「ううっ…」
「へへへ、中々粘ったがこれでとどめだぜ、鬼狩り」
那田蜘蛛山中。
乱戦となり炭治郎達とはぐれてしまった村田隊士は、やむを得ず他の隊士と合流を目指して山中を移動していたが鬼と遭遇してしまった。あまり才能豊かとは言えない彼だがそれでも8年も第一線で戦っていた経験を活かして粘ってはいたが、連戦の疲れもあって追い詰められてしまっていた。
とうとう刀が折れてしまい、最早これまで。
かと思われたが、その時だった。
「うぎゃああああ!!」
突然、悲鳴が響き渡った。
「え? え?」
戸惑ったのは村田である。
悲鳴を挙げたのは彼ではなく、眼前の鬼であった。
しばらくすると、鬼はどさりと倒れた。
「…な、何だぁ?」
状況が分からないが、村田はじりじりと鬼に近付く。いつ、鬼が跳ね起きて飛び掛かってきても対応出来るよう、用心深い動きだ。折れた日輪刀を使って、可能な限り間合いを離してツンツンと鬼の体をつつく。
反応は無い。
死んだフリかも知れない。以前に見た舞台演劇でも、首を吊られて死んだ筈の敵が話の最後になると襲い掛かってくる場面を見た事がある。
そう思っていたが…反応は無い。どうやら本当に死んでいるようだ。
ゆっくりと、体を調べてみる。
精一杯のへっぴり腰の姿勢になって鬼の肌に触れてみると、瑞々しさでは無くがさりとした乾いた感触が指に伝わった。
「…ええいっ」
意を決して蹴りで体を転がして俯せだったのを仰向けにしてみると、村田はぎょっとした。
鬼の体は、全身が埃及の木乃伊のように干涸らびていた。やがてその体は、すっかり枯れた落ち葉を握ったように粉々に砕けて、消えていく。
「何だ…? まるで、全身の血が抜き取られたみたいだな…」
頂上付近で累と名乗った鬼と対峙していた炭治郎・禰豆子は善戦していたが、しかし突如として累の様子が変わったのを敏感に感じ取って、一呼吸置く意味も含めて間合いを取った。確かに今まで出会った中では強敵ではあるが…
『けど、国士某さんほどじゃない』
あの鬼侍の力は異次元。
どれほど実力の差があるかすらも分からぬほど自分とは実力の差がある。恐らく以前の稽古で見せていたのも氷山の一角、あるいはそれですらなくあの程度は実力の内にも入らないのかも知れない。
いずれにせよ自分より格上の人に手合わせしてもらえるほどの上達の近道は無い。遙か実力が上の相手と対峙する事で、その人の強さを吸収してぐんぐんと強くなれるのを炭治郎は知っていた。
そんなこれ以上無い師範を相手に、本当に死ぬ迄鍛錬したのである。そしてそれからも鍛錬は怠らず、何度も死んでは生き返っている。
だから最早この世に怖いものなど無い。
そう思っていたからこそ、此処までは相手の実力を見極め、見くびらぬまでも落ち着いて余裕を持って対応が出来ていたのだが…
少し、どんなに攻撃しても倒せない炭治郎に累が焦れたような態度を見せた、その瞬間だった。
先程までとは、この子鬼の様子が違ってきている。
『今まで、感じた事が無い程濃い血の匂い…それも、急に…鼻が潰れそうなくらい強くなった。鬼舞辻の匂いも、同じように強い』
まるでこの山に満ちていた鬼の気配・鬼舞辻無惨の欠片が、一匹の体に集中して固まったかのようだ。
「鬼狩り…お前の事を僕は侮っていたようだよ。お前を殺すには、家族に分け与えていたあの御方から戴いた力の全てを、戻さなくてはならないようだ…」
下弦の伍、累の血鬼術は二つ。
一つは尋常では無い強度を持つ糸を生成して操るもの。
もう一つは自分の力を他の鬼に分け与えるもの。
これまでは自分を頼ってこの山にやって来た鬼達に、家族としての役割と姿を与えると同時に鬼の力を分け与えていたのだが、今の彼はそれを回収したのだ。当然ながら、分散させていた力を戻す訳だから累自身の力はこれまでとは比較にならぬ程に強大なものとなる。
