名も無き、国一番の侍   作:ファルメール

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第29話 侍の運命が動き出した日

 

 彼は鬼になった事を悔いた事は一度も無い。

 

 今まで奪われ、虐げられるばかりであった自分が、初めて奪う側に回る事が出来たからだ。

 

 太陽の下には出られないが、打たれても斬られてもすぐに治癒し、年も取らない不死の体。そして異能の力。素晴らしいものをあの御方の血は与えてくれた。

 

 彼が喰らう人間は、勿論女は栄養価が高くて良いがその次に狙うのは侍だった。連中は生まれた家が違っただけで偉そうにふんぞり返っているような奴等だ。ちょっと槍刀の振り方を知っているだけのたかが人間を、そんなものとは比べ物にならぬ鬼の力で蹂躙する快感はたまらない。

 

 今は戦国の世であるが故、獲物には事欠かない。

 

 そしてこの日も、不幸な犠牲者が彼の視界に入った。

 

 合戦帰りの侍の一団が野営しているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

「貴様…人間ではない…な…気配が…違う…」

 

 継国巌勝は、部隊の前に現れた鬼に相対すると一目でその異様を見抜いた。

 

「巌勝様、ここは我等が…」

 

「お前達は…下がって…おれ…」

 

 彼は部下達を下がらせると、一人鬼の前に出る。そして、腰の刀を抜いた。

 

 鬼はそれを見て、思わず吹き出しそうになった。

 

 今まではその人斬り包丁でどんな相手でも思い通りになったであろうが、今回はそうは行かない。この世にはお前達侍の想像を超えた恐ろしいものが存在している事実を思い知らせ、恐らく死の間際の一瞬であろうが、絶望を教えてやる。

 

「受けてみやがれ」

 

 血鬼術・空断抜刃

 

 軽く払うように腕を振って、異能を使う。

 

 彼の力は不可視の刃を作り出し、射出するというもの。

 

 作り出された刃はどんな名刀よりも鋭く、それが鉄砲の弾よりも速く相手に向けて飛んでいく。単純ではあるがそれ故に強力な血鬼術である。

 

 今まで彼を退治しようと意気揚々とやって来た侍達は誰もが、何が起こったのかも理解出来ぬままバラバラの肉片と化して彼の腹に収まった。

 

 その必殺の異能を、巌勝は先程の彼と同じように軽く腕を振って、拳を作った指と指の間に刃を挟み掴んで止めてしまった。

 

 これは言わば、片手だけで行なわれる真剣白刃取りである。ただし刃は目に見えず、複数本存在し、しかも弾丸より速く自分に向けて飛んでくるという違いはあるが。

 

「なっ…!?」

 

 鬼は、唖然と口を開けてその信じられぬ光景を目の当たりにしていた。自分は一体何を見ているのか。今、数え切れぬほどの侍がそうであったように自分の血鬼術はこの侍とてバラバラにしてしまって、地面に転がる肉片を見ている筈なのだ。

 

 こんな事は有り得ない。こんなのは悪夢だ、そう悪夢に違いない。

 

「…面妖な…」

 

 一方で流石の巌勝も、初めて見る血鬼術には驚いたらしい。ぱちくりと目を瞬かせる。

 

 刃を掴んだ拳を何度も内旋・外旋させて角度を返して観察していた。

 

「これは…透明の刃か…そんなものを作り出し…飛ばすとは…これは…妖の術か…」

 

 拳を強く握ると、彼の握力に耐えられずに不可視の刃は粉々に砕け、消滅した。

 

 その様を見せ付けられて、漸く鬼は今のこの状況が現実である事を認めたらしい。

 

「ば、バカな!! 目に見えず、風切り音も立てず、鉄砲の弾より速い俺の術が何故止められる!?」

 

 続け様に見えない刃を発射するが、巌勝は少しも戸惑った様子を見せずに腕だけを動かし、飛来する刃を全て片手で摘まんで止めてしまう。まともに握りに行っては手の方が切れる事を分かっているのだ。

 

「殺気や闘気とでも…言おうか…お前がどこを狙っているか…私には…見えている…」

 

 無人の野を行くかのように、巌勝は少しも前進する速度を緩めず、焦らず走らず、軽い竹刀を振る事と同じように音も光も持たない斬撃を掴める理由を語る。

 

「それが通じぬ者も…一人…居るがな…」

 

 そうして、巌勝は鬼と肉迫した。

 

 刀を持っていない左手が、そっと差し出された。

 

「はっ」

 

 咄嗟に、鬼も自分の右手を出して手をがっぷりと組み合う。

 

「ふふ…」

 

 ここで、鬼は勝ち誇った。

 

 例え血鬼術が通じなくとも、鬼の身体能力は人間のそれとは比べ物にならない。この片手でねじ伏せてくれる。そうだ、寧ろこの方が良かったかも知れない。一瞬で細切れになって何が起こったか分からないままで死ぬよりも、そちらの方が余程屈辱を与えてやれる。

 

 握った手に力を込めて…

 

