朝日に照らされる山のお堂。
朝焼けの中に佇む人影が二つ。
一人は背筋は伸びているが、髪は年を重ねて白く染まっていて。天狗の面を被っているが僅かに見える肌にはいくつもの皺が刻まれていた。
老人が問う。
「炭治郎。妹が人を食った時、お前はどうする」
唐突に投げかけられた問い。
少年は、真っ直ぐに相手を見据えて、答える。
「その時は……その時は、俺が禰豆子を殺して、俺もすぐ後に腹を切って、禰豆子が食ってしまった人とそのご家族にお詫びします」
遡る事、一日ほど。
禰豆子の手を引いて、冨岡義勇に言われた狭霧山を目指していた炭治郎は、そろそろ空が白み始めているのに気付いた。
義勇から別れ際に言われた、妹を日に当てるなという言葉を思い出す。
「どこか…日の光を避けられる場所は無いか…?」
きょろきょろと見渡すと、ちょうど手頃な洞穴があるのに気付いた。あそこなら小休止と、日差し避けにはうってつけだろう。
入る為にちょっと頭をかがめなくてはならなかったが、それなりに奥行きもあり陽光が届かないその行き止まりの横穴で、夜通し歩いてきた炭治郎は漸く一息吐いて小一時間ほどの仮眠を取った。
目を覚まして幾分体と頭が軽くなったのを確かめた後で、これからどうするか思案する。
夜まで待つ手もあるが…出来るだけ早く目的地に辿り着く為には、昼間も先に進みたい。だが妹を置いていく訳にも行かないので、何か日の光を遮られる、籠か箱のような物を調達するか…
そう思って近くの民家を訪ねて籠を分けてもらおうと洞穴を出ようとして…
「鬼狩りは…納得…させられたよう…だな…」
半日ほど前に耳にした声が聞こえてきて、思わず飛び上がりそうになった。
まるで空間から融け出すように、そこにはずっと前から居たように正座して落ち着いた姿勢で、六つの眼の侍・国士某がいた。
だがどうやって?
国士某が座しているのは炭治郎が立っているよりも洞窟の内側で、入り口は一つしかないから入ってきて自分のすぐ横を通ったのなら気付いた筈だし、たとえ眠っていても鼻の利く自分なら匂いで感付いたと思うのだが…
「こ、国士某……さん」
「正直…驚いて…いる…鬼狩りはお前の言い分を…聞かず…妹を…斬ると…思っていた…」
「は、はい…最初は斬るという勢いでしたけど…禰豆子を自由にして、それで俺を襲わないのを見て…何とか…納得してもらえました」
「それは…お前が…命を懸けたから…だ。最後に人の…心を動かすのは…理屈ではなく…決死の覚悟だ…」
「それで…国士某さんは、どうしてここに?」
炭治郎は国士某の前に正座して、話をする態勢になった。この時、禰豆子は洞窟の奥の最も光の当たりにくい場所で、ぼんやりと座っている。
「いくつか…聞いておきたい…事が…あった」
「聞いておきたい事? 俺にですか」
侍は頷く。
「まず…少年…お前の…名は…何という…」
ここで、炭治郎はやっとこの鬼の侍に自分は名前さえ名乗っていなかったのを思い出した。
「俺は、竈門炭治郎といいます。妹は、禰豆子」
国士某は幾度か口の中で小さく「炭治郎…禰豆子…」と幾度から繰り返した後で「覚えた」と頷く。
「では…次に…」
鬼の、鋭く尖った爪を持った指が炭治郎の顔を、正確には彼の耳飾りを指差した。
「その…花札のような…耳飾り…は…どのように…手に入れた…?」
予想もしなかった質問に、炭治郎は先ほどとは別の形で面食らった。とは言え隠す意味も無いので正直に答える。
「え? これは…うちの家系に代々伝わってる物で…俺も父から、父も祖父から受け継いでいます…」
「受け継ぐ…代々…あの時の…一家も…炭焼きだった…そう…そうか…そういう…事か…」
「あの…」
一人で何かぶつぶつと納得している様子の国士某に、炭治郎はどう声を掛けたものか戸惑っている様子だ。
二分ばかり思考の海を漂っていた国士某は、ようやく合点が行ったようで炭治郎に向き直った。
「では…これが…最後の問い…だが…あらかじめ…言って…おく」
「は、はい」
今からの話が余程真剣な物であると察して、無意識に炭治郎は背筋を伸ばして姿勢を正した。
「この…問いは…惨い…ものであろう…故に…気に食わねば…私を…殴ってよい」
一体どんな話題になるのか。炭治郎は、固い唾を呑んで喉を鳴らした。
「炭治郎…お前は…幸運だと…思う…か?」