『だが少し、遅かったか…思ったより集まった血が少ない…』
この山には50匹近い鬼が集まっていた筈なのに、十匹ほどの分の鬼の血しか集まらなかった。
本来あの御方から戴いた全ての力が集まれば、自分の力は上弦にすら匹敵すると聞かされていたが…予想以上の勢いで、この山の鬼達は狩られていたらしい。恐らくは鬼狩りの柱が入ってきているのかも知れない。
『それにしても…いくら柱でもここまで早く僕の力を与えた鬼を狩れるとは思っていなかったが…』
今考える事ではないと、累は思考を打ち切った。
完全ではないが、力を戻した今の自分は上弦には及ばぬにせよ下弦の鬼の域は遙かに超えている。まずは眼前のこの目障りな鬼狩りを殺し、奴の妹を自分のものにして、それからこの山に入ってきている鬼狩り達をそれが柱であろうと狩り尽くし、そうしてからまた新しい家族を作り直せば良い。
思えばあまりにも家族が増えすぎていた。
仕舞いには叔父の従兄弟の息子とか累自身も良く分からないようなほぼ他人の役割を与えてしまう本末転倒な有様となっていた。
ちょうど良い間引きであったかも知れない。やはり家族は数名ほどで良い。
そんな事を考えつつ、もうここからは戦いではない。
ただ作業をこなすだけだ。
血鬼術・無影刻糸
無造作に手を振る。
放たれるのは、目には見えないほど細く、しかしながら鋼線よりも固く、刃物よりも鋭く研ぎ澄まされた糸だ。
風切り音も聞こえず、矢のように早く放たれる糸の刃。
この斬撃は、豆腐に箸を通すように鬼狩りの体を刻んでしまうだろう。
そう、その有様が映像まで累の脳裏に浮かんでいたのだが…
「ふっ」
炭治郎はまずは身をかがめ、続いて跳躍すると空間に走った糸の刃を危なげなく避けた。
彼と禰豆子の背後で、飛んでいった糸が大木を巻き藁のように切断して、幹が地響きを立てて地に落ちた。
「よ、避けられた!!」
「ム…」
「バ、バカな!! 目に見えず、音も立てない僕の糸が何故かわせる!?」
累は目の前で今起こった事が信じられず、この間違いを訂正しようとするかのように再び糸刃を放ってくる。
しかし、炭治郎は再びそれをかわしてまぐれでなかった事を証明してみせる。
実は信じられないのは炭治郎も同じだった。何故、先程の攻撃が避けられたのか。だが二回目を自ら演じてみせた事で、彼自身理解する。
『見える。見えるぞ!! 国士某さんとの稽古で体得したもの、父さんが感じていた透き通る世界。こいつの筋肉の動き、肺の収縮。攻撃の起こりと、指先から伸びた糸が空間の何処を通るのかが分かる!!』
確かに糸自体は炭治郎には見えない。
しかしながら、どのタイミングで累が糸を放ってきて、その糸がどこを襲ってくるか分かる。分かれば、そこから身をかわして避けられる。
ヒノカミ神楽 斜陽転身
懐に飛び込み、頸を狙った薙ぎ払い一閃。だが、すんでの所で累が後方へ跳躍して回避した為に、傷は浅く喉に一筋の刀創を刻んだだけだった。空気が漏れてひゅうっと笛のような音が鳴るが、鬼の再生能力ですぐにこれは治癒した。
「…どうやら、僕はまだお前を侮っていたようだね。ここからは、本当に全力で殺してやるよ」
累は、ばっと両手を広げると全ての力をそこに集める。
血鬼術・血網恢々
広げた両手を交差するように閉じると同時に発射されるのは、先程と同じ見えない糸の刃。
ただし先程よりもより細くて見えにくく、より固く・粘り強くて切れにくく、より鋭い切れ味を持たせた触れれば切れる見えない刃物。
しかもその量たるや、先程の比ではない。
炭治郎が視線を動かす。
上も下も、左も右も。
端から端まで視界にある全てが、迫り来る蜘蛛の巣状の糸によって賽子のように切断されていく。
『これじゃ、逃げる場所もかわす隙間も無い』
どうするか?