「う…はあぐ…?」

 

 顔色一つ変えず、巌勝はまさしく赤子の手を捻るが如く、鬼の腕を捻り上げてしまう。メキメキと、鬼の指の骨肉が軋む音を立てる。

 

「なっ…ぐああああ!?」

 

 そのまま、巌勝は握力で鬼の手を握り潰してしまった。

 

「はぎゃああああ!! きえいっ!!」

 

 力任せに手を潰された鬼は激痛に悲鳴を挙げつつも、右足で蹴りを放つ。

 

 だがこれにも巌勝は反応して、刀を握ったまま柄を膝関節に叩き付ける。

 

 テコの原理と蹴りの威力が反作用となって、鬼の膝関節が逆方向に曲がった。

 

「ぎゃあああ!!」

 

 巌勝はぐいっと潰した拳を握ったままの左手を引っ張って鬼の体を引き寄せると、刀の振れないこの超至近距離で引き寄せた勢いを利用して、肘鉄を鬼の鳩尾へとお見舞いした。

 

 反吐をぶち撒けつつ鬼の体が20メートルも後方に吹き飛び、勢いに耐えられずに鬼の左腕が肘関節から引き千切られた。

 

 転げ回った鬼は、しかし持ち前の再生能力で潰れた内臓も砕けた肋骨も、そして喪失した腕ですら瞬時に再生する。

 

 これを見た巌勝は、再び静かな驚きを見せた。

 

「やはり貴様は…物の怪か…腕もそうだが…内臓も…骨も…全て…瞬く間に…治癒したな…」

 

 生まれながら生き物の体内を透けて見る事が出来る巌勝は、正確に鬼の状態が把握出来ていた。

 

「肉体の…造りそれ自体は…人間と…そう…変わらない…ようだが…」

 

「ちっ!!」

 

 数秒で完全に損傷を回復させた鬼は、バネ仕掛けのように飛び上がって巌勝と距離を取った。

 

「お前を侮っていたぜ…俺の全力で殺してやるよ」

 

「…」

 

 異様な気配がする。

 

 鬼は何かをする気だ。

 

 直感でそれを理解し、巌勝も油断無く身構える。

 

 鬼は両手を大きく左右に広げた。

 

「死角は無いぜ。今度の術からは、決して逃れられねぇ」

 

 そして、その両手を交差するようにして大きく内側へ向けて振る。

 

 血鬼術・空断乱舞

 

 瞬間、巌勝の視界に存在する物全てが、地面も、樹木も、岩も、一切合切が三寸ほどの大きさに切断されていく。

 

 咄嗟に左右を見回すが、少なくとも彼が見える範囲の右の端から左の端まで、そして恐らくは見上げた視界の上端までも不可視の刃は届いているだろう。

 

 先程までの技は何も無い空間に見えない刃を飛ばしてきて、こちらに気付かれずに真っ二つにする事が目的だった。今は違う。飛来する軌道に何かの遮蔽物が存在して攻撃が察知されても構わない。その代わり、隙間が三寸程度しかない網の目のように張り巡らされた、巨大な不可視刃を無数に飛ばしてきているのだ。

 

 隙間はどこにも無く回避は不可能。しゃがんでも跳躍しても、巌勝の肉体は数多の肉片へとバラされるであろう。逃げ場は無い。

 

 掴み止めようにも、全てを止めるよりも早く、他の刃が飛来して巌勝の体をバラバラにする。

 

「ならば取るべき道は…唯一つ…か…」

 

 巌勝は刀を握り締め、静かに万象を切り刻みながら向かってくる飛ぶ斬撃へと突進する。

 

 刀を振る。

 

 刃が不可視の力場に当たって、砕く。

 

 振り回される刃が異能の力をも打ち消して、巌勝が前進する道を作っていく。

 

 まるで嵐の中を、前進する巌勝の周囲だけが湖面のように静かであるように安全圏が作り出されていく。

 

 鬼は咄嗟に身をかわそうとするが…それよりも巌勝の方が早かった。

 

 頸へ向けて、横薙ぎの一閃。

 

 鬼の頭が飛ばされて宙に舞う。

 

 人間であればこれで完全に勝負ありというものだが…

 

 巌勝は少しも油断していなかった。

 

「…ますます面妖な…頸が落ちても…死なぬとは…」

 

 内臓や腕の損傷が治癒した事から予想出来たものであったので、今度は驚きもしなかった。

 

「くくく…その通りだ…鬼になった事で俺は、これほど素晴らしい力を手に入れたんだ」

 

 鬼は宙に飛んだ頭を掴むと、元あった胴体の上に置き直した。傷口はあっという間に繋がって、不具合が無いかを確かめるように頸の関節をコキコキと鳴らした。

 

「お前もさっき見ただろう。引き千切られた腕もこの通りもう治癒してしまった。そしてこの頸の傷もすっかり治った。分かったか。確かに俺の術はお前に通用しなかったが、お前も俺を殺す事は出来ないという事が」

 

 自分とこいつの戦いはまだ互角なのだ。鬼はその結論に至って、動揺していた気を持ち直した。

 

「そうか…それは…良い事を…聞いた…」

 

「…何?」

 

 だが続く巌勝の言葉で、鬼はどうしようもない違和感を覚えた。

 

 鬼狩りでないこの侍の刀は、日輪刀でもない只の刀だ。頸を斬ろうと鬼である自分を殺す事は出来ない。この侍には自分を殺す手段は無い。その事実を突き付けられて、絶望的な表情を浮かべる筈なのに。

 

 実際にはこの侍は、表情を少しも変えないままでしかも良い知らせを聞いたと言った。

 

 今の言葉の中の何処に、こいつにとって有利な情報があったと言うのだ?

