名も無き、国一番の侍   作:ファルメール

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第32話 語られる侍

 

 誰かに話を聞いてほしかった。

 

 随分考えて、思い浮かんだのがお前達の顔だった。

 

 お前達が幸せそうで嬉しい。幸せそうな人間を見ると幸せな気持ちになる。

 

 この世は、ありとあらゆるものが美しい。この世界に生まれ落ちる事が出来ただけで幸福に思う。

 

 私の母は信心深い人だった。この世から諍い事が無くなるよう、毎日毎日祈っていた。

 

 太陽の神様に私の聞こえない耳を暖かく照らしてくださいと祈って、耳飾りのお守りまで作ってくれた。私が口を利かなかったが為に、余計な心配を掛けてしまって申し訳なかった。

 

 私の兄も優しい人だった。いつも私を気に掛けてくれた。

 

 父から私に構うなと殴られた翌日も、私の住む離れに来て、手ずから作った笛を渡してくれた。

 

「助けてほしいと…そう…思ったなら…吹くが…よい…すぐに…私が…助けに…参る…故に…何も心配は…不要也…」

 

 赤紫に腫れた頬をして、そう笑いかけてくださった。

 

 ある時、私と兄には類い希なる武術の素質がある事が分かり、父もその配下達も揃って私達を龍だ、虎児だ、鬼神の生まれ変わりだと褒めそやすようになった。

 

 気味が悪かった。

 

 兄はそんな家の中が息が詰まるようだと言って、気晴らしに野駆けしようと家出された。

 

 私も誘われるまま、一緒に家の塀を乗り越えた。

 

 初めて見る外の世界だった。

 

 どこまでも続く美しい空の下を、思い切り走ってみたかった。

 

 私達は、一昼夜走り続けても疲れて足が止まるという事が無かった。兄はほんの少しだけ額に汗が浮かび息が乱れている程度だった。

 

 弁当を食べようと足を止めた山の中で、ふと気付くとこぢんまりした田んぼと畑がある所に出た。

 

 水田の中に、誰かがぽつんと一人で立っていた。

 

 私達と同じ年頃の女の子だった。女の子は桶を持ったまま長い時間ぴくりとも動かなかった。

 

 何をしているのか聞いてみると、

 

「流行病で家族みんな死んじまった。一人きりになって寂しいから、田んぼに居るおたまじゃくしを連れて帰ろうと思って」

 

 そう言って女の子はまた動かなくなった。

 

 しかし日が暮れ始めると、女の子は桶の中の生き物を田んぼに逃がした。

 

「連れて帰らないのか?」

 

「うん…親兄弟と引き離されるこの子達が可哀想じゃ」

 

「じゃあ俺が友となろう」

 

「私も…そなたと…友誼を…結ぼう…」

 

「えっ?」

 

 黒曜石のような瞳をしたその女の子はうたという名前だった。

 

 それから私と兄は、時を見付けてはうたの家に通うようになった。

 

 うたは朝から晩までよく喋るようになった。

 

 私はうたのお陰で、前からそんな気はしていたがやはり他人と私達兄弟との世界の見え方が違う事を知った。生き物の体が透けて見える者など聞いた事も無いそうだ。私はその時初めて、家で感じていた漠然とした疎外感の理由や、兄と私が祭り上げられるように特別扱いされる訳が分かった気がした。

 

 家では長幼の序から兄が家を継いで侍に成り、私は十歳になったら寺に行って僧になる事となっていた。

 

 私は初めて袋竹刀を手にしてそれで人を打った時、何とも言えない気色の悪さが手に伝わってきてずっと消えなかった。だからそれ以来侍になりたいとは思わなくなったのだが、しかしながらその事で私の我儘から兄に侍の道を押し付けてしまったのではないだろうか。

 

 そう話した時、兄は言ってくれた。

 

「お前は…寺に行き…僧になる道が…向いていたのかも…知れぬな」

 

「は…」

 

「お前が…そうして気に病むのは…優しい慈悲の心があるからだ…それは…僧に向いていよう…だが…侍の道にも…慈悲は…ある」

 

「戦う事が、慈悲ですか?」

 

「戦いそれ自体は…慈悲ではない…だが…戦わねば…この世には…無道が…はびこる…無道を抑え…光ある…平和な世を目指すのが…慈悲」

 

「平和の為に、兄上は戦うのですか?」

 

「無論…侍は大名の家来だが…私は…大名の家来である前に…仏様の家来でありたいと…思う…理不尽に命を奪われる人の無い…そんな世の為にこそ…私の才を使いたい…たとえ私が駄目でも…その意思を継ぐ者を導くような…そんな侍で在りたいと…そう思っている」

