名も無き、国一番の侍   作:ファルメール

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第28話 落胆する侍

 

 水の呼吸・拾ノ型 生生流転

 

 最後の型が振るわれ、水の剣士は一呼吸を置くとすぐ傍らに控えていた双子の剣士へと向き直った。

 

「縁壱殿、巌勝殿」

 

「見事です、潮美殿。これで兄上の月の呼吸に続き、鬼殺隊の剣技と私達の呼吸術を組み合わせた流派が完成した事になります」

 

「うむ…特にこの技…水の呼吸は…基礎に忠実なものであるが故に…様々な技の派生にも繋がり…剣を初めて握る者にも…学びやすい型と…なろう…」

 

 水の呼吸は、鬼殺隊では三番目に開発された「呼吸の剣技」であるが…しかしそれは実像とは微妙に異なる。一番最初に生まれた日の呼吸、これは鬼殺隊にあって当代最強にして歴代最強という評価に寸毫の疑いも無き偉大なる剣士、継国縁壱が使う剣術を指す。

 

 そもそも縁壱は呼吸術を生まれ付き体得していたので、日の呼吸とは鬼殺隊に入隊してから剣の手解きを受けた後に、その剣術を自らの呼吸術とを組み合わせる事で編み出した、彼を開祖とする我流の技であるとも言えるのだ。

 

 だが武才の差か肉体に備わりし天稟の違いか、誰も縁壱と同じようには出来なかった。

 

 次に生まれたのが月の呼吸。これは縁壱の兄であり遅れて鬼殺隊に入隊した侍出身の継国巌勝が編み出した呼吸の剣技であった。巌勝はまず縁壱の真似をする所から始めたが、残念ながら縁壱が居なければ紛れもなく当代最強にして歴代最強の称号を得ていたであろう天才剣士をして、弟の鏡にはなれなかった。

 

 故に巌勝は自分に合うように日の呼吸の分派として「呼吸の剣技」を編み出した。それが月の呼吸だ。

 

 だが誰も巌勝のようには出来なかった。例外として縁壱は出来たがそもそも彼は素がそれ以上なので兄の真似をする意味は無く、今は巌勝がその気骨と才を見込んで継子とした一人の少女が技を学んでいるだけである。

 

 故に他の鬼狩りの剣士にも使えるよう、新しい呼吸の剣技の開発は急務となった。

 

 その剣技は多くの者が習得可能で実戦でも使えるように基本を重視し、尚且つ如何なる敵にも対応出来るよう応用力に富み、将来的には様々な派生の技にも繋がるような拡張性にも富む…そんな贅沢な要望を全て満たせるような技の体系が求められ、研究と試行錯誤が重ねられて、そしてこの日、遂に水の呼吸が完成に至ったのだ。

 

 潮美と呼ばれたこの剣士は、水の呼吸の最初の使い手となる。

 

「だが…潮美殿…貴殿はこの技を…確かに完全に習得はされたが…未だ…極められては…おられぬ…」

 

「これは巌勝殿のお言葉とも思えぬ。確かに私の力量はお二人の足下にも及ばぬであろうが、水の呼吸の拾の技が全て完成した事はお二人共文句無しに認められた筈。それが極められておらぬとは?」

 

「兄上、私も水の呼吸の技はひとまず完成と言って良いと思います。派生や新しい技は今後実戦の中で課題を見出していく段階かと思われますが…」

 

 巌勝は穏やかに首を振った。

 

「技を修める事と…極める事は…違う…潮美殿…構えられよ…」

 

「うむ」

 

 潮美は木刀を手にすると、水の呼吸の構えを取った。

 

 巌勝も同じく木刀を持って、鏡写しのように水の呼吸の構えを取って相対する。

 

「極めるとはどういう事か…お見せしよう…」

 

 

 

 

 

 

 

現在。

 

 数百年前の稽古の時と同じように、水の呼吸の構えを取った剣士が相対していた。違うのは二点。両者の手に握られたのが木刀ではなく真剣である事と、一方が鬼である事。

 

