名も無き、国一番の侍   作:ファルメール

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第27話 戻る侍

 

 違う。先程までとは全く違う。

 

 戦わなくとも、実際に力を振るわれる姿を目にしなくても、義勇も伊之助も全身でそれを感じ取っていた。

 

 面貌の六つの眼を除いては人の形を保っていた姿から、異形へと変身を遂げた国士某。その行程が完了した瞬間から、伊之助は全身が粟立ち、急に炭治郎や善逸、それにここへ来るまでに世話になった藤の花の家紋の家の、老婆に会いたくなった気がした。この感情が恐怖であると、彼ははっきりと理解した。

 

 以前に一度、死の直前にまで行った事はあるが…それは彼岸の出来事である。

 

 対して今は『死』が実体を持って此岸に這い出てきたように思った。姿を変えた国士某はまさに死そのもの、彼の間合いこそはまさしく死線。文字通り生と死を分かつ境界線と言えるだろう。越えた者には絶対の死がもたらされる。

 

 義勇はもっと具体的な脅威を感じていた。

 

 この変身がこけおどしや見かけ倒しでないのは一目で分かった。問題はどのような攻撃を仕掛けてくるのかだ。

 

 先程までの国士某は、まだ分かり易かった。奴は刀を持っていたから、攻撃の主体になるのは必然的に刀となる。

 

 武術の達人にしてみれば、武器を持った相手は寧ろ与しやすいという。何故なら武器しか使わないからだ。だから武器だけに注意しておけばいい。無論、国士某の技はそんな範疇にはとても収まらない神業であるが、それでも刀をしっかり見ておけば、防いだりかわしたり出来るかどうかは別として、一瞬は早く反応出来る。血鬼術が発生させる攻撃力場も刀が振られた軌道に発生する関係上、やはり最も警戒すべきは刀だ。

 

 だが今の異形と化した国士某は無手。どんな攻撃が来るか分からない。

 

『体が一回り大きくなったから、怪力を振るってくる? 背中から伸びた触手のようなものを伸ばして振り回してくる? 獣のように発達した牙で噛み付いてくる? それともこれまでは直接攻撃主体だったから、催眠や幻術など、精神攪乱を仕掛けてくる?』

 

 様々な可能性が考察されるが…しかし何かしらその根拠となる要素が無い以上、いくら考えてもそんなものは結局は無意味、只の当てすっぽうだ。

 

 とどのつまり、国士某が仕掛けてくる攻撃を見てから対応するしかない。

 

「この姿になったからには…お前達の命も…後僅かだ…」

 

「「!!」」

 

 国士某の言葉に、二人は敏感に反応する。

 

「次の攻撃で…お前達二人とも…細切れの肉片となり…地面に散らばるであろう…」

 

 そうしてすっと、猛禽類のように爪が鋭く伸びた手が差し出され、三本の指を立てた。

 

「葬る前に…三秒…時間をやろう…己が祈るべき神仏に…祈るがいい…」

 

「ぐっ…」

 

「迂闊に飛び出すな!!」

 

 緊張の限界に来て駆け出そうとする伊之助を、義勇が制した。

 

「ひとーつ…ふたーつ…」

 

 早すぎも遅すぎもしない、規則正しいリズムで時間が数えられ、国士某の立てられた三つの指の内、二つが早くも折られた。

 

 その間、義勇は高速で思考を回転させる。

 

『奴は言った…次の攻撃で、俺達を二人とも細切れの肉片にすると。二人とも…細切れ…人間二人を細切れにする…二人同時に…細切れという事は、攻撃は単発じゃない…だとしたら次に来るのは…!!』

 

「みぃーつっ」

 

 三本目の指が折られる。

 

「俺の背後に伏せろ!!」

 

 咄嗟に、義勇は伊之助を背後に倒した。

 

 と、同時に、国士某の全身から刃状の力場が発射された。

 

 水の呼吸・拾壱ノ型 凪

 

『受けきれるか…!?』

 

 義勇が頼るものはやはり自ら編み出した最大の技である凪。超高速で刀が振り回されるが故に、逆に彼の間合いの全てが止まって見えて、そこに入った全ての攻撃を切り払う防御技。

 

 一瞬で、飛んできた斬撃力場は二人が居た場所を通り過ぎていった。

 

「ぐはっ!!」

 

