最終選別から十五日後。
狭霧山の鱗滝宅にて、炭治郎は選別の傷と疲れを癒やしつつ腕が落ちないように修行と、そして鬼殺隊としての任務が始まった後は当分はお預けとなるであろう平穏な時間を享受していた。
その日、そろそろかと待っていた炭治郎の元に、待ち人来たる。
最終選別に合格し晴れて鬼殺隊の隊士となったは良いが、すぐ任務が開始されないのには理由がある。
これから死と隣り合わせの日々が始まるので最後の休みを楽しむようにとの、そんな当主の配慮もあるのかも知れないが、最大の理由はやはり刀である。
鬼殺隊の隊士が使う日輪刀は、選別に合格した隊士が自ら原材料となる鋼を選び、それから担当の刀鍛冶が刀を打ち始めるのだが、完成までに二週間前後の時間が必要となるのだ。
そしてこの日、炭治郎にも彼の担当刀鍛冶である鋼鐵塚蛍が持参する形で、彼の刀が届いた。
ひとしきり日輪刀の素材や産地の説明を行なった後、鋼鐵塚は炭治郎を顔を見て、火男の面を被っているから表情は分からないが「ほう」と息を吐いたようだった。
「あぁお前、赫灼の子じゃねぇか。こりゃあ縁起が良いなぁ」
「いや、俺は炭十郎と葵枝の息子です」
「そういう意味じゃねぇ。頭の毛と目ん玉が赤みが掛かっているだろう。火仕事をする家はそういう子が生まれると縁起が良いって喜ぶんだぜぇ」
知らなかったが自分は炭焼きの家系だし、刀鍛冶と言えば同じように火を扱う仕事だろうからそうした験担ぎがあるのかなと少し炭治郎は感心した。
「こりゃあ刀も赤くなるかも知れんぞ、なぁ鱗滝」
「あぁ」
「さぁさぁ刀を抜いてみな」
家に上がった鋼鐵塚が、竹刀袋から取り出した鞘込めの刀を渡してくる。
受け取った炭治郎が、どことなくおっかなびっくり刀を抜いた。
露わになったのは、銀色に光る玉鋼の刃。
「日輪刀は別名・色変わりの刀と言ってなぁ、持ち主によって色が変わるのさぁ」
そう説明されている間にも、炭治郎に握られた日輪刀に変化が始まった。
刀身が、柄を握る手に近い鍔元から始まって切っ先へと、変色していく。
その色は黒曜石のように艶があり、しかし決して冷たくはなく、むしろどこか暖かみのある、まだ焼かれてそう時間が経っておらず熱を残した炭のような、漆黒。
「黒っ!!」
「黒い、な」
鋼鐵塚は思わず噴き出して、鱗滝は穏やかに息を呑んだ。
「えっ、黒いとなんか良くないんですか? 不吉ですか?」
「いやそうではなく…」
「キィィィィィィッ!! く、黒だ!! 俺の打った刀が、黒く染まった~!! まさか黒い刀が見れるとは~!!」
獣のような四足歩行で凄い速さで炭治郎に近付いた鋼鐵塚は、もぎ取るような勢いで日輪刀の刀身を掻き抱くと頬ずりを始めた。炭治郎は思い切りドン引きしながらも、視線で自分の育手に状況の説明を求める。
「炭治郎、呼吸には種類があるという説明は以前にしたな?」
「はい、鱗滝さんが教えてくれた水の呼吸の他に、炎や雷の呼吸があって、それに使っている呼吸を変えたり自分に合うように独自に派生の呼吸を編み出す人も多いと聞きました。特に水の呼吸は、技が基礎に沿ったものだから派生の呼吸も多いって」
「そうだ。鬼殺隊の永い歴史の中で、どれほどの数の呼吸の剣技が編み出されたのか? その正確な数は儂にも分からん。だが鬼との戦いの中で、ある呼吸は使い手が命を落とし、ある呼吸はあまりにもその者一人の為の技であったが故に、またある呼吸は受け継ぐに足る才ある者が現れずに淘汰され、途絶えていった。そうしてこの時代にまで多くの剣士が使い、継承され続けているのが基礎の呼吸と呼ばれる技だ」
即ち、炎・水・夜・雷・岩・風の六つの呼吸。更に派生の呼吸の中にも使い手が比較的多い技は、一流派として確立しているものも存在しているという。
「殆どの呼吸はこれら六つのいずれかから枝分かれしたものだ。例えば霞の呼吸は風から、花の呼吸は水からという具合にな」
六つの呼吸が基礎の技として残っているのは、それぞれの剣士の適性・得手不得手に合わせてのものだろう。例えば瞬発力・一撃の重さに長けた者は炎の呼吸、体格に恵まれて頑健な肉体を持った者は岩の呼吸が向いているという塩梅であろうか。
