名も無き、国一番の侍   作:ファルメール

19 / 33
第19話 侍との別れ

 

 努力は必ず報われる。

 

 これほど使い古されて、多くの人に信じられなくなった言葉もそうはないだろう。

 

 しかしこの日、響凱はその言葉を再び信じたくなった。

 

 あの御方とお会いするのはいつ以来だろう。

 

 どれほど前だったかは忘れてしまったが、どんな時だったかは鮮明に覚えている。

 

『数字は剥奪する。それがお前の限界なのだ』

 

 その言葉と共に右目に癒えない傷を刻まれた時。

 

 それからは、ぷっつりと屋敷を訪れてはもらえなくなった。

 

 理由は明白だ。段々と人間を喰らうことが出来なくなり、力の向上に天井が見え始めたからだった。

 

 鬼は人間を喰らうほどに強くなる。だが彼の肉体は次第次第に以前ほどの量の血肉を受け付けなくなっていった。

 

 あの御方…鬼舞辻無惨に認められて十二鬼月となり、血を分け与えてもらう事でより強い鬼となる。それは全ての鬼が共通して持つ目標だ。

 

 だから瞳に刻まれた数字を剥奪された後も、彼は諦めなかった。

 

 量を受け付けられなくなるなら、質を高める事でそれを補おうと考えた。

 

 人間の中には稀血といって、一人で普通の人間五十人分、人によっては百人分もの栄養を持った血の持ち主が居る。

 

 そうした血の持ち主を喰らい、十二鬼月へと返り咲くのだ。

 

 そんなある日、彼の屋敷に無惨が訪れた。

 

 訳も分からず傅く響凱の額に、無造作に指が突き立てられた。

 

 そこから、鬼の始祖の血が流れ込んでくる。

 

「力のある鬼が足りないのだ。私の血をこれだけ受ければ、お前でもまだ役に立つだろう」

 

 体内に入ってくる血の量が増えてくるのに比例して、響凱は得も言われぬ快感を味わっていた。

 

 身を灼くようであり、のたうち回りながらも気分が良い。

 

 今まで自分がどれほど意識を集中して再生に力を注いでも決して治癒しなかった右目の傷までもが、時間を逆行するかのように消えていく。そして肉体には、これまで感じた事も無いような力が漲っていくのが分かる。

 

 瞳に刻まれた数字にも変化が生じていく。

 

 「下陸」から「下弐」へと。

 

「私の役に立て。鬼狩りを殺せ」

 

「ありがたき…幸せ…」

 

 

 

 

 

 

 

 夜が明けて、浅草・珠世邸。

 

 国士某との鍛錬を終えた炭治郎は、すぐに珠世に体を診察してもらっていた。

 

「呼吸・脈拍・体温…全て正常…信じられませんが…体の酷使による全身筋肉痛以外は、どこにも異常がありません」

 

 鬼である以前に医師である珠世からすれば、これは医学的な観点からすれば奇跡を通り越して最早悪夢だ。無理が通れば道理が引っ込むとはまさにこの事か。あのような常軌を逸しているとしか言い様が無い鍛錬によって、一度は本当に心臓が止まり、息が絶えて脈も無くなり、間違いなく死亡したと言える状態だったのに、そこから蘇生してどこにも異常が無いなど。

 

 科学的ではない、理に適っていない。

 

 こんな事が現実に起こるなら、自分が学んできた医学とは一体何だったのかと馬鹿にされた気分だった。

 

「炭治郎さん、本当に体のどこにも不調は無いんですね?」

 

「はい、不調どころかこんなに調子が良いのは生まれて初めてかも知れません」

 

 炭治郎の言葉は嘘ではない。

 

 確かに筋肉痛は全身をひっきりなしに襲っているが、同じ全身の隅々、細胞に酸素が巡り、みずみずしく活性化しているのが分かる。これが国士某の言う常中の効果なのだろうか。

 

「ムー」

 

 診察室から出ると、禰豆子に抱き締められた。

 

 禰豆子は次に、珠世に抱きついた。

 

「こら、珠世様から離れろ。失礼だぞ」

 

 愈史郎が咎めるが、珠世が「良いのですよ」と言うと「はい、珠世様」とすぐに態度を改めた。

 

 禰豆子は、珠世を抱き締めたままで愈史郎の頭を撫でる。

 

