名も無き、国一番の侍   作:ファルメール

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第18話 侍稽古

 

 それは当時の鬼殺隊の、剣術談義の席だった。

 

 各自の剣技の更なる向上や鬼との戦いで一般隊士の生存率を少しでも上げる為に柱合会議の後に縁壱と巌勝が提案し、柱達や継子、それに甲階級の隊士達など上級剣士が集まってそれぞれの意見を持ち寄ったのだ。

 

 日の呼吸の第一の派生である巌勝の月の呼吸も、この席で彼の肉体的な適性や剣技の特徴などが研究される事で誕生した。

 

 しかし縁壱の真似は巌勝含め現在の鬼殺隊の誰にも出来ず、巌勝の真似もまた縁壱以外の誰にも出来ない(第一縁壱は巌勝より強いので真似をする意味が無い)。故に、各人に合わせた更なる派生の呼吸の開発が求められ、先日は基礎に忠実で応用力が高い水の呼吸が生まれたばかりだった。

 

「では…まずは…おさらいからだ」

 

 巌勝が切り出した。

 

「我々人間が…鬼と戦う場合…どのような戦い方を…選ぶべきか?」

 

 先手必勝で短期決戦を挑むか?

 

 それとも持久戦に持ち込むか?

 

「当然、短期決戦だろう」

 

「その通りだ。いくら鍛え上げても人間と鬼とでは元々の地力が違いすぎる。体力勝負になったら先に音を上げるのはまず人間だろう」

 

「それに鬼には異能がある。長引かせると、何が起こるか分からん」

 

「可能であれば何もさせずにいきなり頸を斬ってしまうのが理想だな!!」

 

 柱達の意見は完全に共通していた。これは過酷な実戦の中で多くの戦闘法や戦術が試され、淘汰と試行錯誤が繰り返されて洗練されていった結果の思考法であった。先んずれば人を制すという言葉があるが、この場合は先んずれば鬼を制すと言うべきか。

 

 柱の一人が言ったように、どれだけ有利に戦いを進めていても、血鬼術が一瞬にして全てを覆す可能性がある事を彼等は知っている。

 

 血鬼術にはあまりにも多くの種類があり、しかも法則性も無く分類や傾向分析は現実的にはほとんど不可能。炎や氷が飛び出すようなものや、一時的にこちらの動きを鈍くさせるもの、人間を洗脳して操るもの、瞬間移動や空間それ自体に作用して異常を発生させるものまである。

 

 一つ一つにいちいちあらかじめ対策など立ててはいられない。まして鎹鴉の偵察・報告があるとは言え原則として鬼狩りと鬼の戦いは、鬼の出没する地域や狙われる人間の特徴くらいしか事前情報がない遭遇戦で始まり、いずれかの死によって終わる。だから初見殺しに特化した術こそ恐るべき威力を発揮する。

 

 これら全てに共通する対策は、一つしかない。

 

「使わせない事ですね、兄上」

 

「そうだ…縁壱」

 

 隣に座っていた弟の言葉に、巌勝は頷いた。

 

「皆が言った通り…初手で決着させるのが…理想であるが…では…それが出来なかった時は…どうするか?」

 

 更に畳み掛けて一秒でも早く決着させるのを狙うか?

 

 それとも相手をよく観察して、血鬼術の特性を見極めるのか?

 

 いずれにも欠点がある。勝負を焦ったらそこに隙が生まれるし、血鬼術を使わせるのは逆転の可能性をみすみす与えてしまう事になる。

 

 柱達や全員これには頭を悩ませる。

 

 二人を除いては。

 

「可能ならば…使わせずに…戦い続ける…事だな」

 

「巌勝殿!! それはどういう事だ!!」

 

 覇気のある声を上げたのは黄と赤の髪色をした精悍な男性の柱だった。彼は産屋敷家に代々仕え柱を輩出してきた名家の剣士である。

 

「言葉通りだ…煉獄殿…短期決着が出来なかった場合…必然的に持久戦となるが…持久戦で鬼に血鬼術を使わせない工夫が…求められる」

 

「どうやって?」

 

「難しいのでは?」

 

「縁壱」

 

 兄に促されて、呼吸術の祖たる剣士が話し始める。

 

「確かに鬼の異能は千差万別だが、鴉達の報告から絶対とは言わぬまでも概ね共通する特徴は、一つだけ発見されている」

 

「おお!! それは何だ!?」

 