「え?」
いきなりだったのもあるが質問の意図する所が分からず、炭治郎は答えかねる。
「過去…そして現在…鬼に…家族を皆…殺され…己の命さえ…奪われた…者は…数多く…居る」
そうした人達に比べれば、確かに自分は幸運だったのかも知れないと、炭治郎は思う。少なくとも自分は助かったし、禰豆子は鬼にはされてしまったが人を襲う事は無く、人間に戻す事が出来る可能性も、か細い糸を手繰るように低くはあるだろうが存在している。
それが幸運であるという前提なら、炭治郎は幸運だった。
「されど…お前の…運命…人生にとっては…妹は…死んでいた方が…幸運であったかも…知れぬ…」
「な…」
熱さを通り越した冷たい怒りが体の内側から上ってくるのを炭治郎は感じ取って、しかしすぐにそれは治まる事になる。
「妹を治す…方法を探し…家族の仇を…見付ける為には…鬼殺の剣士に…成らねば…ならぬ…だが…それは…鬼狩りが…鬼を連れて歩くと…いうこと…」
たとえ身内であろうと、滅ぼす筈の存在を身近に置くなど、矛盾した行いと言える。炭治郎は少しだけ、国士某の言いたい事が分かる気がしてきた。そしてそれがとんでもない思い上がりであったと、すぐに知らしめられる。
「その道の最中で…同胞である鬼狩りからは…蔑視の眼で…見られ…救った筈の…者に…罵声を浴びせられる事も…あろう…そして何より…妹が…お前が連れ歩いていたが故に…無辜の民を…食らう事が…あるやも…知れぬ…お前はその時…その者や家族に…如何にして…償う…つもりなのか?」
考えもしなかった、あるいは、意図的に目を背けてきたその命題を突き付けられて、炭治郎は答えられなかった。
国士某は何の反応も見せなかった。怒りも、失望も。
「私は…かつて一人…お前のように…鬼を連れた…鬼狩りを…知っている…」
「えっ」
自分のような者が他にも居た事に、炭治郎は驚きを隠せなかった。
「その者は…同じ問いを受け…こう…答えた…それは自分の責任故…その時は鬼を殺し…自分は…腹を切って…詫びると…無論…そうするからと言って…何の保証にも…ならず…食われた者やその家族には…何の慰めにも…償いにも…ならぬが…それでも…それが…けじめだと」
自分の浅はかさを一日もせぬ内に突き付けられて、炭治郎は言葉が無かった。
結局自分は何も分かっていなかったのだ。
禰豆子を人間に戻す事も、家族の仇を見付ける事も、その生き方の為にどれほどの覚悟と力が要るのかも、その意味も何も、分かっていなかった。
「炭治郎…答えは…聞かずとも…分かって…いるが…今一度…問いたい」
国士某は、姿勢を変えて炭治郎に正対した。
「妹を…私に…預けるか…もしくは…今ここで…罪を犯す前に…人として…眠らせる…気は…あるか…」
鬼の侍は、刀の鯉口を切った。炭治郎の答え如何ではすぐにその刃は禰豆子の頸を刎ねるだろう。
ぐっと、拳を握り。
そして深く息を吸って、吐き出す。
「俺は、禰豆子と一緒に進みます。禰豆子が鬼のまま死ぬか、人に戻って生きるか…どちらにせよ、妹とは運命を共にします」
「左様…か…成る程…よく分かった…二度と…聞かぬ」
国士某は頷くと鯉口を納め、炭治郎からは陰になって見えなかった所から、大きな箱を取り出した。
「では…これを…持つが…よい…私からの…餞別だ」
光が入らないように隙間無く組まれた頑丈そうな木箱だ。長い時間日に晒されたのかすっかり褪色していて、ずっと昔に造られた物のようだ。もう殆ど、木の匂いも抜け掛けているのが鋭い嗅覚を持つ炭治郎には分かった。角は金属で補強され携帯出来るように革製の肩紐が付けられている。
「先ほど…話した…鬼を連れた…鬼狩りが…使っていた…物だ…これに妹を入れて…行くがいい」
側面の蓋を開けると、炭治郎は禰豆子を呼んで入らせようとする。
いくら小柄な少女でも人が背負えるくらいの大きさの箱にそのまま入るのは無理があったが、国士某の鬼は体の大きさを変えられるという話を聞いて、禰豆子を小さくさせる事で問題は解決した。
「私が…出来る事は…ここまで…後は炭治郎…お前…次第だ」
「はい! 国士某さん、俺、頑張ります。必ず禰豆子を人間に戻します。色々と、ありがとうございました!!」
深々と頭を下げ、木箱を背負った炭治郎は暗い洞窟から日の光の中へと駆け出していった。