「先ほどから禰豆子さんがこのような状態なのですが…大丈夫でしょうか?」

 

「大丈夫です、多分二人のことを家族の誰かだと思っているんです」

 

 鱗滝翁は、禰豆子に暗示を掛けたと言っていた。

 

『人間は皆、お前の家族だ』『人間を守れ、鬼は敵だ』『人を傷付ける鬼を許すな』

 

 それに従えば、人間が家族に見える訳で、珠世や愈史郎は鬼だが…

 

「でも、禰豆子はお二人を人間だと思っているんですよ。人間だと」

 

「人…」

 

 鬼になって、数百年。

 

 だが、その間に自分を人として扱ってくれた人がどれほど居たであろうか。

 

 それは、思い出せないくらい遠い過去の出来事。

 

「ありがとう、禰豆子さん…ありがとう」

 

 ぎゅっと、珠世は涙して禰豆子を抱き締め返した。

 

「…」

 

 国士某が、禰豆子に歩み寄った。

 

「…」

 

 禰豆子の視線が鬼侍に向いて…

 

 プイ

 

 そっぽを向かれてしまった。

 

「……」

 

 国士某の視線が、まだ禰豆子を抱き締めている珠世と、愈史郎に向けられる。

 

「本日二度目…私は…嫉妬で…全身が灼けつく音を…聞いた」

 

 漸く珠世が落ち着いた所で、珠世は今後の事を切り出した。

 

「私達はこの地を離れます。鬼舞辻に近付き過ぎました。早く身を隠さなければ危険な状況です。それに上手く身を隠しているつもりでも医者として人と関わりを持てば、鬼だと気付かれる事もある。特に子供や年配の方は鋭いです」

 

 だから、珠世達は長く同じ所には留まれない。

 

 漂泊の旅を続けねばならないのだ。

 

「炭治郎さん。禰豆子さんは私達がお預かりしましょうか?」

 

 珠世が、そう申し出た。

 

「戦いの場に連れて行くよりは危険は少ないかと。私達には国士某さんが付いていますし…」

 

「よせ…珠世殿…無駄だ」

 

 止めたのは国士某だった。

 

「二人は…離れる事はない…そうするくらいなら…ここまで来ては…いない」

 

 同じような問いは、既に二年前に国士某がしているのだ。

 

 妹を人に戻そうと共に歩む道は、辛いものになるだろう。あるいは炭治郎の人生にとってという意味では、禰豆子は家族と一緒に殺されていた方が良かったのではないかと思えるぐらいの。

 

 まして禰豆子は今は被害者だが、いつ鬼の本能に支配されて人を襲い、加害者に変身してしまうかも知れぬ爆弾のような存在なのだ。

 

 ならばそんな罪を犯す前に、人として禰豆子を斬った方が良いのではないか?

 

 だがその問いを、炭治郎はきっぱりと断ったのだ。

 

 その気持ちは今も変わらぬだろう。目を見れば分かる。

 

「俺は、禰豆子と一緒に進みます。禰豆子が鬼のまま死ぬか、人に戻って生きるか…どちらにせよ、妹とは運命を共にします」

 

 だから、炭治郎の答える言葉も同じだった。

 

「…分かりました。では、武運長久を祈ります」

 

「俺達は痕跡を消してから行く……気を付けろ、体を大事にしろよ」

 

「では…炭治郎…稽古は…欠かさぬようにな」

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、鬼殺隊本部・産屋敷邸

 

「カァー!! 竈門炭治郎、下弦ノ弐撃破!! 疲労ハアレド軽傷!!」

 

 飛び込んできた鎹鴉が、開口一番そう告げた。

 

 産屋敷耀哉はその鴉の体を優しく膝の上で撫でてやる。

 

「ご苦労様。そうか、炭治郎…義勇が言っていた子だね。人を襲わない鬼の妹…そしてこの短期間での異常なまでの剣士としての成長…」

 

 一つ一つだけなら偶然と思ったかも知れない。

 

 だがここまで重なれば、そんな言葉で片付ける事は到底出来ない。

 

 根拠は何も無いが、これは兆しのそのまた兆しなのではないかと思う。

 

 炭治郎は火なのかも知れない。

 

 この停滞した状況に投げ込まれた火。

 

 それは風を生み出し、水を踊らせる。

 

「一度会って、話してみたいね」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。