「そしてそれら六つの呼吸の更に大本となった、一番最初に生まれた最源流の呼吸の技があるのだ。それが日の呼吸。儂が知る限り日の呼吸には八つの技があるが、昔はもっと多かったとも聞く。これは素質のある者が少なかったが故に幾つかの技は失伝してしまったのだとも言われているが…しかしそれでも、日の呼吸の技もまた今に受け継がれている、鬼殺隊の伝統ある剣技なのだ」
「そう、日の呼吸は最初にして最強の呼吸の技、その適性がある使い手はざらには出ないんだぜぇ。まさか俺の担当剣士がそうだなんてなぁ」
現在・浅草。
無惨によって鬼にされた男性を取り押さえる最中に、珠世と愈史郎、二人の鬼と出会った炭治郎。
彼女達の屋敷へと案内されたが、嗅覚をも妨害する愈史郎の血鬼術の結界を越えた先で、急に覚えのある匂いが鼻腔を刺激した。
膨大な薬品の匂いに紛れているが、これを忘れる筈がない。
いつも背負っている箱にも同じように、染み付いている匂いだ。
まさかと思って屋敷に入ると、その居間には記憶のままの姿があった。
六つの眼を持った侍の鬼。
最初に出会った鬼の侍、国士某。
「久しいな…炭治郎…二年振りか…壮健なようで…何より…」
「国士某…さん」
「随分…成長したな…見違える…ようだ」
炭治郎は居住まいを正して、深々と頭を下げる。
「国士某さんが見守っていてくれたからです。修行の時は、正直何度も挫けそうになりましたけど…あなたのお陰で、頑張り続けられました」
「私の力など…僅かなもの…お前を育てたのは…お前の育手と…お前自身であろう」
「それでも、ありがとうございます!!」
この時、感極まっていたのもあるだろうが、炭治郎は国士某が「育手」という鬼殺隊の符丁を使った事に気付かなかった。
「おい、感動の再会も良いがあまり珠世様を待たせるんじゃない。珠世様がお前達兄妹に話があると仰られるから、この屋敷に呼んだんだぞ」
「あ、はい」
「そうだな…珠世殿、お願いする」
「はい。まず炭治郎さん、あなたの話は国士某さんから聞いています。鬼にされた妹を、人間に戻す為に鬼殺の剣士となるのを目指す少年が居ると…」
「!」
それを聞いた炭治郎は驚いた様子で、あらためて国士某へと視線を送った。
「その時点では…お前が本当に…鬼狩りの剣士になれるのか…どうか…それは私にも…分からなかったが」
そして今、炭治郎は二年の厳しい修行を経て最終選別に合格し、初任務にも成功して立派な剣士へと成長した。
それはつまり、国士某や珠世からしても自分達の協力者たり得る資格を持つ事を彼自身が示したという事でもある。
「では、炭治郎さん。結論から言いますが鬼を人間に戻す方法は…あります」
「!! 教えてくだ…」
「寄ろうとするな珠世様に!!」
思わず飛び付くように前に出た炭治郎は、愈史郎によって絵に描いたようにきれいな御式内・四方投げを受けて転がされた。
受け身を取った炭治郎は少し気が急いたかと座り直して、話の続きを聞く態勢になった。
「どんな傷や病にも、必ず薬や治療法があるのです。ただ現在ではまだ、鬼を人に戻す事は出来ない。ですが私達は必ず、その治療法を確立したいと思っています」
治療薬を作る為には、多くの鬼の血を調べる必要がある。
「国士某さんには、私達の護衛と合せて鬼を斬ってもらう事でそれを手伝ってもらっています」
珠世が炭治郎に頼みたいのは二つ。
一つ、禰豆子の血を調べさせてほしい。
禰豆子は珠世から見ても不思議な状態にある。二年間眠り続けていたという事だが、恐らくはその際に肉体に何らかの変化があったのだろう。通常それほど長い時間、人や獣の血肉を口にしなければ間違いなく飢餓による衝動で理性を支配されて凶暴化する。
しかしながら禰豆子にはそうした症状は見られない。
これは極めて稀な症状だ。
「同じような症例は、私が知る限り数百年の中で…一例だけ」
珠世の視線を炭治郎が追った先には、侍鬼が正座していた。
『珠世様は今日も美しい。きっと明日も美しいぞ』
「国士某さんが…」
珠世や愈史郎は肉体を改造する事で、鬼でありながら少量の血を摂取するだけで生きていられるという事だったが、炭治郎は国士某が禰豆子と似て非なる存在と聞かされて、恩人が人食いでないことにホッとすると同時に、鬼である筈の彼から人食い特有の悪臭がしなかった事にも合点が行った。
むしろ国士某はどこか匂いが薄いようでもある。まるで彼の体が、その場所の空気を固めて作られているように。
