口は災いの元。
この日の事を、後に嘴平伊之助はそう述懐している。
「それが貴様の血鬼術か…!!」
脅威という評価を通り越して、どこか畏敬の念すら籠もっているような声で義勇が呟いた。
「その…通りだ」
国士某が見せ付けるように軽く刀を一振り二振りする。
刀身が通過したその軌跡に、大小無数の三日月のような形をした、断面が刃物のように鋭い力場が発生する。それらは一つ一つが膨れ上がったり縮んだりして大きさが変化する。これだけでも接近戦では恐るべきものがあるが…
「では…参るぞ」
侍が突進する。
「来るぞ!! 紙一重で避けたらやられる、大きく避けろ!!」
「お、おう!!」
義勇が声掛けするのと、国士某が彼の間合いに踏み込むのが同時だった。
唐竹割り、袈裟斬り、切り上げ
三つの攻撃がほぼ同時に繰り出される。技の速さそれ自体は先程までと同じだ。しかし今は、それまで使われていなかった血鬼術が加わっている。刀それ自体は受けるか止めるか出来ても、斬撃の力場が襲ってくる。
しかも力場の発生は、刀の攻撃と同時ではない。
力場は振られた刀に、一瞬遅れて刀身が通過した軌道に出現する。だから刀の攻撃だけに集中していると、続いてやってくる力場にやられてしまう。そして斬撃力場は、発生してから数瞬程度の時間はその空間に残り続ける。だから攻撃を防ぐかかわすかしたら即反撃に移る事が出来ない。迂闊に前に出たらまだ残っている力場に突っ込んで自滅してしまう。
更に力場は国士某の攻撃の軌跡に沿って発生はするものの、それ以外の法則性を持たず、軌跡の外側にも内側にも出現するのでこれでは間合いの測りようが無く、やむを得ず義勇も伊之助も、攻撃をかわす時は完全に間合いの外であろうと確信出来るぐらい、十分な距離を取ってかわさなくてはならなかった。
『やりづらい…!!』
内心で毒吐く。
攻撃をかわす時は次の動作に素早く繋げられるよう最小の動きで、そして回避に成功したら敵が次の攻撃態勢を整える前の一瞬の隙を衝いて間髪を入れず襲い掛かること。これは戦いの基本として、彼の体に染み付いている。山育ちで獣を相手に狩りの経験豊富な伊之助も同じだ。
国士某の血鬼術はそこを崩してくる。
必ず最大の動きで回避する事を強制され、攻撃をかわしても反撃に移るべきタイミングが肉体の反射とズレるので戦いながらそれを意識的に矯正しなくてはならず、そこにも神経を使うので、何と言うか…気持ち悪いと言おうか、居心地が悪いと言おうか…
「クソバカタレがぁ~ッ。もっと気持ちよく動かせろやコラァァ~!!」
伊之助は実際に口に出した。
これが国士某の耳に入り、ぴくりと六つの眼の内、左中段のものの瞼が痙攣するように動いた。
「戯け者…」
ホオオオオオオ…
独特の呼吸音が響く。技が発動する合図だ。
月の呼吸・参ノ型 厭忌月・銷り
左薙ぎの攻撃から、間髪入れず右薙ぎの斬撃を繰り出す二連撃。しかも血鬼術との組み合わせによる、事実上の四連続攻撃。
「うおおおおお!!」
伊之助は全力で後方に跳躍して安全距離を確保するが、しかし次の瞬間、驚くべき事が起こった。
「何ぃ!!」
未だ空間に残留している力場が消えるのを待たず自らの斬撃で破壊して、国士某が突貫してきた。参ノ型 厭忌月・銷りは、目眩ましの為のものだったのだ。振り下ろされた刀を、伊之助は辛うじて交差させた二刀で受けた。
「ぐっ…!!」
「敵とは…己が嫌がる事を次々に行ない…弱点を狙って…攻撃してくるものなのだ…」
伊之助は何とか国士某の攻撃を押し退けようとしたがままならない。
鍔迫り合う刀に込められた力は強く、両手で辛うじて止められているからどちらかの刀を反撃の為に動かしたら、その瞬間に押し切られて真っ二つにされてしまう。同じ理由で、蹴りを繰り出そうとしてもその瞬間片足の踏ん張りが利かなくなってぶった切られる。
「戦いは不都合で…決して…己の思い通りには…ならぬ…」
万事休す。このまま斬られるかと思ったが、不意に国士某が刀に込める力が緩んだ。
