銀翼の奈落姫   作:虎屋敷はにわ

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第九話 静かな結束

 厳しい訓練と労働の日々が続く中、アデルは今日も夜明けと共に奴隷小屋を出た。

 ガインとの剣と体術の鍛錬を終え、額に滲む汗を拭いながら、次の指示を待つ。

 

 その時、低く短い声が背後から響いた。

 「……ついて来な」

 

 振り返ると、そこには馬丁のロルフ・カーディアが立っていた。

 無口で、言葉よりも馬と心を通わせることを好む男。

 深い森のように静かな瞳は、何を考えているのか読み取りづらいが、そこに偽りはなかった。

 

 案内された馬小屋には、数頭の立派な馬が並んでいた。

 干し草の香りと、馬の温かな吐息が混ざり合い、外の冷たい空気とは別世界のようだった。

 馬たちは穏やかな目でアデルを見つめ、その清潔な毛並みと落ち着いた様子から、ロルフがどれほど彼らを大切にしているかが伝わってくる。

 

 「男爵様の命令だ。お前にも馬の世話と、乗り方を教えろとさ」

 淡々と告げる声に、アデルはすぐに理解した。

 これは、いざという時に男爵の役に立つための能力――だが同時に、それは新しい学びの機会でもあった。

 

 ロルフはまず、馬の世話から教え始めた。

 ブラシのかけ方、餌の与え方、体調の見極め方。

 言葉は少ないが、その手つきは驚くほど優しく、馬への深い愛情が滲んでいた。

 アデルはその動きを一つも見逃さぬよう観察し、正確に真似をした。

 

 「馬は嘘をつかない。お前の心は、馬に筒抜けだ」

 ロルフは馬の首筋を撫でながら静かに言った。

 アデルはその言葉の意味を探るように、馬の大きな瞳を覗き込む。

 そこには、恐れも疑いもなく、ただ真っ直ぐに自分を映す光があった。

 

 やがて、元旅芸人の馬丁、ティム・ベルモントが現れた。

 12歳の少年は、赤い髪を陽に輝かせ、まだあどけない笑顔を浮かべている。

 

 「えっと、ティム・ベルモントです!

 アデルさんのことは……その、前から知ってました!」

 

 少し顔を赤らめながらの挨拶。

 その視線は、アデルの煌虹色の瞳に吸い寄せられ、離れない。

 彼は、アデルが奴隷として扱われていることを知っていたが、そんなことは関係なく、純粋な憧れを抱いていた。

 

 アデルはその気持ちに気づかぬまま、丁寧に挨拶を返した。

 

 ティムは、馬車の操縦方法を明るく教え始めた。

 冗談を交えながらも、要点は外さない。

 

 「馬車は急ぐと危ないんだ。馬と心を一つにして、ゆっくりと、ね」

 

 アデルは真剣に耳を傾け、馬に優しく声をかけながら手綱を握った。

 その声に応えるように、馬の耳がわずかに動き、表情が穏やかになる。

 その様子を見たティムは目を輝かせた。

 

 「すごい! アデルさん、馬と話せるみたいだ!」

 

 アデルは少しだけ頬を染め、控えめに微笑んだ。

 

 その日の夕食時。

 アデルが厨房の隅で粗末な食事をとっていると、ロルフとティムが入ってきた。

 二人はいつものようにテーブルへ向かおうとしたが、ロルフは立ち止まり、自分の皿からチーズとパンを取り、アデルの前に置いた。

 

 驚いて見上げるアデルに、ロルフは短く言った。

 「お前は、馬を怖がらない。いい馬乗りになれる」

 

 ティムは何かを渡したそうに手を動かしたが、奴隷に使用人から食べ物を与えるのは禁じられている。

 葛藤の末、彼は何も言わず、ただアデルに向けて小さく笑った。

 

 その夜、男爵からの呼び出しはなかった。

 アデルは毛布に身を包み、今日出会った馬たちの温かな瞳と、ロルフとティムの笑顔を思い出していた。

 

 「今日はどうだったの?」

 隣の寝床から、リリィが小声で尋ねる。

 アデルは少し笑みを浮かべ、静かに答えた。

 「……馬の世話を教わったの。毛がふわふわで、目が優しかった」

 

 「へぇ……いいなぁ。私だったら近づく前に逃げちゃうかも」

 リリィは肩をすくめて笑い、すぐに真顔になる。

 「でも、アデルちゃんは平気なんだね。すごいよ」

 アデルは首を横に振り、

 「……ロルフさんが、ちゃんと見ててくれたから」

 と、少し照れたように視線を落とした。

 

 「こら、あんまり喋ってると明日眠くなるわよ」

 カイラが毛布を引き寄せながら、半分呆れたように言う。

 その声には叱る響きがあったが、目元はどこか柔らかい。

 「……はい」

 アデルは素直に返事をし、リリィと目を合わせて小さく笑った。

 

 その時、向かいの寝床からノームがゆっくりと体を起こした。

 無言のまま、足元に置いてあった自分の毛布を一枚引き寄せ、アデルの方へ放る。

 「……冷える」

 それだけ言って、また横になる。

 

 アデルは驚きながらも、毛布を胸に抱きしめた。

 「……ありがとう」

 小さな声でそう告げると、ノームは背を向けたまま、ほんのわずかに肩を揺らした。

 

 カイラはその様子を見て、何も言わずに目を閉じた。

 だが、その口元には、母親が子を見守るような穏やかな笑みが浮かんでいた。

 

 やがて、静かな呼吸の音が小屋に満ちていく。

 ――自分は、一人ではない。

 その確信が、眠りへと落ちる彼女の心を、静かに、しかし確かに支えていた。

 

 

【挿絵表示】

 

ロルフ・カーディア

 

 

【挿絵表示】

 

ティム・ベルモント

 

 

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