「ですが…禰豆子さんの症例は、国士某さんとはまた違うようです」
国士某には禰豆子のように、長い時間眠らねばならないような症状も出ていない。二人は鬼の中で特異な存在でありしかもこの変化はそれぞれ表面上こそは似ていても実際には全く違ったものである可能性もある。
一つなら何もかも手探りになるが、二つの奇跡的な症例を比較しつつ研究を進めれば、治療薬の完成は飛躍的に進むだろう。
「もう一つのお願いは、過酷なものになります」
二つ、可能な限り鬼舞辻の血の濃い鬼からも、血液を採取してもらいたい。
「鬼舞辻の血が濃い鬼とはつまり、奴により近い強さを持っている鬼という事。既に国士某さんがこれを進めてくれていますが、あなたにも手伝って欲しいのです。無論、それには命の危険が伴いますが…それでもあなたはこの頼みを聞いてくださいますか?」
問われるが、炭治郎の答えは決まっていた。
「それ以外に道が無ければ、俺はやります。それに珠世さんが沢山の鬼の血を調べて薬を作ってくれるなら、禰豆子だけじゃなくてもっと多くの人の命が助かりますよね…」
「…そうね」
国士某は炭治郎がこう答えるのが分かっていた。この少年は狭霧山への道中で、禰豆子を諦めないと答えた時と同じ目をしている。
「だが炭治郎…それはただならぬ…険しい道だ」
「はい、国士某さん。それは分かっています」
「いや…分かっては…いないだろう」
国士某は、彼の右脇に置かれていた刀を手に取った。
「えっ?」
右利きの人間の場合、刀を抜く時は左手で鞘を持って右手で抜刀する。よって右側に置いていてはいざという時に咄嗟に抜くことが出来ない。これは「あなたを傷付ける心算は無い」という意思表示に当たるが、それを止めたという事は国士某が戦闘態勢に入ったという事だ。
だがいきなり、どうして?
「国士某殿、どうしたんだ?」
「ム?」
「あの…」
「少なくとも炭治郎…お前は…今から私がやることが…出来るように…ならねば…ならぬ」
ホオオオオオオオ
鬼殺の剣士が呼吸の剣術を使う際の、独特の息の音が響く。
月の呼吸 弐拾漆ノ型 斑月・斬閃輪
抜刀・一閃・納刀
一連の動作が速すぎて、鬼ではあっても戦闘のプロではない珠世や愈史郎には鍔鳴りの音しか聞こえなかった。
炭治郎も太刀筋は殆ど見えず、辛うじて腕の振りが空間を横切る影のように見えただけだった。
「炭治郎…外へ出て…見てくるがよい」
「は、はぁ」
言われた通り炭治郎が、しかしただ事ではないのを悟って日輪刀を抜きつつ、仮に物陰から鬼が飛び出してきてもすぐ対応出来るよう警戒しつつ屋敷の外へと出る。
すると、軽く足に何か触れる感触があった。
油断無く、視線を下げる。
「これは…鞠か?」
子供が蹴鞠で遊ぶくらいの大きさの鞠が、転がってきたのだ。
でもどうしてこんな所に鞠が?
そう思った炭治郎が鞠が転がってきた方向に目を向けると、そこには人影が二つ。
「誰だ!?」
ここには目隠しの血鬼術の結界が張られているらしいから一般人ではない。ならば鬼舞辻が刺客として差し向けてきた鬼か?
そう思った炭治郎の予感は、正しかった。
そこに立っていたのは、鬼が二体。
黒い羽織と橙色の着物を着た女性の鬼と、数珠を首に掛けて黄色い着物を着た男性の鬼。
が、頸を切断されて、肉体が崩壊しつつある。
しかしあまりにもその切断の速度が速かった為だろう。胴体は頸が斬られた事を認識出来ずに立ったままで崩れていく。
「これは…」
「移動の痕跡を…辿ってきた鬼のようだな」
国士某が出てくると、懐から小刀を取り出した。これは愈史郎特製の採血用の刀だ。
「採血は…しておこう」
崩壊し掛かる肉体に投げた刀が刺さると、自動的に柄の部分に血が溜まっていく。
「さて…炭治郎」
「はい」
「お前はこれから…私が今倒したのよりも…遙かに強い鬼と…戦い…勝ち続けていかねば…ならぬ」
「はい」
「だがお前は…志は素晴らしいが…技は甚だ未熟…私が分かっていないというのは…その点だ」
「…えっと、恐縮です」
「故に」
国士某は、左手に逆手で持っていた木刀を、右の順手に持ち替えた。その切っ先を炭治郎へと向ける。
「夜が明けるまで…数時間はある…少しばかり…私が…稽古を付けてやろう」
それを聞いた炭治郎は一瞬だけ目をぱちくりさせて、次にぱあっと笑顔になった。
「はい!! よろしくお願いします!!」