「殆どの異能の術は、鬼がそれを意識する事で発動するという事だ」

 

「えっ!!」

 

「ならば攻略法は…至極単純…頸は斬れぬまでも…攻撃し続け…集中させずに…術を使わせぬ事」

 

「そ、それこそ…言うは易しだが!! ど、どうすれば…そんな事が?」

 

「それも至極単純…全段全力攻撃を…繰り返し続けること」

 

 全力で攻撃し続ける事で血鬼術を使わせず、隙を見て頸を斬る。仮にそれが出来なくても夜明けまで攻撃を繰り返し続けて逃走を許さなければ、太陽の光が鬼を滅ぼしてくれる。

 

 要するに一分以内に戦いを決着させるつもりの全力疾走のような攻撃を一晩中休まず続ける事こそが、鬼との戦いに於ける絶対確実な必勝法なのだ。例えるなら100メートル走のペースで、42.195キロをスタートからゴールまで走り続けるようなものだ。

 

「え…ええっ…」

 

 煉獄の顔色が段々悪くなってきた。声からも覇気が失せてきた気がする。

 

「私の日の呼吸にも、技と技の切れ目を少なくして攻撃を一晩中継続出来るような改良が必要となるか」

 

 縁壱は巌勝の結論に得心が行ったようで、それぞれの型を使う前と後の姿勢を確認し、繋がりを意識しての稽古を始める。

 

 巌勝は煉獄の様子がおかしいのに気付いて、理由を察した。

 

「煉獄殿…気にする事では…ない…私が今言ったものも…あくまで戦い方の…一つでしかない…無理にやれとは…言わぬ」

 

「み、巌勝殿…」

 

「そもそも…煉獄殿の剣は…そうした戦い方には…向いていない…貴殿の技は…一太刀の…その威力に重点を置く…まさに一刀必殺…それを極めた呼吸の技を…作ればよい」

 

「そ、そうか…で、では巌勝殿…どうかご指導をよろしくお願いする」

 

 炎の呼吸が完成するのは、このすぐ後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 浅草・珠世邸

 

 庭での国士某と炭治郎の稽古は、鬼気迫る様相を呈していた。

 

 しかし炭治郎もそうだが傍らで見ている愈史郎も、顔色が悪くなってきていた。

 

「も、もう三時間は続けてるぞ…」

 

 愈史郎の言葉通り、炭治郎はヒノカミ神楽の全力攻撃の打ち込みを、もう三時間以上も休憩無しで続けている。

 

 技の精度も動きの速度もキレも落ちてきているが、とにかく今出せる全力を出し続けている。

 

 これはただ単に全力の動きを長時間繰り返しているというだけのものではない。

 

 ヒノカミ神楽を実戦剣術として炭治郎の体に馴染ませる為の稽古であるが故に一太刀一太刀が、さながら炭治郎の命ごと国士某にぶつけるかのような膨大な集中力を消費して繰り出されているのだ。

 

 いずれかの型の、たった一度でさえそれなりに炭治郎は体力的にも精神的にも消耗する。

 

 そんな動作を、休まずに三時間も継続している。

 

 呼吸音はまるで自動車の排気音のようで、全身から玉の汗が絶え間無く流れ続ける。

 

「ム…」

 

 禰豆子が炭治郎の元へ行こうとするが、珠世に肩を掴んで止められた。

 

「行っては駄目よ」

 

「ムー」

 

「炭治郎さん…あなたのお兄さんの姿を…しっかりと見ていなさい」

 

 当の炭治郎は、今は疲労困憊の極致で苦しくて仕方無い…という訳ではなかった。

 

 確かに先ほどまでは肺が破裂して心臓が爆発するかと思っていたが、今は。

 

『き、気持ちよくなってきた…』

 

 これは後世に於けるランナーズハイと呼ばれる現象である。

 

 肉体が苦痛という形で運動を止めるように信号を送っているが、それを無視して体を動かし続ける事で、脳内麻薬が分泌されて痛みは抑制され、多幸感を味わっているのである。

 

 一体今どれくらい時間が経ったのか。

 

 一時間くらいは過ぎたろうか? まだ三分も経っていないのか?