 呻きながら、義勇が膝を突いた。羽織や隊服が切り裂かれ、全身から出血している。

 

「は、半々羽織、お前…俺を庇って…」

 

「大事ない。少し出血は多いが、どこも浅手だ」

 

 それよりも…と言い掛けた所で、背後から地響きのような音が断続的に響いてきた。

 

 二人が振り返ると、そこにはたった今通り過ぎていった斬撃によってもたらされた破壊であろう、何本もの樹木が切り倒され、岩は真っ二つに断ち割られていた。それらの切り口の断面はどの一つを取っても鏡のように滑らかで、特に岩に作られた切り口は月光を反射して光ってすらいた。どんな鋭利な刃物でもこうは行かないだろう。血鬼術という異能によって生み出された、この世に存在しない刃だからこそ、そのような有り得ない切断が可能だったのだ。

 

『そう言えば…俺の傷も、もう血が止まっているな』

 

 ここで義勇も違和感に気付いた。確かに出血自体は派手だったが…これも今の飛ぶ斬撃の鋭さが故だろう。スパッと切られた傷口ほど回復は早い。ましてや国士某が飛ばしてきた刃状の力場はその鋭利さ故に、傷口は細胞の一つですら潰さずに一時的に結合を切り離したような状態となって自然にくっついて治癒したのだろう。

 

 却ってありがたかったが…しかしそれはあくまで掠り傷の場合だ。

 

「じょ、冗談じゃねぇぞ…あんなのをまともに食らったら…!!」

 

 嫌な想像を、伊之助が実際に口にした。

 

 そう、手足やあるいは胴体にあの斬撃をまともに受けたが最後、人間の骨肉など焼け火箸を前にした薄紙ほども抵抗は出来まい。あまりにもあっさりと、その部位が泣き別れにされてしまう。

 

「外したか…だが…まだ終わらぬぞ…」

 

 予告通り行かなかった事を悔やむでもなく、国士某は攻撃を続行する。

 

「避けろ!!」

 

「お、おう!!」

 

 示し合わせた訳でも無く国士某の注意を逸らす為に、義勇と伊之助は左右反対方向にそれぞれ駆け出していた。

 

 二人の間を、斬撃の第二波が通っていってその軌道上に存在する全てが細切れに切断されていく。

 

 転げ回りながら体勢を整えた義勇だが、国士某は実力で勝る彼を第一の標的と定めたらしい。第三波が発射された。

 

「おおおお!!」

 

 再び横に跳躍して、紙一重でその攻撃を避けた。

 

『ほぼ同時に百発以上の斬撃が、何の予備動作も溜めも無く高速で飛んでくる。凪でも全ては防ぎきれない…』

 

 しかもそんな技を、国士某はほんの戯れか小手先の攻撃のように絶え間無く乱射してくる。

 

『奇跡…さっき、一部を防いで致命傷を避けられたのは奇跡だ…!! 余裕か、慢心なのか…奴の言葉から攻撃手段を予測出来なかったら…そして奴が三つ数えて攻撃の瞬間を予告していなかったら…!!』

 

 ぞくりと、義勇の背筋が冷たくなった。

 

 もし国士某が何も言わず、いきなり最初の攻撃を放っていたら自分も伊之助も今頃生きてはいなかったろう。まさしく国士某の予告通り、二人とも細切れになって地面に散らばり、鬼に喰われるか獣の餌にでもなっていたに違いない。結果的に、敵に救われる形になった。

 

 だが事態は悪くなる一方だ。

 

 先程までの国士某の攻撃は、刀の攻撃の軌道上に斬撃が発生するだけだったから、まだ一歩の踏み込みで刀が届く場所に居続ける事が出来た。対して今は、斬撃が飛び道具として使われるので近付く事も出来ない。目算だが攻撃範囲は先程の倍、いや三倍以上も伸びている。

 

 義勇は実物を見た事は無いが、回転式機関砲(ガトリングガン)の乱射に晒されるとはこのようなものなのかと思った。いやそれ以上だろう。本物のガトリングガンと違って、この攻撃には弾切れが存在しない。銃弾より速くどんな物でも両断する攻撃が際限無く吐き出され続け、それがもたらす破壊によって周囲の地形すらもがあまりにもあっさりと変わっていく。

 