鬼侍が頭を引っ込める。
水の呼吸・壱ノ型 水面斬り
先程まで国士某の頸があった場所を、青い刀が水平軌道で通り過ぎていた。後方に回り込んだ義勇の攻撃だった。国士某は軽く跳躍して、数メートルほどの間合いを空けた。
「まだ戦えるか」
「当たり前だ、こうなったらとことんやってやらぁ!! 俺は鬼殺隊の、嘴平伊之助じゃ!! かかってきやがれゴミクソがぁ」
「…」
僅かの間だけ、国士某は戸惑ったように沈黙した。
その後でふっと、僅かに口角が上がった。
「この私に…かかってこい、とは…勇猛な剣士だ…その意気や良し、素晴らしい」
少しだけ、語調が早くなっているようだった。
次の国士某の視線は、義勇に向いた。
「先程の不意打ちは…見事であった」
義勇は、にこりともせず、油断無く刀を上段に構えた。
「攻撃の一瞬前まで…殺気を抑え…一連の動作は全て…静かに行なわれた…」
不意打ちの見本のような攻撃だった。
「名を…聞いておきたいな…」
「鬼に名乗るような名は持ち合わせていない。俺は喋るのが嫌いだから、話し掛けるな」
そう言われても国士某は少しも不快な様子は見せない。
「左様か…ならば私も…重ねては…問わぬ…良き剣士…名に恥じぬ強き水の柱…それだけで良い…」
「俺は水柱じゃない」
「「…………………」」
場に気まずい沈黙が降りた。
国士某と伊之助が、一瞬だけ視線を交わした。
戦いの最中だがどうにも話の腰が折られたようで、これまでは伊之助と義勇の戦いのリズムを崩してきた国士某であったが、今度は彼が会話のリズムを崩されたようだった。もう少し話を続けるのか、それとも戦闘を再開するか。少し考えた所で、しかし破局点は意外な所から訪れた。
「う、うわああああっ!!」
「「「ん?」」」
三者が声のした方を向くと、一匹の鬼が背中を向けて一目散に逃げ出していく。
この山に集まっていた鬼の一匹であろうが…義勇と伊之助は国士某と打ち合う事に全神経を集中していたから気付かなかったが、いつの間にか彼等は戦いながらかなりの距離を移動していたのだ。
流石に鬼の身体能力である。みるみる内に彼等との距離が開いていく。
国士某は溜息を吐くと、頭を振った。
「取るに足りぬ小物…とは言え…見過ごす訳にも…行かぬな…」
手にした刀を上へと放り投げる。
敵が得物を自ら手放すという絶好の勝機だが…義勇も伊之助も今までの国士某との戦いの経験から、迂闊に踏み込めない。その僅かな間隙を縫うようにして、国士某は次の行動を起こしていた。
腰の刀に手をやり、鯉口を切ると…足幅を広く、前傾姿勢を取る。
全集中の呼吸独特の、呼吸音が聞こえてくる。
シィィィィィィ…
『音が違う…?』
雷の呼吸・壱ノ型 霹靂一閃
電光の如く打って出た国士某は居合い一閃、十の距離を刹那の間に零にして、その鬼の頸を日輪刀が飛ばしたようであった。頸を断たれた鬼はひとたまりもなく消えていく。
飛ばしたようであったと言うのは、義勇も伊之助も、刀が振られる瞬間が見えなかったからだ。鍔鳴りの音さえ、聞こえなかった。国士某は納刀された日輪刀を握っているだけのように見えた。抜刀から納刀までがそれほどまでに速い、まさに神速の一閃。
だが、それ以上に驚くべきは。
「い…今のは紋逸の…」
「雷の呼吸、だと…?」
戦慄する鬼狩り二人。
驚いている間に、国士某は一足にて元の立ち位置に戻ってきた。先程上空に放り投げた刀がくるくると回りながら落ちてきて、鬼侍はちらりとも上を見ずにそれを掴んだ。
「何を…驚く?」
不思議そうに、国士某が言った。
「私が使う月の呼吸は…日の呼吸を真似る所から始め…私に合う技として…編み出したもの…そして…他の呼吸の技は…私と弟が…鬼狩りの剣士達に指導して…共に作り上げた…」
二人が、国士某のその言葉の意味を理解して、一つの結論に至るには数秒の時間を必要とした。
そしてほぼ同時に、国士某の口が同じ内容を紡いだ。