 

 この侍は脳味噌が頭に詰まっていないのであろうかと真剣に考えた。

 

「貴様は今…鬼になったと…そう言った…」

 

「あ? あぁ…」

 

 巌勝の言葉の意図が掴めずに、鬼は間抜けに相槌を打つ事しか出来ない。

 

「生まれながら…不死身の怪物であった…と言うのなら…流石の私も…お手上げだが…元が人間であった…という事は…いくら肉体が…無限に再生しても…精神には…限界がある…私が斬り疲れるのが先か…貴様が泣きを入れるのが先か…いざ…死合わん…」

 

「えっ…え…えぇ?」

 

 

 

 

 

 

 

「お久し振りです。兄上」

 

 一刻(二時間)後、駆け付けた縁壱が「殺してくれ」と泣き喚く鬼の頸を刎ね、そうして縁壱と巌勝は数年ぶりの再会を果たす。

 

 記憶にある姿より幾倍も凜々しくなった弟の姿を見て、巌勝の平穏が破壊された。

 

 平穏な日々、妻を娶り子供にも恵まれて年月の流れが非常に遅く感じられた時間。長閑でどこか退屈で、しかし幸せだった時間。心の何処かではこんな時間がいつまでも続けば良いと思っていた。

 

 だが、それは叶わない願いなのだろう、いつかは終わってしまうのだろうとも分かっていた。

 

 その日が来たのだ。

 

 そしてこの数年間、ずっと胸に引っ掛かってわだかまっていたものがやっと解けた。

 

 縁壱とうた、二人が暮らしていた家の違和感だ。

 

 整然として荒らされた形跡は無く、しかし家の床には血が染み込んでいて天井にも血が飛んでいた跡があった。

 

 棚の金品には手が付けられておらず、調度品や家具はきちんと整頓されていた。

 

 そして家の裏手にあった誰かを弔ったであろう墓。

 

 出産時なら大出血には納得が行くが、床は兎も角壁や天井にまで血が飛び散るのは不自然だ。

 

 畜生働きの物取りなら金品を奪っていく。

 

 怨恨にしても縁壱もうたも、人の恨みを買うような人間ではない。

 

 暗殺や謀殺の類だとしても、ならば家を清掃するよりも火の不始末にでも見せ掛けて家を焼いてしまった方が余程確実にしかも手っ取り早く、全ての証拠が隠滅出来る。第一、根っからの農民の子であるうたは勿論の事、継国家からは十年余りも前に出奔して下農している縁壱を今更誰がどんな動機で狙うと言うのだ?

 

 熊や狼が出たとしても、それなら壁や床に爪痕の一つでも残っていて良い筈だし、第一獣は律儀に戸を開けたりしない。

 

 だが縁壱から人食い鬼の存在を聞かされて、ピンと全ての点が線に繋がった。

 

 あの家にあった血は、やはりうたのものだったのだ。鬼に襲われた時に、血が飛び散ったのだろう。

 

 金品が手付かずだったのにも合点が行く。鬼の目的はうた、より正確には女の肉だったのだ。

 

 家を清掃し、うたを弔ったのは恐らくその時、何かの事情で留守にしていた縁壱であろう(彼が共に居たなら鬼などひとたまりもなく蹴散らされていたに違いない)。弟は妻を埋葬し、そして家を清掃し、宝物としてずっと持っていた笛だけを懐に入れて鬼狩りの剣士となるべく旅立ったのだ。

 

 伝承の中のものだとばかり思っていた鬼が、この世に居る。禍物が善意の民の命を喰らっている。

 

 それを知った時、巌勝は思った。

 

「時が…来たのだな…」

 

 自分の平穏が、終わるのだ。

 

 民が弱い事は罪ではない。民に代わって強さを担い、無辜の民が心安らかに過ごせる世の為に刀を振るう事こそが、侍の存在意義。

 

 大名の家来である前に御仏の家来である事を意識し、幼き日より一度も忘れず己に言い聞かせてきた、巌勝の生き方であった。

 

 この夜、停滞していた運命が動き出した。

 

 巌勝が縁壱を連れて部下達と共に継国家へ帰るのがこの翌日。

 

 彼が鬼狩りの剣士となるべく、妻も子も捨て…弟と共に家を出て…そして二度と戻らぬ旅に出るのは、次の日の朝の事であった。

 

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