「クソがぁ~。このまんまじゃあいつがやられる…どっちみち、こっちは刀が届く間合いに入らなきゃ奴には勝てねぇって事だよな」

 

 先に腹を括ったのは伊之助だった。やはりここは、一度死の淵を見てきている剛胆さであろうか。

 

 地面を蹴って、突進した。

 

「!!」

 

 義勇は伊之助の攻撃を、無謀とは思わなかった。寧ろ英断かも知れない。伊之助が口にした通り、人間が鬼に勝てる可能性は日輪刀で頸を斬る以外に無いのだ。ならばこのまま避け続けてジリ貧になってやられるより、次の一撃にこちらの生死を懸けるべきかも知れない。

 

 出来るだけ国士某を挟んで伊之助から対角線上になるよう、回り込むような動きで義勇も反対側から突進した。

 

 国士某は斬撃を飛ばして迎撃してくるだろうが、どちらか一方でもその隙間を縫ってかいくぐれたのなら、次の攻撃が来る一瞬にもう一方が間合いを詰めて頸を斬る。この時、当然ながら打ち合わせも無かったが二人とも同じ事を考えていた。両者共に捨て石であり、本命だった。

 

「勇気ある決断だ…そしてそれは正しい…が…」

 

 意外、国士某は斬撃を飛ばさず、伊之助を迎撃すべく前進した。

 

 伊之助としては予想を外された形となったので一瞬だが戸惑いが生まれた。しかしすぐに気を取り直す。相手から向かってきてくれたなら逆に好都合。

 

 獣の呼吸・陸ノ…

 

 繰り出そうとした攻撃は、しかし割り込むようにして打ち出された国士某の拳によって阻まれた。伊之助は辛うじて二刀でそれを受ける。

 

 そこに、義勇も横から突っ込む。

 

 水の呼吸・壱ノ型…

 

 だが彼の攻撃も繰り出す前に、薙ぎ払うように振られた腕によって体勢を崩されて中断せざるを得なくなった。

 

『これで間合いには入れた…』

 

 何とか二人同時攻撃で、隙を見てこいつの頸を斬る…!!

 

 そう考えて攻撃を続行するが…

 

 水の呼…

 

 国士某が振り下ろした足が、地面に蜘蛛の巣のような亀裂を走らせる。義勇は衝撃で姿勢を崩された。

 

 けだも…

 

 当たったら首から上が無くなるような勢いが付いた上段蹴りを、伊之助は頭を下げてかわしたが、僅かに掠って被り物の毛皮が少し剥ぎ取られた。

 

 み…

 

 義勇が振ろうとした刀が、国士某に掴まれてしまった。

 

『バカな。攻撃が出来ない、全て読まれている』

 

 それは剣士ならばある程度は出来る事。だが国士某のものは速すぎる。悉く攻撃動作に入ろうとする前から初動を潰されて攻撃を中断せねばならなくなる。技を出そうとする瞬間どころか、その思考を読まれているかのようだ。

 

『これも血鬼術か? 予知か…それとも読心?』

 

「違う…これは血鬼術では…ない…」

 

 義勇の心の声を見透かしたように、国士某は言った。血鬼術ではないと言ったが、やはり心を読む異能だったのかと思った。

 

 その時、刀を掴んだ手の力が少し緩んだので、義勇は辛うじて蹴りを入れて拘束から逃れた。しかし国士某の体はまるで巌のように硬く、蹴った彼の方が足の痛みに顔を顰める事になった。

 

 仕切り直すように数メートルほどの間合いを置いて、刀を構える。伊之助もすぐ横に並んだ。

 

「なんじゃァ、こいつは!! やりづらいにも程があるぞ!! 全然技が出せねぇ!!」

 

「ああ、それは俺も感じていた。これは…」

 

「お前達は今…こう考えているであろう…動きが読まれている…これは何かの血鬼術であろうか…と…」

 

 ズバリ胸中を言い当てられて、二人とも顔が強張った。

 

「答えは違う…私にはお前達の動きが読める…その理由を教えよう…」

 

 先程そうしたように、国士某の手が上がってまずは一本、指が立った。

 

「一つ目…私にはお前達の…筋肉の動きや流れ…血の脈動が…透けて見える…骨の向き…筋肉の収縮…肺の膨張・収縮…それを見れば…攻撃動作を予測出来る…」

 