「故に…始まりの御業である日の呼吸…私が開祖である月の呼吸…そして他の基礎五つ、炎・水・雷・風・岩…それに派生の中でも使い手が多かった霞と花…それらの呼吸の中で…私に…使えぬ技は一つも無い…」
「んだとぉ…」
「バ…バカな…!!」
悪夢のような宣告を受けて伊之助と義勇の顔が引き攣る。信じられない…と言うより、信じたくない。
「疑っている…ようだな…では…見せてやろう…」
国士某が、先程とは違う構えを取った。
その姿を一目見ただけで義勇の背筋に、電流を流されたような衝撃が走った。
『こいつは…本物だ!!』
堂に入った構えだ。ハッタリや猿真似・模倣ではない。地道な鍛錬を経て、己の体に染み付かせ、自分の物にした技だと技を見る前から分かった。
「こ、こいつは権八郎の!!」
ヒュウウウウウウ…
「行くぞ」
水の呼吸・弐ノ型 横水車
「避けろ!!」
「うおっ!?」
咄嗟に、義勇は伊之助に蹴りを入れて吹き飛ばした。そして彼自身もその反動で反対方向へと跳ぶ。
二人の胴体があったそこを、突進しつつ水車のように刀を振り回しながら、国士某が通り過ぎていった。
『なんて奴だ…俺の水車より遙かに力強く、精度が高い…!!』
だが、義勇を戦慄させたのはそれだけではない。
「半々羽織、気を付けろ!! この技も、さっきと同じだぞ!!」
伊之助が吠えた。
月の呼吸の技と同じく、この横水車にも、刀身が通り過ぎた後に力場が発生する。ただし先程の三日月状の刃物のようなものとは違う、荒れ狂う水の、濁流のような力場。それが、反撃する為に近付こうとしても二人を弾き飛ばしてしまう。
水の呼吸・捌ノ型 滝壷
刀が振り下ろされると同時に、滝が両断されたような重さを持った力場が落ちてくる。
「うおおおおおお!!」
転げ回りながら、伊之助は紙一重で辛うじて攻撃を避けた。だが国士某の攻撃はまだ終わらない。
水の呼吸・拾ノ型 生生流転
刀を振り回しながら国士某が前進する。
義勇は反射的に後方に下がろうとするが、しかし長年の経験がそれは悪手だと教える。彼は自分が認められなくても、それでも柱に選ばれるほどの卓越した水の剣士。自分が修めて極めた技の性質は百も承知。
生生流転は一撃目より二撃目、二撃目より三撃目、刀を回すにつれてその威力が高まる。
今でさえ、まるで海に発生した竜巻が海水を巻き上げるかのように剣風が荒れ狂い、更には竜の如き力場が徐々に大きくなり、触れる物全てを噛み砕く勢いで暴れている。心なしか、斬撃の威力に比例するように、力場それ自体も大きくなっているようにすら思える。
故にこの技に対するのに適切な判断は後退ではなく前進。しかしながら、まさしく竜巻の如き攻撃が迫ってくる中で、正確な判断を下しその選択を行なうのはそれ自体が至難の業。それが出来るのが、冨岡義勇であった。
前に出る。
義勇が使える中で、この攻撃を止められる可能性がある技は、一つしかない。
水の呼吸・拾壱ノ型 な
その次の瞬間に起こった事にこそ、今度こそ義勇は自分の目を疑った。
水の呼吸・拾壱ノ型 無名
自ら編み出した十一番目の技・凪。間合いの全てに入った攻撃を無数の斬撃によって防ぎきり、全てを無に帰す絶対防御技。
それを放とうとした瞬間、国士某は生生流転から瞬時に技を切り替え、なんと凪を打ってきたのである。
しかもその攻撃は義勇が凪を放とうとしたのを明らかに見てから動いた、義勇より後から一連の動作が開始されたのに、それでも尚義勇が凪を打つより早く発動され、攻撃を無にする技である凪を逆に無にされて、義勇は後方に弾き飛ばされて大木の幹に強かに背中をぶつけた。
「がはっ!!」
衝撃で一瞬息が詰まるが、すぐに態勢を整えて刀を構える。国士某はすぐに攻め込んでくる様子は無い。
義勇は肉体的なダメージは然程ではなかったが…しかし今は精神的なショックの方が重大だった。
「何故…お前が凪を使える?」
先程の国士某の説明が真実なのは疑いようもない。相手の技を真似る血鬼術などというチャチなものではなく、純粋に国士某自身の技であるのは肌で理解出来る。だが凪は、それだけは義勇自身が今代で編み出した独自の技なのだ。しかもまだ国士某には見せていなかった。真似る事すら出来ぬ筈なのに。