 達人同士の死合の常として、両者の間合いは踏み込めば即座に必殺の一撃が飛んでくる死の領域。先に動いた方の圧倒的不利は言うまでもない。故に両者とも簡単には動かずにこの膠着状態はしばらく続く…

 

 かに、思われたが。

 

「来ぬのか…では…こちらから…参る…」

 

 国士某は構わず、前に出て斬り掛かる。

 

 無造作に、義勇の間合いへと入ってくる。義勇が面食らったのは一瞬。

 

 水の呼吸・参ノ型 流流舞

 

 すぐに迎撃に移る。

 

 流れるような水の呼吸独特の歩法によって攻撃をかわしつつ、その回避動作がそのまま反撃に繋がるように動きの流れを連続させて、剣を振る。

 

「むっ!!」

 

 義勇の目が見開かれた。これは彼の驚きの感情による所作だ。

 

 国士某は義勇が回避した動きに合わせて自分の体を振られる刀の反対側へと滑り込ませ、斬撃の死角に入ったのである。これでは斬れない。それどころか義勇は完全に無防備な状態で国士某の間合いに入ってしまっている。

 

「うおっ!!」

 

 振り下ろされた刀を、義勇は咄嗟に跳躍してすんでの所でかわした。国士某の攻撃は当然それでは終わらず、更に攻め込んでくる。

 

 水の呼吸・肆ノ型 打ち潮

 

 淀みなく斬撃を繰り出し続ける連続攻撃。しかし国士某は、義勇の斬撃はかわして次の攻撃に移る為に刀を引いたその一瞬に前進して攻撃してくる。連続攻撃で一気に攻め立てる筈の義勇であったが、その攻撃の拍子を崩されて技を中断せざるを得なくなった。

 

「そうか…貴様、水の呼吸を…」

 

「左様…私は水の呼吸を極めている…故に…技を如何にして破るのか…? それも…身に付けている…」

 

 鬼殺の剣士が仮想敵として訓練する相手は鬼であり、呼吸の剣技を操る者との戦いは想定されていない。それは殆どやる意味が無い訓練であるからだ。鬼に家族や友人を殺された復讐者の多い鬼殺隊から鬼に寝返る裏切り者が出る事は稀であり、更にその裏切り者が鬼になって鬼殺隊に刃を向けてくる事態は現実的には殆ど発生しない。僅かに、夜の呼吸の剣士が鬼の剣士を想定した修練を積むぐらいである。

 

 その訓練の意表・死角を、国士某は衝いてくる。

 

『落ち着け、水の呼吸の技なら俺とて知り尽くしている。奴がこちらの技を見切って反撃してくるなら、その逆を衝く戦い方もある』

 

 今度は、義勇から前に出た。

 

 水の呼吸・壱ノ型 水面斬り

 

 水平方向へ薙ぎ払われるような一閃。

 

 国士某はこの技を知っているが故に、義勇にもその回避方法は想像出来る。後方に下がるか、それとも…

 

 果たして国士某は、体を低くして頸を狙った斬撃をかわした。

 

『しゃがんで避けた…ならば!!』

 

 水の呼吸・捌ノ型 滝壷

 

 体を沈めた相手に有効な技を瞬時に選択する。

 

 すかさず間合いを詰めて、上段から振り下ろす一太刀にて国士某を仕留めようとする義勇であったが…すぐそこに居た筈の鬼侍の姿が、消え失せる。どこへ行ったのか? 探そうとする前に…思考を回す。

 

『この技の、最大の死角は!!』

 

 義勇は顔を上げる。彼の頭の高さより高く跳躍した国士某が、跳躍の勢いを乗せて振りかぶった刀を思い切り振り下ろしてきた。真っ直ぐ上から下へ繰り出される滝壺の太刀筋の死角は上、の更に上。水柱であり水の呼吸の技の特性を知り尽くしている義勇であるからこそ、その結論に辿り着く事が出来て、一瞬早く反応出来たのである。