 

『考えるな。集中しろ。一秒だ。この一秒だけ考えろ』

 

 今この時だけに集中して、この時必要な事だけを考える。他の、不要な思考は全て排除する。

 

 錯覚かも知れないが、そうする事で思考の重さが減って少しだけ頭が楽になったような気がした。

 

『余計なものを切る…!!』

 

 脳裏によぎったのは、昔の父との会話だった。

 

 病弱だった父が、辛いのなら来年からは自分がヒノカミ神楽をやると炭治郎が申し出た時の事だ。

 

『父さんはここ数年、神楽が辛いと思った事は無い。大切なのは正しい呼吸と正しい動き。最小限の動作で最大の力を出す事なんだ』

 

 必要でないものを削ぎ落とす。その動きに要する機能を残して他は閉じる。

 

 烈日紅鏡 碧羅の天 日暈の龍・頭舞い

 

『そうだ、体中の力を全部使う必要なんか無い。その型に必要な筋肉の一筋一筋、血管の一本一本まで把握しろ』

 

 必要なものだけを動かして、不必要なものは動かさない。

 

 そうすることで不要な力は抑えられ、また動かさない筋肉は極めて短時間でも休ませる事ができる。

 

 炎舞

 

「む」

 

 炭治郎の打ち込みを止めた国士某は、僅かに六眼を見開いた。

 

 これまでは時間が経つにつれて、疲労によって技の威力も精度も速度も落ちていく一方だったのに、今の打ち込みは僅かながら、上向きの変化があった。

 

 灼骨炎陽 輝輝恩光

 

 偶然ではない。少しずつ、動きに無駄が無くなって技が力任せのものから、しなやかで流麗なものへと変わりつつある。

 

「一つ…階を…上ったか」

 

 本来であれば幾年もの時間を掛けて習得するものであるが、残念ながら鬼狩りとして明日の命も知れぬ炭治郎には、時間など掛けている暇など無い。故に荒っぽいやり方であるが、こうした打ち込み稽古の形式を取ったのだ。

 

 今の炭治郎は極限の疲労によって、自然と動きから無駄が抜けてヒノカミ神楽、即ち日の呼吸の最適の動きをするようになってきている。

 

 これで第一段階は突破した。

 

 次の第二段階はこの状況を繰り返して、炭治郎の体にその無駄の無い動きを刻み付けることだ。たとえ元気いっぱいの状態でも、瀕死の状態でも同じ動きが出来てこそ、ようやくその技が自分の血肉と化したと言えるのだ。

 

「ガガガッ…ガガガッ」

 

 炭治郎の視界も意識もグチャグチャになっていた。

 

 脳内麻薬の分泌で痛みが和らぎ、更にそれ以上の痛みを肉体が発して更に快感が上書きする。苦しいのか気持ちいいのか分からない。

 

 目に映るものはもうはっきりとした像を結んでいない。色も認識出来ずに白くなったり黒くなったりしている。

 

 それでも、体を動かすのは止めない。

 

 強くなる。禰豆子を人間に戻す。

 

 家族を失った時から、一日も忘れずに細胞の一つ一つにまで刷り込ませた誓いが、肉体のあらゆる警告を無視して、体に染み付いた動作を繰り返し続ける。

 

 白くなったり黒くなったりする視界は、徐々にその頻度が早くなる。チカチカと明滅するようだったのが、やがて切り替わりが炭治郎にも認識出来なくなって、灰色一色になっていく。

 

 その、灰色に埋め尽くされた視界の中で、一筋の光明が見えたようだった。

 

『あの光は…』

 

 炭治郎はその光明を見ようとして目を凝らし…少しずつ光が大きくなっていくようだった。

 

 やがて針の穴ほどだった光が、徐々に膨らんでいって広がり…いつも通り見ている視界へと変わっていく。

 

 いや、少し違う。

 

 動き、いや時間の流れがひどく緩慢なように思えて、眼前の国士某の、臓器の位置、筋肉の流れ、骨格。全てが透き通るように見える。

 

『ああ…そうか』

 

 これが

 

 と さん

 

   じ い も

 

 す  おる

 

   い

 

 *

 

 次の技を繰り出そうとした炭治郎が、突然がっくりとうずくまって、動かなくなった。

 

「お、おい!! どうした炭治郎」

 

「炭治郎さん」

 

「ムー!!」

 

 愈史郎、珠世、禰豆子が駆け寄っていく。

 

 国士某も構えを解いて、歩み寄る。

 

「大丈夫か?」

 

 愈史郎は炭治郎の首筋に手をやって、さあっと顔を青ざめさせた。

 

 慌てて今度は掌を口元に近付ける。

 

 空気の流れが肌に当たらない。

 