「凪…というのか…今の技は…素晴らしい技で…あった…」
国士某自身も、凪は知らないようである。
「不思議な事では…ない…」
「なっ…」
「そも…剣に限らず…あらゆる武術に於いて…これだけを修めていれば…いかなる状況でも…いかなる相手にも…勝てる…そのような都合の良い技などは…無い…故に…多くの技がある…」
これは道理である。例外としては雷の呼吸の壱ノ型のみを修練している善逸だが、それは壱ノ型しか使えないが故のある意味では苦肉の策とも言える育手の指導方針によるものであり、実際には全ての技を使えた方が絶対に良い。故に桑島翁は壱ノ型しか使えない善逸と壱ノ型だけ使えない獪岳の二人を共同で雷の呼吸の後継者にと考えていた。
「そして…如何に新しい型と…言えど…その骨子になるのは…水の呼吸の基本の技…故に…お前の筋肉の流れ…構え…置かれた状況…それらを総合して判断すれば…次にどのような技が来るかは…概ね…想像が付く…お前が水の呼吸を…極めていればいる程にな…」
そのイメージに沿って繰り出されたのが国士某の凪、いやその時点では名前も付かぬ無名の技であった。
「間違っては…いなかった…ようだな…」
「…何故だ?」
「む?」
「貴様…それほどの技がありながら…何故鬼に墜ちた」
「…」
「それほどの力を付けるまでに…どれだけの人間を喰った…!!」
「…」
少しだけ、国士某は考えた。
この体が鬼となって数百年。自分は人間の一人はおろか、肉片一つ、血の一滴も啜ってはいないが…
正直に話した所で、信じはしないであろう。故に、彼の答えはこうだった。
「話した所で…意味の…無い事だ…」
「!!」
義勇の全身を占めたのは、胸中に抱いていたある種の期待を裏切られた怒りだった。
話した所で意味は無い、つまりは数え切れないほど喰った、多すぎて覚えていない。それどころかその事について語る気も無い、些かも悔いてはいないのだ。かつては多くの呼吸の技を開発し、鬼殺隊に貢献した偉大な剣士であったろうに、その誇りすらも鬼となったその時にか、あるいは数百年の時の流れによって風化してしまったのか、今では消えて失せてしまったのだ。
何としても自分は、呼吸の剣技を今に伝える者として、この鬼を倒さなくてはならない。
「この…化けモンがぁ~っ」
「!」
伊之助がそう口にした瞬間、国士某が動きを止めた。
「「?」」
伊之助も義勇も、この動きの意図が読めず、期せずして二人とも戸惑ったように動きを止めてしまった。
更にそこから、国士某は刀を再び手放した。
だが先程上に放り投げたのとは違う。今度は無造作に手を開いて放して、地面に転がしたのだ。刀は形を失い、頸を斬られた鬼のように塵になって消えていく。
「そうだ…その通りだ…」
国士某は、着物をはだけた。
筋繊維の一本までも鋼線の強さになるまで余さず鍛え抜かれたような、引き締まってしかも筋骨隆々の上体が露わになる。
「私は…かつて侍であった男の…残骸…生き恥を晒し続ける…弱い化物だ」
めきりと、何かが軋むような音が聞こえた。
金属音ではない、もっと生々しい…骨肉が擦れ合うような…
その音源は、やはりと言うべきか…国士某の肉体であった。
面貌の六つの眼以外は人間と変わらぬ姿であったのが、急速に作り替えられ、形を変えていく。
口は肉食の獣のように変形し、発達した牙が剥き出しになる。肩や腕、脇腹などから爪とも角とも付かぬ硬質な器官が発生し、背中からはこれまた触手とも肉のヒダとも付かない表現しがたい形状のものが生え始め、その表面には無数のトゲが付いていた。
「「なっ…」」
「剣術だけでは…折角の実戦指南も…芸が無いというもの…そも…お前達鬼狩りの相手は…鬼…化物…ならばこれも…良い経験に…なろう…」
姿を変えて、国士某の声も地の底から響くようなおどろおどろしいものへと変わっていた。
「これよりは…化物として…相手をしてやろう…」