 

「仏様の家来…」

 

「慈悲は同じ…故にお前が…侍にならず…寺に行って僧になっても…あるいは…うたと夫婦になり…添い遂げても…生きて営む限り…道を究めたその先に行き着く所は…誰もが皆…全て…同じであろう」

 

 その夜に母が病死した後、兄上に別れを告げて私はすぐ家を出た。

 

「慌ただしい…出発だな…未だ…夜も…明けぬと…言うのに…」

 

「はい。別れの挨拶だけさせていだきたく」

 

「……」

 

「この笛を」

 

「笛?」

 

「いただいたこの笛を兄上だと思い。どれだけ離れていても挫けず、日々精進致します」

 

「無用…だ」

 

「兄上?」

 

「うたの元へ…行くので…あろう…? 私も…これまでと変わらず…時々…遊びに行く…」

 

 こうして私とうたは一緒に暮らす事になった。

 

 兄も言葉通り月に一度か二度は会いに来てくれて、私が息災であるという手紙を家に届けてくれた。

 

 十年の時が過ぎて、私達は夫婦になった。

 

 うたに私との子供が出来た時、兄はそれを我が事のように喜ばれた。自分が名付け親になるのだと言って、考えた名前を聞かせてくれた。

 

「男であれば…結弦…結は…結ぶ…縁のこと…弦は音や響きであり…ぴんと張り詰めた…強さのこと…縁を結ぶこと…心の糸を…歌のように美しく…鳴らすこと…張り詰め…真っ直ぐに…強く…あること…巌勝…縁壱…うた…私達三人の…名前に因む…この名を考えるのに…一月も…費やして…しまった…女の子であれば…奏恵…奏は音や歌の意…恵はめぐみ…幸多き人生となる…そんな祈りの名…この名前を…考えるのに…配下全員に…知恵を絞らせた…」

 

 何度も何度も、繰り返しそう話されていた。

 

 やがてうたの臨月が近付き、私は産婆を呼びに出かけた。日が暮れる前に帰るつもりだった。

 

 途中で、山三つ向こうへ行こうとする老人に出会った。

 

 自らも心臓が悪いと言うのに、戦で負傷して死に瀕している我が子の元へ急いでいた。

 

 老人を息子の元まで送り届け、産婆を呼ぶのは明日にして家路を急いだが日が暮れてしまい、家に帰るとうたは腹の子共々殺されていた。

 

 自分が命より大切に思っているものであっても、他人は容易く踏み付けに出来るのだ。

 

 私は十日ほどぼんやりしてうたと子供の亡骸を抱いていた。

 

 鬼を追ってきた剣士に、弔ってやらねば可哀想だと言われる迄。

 

 私の夢は、家族と静かに暮らすことだった。

 

 小さな家が良い、布団を並べて眠りたい。愛する人の顔が見える距離で、手を伸ばせばすぐに届く距離で。

 

 家族が食べていける分だけで良い、畑を耕して真面目に働いて生きていきたい。

 

 時々兄が訪ねてきた時には、酒を酌み交わしたい。肴は兄の武勇伝。

 

 愛する人が理不尽に命を脅かされずに、平和に生きる。そんな日々が、天寿を全うするまで続いてくれる。それだけで良かったのに。そんなことすら叶わない。

 

 鬼が、この美しい世界に存在しているが為に。

 

 私はうたと暮らした家を出た。此処にはうたとの、兄との思い出が多すぎた。私には兄から頂いた笛さえあれば良かった。家を清掃するとそれだけを懐に入れ、そして剣士に連れられ、私は鬼狩りとなった。鬼を追う者は昔から居たそうだが、呼吸が使える者が居なかったので私は教えた。

 

 柱と呼ばれた剣士達は優秀で、元々使っていた炎・風・水・雷・岩の剣術の型に上乗せして呼吸を使えば飛躍的に力が向上して鬼狩り達は凄まじい勢いで鬼を倒せるようになった。

 

 そんな折、兄と再会した。

 

 兄に連れられて実家に戻り、父上にもお会いした。

 

 兄が結婚された事は聞いていたが、既に子供が生まれていた。

 

「だっこぉ」

 

 初対面の私は、兄の子に抱いてくれとせがまれた。

 

「抱き上げて…やれ…喜ぶで…あろう…」

 

 そう言われて兄の子を抱き上げ、その子の笑顔を見て…

 

 …すまないが、そこからは記憶が曖昧でな。

 

 気が付けば兄の子を抱き締めて、泣きじゃくっていた。

 

