その朝も、アデルは夜明け前に目を覚ました。
藁布団の上で身を起こすと、同じ奴隷小屋のカイラとノーム、リリィも次々と目を開ける。
「おはよう」
「おはよう、アデルちゃん」
まだ数日しか経っていないが、互いの声色には少しずつ柔らかさが混じり始めていた。
外の井戸で冷たい水をすくい、顔を洗っていると、背後からミレナの声がした。
「アデル、今日は料理番のグランの手伝いをしてもらうわ」
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厨房に入ると、料理番グランが大きな腕を組んで待っていた。
「おう、来たか。まずは野菜の下拵えだ」
テーブルの上には、朝採れの野菜が山のように積まれていた。
艶やかな赤いトマト、土の香りを残した人参、外皮がまだしっとりと湿った玉ねぎ、葉先まで瑞々しいセロリ。
グランが包丁を握り、手本を見せる。
「トマトは湯むきして皮を剥く、人参は繊維に沿って切る、玉ねぎは芯を残して薄く……」
アデルは一度見ただけで同じ動きを再現した。
包丁がまな板を叩く音は軽やかで、切り口は揃って美しい。
切った玉ねぎからは甘く刺激的な香りが立ち、トマトの果汁が光を反射して宝石のように輝いた。
「……お前、筋がいいな。毎日手伝ってほしいくらいだ」
アデルは戸惑い、
「ミレナ様の指示があれば……」
と答える。
グランは豪快に笑い、
「じゃあミレナに美味いデザートでも賄賂に持ってくか!」
と冗談を飛ばした。
その後、グランは煮込み鍋を火にかけ、香味野菜を炒める。
バターが溶ける音と共に、玉ねぎの甘い香りが広がり、人参とセロリが加わると香りに深みが増す。
「ほら、味見だ」
匙を差し出され、アデルが口に含むと、野菜の甘みとバターのコクが舌に広がり、思わず頬が緩んだ。
その笑みを見て、グランもニヤリと笑った。
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昼、男爵が帰宅し、食堂に着く。
アデルはミレナと並び、料理を取り分けて男爵の前に置いた。
その中に、男爵が口にして目を細めた料理があった。
それは、香草をまぶした白身魚のポワレ。
表面は黄金色に焼き上がり、皮はパリッと音を立て、中の身はふっくらと蒸気を含んでいる。
皿にはレモンバターソースが薄く敷かれ、刻んだパセリとディルが彩りを添えていた。
口に運べば、淡白な魚の旨味にバターの濃厚さとレモンの爽やかな酸味が重なり、香草の香りが鼻に抜ける。
「これは何を使っている?」
と男爵が尋ね、ミレナが「グランを呼んでまいります」と下がろうとしたとき、アデルは一歩前に出た。
「……私が説明してもよろしいでしょうか」
男爵は面白そうに口角を上げ、
「いいだろう。言ってみろ」
アデルは魚の種類、下処理の方法、香草の選び方、皮目をパリッと仕上げる火加減、ソースの作り方までを簡潔に説明した。
その場にいたバルド男爵、執事セリウス、ミレナが一様に目を見張る。
「…よく分かった」
男爵は笑い、食事を続けながら時折アデルに質問を投げ、その答えに満足げに頷いた。
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昼食の片付けが終わると、アデルは厨房の隅にボロ布を敷き、奴隷用の食事を前に座った。
そこへグランがやってきて、同じように床に腰を下ろす。
「たまにはこうやって食べるのもいいな」
彼は自分の皿から料理をアデルの皿に取り分けた。
それは、朝一緒に作った野菜のポタージュ。
淡いクリーム色のスープは、舌触りが滑らかで、炒めた玉ねぎの甘みと人参の優しい香りが溶け合っている。
口に含むと、バターのコクと野菜の旨味がじんわりと広がり、喉を通る頃には身体の芯まで温まるようだった。
「今日お前と一緒に作ったやつだ。味を覚えとけよ」
アデルは感謝を伝え、ゆっくりと味わった。
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午後も夕食の準備を手伝い、包丁を握る手はもう迷いがなかった。
夕食のメインは、香ばしく焼き上げた鴨肉のロースト。
皮目はパリパリに焼かれ、切ると中から肉汁が溢れ出す。
付け合わせの赤ワインソースは、深いルビー色で、甘みと酸味、そして肉の旨味を引き立てるほのかな苦味があった。
夕食時、再び男爵に料理の説明を求められ、アデルは落ち着いて答えた。
男爵は満足そうに笑い、食事を終えた。
片付けのあと、夕食も食べることになった。
今度はミレナがアデルの横に座った。
「あなたの聡明さとひたむきさ、もっと知りたいの。仲良くなりたいわ」
ミレナの言葉に、アデルは照れながらも嬉しそうに頷いた。
ミレナは料理を分け与えながら話した、これは秘密の時間だった。
さらにミレナは、
「男爵様、今日はあなたを呼ばないって」
と告げた。
アデルは胸の底から安堵し、深く息をついた。
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奴隷小屋に戻ると、リリィが駆け寄ってきた。
「アデルちゃん!今日はどうだった?」
ふたりは声を弾ませて話し合い、時々笑い声が大きくなってカイラに「静かに」と注意される。
それでも笑いは止まらず、やがて温かな気持ちのまま眠りについた。
グラン・トーヴァ
リリィ・マルヴェル