうだな、だがエルダがいなきゃ無理だった。あんたがいてくれて、本当に助かった」
マールも、静かに言った。
「本当にそうね!ありがとう、エルダ!」
エルダは少し照れ臭そうに微笑む。
「……いえ。私も、皆さんがいたから戦えました」
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ゴードンが笑いながら言った。
「そういや、リーダーはエルダの素顔見てなかったな。めちゃくちゃ美人で驚いたぜ」
マールも笑う。
「ほんとに。こんな美人、見たことない」
エルダは顔を伏せて、照れ臭そうに言った。
「そんなことは……ないです」
マールが笑いながら言う。
「あるよ! 絶対ある!」
リカルドが少し残念そうに言った。
「俺は見てないんだが……ダメ元で聞くが見せてもらうことはできないか?」
マールがすぐに割って入る。
「それはダメ! リカルドは気絶してたんだから!」
ゴードンも笑う。
「そうだ、気絶してたリーダーが悪い!」
エルダも微笑む。
「そういうことにしておきましょう」
リカルドは肩をすくめて笑った。
「ふふ、そうだな……残念だ」
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しばらくして、リカルドが真剣な顔で言った。
「エルダ…改めて、ありがとう。そして……正式に“宵闇の牙”に入ってくれないか?」
マールがすぐに賛成する。
「私も賛成!エルダがいれば心強いわ!」
ゴードンも笑う。
「エルダが入れば、金級どころかプラチナ級、いや英雄級までいけるかもな」
エルダはゆっくりと答えた。
「……嬉しいです。でも、私にはまだ言えないことがたくさんあります。
それに私の目的は、旅を続けて……いつか、自分の呪いを解くこと。
だから、この街にとどまるつもりはありません」
リカルドは少し残念そうに頷いた。
「そうか……仕方ないな」
マールも、寂しそうに微笑む。
「残念だけど……応援する」
ゴードンは笑って言った。
「まあ仕方ねえ。旅人ってのは、風みたいなもんだ」
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リカルドがふと思い出したように言う。
「そうだ。呪いのことなら、この街には呪術魔導具を扱う店がある。《琥珀の祠》って店だ」
リカルドが地図取り出し、折れ目を指でなぞる。
「そこに寄ってみればいい。話を聞くだけでも何か手がかりになるはずだ」
エルダは目を細めて頷いた。
「分かりました。ありがとうございます」
そのとき、厨房の方からルーシャが現れた。
「おつかれさま! クエスト成功のお祝いにこれはサービスね」
彼女は笑顔で小さなデザートを差し出す。
木の盆に載ったプチ・タルトは、カスタードがとろりと光り、ベリーの酸味がさわやかに香る。
粉糖が雪のように振りかけられ、ミントの葉が一片そっと飾られていた。
「わあ、ありがとう!」
マールの声が弾む。ゴードンは満面の笑みで皿を受け取る。
エルダは少し照れてから、そっとフォークを手に取った。
四人はそれぞれ一口ずつデザートを味わう。
甘さが疲れた体の隅々に行き渡り、緊張がほどけていく。
ルーシャは嬉しそうに、鍋の残り香を胸にしまい込みながらうなずいた。
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食卓は和やかだった。
話題は自然と改めて今日の恐怖と高額クエストの重みへと戻るが、言葉の端に笑いが混じる。
「本当に、エルダがいなければ無事ではなかったな」とリカルドが改めて言うと、三人は一斉に頷いた。
マールの目には微かな涙が光り、ゴードンは不器用にグラスを掲げる。
「リーダーの命は俺たちの宝物だ」とゴードンが言うと、皆が笑い、輪が緩やかに温かくなる。
エルダは微笑み、言葉少なに頭を下げた。
その仕草だけで、感謝が伝わった。
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食事の終わり、ルーシャが残り物を片付けに来たとき、ふと厨房の戸が少し開いた。
「夜遅くまでごくろうさま。本当に無事でよかったな」
彼女の声は柔らかく、家族のような安心感が漂う。
皆が礼を言い、笑いがまだ続く中で、それぞれ自分の部屋へ戻る準備を始めた。
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各々の部屋で、短い静寂が訪れる。
リカルドは鎧の裂け目に触れ、手のひらで確かめるように撫でた。
マールは祈りの紐にそっと触れて、今夜の出来事を繰り返し心の中で唱える。
ゴードンは無造作に剣をラックに戻し、ふと窓の外を見やった。
そして、エルダ――仮面をつけたまま、窓辺に立った。
灯りは室内の向こうで静かに揺れ、外の月は薄い雲をまといながら街を照らしている。
彼女はゆっくりと仮面の紐に触れ、ためらいながら、それを外した。
素顔が月光に浮かぶ。目元は冷静だが、口の端にはわずかな柔らかさがあった。
そのまま窓の縁に腰掛け、小さな鼻歌を口ずさむ。歌は覚え書きのように短く、しかもどこか子供の頃の匂いを含んでいた。
「……ふふ」と小さく笑うと、彼女は仮面を膝に戻し、指先でその縁をなぞった。
夜風がカーテンを揺らし、彼女の髪をそっと撫でる。
その姿は、戦いの影と静かな決意が混ざり合った一枚の絵のようだった。
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階下では、誰かが笑い声を上げ、片付けの音がやがて消えていく。
ルーシャが窓から見上げて、目線があったエルダは小さく会釈する。エルダはすぐに視線を戻し、また一人で窓の外を見つめる。
孤独を抱えた者が一晩だけ、密やかな温もりに触れた夜。
彼女は鼻歌を続けながら、ゆっくりと目を閉じた。
窓の外の月は、やがて雲に隠れて、彼女の小さな歌声だけが夜に残った。