「透けて見えるだと…? そんな事が…?」

 

 圧倒されたようにそう呟くのが精一杯の義勇を置いて、国士某の二本目の指が立った。

 

「二つ目…私にはお前達の…次の動きが…大凡分かる…」

 

「分かるだぁ…? ふざけんじゃねぇ、そんな事やられてたまるか!!」

 

「別に私が特別では…ない…お前達とて…半ば意識的…半ば無意識に…同じ事を…している筈だ…つまり経験則…というものだ…」

 

 珠世がそうだが、熟練の医師は診察をしなくても患者の姿を見ただけでなんとなくその患者の体のどこが悪いのかが、無根拠かつ直感的に理解出来るという。柔道の熟練者は、実際に試合をしなくても相手の柔道着の着方を見ただけで、大体の実力を把握出来るらしい。

 

 国士某が相手の動きを読めるのも根っこは同じ理屈だ。

 

「つまりは…膨大な戦闘経験によってなる…戦いのカンというものだ…それにより…反射神経より尚早く…次の動きに対応出来る…」

 

 三本目の指が立った。

 

「三つ目は…私は呼吸の剣技を知り尽くしている…故にこの局面ではまずこの技が出るだろうと…それをあらかじめ知っているのだ…そちらの猪頭の技は我流のようだが…風の呼吸に似ているな…もう…大分と慣れて…覚えた…これら三つの読みを複合させ…私はお前達の動きを予測する…」

 

 ごくりと、今までこんな物は無かったと思えるくらい固くて苦い唾を義勇は嚥下した。

 

 戦えば戦う程、この眼前の鬼への脅威度評価は青天井に跳ね上がっていく。

 

『こちらの攻撃は全て先読みされて初動を潰される。新しく編み出した技を出そうとしても、打つ前に見切られて全部返される。大技を乱射しても息一つ乱れない体力。そして単純に強すぎる』

 

 一体どこに付け入る隙があると言うのか。

 

「……」

 

 ふっと一息吐くと、義勇の目が据わった。

 

「お前…伊之助だったな」

 

「あ? なんだ、半々羽織」

 

 国士某の一挙一動を瞬きもせずに注視しながら、義勇は刀を構え直す。

 

「ここは俺が何としても一分は時間を稼ぐ。お前は逃げろ」

 

「な…何言って…」

 

「鴉の報告だけでは不十分だ…お前は生きて、こいつの事を鬼殺隊本部に伝えろ」

 

 対決した者にしか分からないものがある。実際に国士某と戦った者が生きてその情報を持ち帰る事は、必ずや鬼殺隊への大きな利益となる。そうすれば今は無理であっても、いつかこの鬼を倒せる剣士が育つかも知れない。少なくともその芽は残せる。

 

「半々羽織、俺は…!!」

 

「退くのは臆病じゃない。生きてこそだ」

 

「なら…お前は!!」

 

「俺は義務を果たす」

 

 最終選別を通過出来なかった半端者だが、仮初めであろうと柱の位を戴く者として、半端者なりの意地と誇りはある。

 

 きっと柱ならば誰でも同じようにするのだろう。後輩の盾となるのは当然だ。

 

「強くなれ。今よりも、俺よりも強くなり、そしてお前が今度は、次に繋げ」

 

 そう、口にした時だった。

 

 ふいに義勇の頬に、痛みが走った。戦いの傷ではない。もっと昔のものだ。

 

 脳裏に浮かぶのは、旧い友の顔だった。もう思い出の中にしか居ない、偉大な剣士になっていただろう親友。

 

 

 

『自分が死ねば良かったなんて、二度と言うなよ。もし言ったらお前とはそれまでだ、友達をやめる』

 

『翌日に祝言を挙げる筈だったお前の姉も、そんな事は承知の上で鬼から隠して守ってるんだ。他の誰でもないお前が…お前の姉を冒涜するな』

 

『お前は絶対死ぬんじゃない。姉が命を懸けて繋いでくれた命を、託された未来を、お前も繋ぐんだ。義勇』

 

 

 

『錆兎…蔦子姉さん…』

 

 ずっと記憶の澱の中に沈ませていた言葉だった。

 

 忘れてはいけない、大切な事だった筈なのに。

 