 

 攻撃を中断し、地面を転がって避ける。

 

 国士某の刀が地面に叩き付けられ、その恐るべき威力によって周囲にヒビ一つ入らない、真っ直ぐで美しい一文字の亀裂が入った。

 

 鬼侍の攻撃はまだ続く。

 

 攻撃を避ける為に地面に転がった今の義勇は、まさに滝壺の絶好の標的。

 

 当然、この状況で国士某が繰り出してくる技は、

 

 水の呼吸・捌ノ型 滝壷

 

『だが、滝壺を破る技はたった今、お前が見せてくれたぞ!!』

 

 両の足に全ての力を集中させて義勇が跳躍し、刀を振りかぶった国士某の頭上を取った。この動きは、まさしくたった今国士某が見せた滝壺の破り方、その再現であった。この状態からでは、国士某とて攻撃を中断して回避するしか無い筈。その隙を衝いて、義勇が攻勢に転じる筈であった。

 

 しかし次に国士某が見せた動きに、義勇は仰天した。

 

『なにっ!?』

 

 国士某は攻撃を中断するどころか、むしろその勢いのままに振り下ろしたのだ。

 

 そして刀を振り下ろしきったそこで、刃を返す。その体勢から、下へと刀を振った勢いによって生じた地面からの反動を受けてそれを味方に付け、下から上に斬り上げる。古の剣豪が見せた燕返しと呼ばれる技の攻撃軌道にも似た動きであった。

 

「ぐっ!!」

 

 義勇はなんとか空中で体を捻って、皮一枚を斬られただけで済ませた。着地と同時に後ろへ飛んで構え直す。

 

 傷は浅いが、またしても肉体より精神の方に衝撃が来た。

 

『今の俺の滝壺の破り方は完璧だった筈…それを…!!』

 

 完璧であった返し技を、国士某は更に返してきたのだ。

 

「これが…極めるという事…技を極めるとは…その技の破り方をも学び…更にその破り技すら…返す事ができるようになる事を…言うのだ…」

 

 相手の方が自分よりずっと力量が上である事を段違いと言うが、同じ技の返し技の返し技まで使う国士某は、文字通り二段違いの実力者であると言うべきであろうか。この戦いが始まってからずっと、義勇の中で国士某への脅威評価は天井を突き破り続けて高まり続けている。

 

 まさに天と地以上ほどもある実力差。

 

 しかしながら、義勇の体には少しの震えも無く、眼差しには些かの怯えも無い。だが勝負を捨てた顔付きもしていない。

 

 一瞬の隙が生じたなら抜け目なくそこに切り込み、頸を斬りに来るだろう。

 

 伊之助を逃がす為に時間を稼ぐつもりではいるが、同時に勝つ事を真剣に考えている。

 

「流石は冨岡殿…勇気ある者…強き…良き剣士だ…」

 

 畏敬の念が込められたように呟くと、国士某が突進する。

 

「くっ!!」

 

 絶体絶命のこの状況で義勇が頼れるものは、一つ。

 

 自ら編み出した奥義。

 

 水の呼吸・拾壱ノ型 凪

 

 あまりに速過ぎるが故に逆に何の動きも無く止まったように見えるほど超高速で振られる刀によって、間合いに入った全てを無に帰す義勇だけの水の剣技。

 

 先程の飛ぶ斬撃が来たらこの凪の防御とて破られるだろうが…国士某はこの戦いでは、異能は使わないと宣言している。鬼の言葉を信じるなど、他の柱が聞いたら愚かと笑われるかも知れないが…ここまで戦ってきた義勇には分かる。この鬼の侍は嘘は言わない。ならば凪をも、技のみで破りに来る事になるが…

 

 果たして国士某は、無造作に義勇の間合いに入り…

 

 水の呼吸・拾壱ノ型 凪

 

 繰り出されたのは、やはり同じ技。

 

 義勇もこの状況は想像した事が無かった。

 