 兄は鬼狩りとなって私に力を貸してくださった。

 

 一つ屋根の下で過ごしたのはたった一晩だけだったが、兄の妻は優しく貞淑で、しかも聡明な御方であり子供は両親によく懐き、父の代からの配下は兄に信服してよく仕えていた。私は命に代えても兄を守り抜いて、この家に帰す。

 

 そう、誓った。

 

 誓ったのに。

 

 だが結果は、何もかもが反対であった。

 

 そして私はある時、鬼の始祖と出会った。

 

 出会った瞬間に、私はこの男を倒す為に生まれてきたのだと、分かった。

 

 そして何より、この男が兄を殺したのだと報告を受けていた。

 

 私はこの時、生まれて初めてこいつが憎い、殺してやると思った。

 

 その男は暴力的な生命力に満ち溢れていた。

 

 火山から噴き出す岩漿を彷彿とさせる男だった。ぐつぐつと煮えたぎり全てを呑み込もうとしているかのようだった。

 

「呼吸を使う剣士にはもう興味は無い。思ったほどでもなかったしな」

 

 そう言うや否や、男は腕を打ち払った。

 

 恐るべき速さと間合いの広さだった。攻撃を避けると、遙か後方まで竹が切り倒される音がした。

 

 掠り傷でも死に至る毒を注入してくると既に鎹鴉からの報告にあったが、向かい合って改めてそれを実感し、私は背筋がひやりとした。これも生まれて初めての事であった。

 

 侮ってはならぬ敵である。だが同時に、恐るるに足りぬと理解出来た。

 

 確かに攻撃の速さも間合いの広さも剣とは比較にならない。しかしながら攻撃の起こり(予備動作)がこれも動き自体はとても速いが大きすぎる上に力任せに振り回すだけの雑なもので、しかも振りも揺さぶりもしてこない。どの拍子にどんな攻撃がどんな軌道で繰り出されるのかが、私にははっきり分かった。これではいくら速くても私には当たる訳が無い。

 

 兄は只では殺されなかった。

 

 毒の血を体内に打ち込まれて助からぬと分かった兄は、最後まで抵抗するのではなくわざと簡単に倒される事で、間違った成功体験という決して分解出来ぬ毒をこの男に打ち込んでいたのだ。

 

 必死に抵抗した所で鬼は生きている限りどんな重傷をも再生してしまうから、粘る事に意味は無い。寧ろ強者との戦闘経験を蓄積させてしまって後にこの男と戦う剣士の足を引っ張ってしまい逆効果となる。

 

 兄はきっとそう判断されたのだ。

 

 一切の私心無く戦える者こそ侍であると、兄は常々言っていた。最期まで、それを全うされていたのだ。

 

 そして鬼の始祖にも、私達が使う赫刀は覿面に効く事も分かっていた。鴉の報告から、兄がこの男に与えた傷の中で他の傷はまるで刀が体をすり抜けるかのような速さで治癒して頸の弱点すら克服していたのに、赫刀によって付けられた頬の掠り傷だけが治癒がはっきり遅かった事が分かっていた。

 

 男には心臓が七つ、脳が五つあった。

 

 この瞬間に、私の剣技の型が完成した。

 

 すれ違い様に全身を切断した。

 

 男は自らの肉体が再生しない事に困惑している様子だった。斬られた頸が落ちぬよう支えていたが繋がる事はなかった。

 

 私は、男にどうしても聞きたい事が一つだけあった。

 

「何が楽しい? 何が面白い? 命を何だと思っているんだ。どうして分からない? どうして忘れる?」

 

 男からの返答は無かった。男は私を見ていたが、怒りの為か顔が赤黒く膨れ上がっていて、私の言葉は男まで届かないと思った。

 

 ふと男が連れていた鬼の娘に目をやると、彼女は男を助けようともせず前のめりにかっと目を見開き、頸を斬られた男の姿を凝視していた。奇妙な事にその瞳はきらきらと希望の光で輝いているように見えた。

 

 私は彼女より先に男にとどめを刺す事にした。

 

 私が一歩男に近付くと、食い縛められた奥歯の砕ける音がした。

 

 次の瞬間、男の肉体は勢い良く弾けた。

 

 千八百に散らばった肉片の内、千七百と少しをその場で斬った。

 

 けれども残りの肉片は小さすぎた。合わせれば恐らく人の拳ほどの大きさの肉片を逃がしてしまった。

 

 怒り狂った私が八つ当たりで竹林を切り倒していると、悲鳴のような泣き声のような娘の声と共に、倒れ込む音がした。

 