 思い出したくなかった。涙が止まらなくなり、悲しすぎて何も出来なくなる。だからその時はそうするしかなかった。己の弱さ、不甲斐なさに打ちひしがれても、打ちのめされても、足を止める事は出来ない。そうしている間にも時間は過ぎ、鬼に襲われる人は増えていく。

 

 だから自分を叱咤して叩き上げ、強くなる為には無理にでも心の奥底に押し込めるしかなかった。

 

 その記憶が、今蘇ってきた。

 

『ああ…そうか…』

 

 未熟でごめんと、心中で二人に詫びる。

 

『これほど時間を遠回りして…こんな土壇場に来て…やっと…俺にも二人の勇気の意味が分かったよ』

 

 二人がそうしてくれたように、自分も次に繋ぐ時が来た。

 

 これは死ではない。受け継いだ者を次の者へ引き渡す、継承だ。

 

「行けぇ!!」

 

 前にそうしたのがいつであったか分からないくらいの大声を張り上げて、義勇が叫んだ。

 

「くっ…すまねぇ!!」

 

 くるっと背後を見せて、伊之助が全力疾走する。

 

 と、同時に。

 

「それも…正しい判断では…あるが…」

 

 義勇の眼前から国士某の姿が消えた。

 

「!?」

 

「ぐあっ!?」

 

 反射的に振り返ると、逃げ出した伊之助が、国士某に首を掴まれて宙吊りにされている姿が見えた。

 

「敵はお前達の目論見を読み…それを阻もうと…行動してくるものなのだ…」

 

 首を掴む握力が強くなり、頸椎を握り潰さんとしてくる。伊之助は自分の体内からみしりと何かかが軋むような音を聞いた。

 

 水の呼吸・弐ノ型 水車

 

 刀と腕がぶつかり合って、金属同士が激突したような硬質な音が響く。

 

 義勇の渾身の一太刀は、国士某が硬質化させた前腕によって止められてしまった。今の鬼の腕はそれこそ金属のように固く、歯ならぬ刃が立たない。

 

「やらせるか…!! そいつを殺したければ、まず俺を倒してからにしろ!!」

 

「……いいだろう……」

 

 国士某は体を捻って勢いを付けて義勇を後方へと弾き飛ばすと、その勢いを利用しつつ伊之助を放り投げてしまった。

 

「うおお!?」

 

 悲鳴を挙げながら伊之助の姿は夜闇に消えていって、ややあってドボーンという水音が聞こえてきた。

 

 それを聞き届けた後で、国士某は義勇に向き直った。

 

「望み通り…猪頭を追うのは…お前を倒してからと…しよう…」

 

 僅かだが義勇はしてやったりと思った。少なくとも自分が死なない限りはこの鬼は伊之助を追う事は無い。

 

 ならば後は一分一秒でも長く戦い続け、時間を稼ぐ事に注力する。伊之助が遠くへ逃げ切るか…もしくは仲間の隊士や隠と合流出来れば自分の勝ちだ。

 

「それにしても…柱は…変わらぬな…戦国の昔から…」

 

「!」

 

 どこか懐かしむように、柔らかい声で国士某が言った。

 

「後輩や…無辜の民…それらを守る為に…己の体を張る…」

 

「お前達鬼には理解出来ないだろうが、人が人を助けるのは当然の事だ」

 

 義勇はこれを弱者を助ける為に強者が命を使うなど無意味だという侮辱・嘲笑の言葉だと受け取った。

 

「勘違いするな…私は褒めている…お前達を…誇りに思っている…」

 

 国士某はすぐにその誤解を読み取って訂正した。

 

 これを聞いて義勇は鬼の戯れ言だと思ったが…今は少しでも伊之助が遠くまで逃げる為の時間を稼ぎたい。それに自分もほんの僅かな時間でも体を休めて体力を刀一振り分でも回復させたい。故に好きに喋らせておく事にした。

 

「お前の言う通りだ…かつて侍がそうであったように…鬼狩りの剣士の刀は…弱き者…無辜の民の為にこそ…振るわれるべきもの…会った事も無い誰か…もう二度と会わないかも知れない誰か…だがその命が…理不尽に脅かされず…天寿を全う出来る…そんな世の為に力を振るう事…私は鬼狩りになる前より…侍を志した頃から…そう己に言い聞かせ…刀を振るってきた…完璧に失格者ではあろうが…それでも私は今でも…仏様の家来のつもりでいる…」