 凪と凪の相克。

 

 振り回される剣と剣がぶつかり合い、空間に火花が散り続ける。二つの剣の結界、その絶対不可侵領域がぶつかり合い、いずれかを呑み込むまで止まるまいとして、お互いを削り合う。

 

 だが、均衡は長く続かなかった。

 

「!?」

 

 瞬間、義勇は違和感を覚えた。

 

 手応えが軽い。

 

 先程までは剣と剣がぶつかり合う瞬間に、分厚い壁を叩いたような衝撃が跳ね返ってきたのに、今は水面を叩くようで感触こそはあるが、自分の攻撃の威力が殆ど暖簾に腕押し、実体の無い空へと振っているように思える。

 

『これは…!?』

 

 目を凝らして、その違和感の正体が分かった。

 

 義勇の剣とぶつかり合うその瞬間、国士某は刀身の側面に自分の刀の側面を当てて、軌道をずらしている。攻撃を捌いているのだ。

 

『バカな…!!』

 

 一太刀だけであればそれも可能かも知れない。

 

 だが技を放つ義勇自身ですら何発打ってるかとても把握など出来ない斬撃の一発一発の中で、自分に当たる軌道のものだけを正確に選別し、その斬撃のみに自分の斬撃をしかも正面からぶつけるのではなく、横っ腹に剣を当てて逸らし斬られるのを免れる。

 

 どんな動態視力と、剣の動きの正確さを以てすればそれが可能になると言うのであろうか。

 

 これが凪の破り方だと言うのであろうが…

 

 しかし言うは易く行うは難しとはこの事だ。

 

 フゥゥゥ…ヒュウウウ…

 

 義勇の耳に、全集中の呼吸独特の呼吸音が入ってきた。

 

 しかも今は、二つ。

 

 水の呼吸・拾壱ノ型 凪 花の呼吸・漆ノ型 曼珠鬼眼

 

 この時、国士某の六つの眼は全て、まさに鬼の如く真紅に染まっている。

 

 如何に多くの呼吸の技を使えようとも、剣は一本。ならば使う技は一度に一つ。

 

 などという考えが如何に浅はかであったのか、義勇は思い知らされた。

 

『こ、こいつ…!! ただ多くの全集中の呼吸の技を使うだけじゃない…!! 同時に、二つの違う呼吸の技を…!!』

 

 全集中の呼吸の本質を、仮にも柱の位を戴いている自分は、今の今まで見誤っていた。

 

 呼吸の技はただの剣術ではない。全集中の呼吸の基本にして奥義は、訓練された呼吸術によって一度に大量の酸素を体内に取り込み、血管や筋肉など肉体の機能を高める事。故に攻撃とは別に、同時並行して肉体や器官それ自体の機能を強化する事は理論上は不可能ではない。

 

 そして国士某はまさにそれをやっているのだ。

 

 呼吸術による肉体操作で血液を目に集中させ、動態視力を爆発的に向上させている。

 

 それに伴い、体感時間をも自由に引き延ばしてまるで一秒が十秒にも二十秒にも感じられる世界の中で、しかし鍛えに鍛え抜かれた国士某の肉体は通常時間の中と同じ感覚で動き、止まって見える義勇の剣に自分の剣を合わせていく。

 

『ぬううっ…!』

 

 何とか同じ真似をしてみようと義勇は目を凝らし、眼球に血液を集めようとしたが失敗に終わった。そもそも凪に全ての力を注いでいる今、そんな余裕は無い。ちょっとでも気を抜けば、すぐに国士某の凪は自分の凪を呑み込むであろう。

 

「目を使っている私が…言うのも…どうかとは思うが…目に…頼るな…」

 

「何!?」

 

「刀を振るうのは…腕であり…刀を握るのは…手であろう…」

 

 義勇ははっとする。

 

 国士某の言う通りだ。

 

 目で見てから動くのではない。そんな事をしていては間に合わない。

 

 刀と刀がぶつかり合う瞬間を感じ取り、腕に伝わってきたその感覚を逃さない。

 