「い、息をしてない。脈が無いぞ」

 

「ムー、ムー!!」

 

 禰豆子が兄の体を揺するが、炭治郎は応えない。

 

 竈門炭治郎は死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「脈や心臓が止まり…息が絶えた程度で…狼狽えるな…どけ」

 

 国士某は鬼3人を退かせると、炭治郎の背後に回ってぐっと背中に膝を当てた。

 

「喝」

 

 全身の力を、炭治郎の体へと伝導させる。

 

 すると、

 

「うおおおおおっ!! ガハッ、ハー、ハー!!」

 

 バネ仕掛けの人形のように、炭治郎の体が跳ね上がって立ち上がった。

 

「ム、ムー!!」

 

 禰豆子が、兄の体に思い切り抱きつく。

 

「ハー、ハー!!」

 

「お、おい炭治郎、大丈夫か」

 

「短時間ですが息が止まっていましたよ」

 

 愈史郎と珠世は、気遣わしげに顔を覗き込む。

 

 激しく肩を上下させて呼吸していた炭治郎は、たっぷり数分も掛けてなんとか息を落ち着けると、二人へと視線をやった。

 

「む、昔…」

 

「「え?」」

 

「昔飼ってた犬に…会ってきました」

 

「「………!!」」

 

「撫でようと手を伸ばしたら…思い切り吠えられました…」

 

「「…!! ……!! …!! …!!」」

 

 珠世と愈史郎は、信じられぬものを見た表情になった。対照的に、何でもないようにしているのは国士某だ。

 

「止まった心臓を動かすのは…昔から…慣れている…すぐに動かし…頭に血を行かせれば…問題は…無い」

 

「い、いや問題大有りだろう」

 

 愈史郎はドン引きした表情で、そう言うのが精一杯だった。

 

「この程度…驚くには…値せぬ…昔…私の継子は…稽古の最中に…心臓が止まった時は…無意識の最後の力で…胸を叩き…自ら息を…吹き返したぞ」

 

「「「えぇ…」」」

 

「ム…」

 

 人も鬼も話の凄まじさに圧倒されているのを尻目に、国士某は落ちていた日輪刀を拾うと炭治郎に手渡した。

 

「え…」

 

 炭治郎は刀を握ったが、今は国士某の意図を掴みかねているようだった。

 

「夜明けまでは…まだ一時間余り…ある…稽古の…続きだ」

 

 あまりにも当然のように、国士某はそう言って身構えた。

 

「「ええっ!?」」

 

「ム!?」

 

 珠世、愈史郎、禰豆子は何を言っているのか分からない顔になった。たった今まで、炭治郎は比喩では無く息が止まっていたのに。

 

「こ、国士某さんは鬼です」

 

 流石に炭治郎も涙目になっている。

 

「その通りだ…何を今更」

 

 そういう意味ではないと言いたかったが、これ以上は余計な事を言えば骨を折られてしまう。炭治郎は日輪刀を構えた。

 

 それに、無理難題には本当のところは思えなかった。

 

 不思議と今は気分が良い。

 

 先ほどの過度の運動によってもたらされる多幸感とは違う。体が軽く、力が良く入る。

 

「気付いては…いないか?」

 

「え?」

 

「炭治郎…今のお前は…意識せず…自然と…全集中の呼吸が…出来ているぞ」

 

「え、あれ? そうなんですか?」

 

 言われた炭治郎は、自分の口元や肺に手を当てて血や空気の流れを確かめようとしているようだった。

 

「それは常中と…呼ばれるもの…鬼殺隊の柱や…上級剣士は…皆それを…修めている…お前の場合は…息が止まるまで全集中の呼吸を…続けたので…息を吹き返した後は…その呼吸を…するようになったのだ」

 

「え、えぇ…」

 

 全集中の呼吸を四六時中やる事など想像もしていなかったが…今の自分が、それが出来ているとは。

 

 炭治郎は喜びよりも、困惑の方が強いようだった。

 

「驚くには…値しない…実績や…前例のある…事象だ」

 

「……!!」

 

 炭治郎は今何か、恐ろしい事を耳にした気がしたが…聞かなかったことにした。

 

 ヒノカミ神楽の剣技を打ち込み続ける。

 

 結局この後も、炭治郎の剣は国士某の体に掠りもせず、何百何千と真剣で打ち込んだのに木刀を斬る事も出来ず、夜明け直前をもって稽古終了となった。

 

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