 

 国士某は義勇を指差した。

 

「お前達鬼狩りも…慈悲は同じだ…特にお前達…柱はな…数百年を経ても…その魂は脈々と…受け継がれている」

 

「俺は水柱じゃない」

 

「そうか…だが誰が何と言おうが…私はお前を水柱と…認めるぞ…それに…」

 

「…それに、何だ?」

 

「気付いてはいないようだが…お前…先程までとは…目が違うな…何かを決意し…何かを乗り越えた目に変わった…顔付きも違ってきている…良い…顔になった…ああ無論…男前という意味では…ないぞ…いやお前は男前だが…」

 

「…」

 

 義勇は少しだけ、この鬼を誤解していた部分があったかも知れないと思った。

 

 確かに数分前とは違って、今の自分はあの時の錆兎の言葉を思い出して、彼と姉の勇気の意味を理解している。

 

 だがそんな内面の変化を敏感に見て取って察知するなど、只の化け物には出来ない事だ。

 

「それに…ならば…」

 

 言葉と同時に、国士某の肉体が再び変化を始めた。

 

 脇腹から出ていた爪のようでもあり角のようでもある器官や、背中から出ていた肉のヒダとも触手とも付かないものは退化して小さくなり体内へと埋没し、頭部の角も同じように縮小していく。牙も退化して人間と同じような口元になり、異常に筋肉が隆起していた体躯は引き締まりつつも無駄を廃した機能美の黄金律を備えた肉体へと戻る。

 

 僅かな時間で、姿を現した時の侍の姿になった国士某は着物を羽織り直すと、再びその手に自らの血肉で形作られた刀を握る。

 

「何故、戻った…?」

 

「尊敬すべき剣士に…化物の姿で戦う事は…非礼であろう…」

 

 それが当然であると、国士某は即答した。義勇の言葉に疑問すら抱いているようですらある。

 

「それに…先程までの姿は…膂力や血鬼術の力こそは…高まるが…私の技が活かせぬ故…総合力では今の姿には…大きく劣る…」

 

 嬉しくない事を教えられた。

 

 先程まではその総合力では大きく劣る姿を相手に手も足も出ていなかったのに、人の形に戻った今の姿はそれ以上のものを持つという。

 

 だがこの鬼は…やはり今まで自分が出会った鬼とは違うようだ。

 

 鬼となれば食人衝動に襲われ、親兄弟であっても近くにある生きた肉には食らい付くようになる。またそれが出来るようになるぐらいに、人格や記憶のいずれかあるいは両方に変調を来し、更にそれが近しい者を手に掛けたという事実によって拍車が掛かり、人食いの化け物として身も心も変貌していく。

 

 しかしこの鬼侍は違う。

 

 人であった頃の記憶を明確に残し、人への敬意や礼をその欠片であろうとも残存させている。

 

「これよりは…血鬼術も使わぬ…純粋な剣術で…お相手する…」

 

 そう言って国士某は、二度三度、刀を振って見せた。彼の言葉を証明するように、刀身が通過した軌跡に力場は発生せずに斬撃は飛ばない。

 

『まるで…あいつらのようだ』

 

 二年前に、雪の中で会った兄妹を思い出す。

 

 あの鬼にされた妹も、重度の飢餓状態にありながら兄を喰わず、寧ろ守るように動いていた。そして眼前の、この鬼の侍。

 

 確信した。鬼には、まだ知らぬ謎がある。

 

『それを伝える為にも…俺もまた生きて帰らねばならないか』

 

 後輩を守る為に命をここで使うつもりだったが…そんな簡単な道は許されないようだ。

 

 今一度、義勇は腹を括り直した。

 

 この変化も相対する国士某には明確に感じ取れた。柱としての自覚と覚悟が先程備わり…そして今、石に齧り付いてでも生き抜くという強い意志が備わった。未だ天地の幾倍もの実力差があろうと、決して見くびったり侮ったりして相手するのが許される存在ではない。

 

「…義勇だ」

 

「む?」

 

「冨岡義勇…それが、俺の名だ」

 

「覚えた…私の名は国士某…人であった頃の名は…継国巌勝…」

 

 侍に握られた刀が、微かな鍔鳴りを立てた。

 

「参るぞ…冨岡殿」

 

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