『俺一人ならあるいはどうにかなるかも…でも、禰豆子は…』
そう、彼が思ったその時、妹が日輪刀を掴んだ。
「禰豆子!?」
「ムー!」
禰豆子の血が黒い日輪刀の刀身にべっとりと付着し、彼女の血鬼術・爆血によって燃え上がる。
炎を纏った刀身は、熱を受けた事で変色する。火を付けられた炭や鉄のように赫く。
爆血刀。
禰豆子はこれを使えと言っている。
炭治郎は燃える日輪刀を握り締めると、ぐっと腰を落として構える。
迫る蜘蛛の巣状の糸の刃、まさに死そのものが向かってくる。
だがそれから逃げるという選択肢を全て排除する。
逃げられないのなら、あるいは逃げて自分一人だけ助かるのなら、そんな道は不要。
ならば前進して二人の生を掴むのみ。
ゴオオオオオ…
ヒノカミ神楽独特の呼吸音が、静謐な夜の山に響いていく。
円舞
碧羅の天
火車
日暈の龍・頭舞い
飛輪陽炎
炎舞
代々家に伝わっていた神楽を舞いながら、炭治郎が突進する。
血鬼術の糸は日輪刀の鋭さと、鬼を焼く炎によって斬り、溶かされていく。
「何だと…!!」
死角も逃げ場も無く、絶対に逃れる事の出来ない糸の刃が壁となって迫る血鬼術の奥義。
そんな物を前にすれば普通は無駄と知りつつも逃げようとするか、防御態勢を取るものだ。それが生物としての本能というものである。だが炭治郎は逆に前方へと突進する事で、活路を見出す。
遂に、糸の刃を抜けた。
「くっ!!」
咄嗟に、累は日輪刀によって頸を切断される前に自らの糸を首に巻き付けて自切する事によって逃れようとする。
が、それより早く。
ヒノカミ神楽 灼骨炎陽
水平方向に刀が振るわれ、纏っていた爆血の熱によって糸が溶かされてしまう。
と、同時に彼の頸を、炭治郎の日輪刀が刎ねた。
日輪刀で頸を落とされる事は、陽光と同じように鬼に逃れられない死をもたらす。
消えて散るまでの残された僅かな時間で、累は考えていた。
『何故、負けたんだろうな…』
負ける要素は無い筈だった。
自分は十二鬼月であり、ましてや今はあの御方から与えられた血の力によってずっと強くなっていたのに。
ならば、どうして負けたのか。
考えて…ごろりと地面に落ちた視界に、禰豆子を気遣う炭治郎の姿が見えた。
『嗚呼…そうか…結局、俺の絆は偽物だったんだな…』
家族を作っても作っても虚しさは埋まらない。
結局自分が一番強いから誰も自分を庇えない。
そんな偽物の絆を作っていたのだから、本物の絆の前に負けたのだ。
『ほら、鬼狩り…やっぱり俺の言った通りだったろう? 絆は強かった。だから、僕はお前に殺されたんだ』
自分にも…昔は本当の絆があった。家族、優しい父と母。自分の手で絶ち切ってしまったもの。
そうしなければ耐えられないから、忘れてしまっていたけど…
殺されたい訳ではなかったが…でも、きっと死を間近にしなければ思い出す事も出来なかったろう。
その点だけは、感謝してやっても良いなと思って…
ふと、鬼になった時からずっと触れてこなかった暖かさが体に宿った気がした。
お日様の、ぬくもりのような。
これは、鬼狩りが自分の体に触れてくれているのだ。
彼なりの、手向けなのだろうか。
「お前は優しいね…鬼狩り…ありが…と…う…」
その言葉が、最後だった。
頸も肉体も塵となり、風に舞って消えていく。
炭治郎は、累の肉体が形を失って着物だけが残り、立ち込めていた深い悲しみの匂いが血と鬼舞辻 の匂いも同じように霧散するまで見送っていた。
無意識に、合掌する。
どうか罪を洗い流して、再び生まれ変わってくる時には鬼になどならないように。
その祈りが終わった後で、彼は禰豆子に駆け寄る。
「禰豆子、大丈夫か?」
「……」
返事が無い。
まさか、とは思ったが規則正しい寝息が聞こえてきて、眠っているだけだと分かってほっと胸を撫で下ろす。
その時だった。
「あら? 終わっているようですね?」
良く通る、鈴のような声が聞こえてくる。
同時に、炭治郎の嗅覚をくすぐるのは藤の花と、医薬品の香りが混ざり合ったような今まで嗅いだ事の無い独特の匂いだった。
声が聞こえてきた方向を見ると、そこに立っていたのは針のような刀を手にした蝶の柄の羽織を纏った女性の剣士だった。
小柄ではあるがしかしその佇まいはどこにも隙が見当たらず、国士某を除いては今まで出会った剣士の中で最上位の使い手である事がはっきりと分かった。
「この山には十二鬼月が居ると聞いてきたんですけど…あなたが倒したんですか? すると、あなたが報告にあった下弦の弐を倒した甲隊士ですね? じゃあこれで任務は終わり…いえ、後一匹、残っているようですね」
女性剣士の視線が、炭治郎の腕の中の禰豆子へと動いた。
「坊や、坊やが抱いているのは鬼ですよ。危ないですから離れてください。それとも…坊や自身がとどめを刺しますか? 私としても強い剣士が柱になって少しでも楽させてくれたら、助かりますし」
「ちっ…違います。いや、違わないけど、あの…鬼だけど、妹なんです」
「まぁ、そうなのですか…なるほど分かりました」
女剣士の言葉に炭治郎はほっと胸を撫で下ろす。
だがそれも一瞬だった。
「いくら鬼でも肉親は斬れませんよね…えぇ、分かりますよ。私に任せてください。大丈夫、苦しまないよう、優しい毒で殺してあげますから」