「もう少しだったのに、もう少しだったのに…頸の弱点を克服していたなんて…」

 

 言葉を絞り出して娘は頭を掻き毟った。

 

「死ねば良かったのに!! 生き汚い男!! 鬼舞辻無惨!! …? 死なない、何故私は死なない?」

 

 慌てふためく娘を宥めると、彼女は堰を切ったように男について話してくれた。

 

 そして、鬼の始祖・鬼舞辻無惨はもう、私が死ぬ迄姿を現さないだろうとも言った。

 

 私は、無惨が瀕死の重傷を負って弱ったが故に一時的に彼の支配から解放されたという彼女に、彼を倒す手助けを頼んだ。娘は初め戸惑っていたが、承知してくれた。彼女の名は珠世といった。哀しい眼をしていた。

 

 その後、駆け付けた仲間から兄が鬼となった事を聞かされた。

 

 私は鬼舞辻を倒せなかった事、珠世を逃がした事を仲間達から責められた。

 

 返す言葉は無かった。それらは全て事実であり、全ては私の責任であったからだ。

 

 一部の者からは「自刃せよ」という声も上がり、それも良いかも知れぬとも心の何処かで思ったが、お館様が止めてくださった。既に病に蝕まれておられるのに、更なる心労をお掛けして申し訳ないと思った。

 

 だが一人の剣士がこう言った。

 

「巌勝殿も巌勝殿だ。鬼の始祖と戦い討ち死にされていたなら偉大な剣士として生涯を全うされていたものを。それが鬼にされるなど、晩節を穢すとはこの事だな」

 

 その剣士は歯が一本も無くなった。

 

 私は身内から鬼を出した事の責任を取り、鬼狩りを追放された。

 

 私は恐らく、鬼舞辻 無惨を倒す為に特別強く造られて生まれてきたのだと思う。しかし私はしくじった。結局しくじってしまったのだ。兄が命を賭して与えてくれた絶好の勝機を活かす事も出来なかった。

 

 私がしくじってしまったせいでこれからもまた多くの命が奪われる。

 

 心苦しい。

 

「だっこ「起きろ。起きるんだ」

 

『?』

 

「起き…オイ。オイコラ、やいてめえ、やい!!」

 

『??』

 

 

 

 

 

 

 

 体が重く、しかも自由にならない固さが付きまとっている。

 

 肌に当たるのは小さな石、玉砂利の感触だろうか。

 

 意識が急速に引き戻される、眠りから目覚める時の独特の感覚が走る。

 

「いつまで寝てんだ。さっさと起きねぇか!! 柱の前だぞ!!」

 

 一気に意識を覚醒させた炭治郎が顔を上げると、周囲が最後に覚えている山中の景色とは全く違っているのが分かった。これはどこかの屋敷の庭であろうか。そこに自分は縛られて転がされていたのだと分かった。

 

 その自分を、ずらりと並んだ剣士達が見下ろしている。

 

 一目で、それらどの一人もがこれまで出会った誰よりも鍛え抜かれた屈強の剣士であると分かった。

 

「裁判の必要など無いだろう! 鬼を庇うなど明らかな隊律違反! 我等のみで対処可能! 鬼諸共斬首する!」

 

 炎柱・煉獄杏寿郎。

 

「ならば俺が派手に頸を斬ってやろう。誰よりも派手な血飛沫を見せてやるぜ。もう派手派手だ」

 

 音柱・宇髄天元。

 

「君、弁解があるなら早く言った方が良いよ。死んでからじゃ何も言えなくなるから」

 

 霞柱(阿)・時透無一郎。

 

「嗚呼…急く事もあるまい。このように丸腰で我等に囲まれて、ここからでは何も出来まい。せめて話だけでも聞いてやろうではないか」

 

 岩柱・悲鳴嶼行冥。

 

『おかかおにぎり食べたいな…』

 

 夜柱(吽)・時透有一郎。

 

「ところで冨岡はどうしたのかね。まだ死んだ訳ではないのだろう? なのに柱合会議に欠席など前々から思っていたが奴には柱としての自覚が足りぬ」

 

 蛇柱・伊黒小芭内。

 

「冨岡さんは全身筋肉痛でとても動ける状態ではないので只今入院中です。後は不死川さんが来られたら全員集合ですね。ここは鬼殺隊の本部です。あなたはこれから裁判を受けるのですよ。竈門炭治郎くん」

 

 蟲柱・胡蝶しのぶ。

 

 彼等こそ鬼殺隊の最高位である柱。

 

 現在八席九名・空位一席から成る最強の剣士達であった。

 

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