『もっとだ…もっと…研ぎ澄ませ!!』

 

 戦うのは好きではない。

 

 極力刀を抜きたくはないし、誰彼構わず娯楽のように手合わせする趣味も無い。

 

 だが今は、そうした戦闘狂と呼ばれるような連中の気持ちも少しだけは、分かる気がした。

 

 快い。

 

 どれほど差があるのかすら分からぬほど力の差がある強者と戦い、自分が短期間の内に強くなっていく感覚。

 

 久しく忘れていた。

 

 こんなのは、師である鱗滝翁の下で、錆兎と共に修行を始めたばかりの頃以来ではないだろうか。

 

 強さは漸近線だ。

 

 一の強さを十にするのと、五十の強さを五十一にするのでは後者の方が遙かに労力も時間も必要とする。だが今は、五十が五十五にも六十にも急速に引き上げられていくのが分かる。自分は今のこの瞬間にも、確実に強くなっている。

 

 一秒一秒の内に己の全てが研磨され、眠っていた感覚は叩き起こされ、普段は使っていない筋繊維の一本一本までが総動員されて動いていく。その過程で余計なものは次々飛ばされ、残ったものは強く固くなっていくのが分かる。

 

 この上達の実感は、まるで麻薬のようだ。

 

『目に頼るな。不要な感覚は切れ。必要な物だけ残せ。刀は腕の一部と思え』

 

 刀身と刀身が接触する、その瞬間を感じ取る。

 

 刀の腹と腹が触れて、国士某はここで横へと力を加え、義勇の攻撃を逸らす。

 

『ここだ!!』

 

 刹那、国士某よりも早く。

 

 義勇は自ら刀を横へ動かして、逆に国士某の攻撃を捌いた。

 

 たった今、国士某が彼にしてきた事を、そのまま返したのだ。

 

「!! …見事也…!!」

 

『出来た!!』

 

 達成感に伴う、快楽の絶頂。しかし義勇はすぐに感情を制御する。

 

『今の感覚を忘れるな。次にも同じようにしろ。百回やれば百回出来るようになれ』

 

 慢心を戒め、続く攻防の中で、義勇の剣が国士某の剣を捌き続けていく。

 

「素晴らしい…!!」

 

 国士某もしかしそこからは一歩も譲らず、静止した竜巻のような両者の攻防は、少なくとも夜明けが来るまではこのままずっと続くのではないかと思われた。

 

 だが、そうはならなかった。

 

 幕切れは唐突に訪れた。

 

「ぐはっ!!」

 

 義勇が血を吐いて、がっくりとくずおれる。

 

 肉体の限界だ。

 

 当然と言えば当然である。ものの十分ほどではあるが、常に全力以上の力を出し続けていたのだ。常人であれば一分間であろうと全力疾走を継続するのは困難。まして戦闘という究極の領域の中で、ここまで動き続けられた事こそ、義勇が日々の鍛錬の中でどれほど自分を追い込んで鍛え上げていたのか、その証明に他ならなかった。

 

 だがそれにも終わりが来たのだ。

 

 動けなくなった義勇の前で、国士某が一刀の下に斬り伏せようと、悠然と刀を振りかぶる。

 

「くっ、む…無念!!」

 

 事ここに至っては義勇も覚悟を決める他は無かったが…

 

 その時だった。

 

 パァン

 

 乾いた音と共に国士某の六眼の一つが、弾けた。

 

「む?」

 

「なっ…これは…」

 

 何が起こったのか、それを考える前に義勇の視界がぐらりと揺らいで暗くなり、彼の意識は闇に墜ちた。

 

 それでも最後の闘志・剣士の本能が無意識の内に刀を杖にして、倒れる事を拒む。逆に言えばそこまでが本当に彼の限界だった。そのままぴくりとも動かなくなる。失神したのだ。

 

「…視神経への負荷が…限界を超えたか…」

 

 凪を見切るべく動態視力を上げる為に眼球に集めていた血液の圧力が、集中させすぎた事によって高まり過ぎて毛細血管の壁を破り、眼球を破裂させたのだ。

 

 既に国士某の爆ぜた眼は、鬼の再生能力によって完全に修復されていた。その痕跡は頬に伝う涙のような血だが、それすらも軽く拭う事で消えてしまう。結局、この戦いで伊之助と義勇の刃は切っ先一寸たりとて国士某には掠りもしなかった。

 

 半ば自爆のようなその損傷だけが、二人が報いられた一矢だった。

 

 だがそれを行なう為に払った力は、今までのどんな修行や実戦よりも大きかった。

 

 ならばその代わりに彼等は何を得たのか?

 

 それは今後の彼等自身が実感するものなのであろう。

 

「私にこれをさせたのは…貴殿が二人目…冨岡殿…貴殿は最高だ…今宵は…最高の夜であった…」

 

 軽く手を振って、手にした刀を自らの血肉へと戻す。

 

「良い…実に良い…鍛錬であった…今日は…ここ数十年…味わった事も無い程に…安らいだ心持ちで…眠れそうだ…」

 

 もう聞こえていないだろうがそう義勇に語り掛けると、国士某はくるりと振り返ってこの場を立ち去ろうとした。

 

 だが、彼が風船のように軽い足取りで十歩も歩いたその時だった。

 

「こんな所に鬼狩りが居るじゃねぇか」

 

「ん?」

 

 振り返ると、気を失った義勇に一匹の鬼が近付いていた。その鬼は、国士某には気付いていないようだ。

 

「この刀…こいつは柱か。だが全身ボロボロでしかも気を失ってるな。今なら俺にだって殺れるぜ。俺はツいてる。柱を殺ったとなりゃ、俺もあの方に認められて十二鬼月に…」

 

 国士某はがっくりと肩を落として、はぁと盛大に重い溜息を吐いた。

 

「やれやれ…折角久方振りに…浮き立つような気分に浸っていたと…言うのに…」

 

 鬼は意識を失っている義勇の背後に立つと、鋭い爪を振りかざした。

 

「くたば…」

 

 水の呼吸・拾壱ノ型 凪

 

 言い終える前に、鬼は頸を斬られて体が崩れるのを待つまでもなく斬撃の嵐に晒されてまるで巨大な芝刈り機の中に放り込まれたようになって、肉体が形を留めず血煙となるまで切り刻まれて、風に消えていった。残ったのは辛うじて刃が振るわれる範囲から外れていた足首から下だけ。それすらも崩れて、塵となって散る。

 

「よくも…台無しに…してくれたものだ…この世から…失せよ…」

 

 日輪刀を腰の鞘に納刀した国士某は、しかしこれは自分が迂闊であったと自省する。

 

 つい、伊之助や義勇との稽古に熱が入りすぎて失念してしまっていたが、ここは人間にとっては多くの鬼が徘徊する死地なのであった。そんな所に意識の無い人間を放置するなど、飢えた狼の巣に生肉を置いておくようなものだ。

 

「…………………」

 

 周囲を見回したが、他の鬼殺の剣士や隠の気配は無い。

 

 この場で、義勇を守れる者は、一人しか居ない。

 

「………………」

 

 ふうっと、鬼侍はもう一度溜息を吐くと、義勇から数メートルほど離れた位置に生えていた樹に背中を預け、どっかりと腰を下ろした。

 

 意識を失っている義勇は当然ながら何も言わず、国士某もそんな彼を眺めたままで何も語らない。

 

 既に粗方、この山の鬼は狩り尽くしたが故であろうか、本来の夜の山に相応しい静謐な時間が流れていって…

 

 そして半時(一時間)も経った頃であろうか、唐突に破られた。

 

 山の山頂付近で火が吹き上がったようになり、そしてこの山の中で一際大きな力を放っていた鬼の気配が、消えていく。

 

「あれは…炭治郎か…見事に…やったようだな…」

 

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